羽鳥達也
 
(はとり・たつや) :日建設計 設計部門 ダイレクター。1998年、武蔵工業大学(現東京都市大学)大学院を経て日建設計に入社。専門は建築意匠設計。 主な作品は、神保町シアタービル(2007年)、ソニーシティ大崎(現NBF大崎)(2011年)、東京藝術大学音楽学部4号館第6ホール改修(2014年)、桐朋学園音楽部門調布キャンパス1号館(2014年)、コープ共済プラザ(2016年)のほか逃げ地図の開発。 日本建築学会賞(作品)、日本建築家協会新人賞、BCS賞、ARCASIA賞ゴールドメダルなどを受賞。
 
LINK:日建設計

取材日:2019年10月8日

インタビュアー:真壁智治、編集:平塚桂、写真:大西正紀
2020/12/3   

10年は陳腐化しない環境建築を目指す(1/3)

 
—「コープ共済プラザ」では実験的な試みがなされつつも、運用やコストといった現実面に対しても無理な負担をかけずに実現されている点が評価されるべきだと感じています。「より実効性の高い事業継続のための提案とより高い環境性能との融合が求められた(『新建築』2015年7月号)」とのことですが、どのような背景からこの建物は生まれたのでしょうか。
 

「コープ共済プラザ」外観。


羽鳥:そもそもの枠組は、建主が 日本生活協同組合連合会日本コープ共済生活協同組合連合会は関連組織でありテナントという関係です。コープ共済の本部はこちらに移転する前まで千葉県浦安にあり、東日本大震災で地域周辺は液状化被害を受け、ビル内ではけが人が出て家具も転倒したほどでした。震災前から建設プロジェクトは動いていたのですが、震災を機に 「安心して働けるようにしたい」というオーダーが加わりました。
 
—「持続可能性」は震災前から社会的なテーマでしたが、震災における生々しい体験が人々の意識を根底から変えましたね。
 
羽鳥: 「サステイナビリティ」という概念が省エネや省資源に完結せず、人の命を守り安心して働ける場所を持続させるという意味へと拡張されたと感じます。
 
また震災で、オフィスという施設の震災に対する脆弱さが露見しました。コープ共済で働くみなさんも、エレベータが止まっている中で地下から十数階を何度も往復して物を運ばなくてはならない、地震が起きてからしばらくはビル内にとどまらないとならないのに窓も開かないし照明も十分に点かない、という状況に陥ったそうです。こうした不便な思いを次の災害時にしなくて済むビルをと依頼されました。そこでコープ共済の被災した施設に加え、過去に日建設計が手がけた様々なクライアントによるオフィスビルの震災時に起きた不具合を調査した上で、対策を検討しました。
 
— 3.11以降、設計条件のパラダイムも変わったのではないでしょうか。
 
羽鳥:震災後に内閣府や都からガイドラインが示されました。たとえば地震発生から3日間施設内に待機できるよう、水や食料などの備蓄が推奨されるようになりました。企業に対しては、事実上の義務付けです。 「コープ共済プラザ」では、備蓄用スペースを容積率不算入にできるという新たな基準を、法改正ぎりぎりのタイミングで採用できました。後になって天井を補強し構造計算などで検証し、安全性を確保する 「特定天井」に関する基準ができましたが、設計時点では基準の内容がはっきりしておらず、それなら天井をなくしてしまおうと逆スラブを採用しました。

 
 

—プロジェクトはクライアントの主にどのような部門・部署と進められたのでしょうか。
 
羽鳥:日本生活協同組合連合会の開発部という、施設の計画や管理を担当されている部署です。非常に素晴らしい担当者がおられて、設計当時から嘱託で働かれていたほど年齢は上の方なのですが、日本生活協同組合連合会の各地の拠点建設に関わられてきたので建築全般に詳しいのです。しかも地元仙台に、個人で図書館を持っています。私費を投じて本を集め、施設を地域に公開されているほどの読書家でした。
 
—クライアント側に理解が深い方がいたからこそ、このような先進的な建物が生まれたわけです。幸運な出会いですね。どのような依頼内容でしたか?
 
羽鳥:大地震が起きても事業継続ができる建築的対応と、高い環境性能の融合が求められました。特に環境設備のデザインとしては「先進的かつ10年は陳腐化しないものを提案してほしい」とその方に言われ、結構なプレッシャーでした。打ち合わせでは、はっきりと「よくない」とはおっしゃらない方なのですが、後から「最初の提案でありきたりなものを持ってきたらクビにしようと思っていた(笑)」と言われ、ヒヤリとしました。当初は「ソニーシティ大崎」に近い提案を検討していたのですが、もしそのまま進めたら二番煎じだと思われたはずです。
 
— その方は、プロジェクトではどのような役割を果たされたのでしょうか。
 
羽鳥:建築工事の発注から仕様判断まで、その方がすべて組み立てられました。
日本生活協同組合連合会の上層部にも予算を含めて話を通してくれたので、僕自身による理事会での説明は1、2回だけで済みました。
 

 

— 予算的な裏付けまで説明しうる発注者側の内部の存在というのは貴重ですね。
 
羽鳥:テナントオフィスの計画なので当たり前ですが、震災前に想定されていた坪単価は一般的な賃貸オフィス並みでしたので、途中から与件に加わった環境性能や安全対策が組み込まれ、与件が変わっていきました。
 
 東日本大震災以降も大きな地震が各地で相次ぎ、台風も大型化し、環境対策や安全対策は増々重要視されるようになってきていますから、大震災を一過性のものと捉えず、与件を変更されたことは本当に適切だったと振り返って感心します。
最終的には発注段階でいろいろと絞り込み、基本設計段階で示した費用よりも抑えた工事費で実現できたのですが、この担当者の調整と上層部の英断により、当時のテントオフィスに今後を見越した性能や仕様を加えプロジェクトを進めていくことができました。
 
 組織内での担当者への信頼と、担当者自身の高い集約力と責任能力に驚きました。
 
— このエピソードは、建築の幸せはいろいろな方に支えられているものだと実感させられますね。
 
羽鳥:そうですね。建築の善し悪しは、施主が9割だと思います。