建築家、堀啓二さんによる新連載「雨のみち名作探訪」。第7回のテーマは、「機能と造形が一体となった雨のみち」。建築家、山田守の建築に見られる樋のデザインには、どのような秘密があるのでしょうか。

2017.01.14

 
 text
 堀 啓二(共立女子大学 家政学部 建築・デザイン学科 教授)
 関 笑加(共立女子大学 家政学研究科 建築・デザイン専攻)
 
湧き上がる浄水〜川崎市の丘上に立つ、
浄水施設〜生田駅を降り立つと都心とはちょっと違った風景がみえる。
川沿いを歩きながら、都心に向かう人たちに逆らうように歩みを進めていく。
踏切の音が聞こえた。坂の多い町だった。
大通りを抜けると小学校のグランドがみえた。
緑に囲まれながらさらに歩みを進める。
大きなトラックとすれ違い最後の坂を登りきったところにそれはあった。
屋根が並ぶ住宅と緑の景色を眺めるように、
「長沢浄水場」はそこに根を張り、そびえ立っていた。
 

山田守の「雨のみちデザイン」

 
 今回「雨のみちデザイン」として取り上げる、この「長沢浄水場」を設計したのが、山田守だ。山田の作品には、自身の芸術性や空間の細部に至るこだわりを強く感じさせるものが多い。そこにつくり出されてきた魅力的な「雨のみちデザイン」を、山田の作品から見ていこう。
 

日本近代を代表する建築家、山田守

 
 山田は、大正9年(1920年)、 石本喜久治瀧澤眞弓堀口捨巳森田慶一矢田茂山田守ら東京帝国大学建築学科の学生6名により結成された 分離派建築会の、創立からのメンバーである。当時の大学教育の主流であった構造主義に対し、分離派建築会は、より自由な造形表現の価値を重視し、熱い芸術論を展開していた。
 
 大学卒業後、逓信省で建築家活動を開始した山田は、壁、天井、そして屋根へと流れるように連続する形態を用いた表現主義に傾倒していく。その中で生まれたのが、分離派建築の代表作 「東京中央電信局」。当時の31歳という若さであった。山田は、昭和4年(1929年)には、逓信省からの命により海外視察へ海を渡った。当時のヨーロッパ、アメリカは バウハウスCIAMを中心とする 国際様式が全盛の時代。山田は、合理的な近代建築様式とさまざまな機能美に出会い、”機能性と快適性の融合”というデザインの大きな方向性を持つこととなる。
 
 昭和12年(1937年)に竣工した 「東京逓信病院」は、その影響を大きく見ることができる。そこにつくり出されたのは、将来の増築も可能なクラスター状につなげた平行配置、均質な通風・採光が可能な合理的なブロックプランだった。 ル・コルビュジェの建築に多用されるスロープによるスムーズな動線もここに見ることができる。
 

 昭和28年(1953年)に竣工した 「東京厚生年金病院」。戦後の再出発と位置づけられる建築だ。建物の中心部に動線を集中させ、そこをナースステーションとし、そこからY字型に病室のボリュームを伸ばすことで合理的に管理を行う。現代の病院計画では当たり前のプランだが、当時としては確信的であった。(ちなみにY字型に由来は、山田守の「Y」をとったとも考えらられている)。

 単純な図形は、建築、景観として強い印象を与える。山田は、機能と造形をひとつの建築の中に融合させる表現方法として「Y字型」というプロトタイプをつくりだした。そして以後、このプロトタイプはさまざまな用途や環境に応じて適用されていく。その代表作が、Y字型の螺旋状のスロープを用いた 「東京厚生年金病院中央部」「東海大学代々木校舎2号館(X棟)」だった。
 
 そしてもうひとつが、 「長沢浄水場」に代表されるマッシュルームコラムである。
 

長沢浄水場   昭和32年(1957年)

 
 「長沢浄水場」のファサードの一部はガラスカーテンウォールで覆われている。一見、現代的なオフィスの単純な事務棟のようにも見えるが、それとは異なる。内部には巨大な水槽の他、さまざまな機械室、監視室などがある。整然と並ぶ浄水層、その中央を横断するガラスに覆われた監視廊下、直接2階倉庫に搬入車がアクセスできるスロープなど、まさに建築が一体でひとつの浄水施設となっている。

 巨大な水槽の管となり、外観から見ると4層に重っているのがマッシュルームコラムの柱である。上階の水槽と、水平に重なる無梁板の薄い床スラブを支えるマッシュルームコラムは、構造体でありながら、噴水をイメージさせる。特に操作部地上階にあるコンクリート打放しのコラムは、同一の細長い型枠によりハラボラ状の筋が入り、一層、噴き上がる水をイメージさせる。

 よく見ると、マッシュルームコラムは下の階になるほど、柱が太くなっている。視覚的にも、構造としても、機能を果たしていることがわかる。実際に全ての柱には、雨といが打ち込まれており、雨水を地下の貯水槽に導く。すべては浄水として使用されている。この建築は、建物全体が水の循環装置になっているのだ。この時代につくられた雨水利用は、今でもつまらずに使われいるのだから驚きだ。

 山田がプロトタイプと呼んだ、機能と造形デザインが一体となっているマッシュルームコラムは、建築のあり方として理想的とも言うことができる。構造と一体化し、なおかつ雨の再利用も可能とした「雨のみち」。苦労する雨の処理を、雨水利用というプラスに捉え魅力的に表現されたデザインだ。
 

構造体を「雨のみち」として利用している建築

 
 「長沢浄水場」と同様に、構造体を「雨のみち」に利用している建築を合わせて2つ紹介しよう。
 

瞑想の森 伊東豊雄 2006年


  伊東豊雄による 「瞑想の森」(2006)は、待合による椅子座、床座、火葬設備など、火葬場内のさまざまな活動にあわせて、その場所ごとに最適な天井高が設定されている。その最適な天井高を連続させ、各機能を包み込むように軽快な波形の屋根がつくられた。波型の屋根には、凸部と凹部ができる。屋根の凹部には柱があり、柱の内部に雨といが打ち込まれ、そこへ雨が流れていく。まさに屋根、構造、雨のみち、が一体となった建築である。

 

ジョンソン・ワックス社本社   フランク・ロイド・ライト 1936年

 
  フランク・ロイド・ライト「ジョンソン・ワックス本社」を設計する際、「近代企業のオフィスは、現代の建築的表現のなかで頂点であるべき。古来信仰の場としてカテドラルがあったように、この建築は中で働く人々の心を高揚させる場になるよう設計した」と話したという。

 そこにつくり出されたのは、3層の吹き抜け空間に軽やかに伸びるマッシュルームコラム群。その柱が林立する空間は、静寂でかつ、気持ち良い場を実現している。柱と柱の間隔は約6メートル。柱下部の直径は、23センチと細く軽快である。

 ライトのマッシュルームコラムもまた、「長沢浄水場」と同様に雨といが打ち込まれ、そこへ雨が流れる。これもまた構造と機能が一体となった美しいデザインである。

著者略歴
 
堀 啓二(ほり・けいじ)
 
1957年福岡県生まれ。1980年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1982年同大学大学院修士課程修了。1987年同大学建築科助手。1989年山本・堀アーキテクツ設立(共同主宰)。2004年共立女子大学家政学部生活美術学科建築専攻助教授。現在、共立女子大学家政学部建築・デザイン学科教授、山本・堀アーキテクツ共同主宰、一級建築士。大東文化大学板橋キャンパス(共同設計、日本建築学会作品選奨、東京建築賞東京都知事賞)、プラウドジェム神南(グッドデザイン賞)、二期倶楽部東館(栃木県建築マロニエ賞)、工学院大学八王子キャンパス15号館(日本建築学会作品選奨)、福岡大学A棟(共同設計、日本建築学会作品選奨)ほか