建築時評コラム 
 連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


photo=Wu Chia-Jung
千葉 学(ちば・まなぶ)

 
1960年東京都生まれ。1985年東京大学工学部建築学科卒業。1987年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修了。1987-1993年日本設計。1993-1996年東京大学工学部建築学科キャンパス計画室助手。1993-2001年ファクターエヌアソシエイツ共同主宰。1998-2001年東京大学工学部建築学科安藤研究室助手。2001年千葉学建築計画事務所設立。2001-2013年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻准教授。2009-2010年スイス連邦工科大学客員教授。2013年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。2016年東京大学副学長。
 
URL:千葉学建築計画事務所

MANABU CHIBA #1     2022.04.20

道具としての建築

 

 
 建築からは少々遠い話で恐縮だが、僕がこれまでに夢中になったスポーツは、自転車、ウインドサーフィン、サーフィン。他にもあれこれ手を出したが、結局モノにならず長続きしなかった。でもこの3種目は、今でも体力があればやってみたいと思うくらい面白い(辛うじて自転車は続いているが)。なぜかと冷静に、その共通性を考えたことがあった。ひとつは、自然が相手だということ。もうひとつは、そこに道具が介在していること。最後は、止まれば倒れてしまうということだった。最近、この3つの点は実はとても示唆的だと、改めて思っている。
 
 サーフィンは、板一枚で波に乗る、実に単純なスポーツだ。しかし、波はどれひとつとして同じではないから、毎回それまで体験したことのない興奮を覚える。その興奮を求めて、その日の気圧配置や風向風力、潮の干満や対流、海底の地形など、全ての情報を海に入る経験を通じて会得する。また、その情報を頼りに、いい波との出会いの精度を高めていく。これは板という道具があるからこそ可能な自然現象の解像度高い理解であり、身体化でもある。
 
 さらに言えば、板が異なれば、同じ波でも受け取る身体感覚は全く異なるから、板を削るシェイパーは、板のロッカー(反り)やエッジのデザインをミリ単位でコントロールしている。それこそがデザインなのだ。つまり、板のデザインとは、その板を介して波とどう関わりたいか、鋭く切れ込むとかルーズに戯れるとか、そんな関係性の表現なのだ。サーファーが海を単なる情報やイメージとしてではなく、リアルな存在として知り尽くしているのは、この板という道具があるからこそ達成できている。
 
 このような道具と自然や身体との関係性は、自転車やウインドサーフィンについても同様だが、おそらく他のジャンル、例えば料理についても似たようなことが言えるのだろう。包丁ひとつとっても、刺身包丁もあれが出刃包丁もある。それは生魚か野菜か、その素材を生かすために進化してきたものだろうが、同時に包丁を通じて素材の良し悪しもわかるくらいに包丁は、料理人にとっての研ぎ澄まされた素材との接点だ。
 
 以前こんな話しを料理人の 土井善晴さんにしたら、 「最近は出刃包丁一本で山の中に入って、魚でも野菜でも、何でもバッサバッサやることが楽しい」とおっしゃっていた。意外な答えだったが、料理を極めた人だからこそあえて道具を意図的にずらし、そこから素材の新たな生かし方を発見しようとしている、僕にはそう思われた。
 
 そして建築も、本来はこの自然と人間との間に介在する「道具」なのだと、改めて思う。建築がそこにあることによって、地域のことをより深く理解できたり、自然現象を繊細に感じ取ったりする、そういう道具だ。かつての日本の住まいに実に多彩な建具があって、その建具を動かすことで自然や地域との対話を図っていたことは、そのわかりやすい事例だろう。
 
 ところで道具を使うことのもう一つの重要な側面は、人間が道具を使って対象を司るという一方向のベクトルだけではなく、道具を介して人間の側も進化していくという双方向性にある。例えば自転車に乗る練習を始めた頃、最初は補助輪なしでは転んでしまったのに、乗れるようになった途端、それは邪魔物になってしまう。それは人間の体が自転車を乗りこなすために進化したということなのだ。サーファーが、足裏の感覚だけで板を操り波と対話できる進化も、土井さんが、あえて出刃包丁を使って素材との新たな対話に挑戦するのも、道具を介した人間と自然との双方向的関係性の一つの姿だ。
 
 果たして現代の建築は、このような道具としての側面を継承できているだろうか。また同時に、道具を使いこなすことを通じて人間も変わっていくという動的な関係性を築けるようなデザインになっているだろうか。これは現代建築にとってクリティカルな問題だと思っている。
 

|ごあいさつ

 2021年度の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通りに配信することができました。太田佳代子、布野修司、連勇太郎の執筆者各3氏に改めて御礼申し上げます。それぞれの関わる分野、立ち位置、キャリア、そして世代の違いから見えてくる問題意識の多彩さと語り口に興味を抱かされた一年間でした。本当にご苦労様でした。
 
 2022年度では新たな執筆者の陣容として、千葉学、黒石いずみ、南後由和の3氏が登場します。3氏のシナジーがどのような批評空間を生み出すのか大変楽しみなところです。
 
 これまで建築・都市時評を通して、広く「問題」(批評)の所在を共有することを狙いにウェブマガジン「雨のみちデザイン」に新たなコンテンツとして「驟雨異論」がスタートしたのが2020年。
 
 次のステップとして、そこから多くの思考や批評が反応・応答としてつながることを望みたい。そのためにも、建築系コンテンツのレビュー空間に加わるべく、2022年度より「驟雨異論」をnoteからも配信していきます。noteでの「驟雨異論」ではレビューアー別に時評が構成され、アーカイブ性を保つことで、レビューアーの持ち味に出会えるものとしていきます。
 

2022/03/18

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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