北川原 温(きたがわら・あつし)
 
建築家/北川原温建築都市研究所主宰/東京芸術大学教授。1951年、長野県生まれ。1974年、東京芸術大学卒業。1977年、同大学院修了。2001年、東京芸大助教授、2005年、同大教授。主な作品にビッグパレットふくしま(日本建築学会賞作品賞)、岐阜県森林文化アカデミ−(日本建築学会賞技術賞、BCS賞、アルカシア賞ゴールドメダル等)、宇城市不知火図書館美術館(日本図書館協会建築賞)、中村キース・ヘリング美術館(村野藤吾賞、日本建築大賞、日本芸術院賞)等。
 
LINK:http://www.kitagawara.co.jp


 

04:北川原 温 / Atsushi KITAGAWARA

 

このコーナーでは、建築家の方々に登場いただきながら、"雨のみち"のコンセプトや方法を、実際の作品に即して話をうかがっていきます。第4回のゲストは、建築家の北川原温さんです。北川原さんにとっての「雨」は設計やデザインにどのような関係があるのか。

 

雨は降り、自然と流れ続けるもの.私の雨の原体験.

2013/07/25
 

アラビア半島のワジ/私の雨の原体験

 
----- 北川原さんといえば、渋谷のスペイン坂に建つ、映画館と店舗の複合施設<ライズ>(設計:北川原温/1987)が鮮烈なデビュー作だと思っています。ドレープカーテンのような外装が印象的でした。あれは、どのようにつくられているのですか。雨漏りはしませんでしたか(笑)。
 


(photo=Masaki Onishi)
 
北川原:意外なのですが、あの建物はこれまで一度も雨漏りしてないんですよ(笑)。基本は、アルミダイキャスト(アルミを鋳造成形したもの)でつくられています。一番大きなもので6mくらい。その他はだいたい3m×4mのパーツに分割して12トントラックで運んで組み立てられるようにつくりました。あの建物は、僕が35歳のとき、1986年に竣工したものです。最初はパルコのような商業ビルをつくる予定で、もう設計も終わっていたころに、急に映画館に変更になったんです。懐かしいですね。
 
----- 例えば、あのようなドレープの形を見ていると、実に雨が自然に流れそうだなと思ってしまうわけですが、当時から建築を設計する上で、そうした雨の流れというものについて、考えるところはありましたか。
 
北川原:ドレープに雨が降ると、建物の色や質感、いろんな変化が起きます。少し話が飛んでしまってもいいですか?
 
 昔、学生時代にある日、先輩の芦原太郎さんに「丹下事務所の調査で、砂漠に行ってみないか?」と言われたんです。僕はてっきり鳥取砂丘かそこら辺だろうと思っていたら、アラビア半島だというんです。すぐに僕行きますって返事をしたら、次の週に丹下先生が直接面接をすることになった! 面接で丹下健三さんは「君は、両親に話してあるのかね?」と仰られたんです。そこで、僕はやっと理解したわけです。ずいぶん危険なところなんだと(笑)。だから事務所の所員は行かないんだと。面接を終えるとすぐに準備をして、都市計画家の森岡侑士さんを隊長とした一行は、アラビア半島へ向かいました。
 
 アラビア半島最大のルブ・アルハリ砂漠にはワジと呼ばれる「涸れ川」(かれがわ)があるんです。普段は砂漠で見分けがつかないのですが、雨季になると川が突然現れる。数百メートルから数キロという幅の川ができるんです。泥水がドーッと流れてきて、砂漠を横断している大型トラックなどは、あっという間に飲み込まれて流されてしまいます。そんな非常に危険な中を、僕らもジープで走りまくっていました。
 

ワジの洪水で埋まってしまったトラック
 
北川原:小高い丘からワジを見ると、そのすごさがわかります。サウジアラビア南端(イエメン国境近く)にはナジュラーンという集落都市があって、その街の西側に岩だけでできた巨大な山があります。高さは数百メートル、幅は何十キロにも渡ります。
 

ナジュランの集落、サウジアラビア
 
北川原:この岩山は、本当にひとつの岩でできている感じなんです。雨季になると、ここへものすごい量の雨が降るのですが、その光景を見ていると雨水は岩肌を滝のように流れ落ちて、山全体が滝のオブジェのようになるんです。それが山岳地帯から土漠沿いに裁くに至って泥水のワジになっていくんですね。つまり、普通の川ではなくて、川ができるときは洪水なんです。地元の人たちは、そのことをきちんと理解した上で、川ができるエリアを避けて住んでいます。
 

サウジアラビア
 
 ワジの水が溜まりやすいところにオアシスができます。だから、オアシスができる場所というのは、実は非常に際どい場所なんです。もちろん水があるので、一息つける気持ちの良い場所なんだけど、実は危険、つまり死と背中合わせ。雨というと、僕はまずこのことを原体験として思い出すんですね。
 あの岩山には、何千年、何万年という時間をかけて雨がつくった美しい筋が刻まれています。まさにそれは「雨のみち」そのものなんですね。本当にすごい。屋久島へ行ったときに少し似た岩山を見ましたが、スケールがまるでちがう。
 
----- そのお話をうかがうと、その原体験の光景と例えば<ライズ>のドレープなどは、どこかで繫がっているようにも思ってしまいますが、そういったことはないのですか。
 
北川原:雨が流れるのは、雨季だけですが、岩山に抽象絵画のように刻まれた筋はいつも見ることができる。朝日が当たると、またそれが鈍く光ってくっきりと見えるんです。確かに言われてみると、岩肌が壁のようにドレープ状になっています。どこかで<ライズ>のアルミドレープのイメージにつながっているのかもしれません。

生まれ故郷、長野県/私の雨の原体験

 
---- <長野県稲荷山養護学校>(2007)という建築を以前、拝見しました。あれは非常に自然の風や雨を受けとめる、穏やかなデザインだと思いました。
 
北川原:あの建物は、屋根の断面は基本的に切り妻なのですが、妻側の屋根を下まで下ろしているんです。地元の子どもたちは、この逆三角形の壁のような屋根を「こんこんさん」と呼んでいます。雨水が飛び散らないように「こんこんさん」は少し湾曲した面になっています。雨水は、そのなめらかな曲面をつたって流れます。
 福島県郡山市の<ビッグパレットふくしま>(1998)も巨大な屋根をもつ建築ですが、振り返ってみると今まで、けっこう大きな屋根、そしていろいろな形の屋根をつくってきました。それはもしかしたら僕の実家での体験が影響しているかもしれません。実は僕の実家は、屋根門に連続して4つの蔵があって、主屋の向こうにもうひとつ蔵がありました。
 


北川原さんの生家。茅葺きの主屋は取り壊されたが、江戸時代の長屋門と土蔵は今も健在。
 
---- 屋根の存在感というものは、小さい頃から感じられていたのですね。
 
 そうかもしれませんね。茅葺きの屋根って雨がふると、すごく縮まるんです。雨水を含むとキュッと引き締まる。逆に乾燥すると膨らむ。それがわかるんですね。物理的には水分を含むと膨らむはずなんですが、視覚的にはそうは見えないのです。茅葺き屋根の厚さは、約1m。雨が降るとだいたい上部の5cmくらいまで雨が入ります。さらに湿り気は、10cmの深さくらいまで入るのだそうです。水を吸って、次の日に強い日差しがあたっても、気化熱で屋根は暑くならない。茅葺き屋根は「とい」がなくても全然大丈夫ですしね。というか、茅そのものが「とい」。だから屋根や無数の「とい」でできているという感じ。昔の人の知恵はすごいですね
 
 その実家は急な坂道の上にありました。坂はとても急なので、昔の馬力のない車だと登っていけなかった。その坂が大雨になると川になるんです。すごいことになるんだけど、そんな日も水に逆らって登っていかなくては帰れませんからね。当時は、まだ舗装道路なんて少なくて。だから、泥道をよけながら歩いているのが普通でした。長野は本当によく雨がよく降るんですね。雨が降るとあちこちに水たまりができる。都会では雨水は全部下水溝に吸い込まれてしまうから、水たまりの風景ってないですよね。

僕は「とい」が嫌いなんです(笑)

 
----- そのような原体験をされてきて、あまりこれまでの設計の中では、屋根というものはあまり意識的な主題とはならなかったわけですね。しかし、北川原さんの設計する建物には、とてもユニークな屋根が多いように思います。いくつか代表作と雨の処理について紹介していただけますか。
 
北川原:まず僕は基本的に「とい」が嫌いなんです(笑)。できれば「とい」は付けたくないなと思っていて、これまでに「とい」のない建築をいくつかつくっています。雨はそのまま落ちてもいいんじゃないかと思っているのですが、これがなかなか理解してくれる人が少ないんですよね。昔の建物というものは、みんな雨を自然に流していました。流して落ちる先には犬走りがあった。部屋の先には縁側があって、犬走りがあって、その向こうに庭があったわけです。昔は、雨も景色の内なんですね。
 


(photo=Takumi Ota) 
 
 例えば、<中村キース・へリング美術館>(2007/上写真)の場合は、ある固まり、ヴォリュームから削り取る。そのときカテナリー曲線に応じて削っていくことで、この形が生まれました。このカテナリーでつくられた大きな凹曲面全体が屋根なんですが、凹型なので巨大な「とい」とも言える気がします。
 

 
 これは<長崎港上屋>(1994)という貨物倉庫の模型です。柔らかく見せたステンレスで覆われているのですが、これも雨どいはない。雨は屋根から連続するR面の壁をつたってきれいに流れていきます。
 
佐世保市新みなとフェリーターミナル>(2003)でも外側には雨どいはつくりませんでした。ほとんどがシームレスステンレスのフラットルーフなので、その大きな屋根の真ん中に設備用の中庭を設けて、そこへ向かって100分の1の屋根勾配をつけて雨が落ちるようにしています。台風がよく通るエリアなんですが雨仕舞いは成功しました。
 
----- アラビア半島や長野のご実家での雨の原体験が、それほどご自身の建築に影響されていないということでしたが、こうやってお話をうかがっていると、危険性を持った雨というものを屋根全体で流してしまいたいということで、どこかでつながっているようにも僕は感じてしまいますね。
 屋根や「とい」ものは、古来から建築にとってシンボル性の非常に強いものであり、かつ人が身を寄せる重要な主題でもあったと思います。そのことについては、どうでしょうか。
 
北川原:特に日本のような雨の多い国は、特にそうでしょうね。ヨーロッパでも雨は降ります。だから、屋根も当然大きな主題です。近代建築の誕生によって箱型、つまり屋根のない建物が世界中に広がりましたが、長い建築の歴史の中では、ほんの僅かな期間のことにすぎません。古代ギリシャの時代から近世まで、建物にはきちんとした屋根があったわけです。近代に入ってから屋根がなくなった。
 
 今度、2015年に開催される「ミラノ国際博覧会」の日本館の建築プロデュースをさせていただくことになりました。その国際博覧会のテーマが「食」なんですね。僕は早合点して、美味しい物の大会かと思っていたら、全く違っていました。飽食と飢餓といったようなグローバルな社会問題を含めた「食」、「地球に食料を、生命にエネルギーを」というのがテーマなんです。だから、そこで建てるパビリオンもそのテーマである「食」とつながるべきだと、いろいろと考えました。
 豊かな農作物を収穫するには、肥沃な土壌が必要です。そのためには森が、栄養のある水を里山に供給しなければなりません。森がもたらす水は、やがて海に達して豊かな沿岸漁業を可能にします。つまり森が健康でなければ、里山も海も何も育つことができません。そこで、水源地である森を守ために間伐が必要になります。その間伐で森から出された木材を使って建築をつくる。つまり間伐材を使って建築をつくることが、森を健全に保ち里山や里海の実りを豊かにするのです。そのことを象徴するのが、今回の日本パビリオンなんです。
 
 木にまつわる話で、ひとつ印象的な出来事があります。僕が東京芸大に入学して、1年生のときに吉村順三先生の授業を受けたんです。あるとき先生が床にころがっていた木の切れ端を拾って「ここに森があるんだよ!」と仰った。そのときは何のことか、さっぱり分からなくて、ず〜っと気になっていたんです。それが、だいぶ後になって吉村先生は木を物として扱っていなくて、それに森全体の生態系を見ていたんだな、と思うようになりました。
 
 木を使うにも、いろんな方法があります。木造は世界中にありますが、金具などを使わずに木材のめり込み作用を利用した木組みだけでつくるのは、日本だけなんですね。それを僕は「生命論的建築」と呼んでいます。西洋の木造は木を鉄骨やコンクリートなど無機的なマテリアルと同様に扱っています。それは、いわゆる機械論的建築です。15年ほど前から、この生命論的木造の構造の専門家、稲山正弘さんといくつも木造建築をつくってきましたが、今回のパビリオンでは、さらに進化した三次元立体木組みを実現したいと思っています。もしかすると法隆寺を越えるかもしれません。

(2013年5月21日|東京・千駄ヶ谷の事務所にて|インタビュアー:真壁智治|写真:特記以外すべて提供=北川原温建築都市研究所)

 


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