乾 久美子(いぬい・くみこ)
 
:1969年大阪府生まれ。92年東京芸術大学美術学部建築科卒業、96年イエール大学大学院建築学部修了。96~2000年青木淳建築計画事務所勤務。00年乾久美子建築設計事務所設立。00~01年東京芸術大学美術学部建築科助手、11年東京芸術大学美術学部建築科准教授、16年横浜国立大学大学院Y-GSA教授。
 
08年新建築賞(アパートメントI)、10年グッドデザイン金賞、11年JIA新人賞、12年BCS賞(日比谷花壇日比谷公園店)、12年第13回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展「金獅子賞」、15年日本建築学会作品選奨(Kyoai Commons)、17年日本建築学会作品選奨(七ヶ浜中学校)。
 
LINK:http://www.inuiuni.com/


 

 

13:乾 久美子 / Inui Kumiko 

 

人々の多様な営みを
包み込む建築をつくる

(1/3)

2018/10/15
インタビュアー:真壁智治、編集:大西正紀(mosaki)
 

延岡駅周辺整備プロジェクト

 
— 今回は、乾さんが設計された、最近の作品についてうかがえればと思います。
 最初は「延岡駅」について、聞かせてください。この10年ほど、駅の整備を街の活性化につなげようというムーブメントが顕著かと思います。たとえば、「日向市駅」(2008、内藤廣)、「北本駅西口駅前広場」(2012、アトリエ・ワン)、「上州富岡駅」(2014、武井誠+鍋島千恵 / TNA)、「女川駅」(2015、坂茂)などがあります。
 その中でも乾さんがデザイン監修されている「延岡駅周辺整備プロジェクト」は、街のコミュニティとシンクロさせながら設計されているのが、とても特徴的だと思います。まず、どうしてこのような形態になったのでしょうか。
 
乾:駅の再開発というものは、長くかかるもので、延岡駅周辺の再整備の話がはじまってから 10年近く( 2018年現在)になります。最初は市役所と地元を中心とする方々が進めておられて、私たちが関わりはじめたのが 7年前です。
 

 
 建築のつくり方としては、ロータリーの再編を行って駅舎との前に隙間をつくり、そこに新しく市民が集えるような建築物を建てるというものです。地方都市の活性化を考える上で駅の存在は大きなものがあります。延岡駅の乗降者数は決して大きいものではありませんが、まちの玄関口としてのシンボル性があります。そこに市民や来訪者の居場所をつくることで、駅とセットになって人の集まる場所が生まれることが期待されました。
 
 既存のものは2階建てRC造の、ごくごく普通の駅舎です。市民のアンケートを取ると、意外とこれが市民に気に入られていることがわかりました。そうであればと、既存の建物と同じスパンのフレームを反復するような形とし、あたかも駅の増築であるかのような建築とすることが良いかと思いました。 デザインしたのはフレーム、つまり柱と梁と床だけといえます。それを要求に対して少しずつ変形しながら、必要な面積や場所を作り出していきました。
 

既存駅舎。(提供=乾久美子建築設計事務所)


 与えられた役割はデザイン監修者です。なので、デザインのもつ力をもって、まちづくりを推進することが求められていました。その場合のデザインとは何かを考えた時、 強烈で個性的なデザインを投入するというよりは、できるだけ控えめなのだけど、だれにとっても意味を感じるようなデザインを構築ことが大切だと思いました。
 

既存の駅舎の前に新しく施設を建て、ロータリーと一体で整備されることになった。(提供=乾久美子建築設計事務所)


—市民の原風景としての駅に、きちんと沿う形で、設計されているのが、すばらしいです。新築部分の中に入る機能については、具体的にどのように考えられているのですか。
 
乾: このフレームの中には、何が入っても良いと考えていました。逆に、どうなっても良いという寛容さが大事だと。このプロジェクトが変わっていたのは、市がお金を出して駅舎の前に施設をつくることは決まっていても、どういう施設にするかは決まっていなかったことです。プログラムも決まっていなければ、面積も決まっていない。実をいうと、ロータリーを整備して駅舎の前に建てるということすら決まっていませんでした。市民が集まれる場所をつくるという目標以外は、いかようにも設定できたのです。
 

新しい駅舎の外観。(写真=阿野太一)


 当時、地方都市の中心市街地活性化の認定をとりやすいメニューというのがあって、その中に駅前や中心市街地に複合ビルを建てるという方法がありました。それで建てれたビルの多くは規模的にも建築的な計画的にも魅力が低いものとなり、テナントの誘致がうまくいかず、苦戦しているということがすでにわかっていました。延岡はそうした反省を踏まえ、 駅に隣接した中途半端な商業ビルではなく、市民の方々が集まりやすい柔軟な器のような場ができればという設定が、コミュニティデザイナーの 山崎亮さんと市のほうでされていたところに、私たち参加していった経緯があります。
 
 具体的には市民活動の場をつくっていくというものですが、その設定で市民との対話も進んでいきましたが、その後、紆余曲折があって、結果として、 カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が入って、市民活動の場と本屋、図書館を混ぜ合わせた機能になりました。私たちは、地元の人たちがささやかなブックカフェを行うくらいからスタートすべきだと思っていたので、東京から大手資本が入ることには抵抗もあったのですが、最終的には行政側の判断によるところが多かったです。
 
—そんな展開があったのですね。しかし、後にCCCを入れることになったにせよ、それをも受け入れられる器であったと言えるかもしれません。 この建築では、縦軸にも横軸にも、抜けがあります。それが効いていますね。
 
乾:それは、最初から最後までとても意識して設計したものでした。 まちづくりとしての建築のポイントは、建物の中で起こっていることを見せなくては駄目だと考えています。すこし前に市長室などを見えるようにする“見える化”って流行りましたね。あれと一緒で、中の活動を外に見せないと、いくら建築を建てても、地方都市のまちづくりにとってはあまり意味がありません。
 

施設全体には、縦軸にも横軸にも“抜け”がつくられ、さまざまな行為を違いに視認できる。(写真=阿野太一)


 最初は平屋の外からも内からも抜けのある空間をつくったのですが、CCCがやってくるとなると、これまで想定していなかった図書館機能のための面積が足らなくなってので、当初の平屋の予定のものから、中間階にスラブを入れて床面積を増やしていくことになりました。
 
 それでもできるだけ中の活動が見える建築にすることを、関係者に共有してきました。 最終的には、2階のスラブの高さを公共建築では考えられないくらい下げています。そうすれば、外からでも2階をかなり近距離で見ることができるからです。
 
—つまり、中からも外からも、抜ける眺望、ビスタにこだわったということですね。それがこの建築たりうる重要なソリューションになっています。それがまた、この屋根の形状にも大きく影響しているように見えます。雨仕舞いも含めて、教えていただけますでしょうか。
 
乾:この建築は、現場打ちコンクリートかプレキャストかの選択があったのですが、柱はプレキャストに、梁は現場打ちコンクリートとしました。床板は、スパンクリートと呼ばれるプレキャスト板を並べていったのですが、できるだけコンクリートの粗い素材感を残したかったので、屋根面には外断熱のシートをかぶせることにしました。天井面は、床板と床板の間にスリットをつくって照明としています。
 
 

(写真=阿野太一)


 屋根の雨仕舞いは、それほど難しいことはしていません。梁があって、シート防水があって、内部に樋を入れています。どうしても、外から見たときに屋根を小さく見せたかった。その上で、屋根を内側に傾斜をつけたかったので、屋根の計算は非常に緻密に行いました。 雨量が裁けなくなることは一番避けなくてはいけないので、雨水排水計画は、ややややこしい形状で解いています。縦樋に関しては、既存の駅舎と新しい建物との間の通路に配置しています。人の動線を考慮しながら位置をプロットしていきました。
 
—コミュニティデザインとの関わりは、ここからどんどんでてくるのでしょうか。
 
乾:コミュニティデザインについては、私たちがかかわる1年目から、山崎亮さんたちが2ヵ月に1度のペースで現地に入り、どんな市民団体がいて、どんなことをやっているのかを調査していたようです。 CCCが入ることになりましたが、それらの情報は引き継がれて、さらに CCCの担当者が現地入りをして、さらに詳しい調査をしていきました。結果として地元の市民 NPO団体による教室などだけでなく、地元の人気の飲食店による料理教室みたいなものなどにも新しい施設は使われています。
 
CCCも、これをきっかけに新しい地域貢献型の施設をつくっていけるといいですね。ただ、そのときに本当のまちの公共性とは何か、まちの何を生み出したいかという合意形成が難しいところです。
 
乾:本来であれば、地元のひとだけでがんばれば良いのかもしれません。しかし、建物の規模が大きくなった時、その規模に責任をもちながら運営しつづけることのできる主体がどの地方にもいるわけではありません。もちろん、たまたま、そういう主体が地方にいる場合もありますが、少なくとも延岡の当時ではそこまで責任を引き受けられる主体がいませんでした。行政が CCCの力を借りたいと感じたとしてもおかしなことではなかったのかもしれません。
 

施設内部は、さまざまな市民の活動に利用される。(写真=阿野太一)


—それでも駅として開放的でやわらかな構造は先駆けになると思います。いつオープンしたのでしょうか。
 
乾:建築は 4月に共用開始しました。ロータリーはこの秋に完成、そこでようやく全体像がみえることになります。
 
—ひとつ僕が不安なのは、乾さんのこのような建築が建ち上がったとしても、それを科学的に建築計画学的に見ようという視点が業界内にないことなんです。私がもう30年若かったらやるんですけどね(笑)。建築を生み出す感性を科学的に読み解くことは、きちんとしてほしいです。
 
乾: この10年で、さまざまなプログラムが融解するような新しいタイプの建築がたくさん生まれているのに、そういったことが、あまり研究されないのかもしれません。もったいないですね。
 
 私は延岡駅周辺を設計する際に、日本全国の複合施設を調査しに行きました。主に、空間の寸法を測りながら、どういうプログラムが、どういう規模で複合されているのかをリサーチしたのですが、こういうことを研究してまとめる方がいるといいですね。
 
—原広司さんは、その昔、モダニズムの批判として均質空間を否定していましたが、乾さんの延岡駅のプロジェクトには、均質空間が生むこれからの期待値を感じます。時代もそういう方向なのでしょうか。均質さが生むダイナミズムの時代というか。
 
乾:均質空間というべきかわかりませんが、延岡では隣にある JRの駅舎にあわせるという単純なアイデアからスタートしています。 RCラーメン構造のがらんどうの構造体ですが、その可能性はその後の使いこなしにあるかと思います。先日、 ルイス・カーン設計のアーメダバードにある インド経営大学を見に行く機会があったのですが、それもまさにがらんどうというか、同じ要素の繰り返しの建築でした。事前に 西沢立衛さんからそこまで面白くなかったと聞いていたので、あまり期待していなかったのですが、これがとてつもなく良かったんです。 繰り返しでてくる空間が、ひとつひとつ別のものへと使いこなされていたり、改変されていていろんな場所が生まれていました。どこかに、改変したくなる自発的な動機が生まれるきっかけがあるのかもしれないと感じました。
 
—つまり、均質さのフレームが良質だったということなのでしょうか。
 
乾:改変を許容する何かが、空間の骨格にありました。それがとても気になっています。
 
—それをどう使おうが、設計者の建築家には問われません。むしろ今は、それがどう使われるかが期待されているという、それもまた新しい潮目なのだと思います。