雨と生きる。雨を活かす。雨の文化創造を考える。

 
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建築家、堀啓二さんによる新連載「雨のみち名作探訪」。第3回のテーマは、「庇の深い雨の処理」。日本建築に見られる雨にまつわる深い庇の事例を見ていきながら、建築家、内藤廣氏の設計による<牧野富太郎記念館>の雨の処理を紐解いていきます。

 

深い庇に対応した樋

 

 日本の建築の大きな特徴のひとつは、建築家、 ヨルン・ウッツォン(1918 - 2008)の日本建築のイメージスケッチ(右図)に見られるように 深い軒を持つ大屋根である。柱梁で構成された開放性の高い空間は、間戸=窓で内外を仕切ってきた。古くは寝殿造りで初めて取り入れられたといわれる跳ね上げ式の 「蔀戸(しとみど)」が取り付けられた。 「蔀(しとみ)」とは、広辞苑によれば「日光や風雨を遮るもの」という意味で、現代でいう窓であり、雨戸であり、壁でもあった。 当時窓もない暗い室内空間に光と風をもたらし明るい内部空間をつくり出した画期的な建具だった。

 

寛永寺の蔀戸

寝殿造りの時代は板戸が多く、時代を経過し寺社に使用されるようになると、格子に障子を併用したデザイン的にも美しい建具へと変化していった。普段は外側に跳ね上げて開放的な空間を生み出し、雨の日や夜間は閉じて使用していた。日本の建具の特徴である引戸と違い跳ね上げる形式のため、日々の開け閉めも大変な上に、建具自体の狂いも生じやすく一般の人には使いづらい建具であった。そのため書院や住まいに設けられた建具の多くは採光も考慮して引戸の障子が通常であった。

 
 当然障子は雨には弱く、その外側に木製の雨戸を設けていた。雨の多い日本にとって、このように内外を仕切る建具が木と紙でできておりかつ外壁も板貼り、土壁と雨などの自然環境に弱いため、深い庇は重要な要素であった。深い庇の大屋根は、寄棟、入母屋、切妻などシンプルな構成だが、屋根に落ちる雨の量は半端な量ではない。それを如何に地面に戻すかが建物の外観を左右したと言っても過言ではない。現在でも深い庇の建物は多く、雨樋は軒先から外壁へと横引きされ竪樋へと接続される。この横引きがせっかくの大屋根の水平性と大らかさを台無しにしている場合がほとんどである。深い庇で旨く雨を処理している過去の事例を見てみよう。

樋をつけない1

 
 寺社や書院には 軒樋、竪樋をともに設けない 例が多くある。軒先から落ちる雨は美しい水のカーテンとなり、軒下に設けられた犬走りによって、跳ね返りが和らげられ、地面へと導かれる。これは敷地環境が広い場合や雨の日の出入りがない場合にはとても有効である。樋がないため屋根本来のシャープな水平性、大らかさ、重厚感、荘厳さが十分に生きたファサードとなっている。
 

樋をつけない2
<桂離宮の月波楼>


 
軒樋のみで竪樋を設けない 例である。桂離宮の月波楼には竹の軒樋が設けられている。前面の竹樋は水平に庇からはみ出して伸びてとまっている。雨は樋の端部で解放され雨が視覚化される。軽やかで粋な竹の樋とからそこから落ちる雨が美しい
 
 

<上野寛永寺>

 
<上野寛永寺>は正面が入母屋で象徴性が強い建築である。正面には軒樋が設けられ、その先端はデザインされていて、まるでガーゴイルのようである。その下には雨受けの水盤があり雨を受けている。
 

<メゾン・カレ邸>


 

アルヴァ・アアルトの<メゾン・カレ邸>も軒樋の端部が解放され、その下に雨受けの排水口がデザインされている。図のように雨の流れが視覚化され、軒樋と排水口が一体となった美しく楽しいデザインである。
 

独立した宙を走る樋

 


 寺の唐破風の正面に設けられた例である。軒樋に直接接合した 竪樋が横引きもなく水盤へと垂直に繋がっている。樋は柱のようでもありまさに宙を走る樋である。宙を走る樋は、礼拝部分の領域をつくりだす役目も果たしているように思える。
 

雨を緩やかに視覚化し、地面に導く鎖樋

 
寺によく見られ現代でも良く使用される。鎖を伝わる雨は、踊っているようで見ていて楽しい。
 


(写真提供=瀬尾製作所 http://www.seo-mill.com

これらの例のように、深い庇を美しく見せる例は様々あるが、その多くは樋をつけないものである。樋を見せつつ美しい軒先ラインを創り出した建築がある。牧野富太郎記念館である。その雨樋の工夫について詳しく述べたいと思う。

宙に浮く樋 <牧野富太郎記念館>(設計:内藤廣/1999)

 

  「牧野日本植物図鑑」 美しく精細な絵で人の心を捉えるこの図鑑を皆さんも1度は見たことがあるのではないでしょうか。この記念館は、その図鑑の作成者である「日本の植物学者の父」と言われる 牧野富太郎 の収集した膨大な標本と書物を収蔵し展示公開する施設である。
 
「風を考えれば、建物は山頂に伏せた方がよい。五台山の景観のことからしても、建物は、森に囲まれ、埋れたような形態に自然と行き着く。地面の一部であるような外周のRC、地表面の延長のような屋根。外周部をRCで固め、そこを基点として中庭に向かって集成材の架構が伸びていく。外周部は閉じていて、中庭側はすべて開け放す、という構成とした。」(新建築)
 
 「植物をテーマにしたこの計画全体にとって、外構と造園は重要な要素だ。高知県に生育する植物、薬用植物など、ゾーンごとにそれぞれテーマを設け、山の環境を再生することを計っている。数年後には、建物は樹木に囲まれ、山のなかに姿を消していく。周囲と一体となり、内部空間と中庭という構成だけが残ることになる。」(GAJAPAN)
 
 と設計者が述べているように、この記念館は、植物学者で自然をこよなく愛した牧野富太郎の精神に呼応しまた、高知市民に親しまれる五台山の景観にも配慮して、五台山の緩やかな尾根に添うように立っている。
 

 
 唯一建築として現れる中庭は、緩やかなカーブを描く深い庇によって内外一体となった場となっている。連続して囲われた中庭をつくっている軒は、公共的な施設にしては高さ(約2.35m前後)は低く住宅的なスケールで緩やかに上下している。フワッとした軽やかさがあり浮遊感さえ感じられる。
 

 
 そこに取り付く樋がその軽やかさを増している。樋は中央付近で切り取られ宙に浮いている。その下には水盤がある。雨水による自然の水盤には全種類違う水棲植物が育っている。水棲植物を楽しめるとともに、雨の日は竪樋を落ちる雨と水盤の飛沫が視覚化されて楽しい。水盤を通る風は冷やされ熱負荷を軽減するクーリングの役目を果たす。このような深い庇と雨樋のとてもヒューマンなスケール感が、開放的でありながらも領域感がある落ち着いた場を創り出している。
 

(次回:内藤廣(後編)に続く

著者略歴

 
堀 啓二(ほり・けいじ)
 
1957年福岡県生まれ。1980年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1982年同大学大学院修士課程修了。1987年同大学建築科助手。1989年山本・堀アーキテクツ設立(共同主宰)。2004年共立女子大学家政学部生活美術学科建築専攻助教授。現在、共立女子大学家政学部建築・デザイン学科教授、山本・堀アーキテクツ共同主宰、一級建築士。大東文化大学板橋キャンパス(共同設計、日本建築学会作品選奨、東京建築賞東京都知事賞)、プラウドジェム神南(グッドデザイン賞)、二期倶楽部東館(栃木県建築マロニエ賞)、工学院大学八王子キャンパス15号館(日本建築学会作品選奨)、福岡大学A棟(共同設計、日本建築学会作品選奨)ほか

 

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