建築時評コラム 
 新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


 
布野修司(ふの・しゅうじ)

 
建築評論家・工学博士。1949年島根県生まれ。東京大学助手、東洋大学助教授、京都大学助教授、滋賀県立大学教授、副学長・理事。2015年より日本大学特任教授。日本建築学会賞論文賞(1991)、著作賞(20132015)、日本都市計画学会論文賞(2006)。『戦後建築論ノート』(1981)『布野修司建築論集ⅠⅡⅢ』(1998)『裸の建築家 タウンアーキテクト論序説』(2000),『曼荼羅都市』(2006)『建築少年たちの夢』(2011)『進撃の建築家たち』(2019)『スラバヤ』(2021)他。

SYUJI FUNO #4     2022.2.20

風景の哲学と景観の作法‐西郷港周辺地区デザインコンペ

 (写真:特記のないものは筆者撮影)
 

 暮れも押し詰まった昨年末(20211217日~20日)、「西郷港周辺地区デザインコンペ」の第一次審査のために隠岐の島町(島根県)を訪れた。折からの雪模様、強風にも見舞われ、フェリーは境港からも七類港からも欠航、出雲空港からの飛行機がぎりぎり飛んで事なきを得た。出雲(松江)の出身で、隠岐の島は子供のから身近なのだけれど、あらためて、同じ島根県でも、松江と隠岐の日本海を隔てた距離を思った。古くは、後醍醐天皇、後鳥羽上皇、そして小野篁が流された島である。
 

地域再生という日本の課題

 
 このコンペ、実にユニークである。仕掛けたのは 桑子敏雄 (※1)、『西行の風景』『感性の哲学』『風景のなかの環境哲学』『生命と風景の哲学 「空間の履歴」から読み解く』などで知られる哲学者である。学位論文は『エネルゲイア アリストテレス哲学の創造』( 1994年)であるが、書斎に籠って思索に耽る哲学者ではない。一般社団法人コンセンサス・コーディネーターズCCS(※ 2)を組織、行政や市民とともに社会基盤整備を実践する。桑子先生と知り合ったのは、松江市の大橋川周辺まちづくり検討委員会( 20052010)である。治水のために大橋川を拡幅する、多くの地権者が絡む難しい合意形成が必要であったが、一定の合意が得られたのは桑子流の合意形成手法に負うところが大きい(※3)。
 

西郷港周辺地区デザインコンペ要項

「談義」による合意形成

 
 「西郷港周辺地区デザインコンペ」は、単なる公共建築の設計コンペではない。再開発、区画整理を含む多くの地権者が絡む地区全体の再生に関わるコンペである。桑子先生を総合コーディネーターとして計画策定作業がスタートしたのが2018年、地区住民が参加する桑子流の「まちづくり談義」が20188月~20201月まで都合11回行われ、「島根県 隠岐の島町 西郷港玄関口まちづくり計画」がまとめられたのは20206月である。そして、計画を実行するための都市再生整備計画と立地適正化計画をつくるに当たって西郷港ターミナルエリアのデザインコンペを行うことになったので、その評価を行う「隠岐の島町都市再生デザイン会議」のメンバーになって欲しいと声がかかったのは20213月であった。
 

島根方式

 
 これまで、少なからぬコンペの審査に関わってきた。島根県については「 加茂町文化センター(ラメール)」( 渡辺豊和/ 1993)「 島根県立博物館」( 菊竹清訓/ 1993)「 川本町悠々ふるさと会館」( 新井千秋/ 1994)そして、西郷港へ向かうフェリー・ターミナル「 美保関町七類メテオプラザ」( 高松伸/ 1994)「 出雲市地域交流センター(ビッグハート出雲)」( シーラカンス/ 1996)など(※4)、また、「 しまね景観賞審査委員会委員」( 19942005)「 島根県景観審議会委員」( 19962000)も務めた。コンペの方式として提案し、実施してきたのは「 島根方式」と呼ばれるようになった、応募者が公開でプレゼンテーションし、審査委員会と質疑応答を行う「 公開ヒヤリング方式」である。そうした経験を伝えたいという思いもあるし、桑子先生の依頼であれば断る理由はない。
 

メテオプラザ(七類港多目的ターミナルビル):設計・高松伸

コミュニティ・アーキテクト制

 

駐車場で一杯の雪の西郷港(2021年12月18日)


 対象地区を歩けば、至る所に駐車場がある。シャッターを閉じた店舗がある。全国の地方都市は同じ問題に苦しんでいる。議論に加わって、すぐさま理解したのは、この地区を再生するのは容易ではない、ただ計画案を求めるだけでは駄目だ、ということである。そして、港湾地区、ターミナルの設置に関わる様々な制約条件がある。県、町、地区住民の間の調整には相当の力量が必要である。そこで、最優秀案に選ばれた応募者は、長期にわたってまちづくりに関わることを前提とし、「 隠岐の島町都市再生デザイン会議」のメンバーともなるというスキームが確認された。これは、 コミュニティ・アーキテクト制 (※5)のひとつの形態といっていい。
 

空地が広がる対象地区(2021年12月18日)

2段階・公開ヒヤリング方式

 
 何をしたいのかを明記する、自治体の首長がその思いを訴える、実績に基づいて組織を選ぶという日本でいうプロポーザル・コンペは論外である、決まったプログラムを実施する業者を選ぶのではなく、具体的な場所についての創造的な提案が求められる、基本的には誰もが提案できるのであって、応募のための参加資格は可能な限りハードルを低くする……といった方針が確認されることによって、応募要項、要求水準書などが作られた。これらは、これまでかかわってきたなかでも理想に近い、モデルになりうると思う。「隠岐の島町西郷港周辺地区デザインコンペ」の主旨・公告文、実施要領、評価基準などについては、多くの市町村に是非参照して欲しい。
 コンペは2段階で行う。1段階目は、国内外から広く提案を求める。報酬は払わない(払えない)が、参加資格条件のハードルを低くする。1段階目で選ばれた応募者には、相応の報酬を払う(※6)。2段階目では、応募者が全て同席した場でプレゼンテーションを行い、審査員さらには参加者によって質疑応答が行われる。これが「公開ヒヤリング方式」である。一種のシンポジウムである。
 

住民参加 − 情報開示

 
 大都会をはるか離れた離島寒村であるにも関わらず、 42グループの応募があった。現地説明会の参加者も多かった。町の設計業務を行うことのできる最低限の一級建築事務所主宰者がグループに含まれればいいという条件が大きかったと思う。第一次審査は、町民への徹底した情報開示と意見の聴取を求めるプログラムと並行して行われた。
 

 
(1)応募作品の公開展示:2 月 10 日(金)~12 月 17 日(月)応募 42 作品(A22枚)計 64 件の意見。
(2)小中高生とのワークショップ(総合学習授業)の実施:まちづくりの基本理念である「世代をつなぐまちづくり」の具体化として、島根県立隠岐高校商業科の 3 年生全員(17 名)(1216日)、隠岐の島町立西郷中学校の 3 年生全員(42 名)((1217日、(写真上段左))、隠岐の島町立西郷小学校の 6 年生全員(44 名)(12月20日、写真上段中央・右)。
(3)デザインコンペ意見交換会の開催(12 19 日、10301230、写真下段):YouTube で全国ライブ配信(2022 年 1 月 7 日現在で 637 回視聴)。

 

空間の履歴

 
 第一次審査委員会(※ 7)の結果については、公式報告(※ 8)に譲るが、通常の建築コンペとは大きく勝手が違った。限られた敷地に一定の要求水準が設定される場合であれば、解答はいくつかのパターンに絞られるから、それぞれのパターンの代表、数作品を選定するのが一次審査の役割である。しかし、このコンペの場合、第1に、敷地が決められているわけではない、すなわち、数多くの地権者が存在する地区全体がプロジェクト・エリアである。第2に、少なくとも 10年の時間が想定されている、すなわち、プロジェクトのダイナミックな実施プロセス全体を計画する必要がある。要するに、地区の現状をどう把握するか(談義の内容はすべて応募者に開示された)、そして、地区の未来をどう提示するかを応募者に問いかけたのである。応募者は、実に真摯にその要求に答えてくれた。地元住民も必ずしも意識していなかった空間の軸を提案するなど、丹念に地区の成り立ちが読み込まれている。桑子先生は「空間の履歴」(「自己(身体)の配置が空間の中で積み上げられるとき、それを「履歴」と呼ぶ」)という。いささか難しい(哲学的である)が、地区の計画に当たって、地域空間の古層に遡ってその土地の履歴を読むのは、建築家、プランナーの基本作法であり、得意とするところである。計画が必要とするのはこうした外部の眼を含めた「空間の履歴」についての議論である。全応募作品の作品集は年度末には公表される。隠岐の島町にとっての大きな財産である。
 

応募作品集


 最終審査に選ばれた6グループについて、事業スケジュールのより具体的な提案、港湾機能の取り扱い、広場の冬季対応などについて、デザイン会議メンバーとの質疑応答がその後になされた(2022年1月14日)。既に、計画実施のプロセスは開始されている。最終審査会は、2022年3月6日午後に開催され、YouTubeで一般にも配信される。楽しみである。
 

※1:1951年群馬県生まれ。1975年東京大学文学部哲学科卒業、1980年同大学院博士課程中退、同文学部助手、1981年南山大学文学部講師、1984年助教授、1989年東京工業大学工学部助教授、1996年同大学院社会理工学研究科教授、東京工業大学名誉教授。東京女子大学特任教授。一般社団法人コンセンサス・コーディネーターズ代表理事。
※2:社会的合意形成とプロジェクトマネジメントを統合した社会技術を用いて、日本の社会のなかの対立紛争を解決し、よりよい社会を実現することを目的に2014年設立。顕在化した対立だけでなく、衰退の危機にある地域の活性化支援も行う。宮崎海岸再生事業、出雲大社神門通り整備事業、広島県福山市鞆の浦の「鞆まちづくりビジョン」策定事業、沖縄県国頭村「国頭村景観計画」「国頭村景観ガイドライン」策定事業など。
※3:大橋川景観まちづくりについては、布野修司(2015)『景観の作法 殺風景の日本』「第1章 風景戦争 4 松江」参照。
※4:他に、島根県では、島根県鹿島町体育館(1995)島根県松江市警察署(2000)がある。公開ヒヤリング方式で実施したコンペには守山市守山中学校(2012)守山市浮気保育園(2013)滋賀県新生美術館(2014)守山市立図書館(2016)などがある。
※5:コミュニティ・アーキテクト制については、布野修司(2000)『裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説』および京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)、滋賀県立大学近江環人(コミュニティ・アーキテクト)地域再生学座の活動を参照されたい。
※6:額については、自治体が想定していない場合が多く、現状では様々となるが、「島根方式」では100万円を標準としてきた。
※7:審査委員会は、委員長、桑子敏雄デザイン会議座長(東京工業大学名誉教授)、デザイン会議委員、布野修司(滋賀県立大学名誉教授、日本大学客員教授)、橋本成仁(岡山大学大学院環境生命科学研究科教授)、秋田典子(千葉大学大学院園芸学研究科教授)、金田隆徳(隠岐の島町都市計画審議会委員)、松田照美(隠岐の島町都市計画審議会立地適正化計画検討委員会委員)、三島正司(島根県隠岐支庁長)、大庭孝久(隠岐の島町副町長)の8名によって構成されている。
※8:デザインコンペ審査委員会の開催(意見交換会終了後、13301700):意見交換会でとりあげた作品を中心に、審査員それぞれの専門分野および行政的視点、市民からの視点から、二次選考に推薦すべき作品を 5 作品選ぶ方針で議論を行いました。はじめ選考委員全員が全 18 件の推薦案件について、推薦理由を説明しました。町民やこどもたちの推薦案件は、この 18 件のなかにすべて含まれておりました。この 18 作品は次の通りでした。作品番号「1,5,6,7,8,10,15,17,22,24,25,26,28,31,34,37,41,42」。
次に、さらに議論を深めるために、要求水準との整合性のチェックを行い、10 作品を選びました。この 10 作品は次の通りでした。作品番号「5,7,8,10,17,25,26,34,37,41」。
最後に、事務局から提案者の組織体制の説明があり、委員会では、これも参考にしながら議論を積み重ねて、最終的に 6 作品を隠岐の島町に一次選考通過作品として推薦することを決定しました。この6 作品は次の通りでした。作品番号「5,10,25,26,34,37」。
議論のなかで大切にしたことは、推薦理由であり、すぐれた作品である理由について議論しました。ネガティブな点については、選ばない理由にはせず、優れたものをピックアップするという形で選考を進めました。

|ごあいさつ

 
 2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明中島直人寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代難波和彦山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
 

2024/04/18

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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