石川 初(いしかわ・はじめ)
 
1964年京都府生まれ。東京農業大学農学部造園学科卒業、鹿島建設株式会社建築設計本部、 Hellmuth、Obata and Kassabaum Saint Louis Planning GroupKajima Design ランドスケープデザイン部、株式会社ランドスケープデザイン設計部を経て、 2015年より慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科/環境情報学部教授。東京大学大学院新領域創成科学研究科非常勤講師、早稲田大学創造理工学部建築学科非常勤講師。登録ランドスケープアーキテクト( RLA)。
関心領域は、ランドスケープアーキテクチュア(景観・緑地・造園の計画、設計)、地理、地理教育(地形、地図などの研究と表現)。主な設計担当プロジェクトに、大崎西口南地区再開発(デザイン監修、 2014)、中野セントラルパークサウス(基本設計、実施設計、設計監理、 2012)など。主な著書に『ランドスケール・ブック』( LIXIL出版、 2012)『今和次郎「日本の民家」再訪』(共著、平凡社、 2012)『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い ──歩くこと、見つけること、育てること』( LIXIL出版、 2018)など。
 
LINK: http://hajimelab.net/wp/

ランドスケープの思考では
水は地形とともにある (3/3)

people 11:石川 初 / Hajime Ishikawa

 

「雨のみち」にまつわる各分野の人やモノに着目し、「雨」をさまざまな側面から見つめ直すクロスポイントのコーナー。今回は、「地上学」をテーマに研究・活動をされている慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科/環境情報学部教授の石川初さんにお話をうかがいました。

インタビュアー:真壁智治、編集:加藤純、写真:大西正紀
2020/11/3
 

雨が地上に降る限り地形は周りに偏在する

 
—  もう一つ、石川さんも関わっておられる「千年村」研究について伺いたいと思います。
 
石川;千年村の調査はもともと、今は早稲田大学におられる中谷礼仁さんの声がけから始まりました。中谷さんが大阪市立大にいらしたときに、今和次郎が記した野帖が工学院に保存されているのを閲覧できるようになりました。それを見ると、今和次郎の巡った順番などが、後にまとめられた本とは違いました。また、リアルな情報がいろいろあり、本に載せていない事例などもあったのです。それで約 1世紀が経った現在、今和次郎が見にいった民家はどれほど残っているのか、その周りの村はどうなっているのか、ということを知るために再訪するというプロジェクトを中谷さんが立ち上げられました。
 
 さまざまな専門の人が名を連ねているといいからと、中谷さんが私に声を掛けてくれたのですね。そこで参加して全国の集落や民家を回ってきました。その成果は 『今和次郎「日本の民家」再訪』という本になって、それは建築学会の著作賞を受賞しました。
 
 調査研究の 5年間は終了したのですが、「この情熱が冷めやらぬうちに何かをやろう」という機運がありました。民家再訪の最後の年がちょうど、 3.11の震災の年だったのですね。そのときに中谷さんの関心があったのは、壊れていないところでした。建築の人たちやランドスケープの人はみんな、壊れたところを見行って、なぜ壊れたのかということを一所懸命に調査していました。でも、壊れていないところに行って、どうしてそこが壊れなかったのかということを見たほうが、後々役に立つと中谷さんは言うのです。それは面白い、せっかくならものすごく長く壊れていないところ、 1000年くらいずっとあるような村を探して見に行きましょうとなりました。 1000年あるというだけで特に注目もされず、とりとめがなく、価値のある建物もなく新建材に置き換わっているかもしれないけれど、由来を調べたら 1000年ずっとあるというような村。そうしたところに行き、 1000年存続している秘密を探るプロジェクトがいいのではないかという話になったのです。
 

千年村の調査の様子。


 
 最初にいろんな歴史資料を当たるなかで、中谷研の学生が見つけてきたのが、 『和名類聚抄』という平安時代の国語辞典のようなものです。そのなかに、当時の中央政府に租税を納めていた集落の名前が全部リストアップされていたのです。それらの古代地名を現代地名と照らし合わせるために用いた資料が、 1970年代から 90年にかけて出版された 『角川日本地名大辞典』です。その本が編集されたときに、地名学者の方が「比定度」といって、昔の集落の名前と今の大字の名前とを一致させて、「これはこの大字である可能性が高い」ということを調べてくれていました。それで私たちは比定度が高く 1000年続いているとされている全国の村をプロットした地図をつくり、 GISで地質図や地形図に重ねたところ、一目瞭然なのです。 背景に山間部があって、手前に低地があって、そこに水が良くて、水田もつくれる。そうした境目のようなところに、千年村が集中しているのですよ。ありそうなところに、あるのですね。
 

鬼怒川流域の千年村空撮。


 
 調査を始めたころ、房総半島の千年村を探しに行きました。伝統的な村の領域は、しばしば、現在の大字の境界となって残っています。多くの大字の領域には、田畑のある低地と微高地の集落と、その背後に林地と水源のある山とが含まれています。千年村はそのような、環境のセットがひとつのパッケージになっている、それが長続きの秘訣なのだと考えられました。千年村はさまざまな観点から評価できるのですが、私の関心があるのは、電気のブレーカーが落ちたときに、バッテリーがどれほど長持ちするかという性能です。東日本大震災で福島の原発が停止して東京の街が停電したときは、都市は都市だけで自立できていないことが明らかになりましたよね。でも、 「1週間閉じ込められても平気」という神山町の山間の集落は、バッテリー性能が異様に高いというように考えることができます。
 
— 千年村固有な持続可能性がある、ということですね。
 
石川:そうです、 性能として持続可能であれば、災害時にバックアップすることもできます。都市が持続可能な性能を持つにはどのような仕様であればいいか、千年村の仕組みから学ぶこともできるのではないかと。ところが、千年村に住んでいる人たちは、自分たちが暮らしているところに歴史があることを自覚していません。調査で村の人たちに話を聞きながら、「ところでここは平安時代からあるんですよ」と言うと、「えぇっ?」と驚かれたりしました。
 

千年村の調査の様子。


  1000年続いてきた環境があるのだから、むざむざ今の世代に壊さず「将来に向けて培ってきたものを残すにはどうしたらいいか」ということを村の人たち自身が話し合ってほしい。まずは村の人たち自身が千年村だということを再発見しなくてはいけませんし、私たちのような者が行って「ここ、とてもいいですね」ということを言う必要があります。それで今、千年村プロジェクトでやろうとしているのは、運動として広げることです。「千年村認定」のようなことをしにいくといった、いろいろなことをやろうとしています。
 

千年村の調査の様子。


 そのときに自分自身は、 FAB-Gや、ハイブリッド石積みのようなところを見逃さないようにしたいと思います。やはり学生も含めて、麗しい写真を撮りにいってしまうのですよ。 綺麗な農村風景を目にすると思わず写真を撮るのですが、後で見るとただの田園風景でしかない。 「ハイブリッド石積みみたいなものが千年村をなさしめているのだ、そうした写真を撮らなければいけない」と最近は学生によく言っています。伝統的、建築的な価値観ではまったく評価されないような、けれどすごくしたたかに生きてきたようなところをすくい上げたいと考えています。
 
— 千年村研究を通して地上学思考を、学生と一緒に発揮されているのがいいですね。
 
石川: 千年村プロジェクトからは、そうした観察の方法や思想をすごく学んでいます。ところで神山町は、たまたま千年村のプロットから漏れていました。それは『倭名類聚抄』の対象が、税金を払っているところであったためのようです。神山町のある四国の山間の村は、戦乱期に武士から逃れてきた農民たちが居ついたところで、中央政府に従わず、税金を払っていなかったかもしれず、それで記録されてない可能性があります。千年村ともまた少し違う観点で神山町は見ています。
 
— 最後に「地上学」として、水や雨のことをどのようにみておられるか、お話いただけますか。
 
石川: 水はもちろん、ランドスケープをつくる重要な要素です。私たちは地形を介して水と接しています。農村の棚田も溜め池も、水が流れる系を利用しています。水を止めるのではなく、スピードを調整して使っているのですよね。水の流れに逆らわずに少し編集することで、水とうまく付き合っています。私たちが普段使っている風呂も、キッチンのシンクも洗面器も、同じように水の系のなかにあって、水と付き合っているのだなということを感じます。
 
 水は、地形に対して容赦なく流れます。舗装で排水勾配の取り方を失敗すると、雨が降ったときに一発で分かりますよね。 水は土地の有り様に対してとても正直な要素です。例えば東京でわれわれが使っている水は、ほとんどが利根川水系や霞ケ浦の水源から来ている水です。多摩川水系や荒川水系の水はほとんどありません。東京の規模が大きすぎて、本来東京に入ってくるはずのない水をダムで貯留することによって、流し込んでいます。日本の土木の技術を結集して、しかも飲めるほど浄化した水を引っ張ってきているのに、われわれの目に触れる瞬間は、水道の吐水口からカップまでの 30センチ程度しかなくて、一瞬で消えてしまいます。しかも、ちょっと身体の上を撫でただけで下水に変わり、今度は見たくないものに変化する。 われわれの目の前で起きている水の変化はすごいですよね。その後は、延々と日の目を見ない。 水の近代化はつまり、水を見えなくしているのです。
 
  造園も、技術の多くは、表面の雨水を処理することに費やされています。いかに素早く地面の上に降った雨水を下水道に流して、側溝へ流し、なかったことにするという技術。雨が降ったという事実を覆い隠す技術が発達しています。
 
 建物の屋根に勾配が付いているのは水を流すためなので、 屋根は見方を変えてみれば地形だなと思います。家の中で床はフラットなのですが、もともと土地はフラットではありません。フラットな床を実現するために解除されたぶんの地形のしわ寄せが、屋根に行っているわけです。地形は、なくならないのです。
 
— 地形不滅説ですか。
 

 
石川:そう、陸屋根でも絶対に勾配が付いていてドレーンがあるので、あれは地形だなと。雨が降る限り、地形というのは完全に隠すことはできません。シャワーブースの下にある排水溝の傾斜から、グラウンドのすぐ下に埋めてある暗渠管のネットワークに至るまで、雨が降る限り、地形は必ず形をさまざまに変えて、私たちの周りに偏在しています。
 
  街の中は、土地が所有権に応じて切り分けられていますから、建物をつくると、その建物の所有する土地の中で雨水排水をしなければなりません。それで境界線にずっとドレーンの側溝が出てくるのですよね。そうして雨水が外に行かないようにするということを強いられるわけです。そのおかげで敷地の中に排水溝があり、そこに向かってすべてが傾斜しています。街では流域の単位が敷地単位で小さくなってはいますが、流域は全然なくなっていないのです。そう思い始めると都市部というのは、高速道路からなにから全部、さまざまなところに地形があります。
 
 道路も、中央部になぜ 2%の勾配が付いているかというと、水を素早く流すためです。降った雨が一発でなくなって、路面が常に乾いている状態にする。雨を愚弄するような技術として発達してきたにも関わらず、勾配が付いているので地形がある。水は、地形とともにあるのです。
 
— あるいは、水が地形を顕在化させるともいえますね。
 
石川:そうですね。 私たちは地形的な工夫をすることによってしか水と付き合えないので、水のあるところに必ず地形が出現するのだと思うのです。それが一つのランドスケープ的な水の見方ですね。建物では見えなくしていますが、例えば住宅では、中に水が流れ込んできて、それが排出されているので、住宅の中に水系があるというふうに考えることができるのですよね。建物が水系だと思い始めると、タワーマンションなどはすごい水系です。ものすごい勢いで建物に水が流れ込んでいて、やはりすごい勢いで排水されて外に出ています。 24時間、季節に関係なく、常に豪雨が降っているような状況です。タワーマンションが建つような場所は、工場があったようなエリアで、上下水道のインフラがきちんと来ているところでないとパンクするので、建てられないのですよね。 都市を水系として捉えると、街の姿はまた違って見えると思います。
 
— 地形を根拠や基盤に展開される自然と人間の営為を「地上学」として読み解いていこうとする石川さんの壮大な研究視点をうかがい、大いに共感を覚えました。今和次郎的視座の合体もいい。
 
 ランドスケープ思考と話を聞きながら、私がワッと想い至ったのは、土木にも精通している建築家の内藤廣さんが、3.11を経て提唱するに至った「地域学」の存在でした。「地上学」も「地域学」も共に確かなものに根を下ろし、その持続可能性を学際的に実証的、実践的に捉えようとする野太い地への構想を共通するものです。いずれも、大地や地形に潜む視えない力に向き合おうとするものになります。こうした対象に取り組む態度が今こそ必要なのだ、としみじみ実感しました。改めて、水や雨などの水系から環境や都市を捉え直す発想に当たり前なラジカルさを見る想いがしました。
 
 今日は大変ヒントに富む貴重なお話をありがとうございました。「地上学」研究、私も注視していきたいと思います。
 
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2016年3月18日 収録