乾 久美子(いぬい・くみこ)
:1969年大阪府生まれ。92年東京芸術大学美術学部建築科卒業、96年イエール大学大学院建築学部修了。96~2000年青木淳建築計画事務所勤務。00年乾久美子建築設計事務所設立。00~01年東京芸術大学美術学部建築科助手、11年東京芸術大学美術学部建築科准教授、16年横浜国立大学大学院Y-GSA教授。
08年新建築賞(アパートメントI)、10年グッドデザイン金賞、11年JIA新人賞、12年BCS賞(日比谷花壇日比谷公園店)、12年第13回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展「金獅子賞」、15年日本建築学会作品選奨(Kyoai Commons)、17年日本建築学会作品選奨(七ヶ浜中学校)。
LINK:http://www.inuiuni.com/
13:乾 久美子 / Inui Kumiko
人々の多様な営みを
包み込む建築をつくる
(3/3)
2018/12/23
インタビュアー:真壁智治、編集:大西正紀(mosaki)
ハウスM
—「ハウスM」は、屋根も含めて、その建ち方が変わっています。どのようにしてこの設計となったのでしょうか。
乾:駅から徒歩 10分ほどの幹線道路沿いにある敷地でした。グリッド上の街区がならぶエリアに、斜めに一本都市計画道路が建設されたことで、道路沿いの敷地の大きさがスライスされてまちまちになっていました。結果として小さな木造と中規模のマンションが交互にでてくるような風景が生まれていました。
マンションとそのなかで、木造の立ち位置がなんとも哀しかったので、普通に建ててしまうのは良くないなと思いました。住宅として通り側にある構えをつくるときに、壁を建てて閉ざすとか、ファサードをつくるのではなく、通りに対して構えがメッセージをしっかり持っていることが大事だと考えました。
そのときに庇が有効だろうと、まず考えました。「小さな風景」のリサーチをやった後だったので、庇をつくって建築をつくれないかということも考えていました。庇の下に、人の居る場所ができることが、とても単純な解ではあるけども、大切だと。
—ボックスが重なりながらも、それぞれに庇がついています。
乾:ボックスに庇がついているのではなく、庇が 3枚浮いているところからスタートしていると思っていただけるといいと思います。1階は道路に対して閉じて、2階は道路に開いて一体となる。3階はまた閉じる。結果、道路に対して、おもしろい構えをつくることができました。
ひとつ特徴的なのは、プランニングの過程です。 3枚の庇が浮かぶだけですと、住宅としての機能を果たしません。そこに様々な追加的な要素が必要になってきます。それをできるだけ受け入れるようなものにしています。たとえば1階の床と土間の高さの差が大きくなったのですが、最初の設定をおぎなうように補助的な踏み石を置いています。このような付けしを求めてしまうことが面白いなと思いました。いってみれば、建築としておさまっていないので、後手を楽しむしかないのです。足していって、足していって、建築にしていくというのが、「小さな風景」の生成を自分たちで行う方法なのではないかと思うようになりました。
そうやって、後手でどんどん足していく先に、家具を置いたり、増築していくようなことがあるかもしれません。お施主様も設計者の私たちも、そういう能動性を持つことができれば、住宅としてよりおもしろいものができると考えたわけです。
—計画道路が生んだ珍妙な状況を受け入れ、逆手に取ることで、こんなにも豊かな住空間ができるのだから、驚きました。ちなみにこの住宅ではタニタハウジングウェアの樋が使われていて、雨水利用もされているのですか。
乾:散水したり、金魚でも飼うことができればということで、雨水利用は、このように天水桶をつくって一回溜める形でつくりました。溢れるとまた下階へ流れるようになっています。
—庇を重要な建築の構のデザイン要素にすることで、必然的に雨仕舞いの工夫がポイントになってくるのですね。これも建築の構えを形成しています。
乾:駅から徒歩 10分ほどの幹線道路沿いにある敷地でした。グリッド上の街区がならぶエリアに、斜めに一本都市計画道路が建設されたことで、道路沿いの敷地の大きさがスライスされてまちまちになっていました。結果として小さな木造と中規模のマンションが交互にでてくるような風景が生まれていました。
マンションとそのなかで、木造の立ち位置がなんとも哀しかったので、普通に建ててしまうのは良くないなと思いました。住宅として通り側にある構えをつくるときに、壁を建てて閉ざすとか、ファサードをつくるのではなく、通りに対して構えがメッセージをしっかり持っていることが大事だと考えました。
そのときに庇が有効だろうと、まず考えました。「小さな風景」のリサーチをやった後だったので、庇をつくって建築をつくれないかということも考えていました。庇の下に、人の居る場所ができることが、とても単純な解ではあるけども、大切だと。
「ハウスM」外観
—ボックスが重なりながらも、それぞれに庇がついています。
乾:ボックスに庇がついているのではなく、庇が 3枚浮いているところからスタートしていると思っていただけるといいと思います。1階は道路に対して閉じて、2階は道路に開いて一体となる。3階はまた閉じる。結果、道路に対して、おもしろい構えをつくることができました。
ひとつ特徴的なのは、プランニングの過程です。 3枚の庇が浮かぶだけですと、住宅としての機能を果たしません。そこに様々な追加的な要素が必要になってきます。それをできるだけ受け入れるようなものにしています。たとえば1階の床と土間の高さの差が大きくなったのですが、最初の設定をおぎなうように補助的な踏み石を置いています。このような付けしを求めてしまうことが面白いなと思いました。いってみれば、建築としておさまっていないので、後手を楽しむしかないのです。足していって、足していって、建築にしていくというのが、「小さな風景」の生成を自分たちで行う方法なのではないかと思うようになりました。
そうやって、後手でどんどん足していく先に、家具を置いたり、増築していくようなことがあるかもしれません。お施主様も設計者の私たちも、そういう能動性を持つことができれば、住宅としてよりおもしろいものができると考えたわけです。
「ハウスM」内観
—計画道路が生んだ珍妙な状況を受け入れ、逆手に取ることで、こんなにも豊かな住空間ができるのだから、驚きました。ちなみにこの住宅ではタニタハウジングウェアの樋が使われていて、雨水利用もされているのですか。
乾:散水したり、金魚でも飼うことができればということで、雨水利用は、このように天水桶をつくって一回溜める形でつくりました。溢れるとまた下階へ流れるようになっています。
—庇を重要な建築の構のデザイン要素にすることで、必然的に雨仕舞いの工夫がポイントになってくるのですね。これも建築の構えを形成しています。
みずのき美術館
—最後に、「みずのき美術館」について聞かせてください。これは、もともとは住宅だったのですか。
乾:古い町屋の住宅を美術館として改修したものです。この近くで福祉法人をされていたお施主様が、知的障害者の方々の作品を発表する場となっています。建物は、特に重要文化財というわけではないのですが、大正時代のものでしたので、一度、骨組みにまでもどして鉄骨で補強するところはして、基礎もまし打ちなどしながらリノベーションしました。
「みずのき美術館」外観(写真=阿野太一)
—1階の開口がとても大きい。ここはもともと外壁でしたでしょうから、構造的にもいろんなところで頑張られているのですね。屋根はもっと重々しい屋根だったのですか。
乾:元々の屋根は土の上に瓦を載せていましたが、土は重いので、土はなくして、瓦を載せるようにしました。
「みずのき美術館」内観(写真=阿野太一)
—道路の辻になっていますね。
乾:そうです。オリジナルの建物は住宅だったのですが、この辻にあることを活かすようにT字の先に1階の空間が連続してギャラリーが広がるようにつくりました。
「みずのき美術館」外観(写真=阿野太一)
このギャラリーは、入場料を取る美術館なのですが、中が見えるようになっています。普通の美術館ではやらないと思うのですが、おおらかな運営を目指すお施主様が、この透明な感じを許してくださいました。内部には、以前の建物の名残りで、柱がたくさん残っています。
—雨といは、普通についています。
乾:大正時代の建築だったので、もともと銅製の雨といが付いていました。ここは、忠実に銅でつくり直しました。
実は、この部分だけではなく、いくつかの部分を復元しています。というのも、ここは防火がかかっているエリアでしたので、この規模ですと準耐火構造にしなくてはいけません。こうした町家の復元にはいろいろなハードルがあります。設計段階から県の主事の方に相談させていただいて、町家のリノベーションを実げできる法的な解釈を教えていただきました。リノベーションに理解のある方で本当によかったと思います。
「みずのき美術館」内観(写真=阿野太一)
—さて、いくつかの近作についてうかがってきましたが、最後に少し屋根の総括としてお話しをうかがいたいと思います。
乾さんの近作を拝見していても、まず屋根は無意識に出てくる形態というよりは、自覚的な操作があると感じました。時代は過度なシンボリックなもの、権威主義を求めず、よりフワッとしたものが求められています。特に2000年以降、変わってきている傾向があると思うのですが、乾さんは、今改めて、どんなふうに屋根を捉えていますか。
乾:屋根だけに限らず、建築の技術、構法、構造など、すべてにおいて、技術的な洗練がたかまっているように思います。産業の力と工務店の努力によって、ここまで来ていると思います。一方で、設計者は、それらの技術をとても手軽に使わせていただいているような気がします。しかし、それでも、屋根は恐ろしいものです。どれだけ技術が洗練されようが、少し間違えば、すぐに雨が漏れてしまいます。
—構造がよりリジッドで単一であったときは、躯体と屋根は一体のものでしたが、そういう意味では今は、さまざまな解法があります。それでもなお、難しさや危うさは同じということですね。因みに、そういうった技術や構法の情報収集はどのようにされているのですか。
乾:基本は人の作品の観察です。今までだったら、そんな納まりになるはずがないという明らかに異常なディテールをみつけて、それはどのメーカーの製品で、どのような技術が使われているのかを勉強させていただきます。ひとつのディテールに対して、メーカー、工務店、設計者が一丸となって作り上げているはずなので、そうしたことを想像しながら見ています。
—以前は、大手の建設会社や設計事務所が、比較的一元的に開発や技術を集約していたものが、今ではより拡散されてきたこともあるのですね。
乾:そうですね。オリジナルの構法や技術がとある公務店や設計事務所に集中していたものが、シェアされてきたというか、解き方が、より多彩になっていていると思います。
とはいえ、解き方のシェアが進むことで、気軽にあぶないディテールが採用されているようなところもあるかなと思います。若いの建築家のディテールを見ると、「そんなことしたら、水が漏れてしまうぞ!」と思うことがあります。実際に水が漏っていると思うのですが(笑)。それでも、チャレンジは素晴らしいものだと思います。中には成功してスタンダードになるものもあると思います。チャレンジに対しては、タニタさんのようなサポートもあります。実際に、実現したものを見て、すごいところまできているなと感心することも少なくありません。そういう設計者とメーカーあるいは、工務店の方々による切磋琢磨が、続いていくことはとても大切だと思います。
—なるほど。チャレンジをどれだけプログラムとしてイメージできることのほうが、そこにある技術などを、単に使いこなすかと言うことよりも大事というわけですね。
こうして乾さんの作品を見てくると、一見個々がバラバラな「建築」として映りました。何よりも、そこに共通したデザインスタイルを明らかに求めていないことがよくわかります。そこでは、場所の固有性を「小さな風景」として、ひたすら観察し、読み明かしていく力強いアプローチの先に、個々の建築を「構え」として捉える設計態度があります。この建築の「構え」が、人々と建築を共感をもってつないでいける装置が治具になっているのではないか。こうした想いが、乾作品を改めて通観して、私は強く感じました。
* 2017年 4月 26日東京都新宿区の乾久美子建築設計事務所にて収録
[前編] へ<<<