雨と生きる。雨を活かす。雨の文化創造を考える。

 
presented by  株式会社タニタハウジングウェア

塚本由晴(つかもと・よしはる)
 
:建築家・東京工業大学教授。1965年神奈川生まれ。1987年東京工業大学工学部建築学科卒業。1987 ~88年パリ・ベルビル建築大学。1994年東京工業大学大学院博士課程単位取得退学。1992年貝島桃代とアトリエ・ワンを設立。2000年東京工業大学大学院博士課程修了、博士(工学)。東京工業大学大学院教授。
 
貝島桃代(かいじま・ももよ)
 
:建築家・筑波大学准教授。1969年東京都生まれ。1991年日本女子大学住居学科卒。1992年塚本由晴とアトリエ・ワンを設立。1994年東京工業大学大学院修士課程修了。1996〜97年スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)奨学生。2000年東京工業大学大学院博士課程修了。2000〜09年筑波大学講師。2009年〜筑波大学准教授。
 
LINK:http://www.bow-wow.jp/



 

15:アトリエ・ワン /塚本由晴・貝島桃代

Atelier Bow-Wow / Yoshiharu Tsukamoto, Momoyo Kaijima

 

地域資源として
建築を考える

2021/10/05
インタビュアー:真壁智治、編集:平塚桂、大西正紀

 

 
観光の文脈を裏切らずに、地域の建築を更新する

 
— まずは関心事に触れながら、広島県尾道市の駅舎や三陸沿岸の被災地でのプロジェクトをはじめとする近作紹介をお願いいたします。
 
塚本:少し前に福岡県八女市に 「里山ながや・星野川」(2018年)ができました。八女市は2010年にいくつかの市町村が合併して山間部まで市域に入ったので、林業も主要産業のひとつに加わりました。八女の林業は、あまり良いブランディングができていなくて収益性が低い構造です。また林業ではたらく人が減っているという状況もあります。こうした課題を解決するために株式会社 トビムシ竹本吉輝さんが関わって、林業の仕組みをつくり直すためのいろいろな取り組みがなされています。
 

「里山ながや・星野川」外観(写真提供=アトリエ・ワン)。


そのひとつが「 八女里山賃貸住宅〈里山ながや・星野川〉」です。活動していく中で竹本さんが気づいたのは、若くやる気のある方が林業に取り組むために移住しようとしても借りる家がないということでした。空き家はあるけれど地縁がないとなかなか借りることができない。いわゆるアパートというものは都会のもので中山間地にはあまりないわけです。そこでどうするか。自治体にとって、人口減少の進む山の中に公営住宅を建てるのは現実的ではない。民間でやろうにも、誰もお金を貸してくれない。そこで公共と民間を組み合わせて、市有地を安く借り、民間資本で建物を建て、移住促進事業の枠組みで家賃の一部を補助するという仕組みで動かすことになりました。
 
— どのような建物ですか?
 
塚本:八女のスギとヒノキを使って建てた全8戸の賃貸集合住宅です。平均年齢28歳の八女市内の若手大工チームが、これまで我々がいくつかの建物で試みてきた板倉工法で建てました。
 

「尾道駅」外観(写真提供=アトリエ・ワン)。


それから 「尾道駅」が2019年3月10日にオープンしました。ここは西日本旅客鉄道、 ジェイアール西日本コンサルタンツと一緒に設計しました。尾道は豪華列車「瑞風」の停車駅で、しまなみ海道のサイクリングロードの起点としてサイクリストの聖地にもなっています。増えた人の流れに対応できるよう駅舎を見直したいと建て替えプロジェクトがはじまりました。元の駅舎は100年ほど前に構造体ができているんですが、手前に増築がなされて間口が狭くなってしまい、人々が自在に行き交うようなつくりになっていませんでした。古い駅舎の建て替えというと多くの場合、橋上駅にして駅自体を拡張しますが、尾道の場合は山が迫っているので地上駅のまま建て替えることになりました。
 
地上駅なので、プラットフォームを降りたらすぐに街が広がる気持ちいい環境があります。目の前に尾道水道が広がって、その奥に向島があって小さな造船所が見える。その風景の中に駅をどう置くべきかと考えて、大屋根のつくりを検討しました。駅の山側には古い家の瓦屋根が連なっています。その風景を意識して、全体を金属瓦で葺き、長く大きな庇を出し、徐々に上昇する屋根の連なりをつくりました。駅舎でかつ海の近くなので、材料選択などには大変多くの制限があります。したがって非常にこう手足を縛られたような状態で設計してはいるんですが、サイズ感やプロポーションなどは結構うまくいったと思っています。
 
— 間口と奥行きのプロポーションがとても良いですね。
 
塚本:街からみると1階にはほとんど壁がなく、コンコースの横にもお店が並んで開かれています。2階は眺望のよいテラスになっていて、テラスを介してサイクリスト向けのホテルやレストランなどにつながります。その中央に吹き抜けを設け、上にガラス屋根を乗せているので、コンコースに光が落ちます。この1、2階の活動が街から見えるつくりは、駅としては今までにないのではないかと思います。
 
— 内藤廣さんが駅舎から街を変えていくという主張を数年前からしています。また上州富岡駅、戸越銀座駅などの注目すべき事例が生まれています。駅というものに対し、どのような可能性を感じていますか。
 
塚本:駅舎というものが生まれた頃は近代化の象徴でした。ただ当時の施設自体はほとんどが瓦屋根の木造平屋で、お寺の食堂みたいな素朴な建物でした。駅というのは基本的には安心安全が大事なわけです。しかし1970年代の観光ブームや80年代のふるさと創生事業といった背景を受けて、地域の歴史的建造物や名所にインスピレーションを受けたデザインに変わっていきました。そのような時代を経て今、第3、4世代の駅舎へと生まれ変わろうとしています。
 
近年新たに出てきた要件は、インバウンドに加え国内の人々も含めた激しい移動です。今の情報化された観光の時代において、駅というものは大きな転機を迎えています。一方で通勤通学などの日常使いの建物という側面も依然としてあり、人々から愛着を持たれているので、世代交代するときには以前のイメージを残してほしいという要望が出てきます。同じ場所、同じ機能なのに、年代によって規模やデザインなどが変わっていく施設というのはあまりない。そういう意味で面白い施設です。
 
— 駅舎は大事な地域資源ですね。またこれからの駅には建築家が仕事をする余地があるように思えます。
 
塚本:1950年代には近代建築と日本的なものをいかにアウフヘーベンするかという枠組みがありましたが、観光の文脈における伝統的な要素の扱いはそれとは違います。それぞれの人の心の中に地域の像があって、それを裏切ってはいけない。いわばファンが抱く像に苦しめられるアイドルのようなものです。だから瓦屋根にできませんか、和風にできませんかという要望が上がってくるわけです。こういうものは近代建築が最も嫌っていた「パスティーシュ」つまりまがいものなわけですが、建築の歴史を振り返ってみるとパスティーシュの連続で更新されてきたわけで、むしろやり方としては王道です。私自身そういうものに関心があるので、積極的にやってみましょうと。近年の観光の動きに対応していくことは、街や社会、公共を見直す良い機会になると思うのです。
 

 

中山間地のメンバーシップを組み替えて、幸せな場所をつくる

 
— アトリエ・ワンがつくる建築には、”幸せ感”のようなものが感じられます。たとえば「栗源第一薪炭供給所(1K)」(2018年)、「もものうらビレッジ」(2017年)といった建物ですね。
 
貝島:”幸せ感”をどう定義するかが難しいところですが、ひとつそれがあると言えそうなのは、いろいろな立場のいろいろな人達が共存できる場所です。私自身、そういう場所をつくることに関心があります。そのような場所がなぜ良いのかというと、科学的な根拠があるわけではないのですが、困ったときにいろいろなアイデアが出せるので危機に強く、多様な知恵が挿入されたほうが打開策も見えやすいということは言えそうです。なるべく開かれた状態で多様な人が共存するように保っていくと、結果的に面白い蓄積ができて幸せな場所になるのではないかと思うのです。
 

「栗源第一薪炭供給所(1K)」外観(photo = 石渡朋)。


「栗源第一薪炭供給所(1K)」「恋する豚研究所」(2012年)から派生した施設です。恋する豚研究所がある千葉県香取市は豊かな自然を残しているということと、成田空港に近いということ以外にそれほど特性がある地域ではありませんでした。空港がもたらす経済的な開発の波と、過疎化や高齢化といった課題が発生して、地域でまわっていた仕組みが上手くまわらなくなってきました。クライアントはこのエリアを拠点とする社会福祉法人で、我々は障害者が働けてかつ地域の新しい循環を生み出す施設の設計を頼まれました。
 
塚本:その社会福祉法人は当初は特養などシニア向けの事業していたのですが、障害のある人が仕事に就けない状況を目の当たりにして、この事業をはじめました。
 
貝島:面白いのは最初から何か目的を明確にしているのではなく、まずプロジェクトを起こして、その隣にある問題をどう解決できるかを考えて、次のプロジェクトを進めていくというところです。ソーセージやハムをつくっているのは、たまたま理事長の方が養豚業をされていたからです。そこから豚をブランド化して障害のある方が働ける場所にするという企画が生まれました。「栗源第一薪炭供給所(1K)」は森の間伐と薪の生産を行うための施設ですが、こちらも恋する豚研究所を運営していく中で出てきた課題から発想されました。背後の里山が荒れていたのでスタッフで山の管理をしはじめたところ周辺の農家さんから喜ばれたので、それを拡張して山を間伐し薪を生産するビジネスをはじめました。さらに耕作放棄された畑でサツマイモを育てるということにも挑戦しはじめました。サツマイモができるようになったらそれを消費するために、「栗源第一薪炭供給所(1K)」の片隅にスイートポテト屋もできました。
 
生産物には必ず副産物があるので、彼らはそこから課題をすくい上げてビジネスにしていくわけです。こうした循環をつくっていくにはやはり、みんなで枠組みを考えて、どういう建物が必要なのかを検討するというプロセスが必要です。たとえば千葉には森林がたくさんあるのになぜ使われていないのかをリサーチし、まず必要な山の管理だけなら自分たちでもできると結論付け、間伐をして薪をつくり流通させる、間伐材から家具をつくるといったことをしています。商品はリサーチの過程で出会った製材所や大工技術を持った方の協力で生み出しています。我々もこういうやり方から非常に影響を受けています。建築をつくるプロセスも、一緒に進めていく方の技術や知恵とつなげながら組み立てています。
 
— お話からは、プロジェクトにおける時間の流れが東京とは違う感じを受けました。
 
貝島:そうですね。彼らは新しいプロジェクトをやるときに、人を育てることもします。たとえば山を管理する場合でも、突然スペシャリストを雇うのではなくて新しく人を雇ってスペシャリストに育てます。若い人の雇用を広げ、みんなで学んで経験を蓄積していくのです。彼らの基本姿勢が人をケアすることにあるからかもしれませんが、人も場所も育てていくところが面白いですね。
 
塚本:農村には、いろいろな可能性があると思います。都市では建ぺい率や容積率、収益性などでゲームのルールが決まってしまいます。そこに当てはめられるプログラムはサービス系が多いです。建築を建てて人のために使うことが都市活動として当然視されています。
 
農村の場合は土地は生産のためにあるので、人の居場所はそこまで重要視されていません。日当たりの良い場所には畑がある。山が迫っていて井戸水などが出やすくかつ日当たりが少しよい場所が、最初に入ってきた人の集落になる、という感じで。山から水が流れてそれが溜まって田んぼができ、太陽があたって風が吹いてという連関の中に建築を建てている感じです。都市はお金で決済する社会なので関係性が抽象的ですよね。しかし田舎にいくと連関が目に見えて、つながっている感じがします。
 
— 鋭い指摘ですね。都市と農村では土地利用のあり方が違う。
 
貝島:しかし過疎化や高齢化が進むことで農村内の連関は、その外にある社会産業的な連関と噛み合わなくなってきました。そこで私たちはアウトサイダーとして内部の状況をリサーチし、連関の切れている部分をつなげることをしています。農村内部に備わっていた強い連関を守っていく時代から、広がりをつくって地域を支えていく時代になってきました。そのきっかけの1つが場所づくりです。建築というシンボル性を与えることで、この場所に行ってみたいと思わせるとか、そのようなことが建築の役割となってきています。
 
塚本:中山間地は保守的だと都会の人は考えがちですが、それは地域の資源を自分たちが責任を持って管理する仕組みがあり、よそ者が入ってくるとそれが崩れてしまうからです。だから警戒する。都会に住んでいる人はオープンなメンバーシップにおける考え方をベースとして生きているので、中山間地のメンバーシップを目の当たりにすると驚いてしまうのですが。
 
しかし最近は都市でも自分たちで場を管理運営していこうという動きが増えつつあります。いま貝島が言っていたのは、メンバーシップを半開きにする考え方です。
 

 

自然の連関に建築を介入させ、資源へのアクセシビリティを高める

 
— つづいて「もものうらビレッジ」(2017年)について教えてください。
 
貝島:桃浦は宮城県石巻市の牡鹿半島に位置する東日本大震災の被災地で、2011年の夏ごろから建築家の仲間たちと アーキエイドという組織で行った復興支援活動で縁ができたエリアです。漁師さんたちとコミュニケーションを取っていく中で、さきほどお話ししたような閉じたコミュニティで地域資源を守ってきたけれど、それが高齢化によって限界を来たしつつあることがわかってきました。
 
漁師さんの基盤は漁業権で、これはお金を払って買うものですが、簡単に買えるものではないんですね。昔は魚を捕り放題にしていても問題がなかったのですが、戦後に漁業技術が発達し、魚が捕れやすくなりました。そこで過剰漁獲を防ぐために漁業権を通じて漁獲量などを管理しています。
 
震災前までは漁業権は飽和状態だったのですが、漁師さんが高齢化して引退したいけれど後継者もいないということが増えてきて、空きが出てきました。そこで地域や世代を超えて次世代の漁業者を育成するために 「牡鹿漁師学校」という取り組みを2013年からはじめて今でも続いていて、そこを出た方が実際に漁業権を買って地域に根付くなど成果も出ています。
 
一方で津波の被害を受けた低平地には居住制限がかけられました。しかし完成した高台移転地は従来からの住民向けに限られ、新規住民のための居住地整備が認められませんでした。こうしたことから新しい集落をつくるべく、まずは基盤として交流施設 「もものうらビレッジ」の整備が企画されました。立ち上げにはap bankの小林武史氏が出資してくれて、敷地は以前漁師さんたちが使っていた段々畑で1960年代に植林された一帯を譲り受けました。
 

「もものうらビレッジ」外観(写真提供=アトリエ・ワン)。

 
もものうらビレッジは、メインハウス(母屋)と2棟のタイニーハウス(宿泊棟)からなる、宿泊と交流ができる施設です。タイニーハウスは建築家を講師として自力建設をしました。この施設を核に一帯を徐々にキャンプサイトとして整備していく予定です。石垣を直したり、山を観察して整えたり、沢に水が戻ってくるように整備したりということを、何年もかけてやっていく予定です。
 
— こちらも時間をかけてつくっていく場所ですね。
 
貝島:ここは桃浦に移住した方々が中心となって運営しています。牡鹿半島は過疎化や震災という大きな変化があって、少なくとも震災前と同じ状態に戻ることは難しいと住人の方々が早い段階で判断しました。なので地域の長老の方も漁師さんも新しい集落をつくることに、熱意を持って関わってくれています。
 
塚本:研修にいいんですよ。石垣を積む、魚を捕ってみんなでご飯を食べるなどを経験すると、いかに自分がスキルがないかがよくわかります。漁師さんたちに出会って衝撃的だったのは、彼らが身の回りにある環境からいくらでも資源を捕ってこれるスキルがあることです。そこに住んでいる人すべてが備えています。もちろん上手い下手はありますが、少なくとも我々に比べたら圧倒的です。
 
そういう資源にアクセスできるかどうかというのは、人間の生き方に大きく影響すると思います。こうした場所で物事がゆるっとしたスピードで進んでいくのは、彼らがケアしている対象が人だけではなくて自然にも及ぶからです。自然を資源に変えていくことがケアになるし、ケアすることが資源のアクセシビリティを高めていくことにつながっていくわけです。
 
人的資源という言葉があるじゃないですか。最近の学生を見ていると、企業に採用されやすい良い人的資源に自らなろうとしています。マネジャーから見た人間像が評価されやすい人的資源なのだと思うのですが、なぜ組織の事情を知らない学生が自画像を組み立てることになっているのか、そこをひっくり返さないといけないと思っています。資源的に人を考えるのではなくて、人の資源へのアクセシビリティを高める、それをエンカレッジする建築というものをやっていかなくてはならないなと。資源的人のための建築・都市・社会をつくっていきたいです。
 
都会に住んでいる我々がなぜそんなにスキルを持っていないのかというと、お金を払えばサービスを受けられるからなんですね。スキルを手放し、お金を払ってサービスを受ける。その向こう側に産業がある。20世紀の産業の発展というのは社会をよくした部分もあると思うけれど、個人レベルでは資源にアクセスしにくい世の中をつくってしまった。そこは建築にも責任があると思ってなんとか変えていきたいと考えています。
 
— ありがとうございます。最後、この「ハウス&アトリエ・ワン」(2005)がどのような雨のふるまい、どのような屋根の考え方でできているのかを教えてください。
 
塚本:建築は自然と人間のふるまいを重ね、それらが良い具合でバランスしたものだと言えます。人がいかにデザインしようとしても、水が高いところから低いところへと流れていく性質は変えようがないので、勝手がきかないんですね。それをいかに上手く扱うかというのはデザインできます。また、良いふるまいは反復され、その街ならではの風景や建物のふるまいを生み出します。反復されたものというのは、誰かのものとして所有されることはないんですね。
 
デザインが立ち入れない原理があることと、所有されていないこと、時間の尺度があることというのは、建築を考える上で非常によいことばかりなのではないかと我々は思っています。資本主義に基づき個人主義と所有を前提に確立されてきたのが20世紀の建築だとすると、ふるまいというのは逆を行っている感じがします。
 
「ハウス&アトリエ・ワン」の場合は、屋根も外壁もすべて同じアスファルトルーフィングです。軒裏から壁、屋根まで同じ材料でできる仕上げというのは板金かアスファルトルーフィングに限られます。
 
貝島:私たちは壁と屋根を一体的につくるようなものが好きで、板金でもよくやっています。日本の伝統的な建築は屋根は屋根、壁は壁と分かれており、それは大事なことだと思っています。しかし私たちは屋根と壁を一体的にすることで建物をひとつのエンベロープ、ひとまとまりの多面体とし、そこに穴をあけて雨、風、光を入れてその場所にふさわしい形や環境をつくるということに興味があります。板金のような屋根と壁を一体的に構成できる材料は、環境を全方向からふるまいを含めて考えられるのでありがたいと感じますね。
 
— 私はいつもアトリエ・ワンの関心の所在を気にかけて来ました。どの関心も足が地についたもので、社会とどのように向き合い、「建築」をどのように建築化し、空間化し、社会化していこうとするのかに大変興味を覚えて来たからです。
 
 今回示された関心と発言に、多々共感させられるものがありました。林業の仕組みをつくり直してゆく現場と建築の解体、移築、組み立て、再生が自在な持続可能性の高い「板倉工法」への関心や観光、駅舎の捉え直しやそのスペクタル化、メンバーシップによる幸せな共同体への組織化・実体化への取組みとそのことに伝わる結果としてのメンバーシップを半開きにすること、更に持続可能なメンバーシップ社会の創生を図る「もものうらビレッジ>」など、アトリエ・ワンの活動の現況と関心の所在を、確認することが出来ました。
 
 本日はありがごとうございました。
2019年1月31日 収録

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