建築時評コラム 
 新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


 
黒石いずみ
(くろいし・いずみ)

 
青山学院大学客員教授。大谷幸夫研究室に勤務後ペンシルバニア大学でPh.D.取得。日本大学、青山学院等で建築理論と歴史、設計、デザイン史を教える。香港大学、ロンドン大学、デルフト工科大学、CCA等で客員研究員・教授。著書翻訳に『建築外の思考:今和次郎論』『東北の震災復興と今和次郎』『Constructing the Colonized Land』『アダムの家』『時間の中の建築』、共著に『時間の中のまちづくり』『住まい方事典』『Adaptive Strategy of Water Heritage』『Confabulation of Architecture』。近刊予定に『Design and Modernity in Asia』『The Routledge Companion to Architectural Drawings and Models』『COVID-19の現状と展望:生活学からの提言』

IZUMI KUROISHI #4     2023.2.20

渋谷に見る都市再開発の生態学

 

(photo=Denys Nevozhai)


 昨日 東急本店が閉店し、併設された 文化村は再開発に備えて長期休館が決まった。 東急ハンズの閉店に続いて、54年間にわたり渋谷の文化的中心の一つだった施設が失われることを多くの人が惜しんでいた。渋谷の都心部にもようやく人は戻ってきて、人々はコロナ禍のことを気にしなくなったのかもしれないが、外出自粛時に無人になったセンター街や駅周辺の、1950年代から1970年代にアメリカで起きた 中心市街地のゴーストタウン化の再現と見紛う光景は、いまだに忘れられない。
 
 もちろんその二つの前提は大きく異なっている。後者は自動車社会形成による人口の郊外流出と、商業機能、業務機能の郊外化で中心市街地の経済が低迷し、犯罪発生率が急増した結果だった。それに対して今回は、戦後の都市開発と住宅の郊外化で生じた過酷な通勤生活に対して、感染による健康問題の危惧を人々が感じたことが契機だった。伝染病と共存する生活を受け入れてオンラインでの仕事に慣れつつある現在、20代前後の若者世代は都心部への集中を再開し始めているが、子育て家族や高齢世帯は健康な生活の可能な郊外にとどまっている。経済活動は早晩元の勢いを取り戻すだろうが、都心と郊外住宅地の関係やサラリーマンの生活像は変化する必要があるだろう。
 
 とりわけ渋谷では、戦後から現在に至るまで駅周辺地域の開発は鉄道資本に主導され、他の副都心と同様に、その計画は人と物の流動とその集中、そして駅から都市空間への波及という論理で構想されてきた。駅の乗降客や乗り換え客の数、昼間と夜間人口の大きな差は新宿や池袋と肩を並べ、流動人口を対象とするデパートも鉄道資本によって数多く展開した。その鉄道とデパートの組み合わせは、 小林一三による1910年の宝塚線の開通に伴う 池田室町住宅開発に、当時東京から関西に進出しようとしていた 呉服店白木屋が協力して、ターミナルデパートを開いたことが最初だとされる。日本橋にあった白木屋は、戦後、株の買取り騒動で経営権を失いかけた時に、東急グループ総帥の 五島慶太に買収され、1958年には東急百貨店に合併された。東急本店の閉店は、この100年を超える鉄道と郊外開発と駅周辺のデパートの連携というスキームの長い歴史が終わることを象徴している。
 
 ここにも微妙な違いが存在する。小林は沿線の住人の娯楽と便益のためにデパートを映画館や大学と共に開発したが、渋谷のデパートは、地元の住民のためというよりは、乗り換え客のためだった。なぜならば渋谷の駅周辺には、戦後、それほど住宅地は発達しなかったからである。だからこそ東急本店の再開発の計画では、「駅だけでなく半径2.5キロの領域で、これまで重視しなかった住宅機能も含んだ都市開発」の展開が意図されている。今後どのように渋谷駅の周辺地域の新たな都心居住の形が実現されるか注目される。問題は、そこで語られる駅周辺の住民とはどのような人々か、駅から離れた部分を含む渋谷区全体としてのイメージはどう描かれるのか、さらには、そもそも都市のイメージとはどこを対象として誰が誰のために描くものなのかということだろう。
 
 ところが、そのような問いを立てた途端に、我々は都市や建築の計画、イメージを論じるときに、とてもあやふやで限定した範囲と対象しか見ておらず、総括的な都市のイメージを描く視点を持っていないことに気づく。例えば、コロナ禍で自宅待機が推奨された時に渋谷の街を歩くと、センター街やビル街に人はいなくても、1キロも行かないで戸建て住宅や中層住宅が商業施設と混在する地域があり、人々は八百屋やスーパーで買い物をして、町内会で近所付き合いをしている。丘を登れば、表通りの裏には中高層のマンションが林立し、ブランドショップが並ぶ場所にはオフィスと併用している住宅があり、閉店した店の並ぶ合間にはアパートが建っている。そして戦後からと思われるような木造低層住宅が密集している場所では、人々の生活の息吹がしっかりと感じられたのだった。駅から少し離れた地域の用途区分地図には、純然たる商業地域のみでなく、複数のレベルの住宅地区が戦後から現在まで意外に長く持続し、多様な場所に多様な人々が住み、それぞれに独自の地域イメージを形成していることが現れている。
 
 しかし、2000年に地方自治法が改正されて渋谷区が独自のマスタープランを立てるようになったとは言え、区全体を一元的に統合する具体的なイメージや都市計画を渋谷区が想定することは、 「生活文化」あるいは 「多様性を大事にする」という抽象的な次元にとどまっている。そこには「渋谷」の駅周辺のイメージが、明らかに他の多様な住民や地域と分離している影響がある。むしろ渋谷の都市計画の歴史を見ると、戦後の企業と連携して建築家や行政が作り上げてきた計画や制度、イメージが、副都心としての「都市的」形を求め、地域的分離を促進して、総括的なイメージを持てなかった結果だと思われる。
 

幻の渋谷駅復興計画

 
 それを裏打ちする渋谷駅地域の戦後再開発計画例として、興味深い事例をいくつか紹介したい。
 
 まず、戦災復興計画として提示された石川栄耀渋谷駅前復興計画図である。それは彼が戦前から唱えてきた、商店街や娯楽地を重視しつつ住宅と混在させて生活圏を形成しようとする理念に基づいて、かねてから渋谷の駅前にあった商店街や住宅を再建し、それらと少し離れた円山町の娯楽施設の間を包括して循環させるエリア計画だった。この計画には、彼がイギリスで気づいた都市の中の家族的なまとまりが再現されていることが窺われる。
 
 また1946年に渋谷区復興計画案として提示された池辺陽の案である。駅を中心として区全体を対象とするものであり、駅の北側に円形のロータリーを配置して公共施設や商業施設を置き、それを広々と緑地に囲まれた集合住宅地が取り巻いている。ル・コルビュジェ的なインフラを重視した幾何学的構成はあっても、明らかにイギリスの田園都市的な空間との融合が図られている。
 
 そして坂倉準三は、1952年の東急電鉄渋谷駅開発に続いて1964年には渋谷駅周辺の商店会と東急電鉄などの企業の依頼で、渋谷再開発計画を提案した。そこには現在の渋谷駅周辺の空間構造の基礎となる人工地盤や、地下と上層階を繋ぐコアのアイディアが既に表現されており、ル・コルビュジェの様々なデザイン手法が、日本のスケールに合わせて大胆に解釈されている。しかしそれは当時の渋谷の住宅地の実態を反映し、企業活動を重視して都市の未来像を描こうとしたものであり、あくまでも主眼はインフラと大規模建築にあり住宅ではない。
 
 池辺も坂倉もル・コルビュジェのユートピア的都市像に触発されたとしばしば指摘されるが、上記のように、それぞれが注目したコルビュジェの提案の解釈は異なっており、その根底の社会理念とは別に部分的に模倣され、当時の駅周辺に住む人々の状況に対する姿勢も未来のイメージを提示する相手も異なっていた。
 

民主主義的都市の獲得へ向けて

 
 東京都の副都心計画も変容した。1958年に規制市街地における宅地整備計画として新宿、渋谷、池袋を副都心として再開発する方針が示されたが、1969年には都市再開発法が交付されて都市部の土地の高度利用が促進された。2005年になると渋谷は都市再生緊急整備地域、2012年には特定都市再生緊急整備地域に指定されて、駅周辺の容積率が大幅に増加した。そして公民連携によって国際都市間競争のための都市機能の充実・強化が目指され、渋谷駅の高度な再開発が始まった。
 
 しかしその一方で、2000年には都区財政調整制度が改正され、法人の住民税は都税となって渋谷区には納められないことになった。地方自治が認められたと言っても、その財源を区の全体から集めて活用することができなくなり、結果的には駅周辺の企業活動による経済的効果は渋谷区の財政対象ではなくなった。1960年代以降の計画では、渋谷に石川が目指した家族的まとまりのある都市像は求められず、東京全体の副都心開発構想に巻き込まれ、さらには税制的にも分離されたのである。
 
 21世紀の駅前再開発がこれらの歴史的事例にどのような影響を受けているか、あるいは受けていないかを議論するのは尚早だが、池辺の提案の後一貫して看過されてきた住宅問題が、予想されなかった感染症被害の後で改めて重要視されていることを見過ごすことはできない。それは、我々自身が、建築家や都市計画者の提示するイメージを作品として美化し、突出した文化的営為や部分的で意図的な出来事を「渋谷」としてブランド化することの限界を自覚するという認識の問題や、感染予防の方法やタワーマンションの建設によって解決できるものではない。税制の改変による地元行政の自立した地域運営と全域を自らの都市計画の対象とする権利の回復や、都市に住む人々が行政や企業の計画に対して発言する権利、多様な人々が都心部に居住する権利などの、根本的な都市経営に対する理念の改変こそが必要だろう。「100年に一度」の都市の開発を見守る我々には、このように変化と多様性に富む都市の生態を包含するためにも、民主主義的な都市への理念を共有することが求められている。北山による「渋谷問題論」、真壁による「臨場」など、この場での議論に参加できたことに感謝している。

|ごあいさつ

 
 2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明中島直人寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代難波和彦山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
 

2024/04/18

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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