雨と生きる。雨を活かす。雨の文化創造を考える。

 
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 建築時評コラム 
 新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


 
連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

 
1987年生まれ。建築家。特定非営利活動法人モクチン企画代表理事/株式会社@カマタ共同代表/明治大学理工学部建築学科専任講師。2012年慶應義塾大学大学院修了、2015年慶應義塾大学大学院後期博士課程単位取得退学。学生時代にモクチン企画を起業し、現在に至る。主な著書に「モクチンメソッドー都市を変える木賃アパート改修戦略(共著/学芸出版社)ほか。モクチンレシピで、2015年グッドデザイン賞受賞。
 
URL
https://mokuchin-recipe.jp/
https://www.atkamata.jp/

YUTARO MURAJI #1     2021.06.20

誰も引き受けないから、新国立競技場問題はまた繰り返すと思う

 

ⒸZaha Hadid Architects


 ゲンロンカフェで開催された 「いまこそ語ろう、ザハ・ハディド」というトークイベントを視聴した。登壇者は哲学者でありゲンロンカフェを主宰する 東浩紀氏、建築史家・評論家の 五十嵐太郎氏、そして 新国立競技場の設計を ザハ・ハディドの事務所と伴走した日建設計の 山梨知彦氏の3人である。2ヶ月後に 東京オリンピック・パラリンピックの開催が迫ったタイミングでの開催となった。トークイベントは東氏の司会のもと、国際コンペ開催から白紙撤回までの一連の出来事を時系列的に振り返るところからはじまり、その後、山梨氏が今まで発表する機会がなかったという設計プロセスの紹介、そして五十嵐氏がザハの建築家としてのキャリアや位置付けを解説していくという流れであった。他のゲンロンカフェのイベント同様、4時間を超える充実の内容であった。まだ見ていない方にはアーカイブ動画を見ることができるので視聴を強く勧めたい( https://genron-cafe.jp/event/20210514/)。
 
 新国立競技場問題を筆者個人のレベルで振り返ると、大学院を修了した 2012年に国際コンペが開催され、社会人になってからの最初の3、4年の間に一連の泥沼劇をメディアを通して経験した。日本社会における「建築家」という制度の脆弱性は学生時代からさまざまな事件を通して既に十分すぎるくらい感じていたが、新国立競技場問題はそのトドメを刺すような出来事であった。建築や建築家を成り立たせている社会的な枠組みがあまりにも脆く頼りないということが突きつけられた。こんな状態では「建築に夢を見よ」とか「建築の未来を考えよう」とか、学生時代にさまざまな建築家から語られた言葉に希望を見出すなんてできないと当時、強く感じた。
 
 問題の所在は、決して建築(家)単独の問題ではないことは十分に理解している。五輪誘致や安全保障法制など政治的問題、ヴィジョンやリーダーの不在や日本の集団無責任体制の問題、マスメディアやSNSの問題など、日本社会の構造的問題も関連している上、現代のメディア環境の特殊性も事態の経過に強く影響を与えた。問題は複雑であり、包括的な理解が不可欠なのは確かであるが、しかし、建築(家)による最低限かつ集合的な総括は絶対に必要だ。トークイベントをきっかけに、改めて建築ジャーナリズム、アカデミズム、職能集団による、包括的な振り返りや反省がないか調べてみた。結果は皆無。個別の記事や論考は単体として存在しつつも、イニシアティブある議論のプラットフォームは全くといっていいほど存在しない。あのとき、様々な立場で運動を起こしていた先輩建築家たちはどこにいったのだろう? 議論の磁場すら存在しないのであれば、執筆しているこの時評も公開されたそばからネットの海のなかへと胡散霧消していく運命なのだろう。
 
 ザハ案を実現するために山梨氏率いる 日建設計が用いたデジタル技術による設計プロセスには驚かされた。実現しなかったことが大変悔やまれる。関わった設計チームの方々には同情しかない。また、五十嵐氏による 「インポッシブル・アーキテクチャー」展もプロジェクトを公に発表する機会をつくったという意味で大変意義深いものであったと思う。両氏による仕事に最大限の敬意を払いつつ、トークイベントを通して、ある違和感について感じたので触れておきたい。
 
 うまく言葉にできないが、二人にとって新国立競技場問題が「ひとごと」であるかのような印象を私は受けた。業界の外側にいる東氏から画面を通して伝わる危機感や憤りに比べて、「どうしようもなかった」「しょうがなかった」「残念だった」という旨の諦めにも似た冷めた言葉が両氏から繰り返された。
 
 「この状況をどうすれば変えていけるか!」
 
 「二度とこのようなことが起きないようにできることは何か!」
 
 「建築メディアはなにをしているのか!」
 
 といった思いが溢れ出し、勝手に熱くなっている私に比べて、当事者である山梨氏と、日本の建築界において大きな影響力を持つ五十嵐氏は画面の向こう側で終始クールであった。「ひとごと」と感じてしまったのは、今の悪い状況を変えるために何ができるのか、もっと能動的で現状を変えていくような鬼気迫るあつい話を聞きたかったからなのかもしれない。
 
 二人に対してそれをぶつけてもしょうがないのだろうか。筋違いというものか?
 
 自分たちが成立している枠組みを自分たちでつくり、あるいはその枠組みを超えてより有効的な枠組みを再構成していかない限り、たぶん、日本はまた同じ過ちを繰り返す。私が単に幼く未熟な視聴者なのかもしれないが、今の建築界にはもっと図々しさと、持続的で粘り強い確かな戦略と、状況を引き受けて変えていく当事者意識が必要なんじゃないかと思う。そもそもこうした感情や思いをどう処理すればいいのかすらわからない。舞台からいなくなった先輩の建築家の皆様、教えてください。
 

|ごあいさつ

 建築・都市の批評を共有する新しい場づくりを、との主旨から企画された「驟雨異論」。無事、初年度(2020年)分のWEB発信が果たせました。
 
 「驟雨異論」は分野・世代の出自を横超する3氏の執筆者が1年間に渡り、順繰りに時評をリレー式に各4本ずつ連載します。執筆者3氏のシナジーも楽しみで、建築・都市への骨太な時評が期待されるものです。
 
 2020年度の執筆にあたって頂いた北山恒、野沢正光、山本想太郎の各氏には、改めて御礼申し上げます。どれもが期待に違わぬ視点の定まった批評性を示すものでした。大変お疲れ様でした。
 
 遡って考えれば、「驟雨異論」の船出は、コロナ禍での緊急事態宣言発出の最中でした。それはウィズコロナ社会の事態が一気に社会の矛盾をあぶり出す気配と眺めとを示す契機となるものでもあり、建築・都市への批評に大きな問題意識を共有するチャンスでもあります。私は、こんな折からの「驟雨異論」の船出をまさに、時機を得たものと想っているのです。
 
 新年度2021年の新たな執筆者の陣容は、太田佳代子、布野修司、連勇太朗の各3氏となります。一層の批評の多彩さと面白さとが炸裂するはずです。ご期待ください。
 

2021/03/19

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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