雨と生きる。雨を活かす。雨の文化創造を考える。

 
presented by  株式会社タニタハウジングウェア
 建築時評コラム 
 新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


 
北山恒(きたやま・こう)

 
1950年生まれ。横浜国立大学大学院修士課程修了。1978年ワークショップ設立(共同主宰)、1995年architecture WORKSHOP設立主宰。横浜国立大学大学院Y-GSA教授を経て、2016年法政大学建築学科教授。代表作に「洗足の連結住棟」「HYPERMIX」など。受賞歴に、日本建築学会賞、日本建築学会作品選奨、日本建築家協会賞など。主な著書に、「TOKYO METABOLIZING」(TOTO出版)、「in-between」(ADP)、「都市のエージェントはだれなのか」(TOTO出版)「モダニズムの臨界」(NTT出版)など。

KOH KITAYAMA #3     2020.10.20

クリストファー・アレグザンダーの『人間都市』(a human city)を知っているか?

 

 前回で「渋谷問題」は「コロナ」の力を借りて、未来都市の話まで飛ばしてしまった。でも、そこで「渋谷問題」を追いかけていくと、オフィスビルという不動産商品を都市の主役にした「シカゴモデル」という、経済活動の結果として生まれる都市モデルの問題に入っていく。事物が人の認識を超えて巨大になると日常とは異なる次元に入ってしまうので、それを評価するのが困難になる。私たちは現代都市という枠組みの中に生きているので、その外部からこの都市のありようを批評するのは困難である。都市を評価するには、異なる事象で計測する道具が必要となるのだが、それが「コロナ」という裂け目かもしれない。
 

そんなことは半世紀以上前に証明されている

 第2回の私のコラムでは、コロナ禍をうけて社会の状況が大きく変容している事態を、社会の裂け目から見えている未来だと考え、「未来都市はムラに近似する」という文章を書いた。でも、そんなことは半世紀以上前に証明されていたことに気が付いた。1965年にクリストファー・アレグザンダーが書いた短い論考『都市はツリーではない』の冒頭に「人工都市」と「自然都市」の記述がある。それは長い年月を経て多かれ少なかれ“自然成長的”に出来上がった都市を「自然の都市」とよび、それに対して、建築家や都市計画家によって計画されてできた都市やその一部を「人工の都市」とよんでいる。現代都市(またはその一部)は政治的であれ技術的であれ誰かの意志によって計画されているので私たちは「人工の都市」に生きている。
 

『人間都市』(著:クリストファー・アレグザンダー)の表紙。

 
 その「人工の都市」にはかけがえのない何か本質が欠けている。一般の人々が計画された現代都市を嫌うには根拠がある。という記述から始まり、「人工の都市」はエレメント相互の関係が切断された単純なツリー構造であることを明らかにし、それに対して「自然の都市」ははるかに複雑で安定したセミラチス構造であるというダイアグラムを提示して論証する。私はこのほぼ同じに見えるダイアグラムの図式から異なる二つの構造が抽出されるのが印象的であった。それは「計画された都市」と「自然集落=ムラ」である。この『都市はツリーではない』という論考は、柄谷行人『隠喩としての都市』で取り上げ、レヴィ=ストロース構造主義と重ねて重要な都市論として位置付けている。そして、アンリ・ルフェーブル『空間の生産』のなかで取り上げる「象徴の空間/空間の象徴」の論考にもアレグザンダーのこの論考の影響がうかがえる。
 

『人間都市』別冊都市住宅版の表紙。

 

場所の発見

 現代都市を読み解くにはアンリ・ルフェーブルデヴィッド・ハーヴェイなど都市社会学、都市地理学、都市記号論という知識が必要だとされる。そこでは現代都市の抱える問題が抽出され、その都市に対する認識は記号的に語られるのであるが、建築を専門とする私たちには具体的な建築物の集合体である都市について記述されないのが不満である。そこで、具体的な空間を扱う都市論では、レム・コールハース『S/M/L/XL』、そして定番であるが、コーリン・ロウの一連の論考、特に『コラージュ・シティ』が役立つと思っている。そこでは、20世紀後半、都市社会学で抽出された知見に対応する空間概念が読み解ける。さらにこの欧米の都市思想に学び、これからの日本の都市の行方を指し示す書物として、槇文彦の一連の都市論が私たちの現在の立ち位置を知る海図と羅針盤だ。アレグザンダーの論考と同時期、1964年に発表された『集合体の研究』のグループフォームから始まり、『見えがくれする都市』そして『アナザーユートピア』で示される「オープンスペース」の論考など、重要な都市論の論点が散りばめられている。もうひとつ時間積層としての都市論、陣内秀信『東京の空間人類学』では東京という都市を無名の建築が織りなす「都市組織」として読み解き、その都市形成を自然地形までさかのぼった文化的コンテクストとして解明している。都市というものが人々が営む文化的集合形式のひとつであるとする「テリトーリオ」という場所概念を展開している。
 
 そしてさらに具体的な建築的論考として、山本理顕は人々の集合形式としての建築を徹底して解読するのだが、「地域社会圏」という概念では、地域社会という都市の網の目そのものを建築というハードウエアとして表現することを提案する。その網の目をサンプリングするように「Local Republic Award」という顕彰システムを考案しているが、それも場所の発見なのだ。
 

「人間都市」というプレゼンテーション

 現代の都市論を俯瞰しても、批評的教科書としてクリストファー・アレグザンダーの都市論は特別である。ツリー構造の中で、人々の関係性は切り刻まれ分断されているということを論証するのであるが、現代の私たちの都市に林立しているタワーマンションの空間構造がツリー構造そのものであるのが滑稽でさえある。このアレグザンダーは1960年代前半に『形の合成に関するノート』と、この『都市はツリーではない』という伝説的な論文を発表しているが、最も有名な著作『パタンランゲージ』は1977年に出版されている。この10年以上のブランクは不思議なのだが、そのなかほど1970年に「a human city」というプレゼンテーションが行われている。それは大阪万博のテーマ館で200枚ほどのポスターを掲示したものなので正式な論文でもないためか、アレグザンダーの研究者でもその存在は言及されない。
 
 この「a human city」はサンフランシスコのUCバークレーにあった「環境構造センター」で製作している。そのため、1970年ころのアメリカ西海岸の文化を色濃く反映した都市思想となっている。当時、最もリベラルでデモクラティックな地域文化が背景にあることが想像できるのだ。だが、現在の日本から見ると、そのパタン(当時はまだパタンという概念はなかったようであるが)は経済活動に回収され商売のネタになっている事柄も多い。アレグザンダーの論理は場所性を持たないシステム論なので汎用性が高くそのため資本活動に容易に取り込まれる。そんなことをさらに批判的に読み取ることで現代社会を相対化できる。一番気になるのは車社会を肯定した記述になっていることかもしれない。まさに20世紀初頭シカゴの都市状況から生まれた都市社会学が通勤電車によって構造化される都市空間を描いているのに対して、極度に自動車に依存した都市は多中心または脱中心化が進行する都市構造となるというロサンゼルス学派が登場するのだが、この「a human city」はその研究に同調しているのではないかと思う。ここで描かれる都市は自動車交通によって支配されていることがよくわかる。
 

「紐状の都市エレメント」がつくる生活圏

 この「a human city」が大阪で展示されてから半世紀たった2020年に、その東京版をつくる作業を大学で進めている。ツリーとセミラチスという近似した構造が、わずかな違いで相反する集合を表現するというその転移のメカニズムを実空間で探るのだが、それは都市の中で占有される空間を開くことにあるようである。それを受け止める都市エレメントはまずはオープンスペースである。東京は都市形成の中で地形的コンテクストを強く継承しているので、商店街や小規模河川、暗渠緑道、崖線緑地、時限の歩行者専用道路や遊戯道路、線形残地などの「紐状の都市エレメント」の存在が特徴的である。線形の都市エレメントはその形状から人々の行動との接触のチャンスが多くなる。それに着目して、この「紐状の都市エレメント」に紐づけられた街区にあたらしい「a human city」を探ろうと思う。たとえば東京には商店街は1,771もある。それが紐のように東京の都市内にばら撒かれている。そこで、商店街に紐づけられた「網の目」を取り上げて地域生成パタンを描こうと考えている。
 
 イスラム世界の都市には「ハーラ」という細街路の街区があって、それは「スーク(小市場)・モスク・パン焼き窯・公衆浴場」などのセットが支えているそうだ。江戸のそれは「豆腐屋・米屋・炭屋・銭湯」だが、ラテンヨーロッパでは「パン屋・カフェ・広場・教会」なのかもしれない。もともと日本(江戸)には広場ではなく道が重要なパブリックスペースであった。現在は車に占有されている商店街の道路を人々で領有できないか。道の真ん中を人が歩ければ再び「両側町」が復活する。この紐のようなオープンスペースによって人々は関係づけられ、日常生活によって紐づけられた都市の網の目が浮かびあがる。東京の都市内に散在する「紐のような都市エレメント」のダイアグラムを都市の中から抽出してみようと思う。
 

15-minutes-cityという「新しい生活様式」

 パリでは15minutes cityという自転車で15分で行ける範囲で生活できる都市をめざすというアイデアが提案されている。
https://ideasforgood.jp/2020/02/13/paris-15-minutes-city/
 
 バルセロナでは住民の自治によって街区に歩行者空間をつくる社会実験が始まった。
https://shinkenchiku.online/column/online/tuesday/
 
 たとえば日本には「遊戯道路」という人々に開放する道空間の制度があるが、そんな紐のようなオープンスペースを開くことで都市の網の目をつくるという提案ができる。都市の中の特定したオープンスペースを人々の共有できる空間に変えることは、アレグザンダーの抽象言語を上書きし具体的な場所性を取り込むことになる。それは、「非-都市」という概念を空間として実体化できる契機となるのだ。

|ごあいさつ

 建築・都市への批評の場が少なくなって久しい。場の消失は、さらに批評の衰退を加速させてきました。
 しかし今、批評を必要としている時代だからこそ、批評を共有する機会をつくり出さなければなりません。
 そこで『雨のみちデザイン』では、細やかながら建築時評の場を設けました。
 2020年度の1年間は、北山恒、野沢正光、山本想太郎の3氏の執筆者が、順繰りに3ヵ月おき各4本の建築時評を連載します。
真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

|Archives

北山恒 #1

野沢正光 #1

山本想太郎 #1

北山恒 #2

野沢正光 #2

山本想太郎 #2