雨と生きる。雨を活かす。雨の文化創造を考える。

 
presented by  株式会社タニタハウジングウェア
 建築時評コラム 
 新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


 
太田佳代子(おおた・かよこ)

 
建築キュレーター、編集者。ハーバード大学デザイン大学院研究員。2018-20年、カナダ建築センター(CCA)特任キュレーター。2014年ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館コミッショナー。2012年までオランダの設計事務所OMAのシンクタンクAMO勤務。共著書に『SHIBUYA!』(CCCメディアハウス、2019)、共訳書に『S,M,L,XL+』(筑摩書房、2015)など。2004-07年、雑誌「Domus」副編集長・編集委員。

KAYOKO OTA #2     2021.07.20

建築家の描く絵

 

 インターネットの時代が来て良かったことのひとつは、建築のありとあらゆる情報がかんたんに手に入るようになったことだ。なんとなく専門誌の中に閉ざされているかにみえた世界が開放され、建築というものの存在が誰にとってもより身近なものになったのは喜ばしいことだ。
 
     でも、冷静に見渡してみると、たとえばメディアで取り上げられた建築のいったい何がどう凄いのか、肝心なところが素人でもわかるようにはいまもって語られていない、という点では、本当の開放と言えるのかどうか。この建物はコンクリートの代わりに木を使っているのが凄い、といったレベルの話ではなく、建築の発想の転換によってこれまでの暮らし方、祝祭のし方、働き方、出会い方にこんな新しい可能性が加わったんですよ、といった説明が一向に工夫されていないと思うのである。
 
     ネットのお陰で情報の多様性が広がったのは間違いないのだが、情報の質というか、実際何が伝わったのか、という点から見ると、まだまだ「表層」のエリアから抜け出せないでいる、というのが私の実感だ。で、実はこれは紙媒体の建築専門誌がもともと抱えていた課題というか欠陥がネットに引き継がれただけのこと、ということなのかも知れないと私は思っている。
 
     たとえば、建築の専門誌に使われる情報の素材は一般的に建物の写真(とくに竣工写真)、文章、図面という組み合わせである。だが、この定番セットで本当に十分なのだろうか? 取り上げた建築が果たしたブレイクスルー、そこに見つけ出された建築としての醍醐味といったものが、この定番セットのお陰で伝わっていない、と思うことが実際よくある。
 
     仕事柄、私は建築家にインタビューし、建築設計という長い過程でどんな発想やイメージが生まれ、それらがどう変化し、発展していったのかを根掘り葉掘り尋ねる機会がある。そして時々、ハッと目を見張るようなスケッチとかスタディ模型とかに出会うことがある。それらはたいてい、新しい発想を切り開くきっかけを作ったもの、実験的な仮説やビジョンを明快に表したものとかだ。
 
     たとえば乾久美子さんは「延岡エンクロス」の設計段階で地元の人々と話すたび、どんな空間をどう配置すれば、みんなが行きたくなるようなパブリックスペースができるかを自らスケッチに描いて示していったという。やがてそのコンセプトは「まぜご飯」とか「チャーハン」と呼ばれるようになり、人々の中に浸透していったそうだ。
 
     中川エリカさんは、建築と社会の関係をもっと近づけさせようとしている建築家だが、ある集合住宅のプロジェクトでは「視点場」というコンセプトを設計過程で見つけ出したという。その考え方は言葉だけで説明されるよりも、彼女自身が模型写真の上に住み手の暮らし方を描いたコラージュでよく理解できる。この視点場というコンセプトは、居住空間とまわりの環境(ネイバーフッド)の関係を考え直すうえで、きわめて有効だ。
 

「A neighborhood in A House」(2018/中川エリカ/写真提供=中川エリカ建築設計事務所)近隣と居住空間を結ぶ「視点場」の概念を伝えるドローイング。

 
     シーラカンスの 赤松佳珠子さんに 「渋谷ストリーム」の話を聞いた時には、複雑な形状をした黒い紙模型を見せてもらった。渋谷ストリームというのは、超高層オフィスビルの低層部にあちこち大きな穴を穿つことによってパブリックスペースを作り出し、超高層という厄介なビルディングタイプに、文字通り風穴を開けた快作だと私は思っている。黒い紙模型は、彼女たちが「ポーラス」と呼ぶ大きな空洞のネットワークをソリッドな形に表したものだった。この建物の真骨頂である空洞というコンセプトを理解するのに、この紙模型ほど分かりやすいものはない。「ポーラス」はこれからの都市開発に応用されていくべき重要なコンセプトだと思うが、しかしこの紙模型を建築のメディアで見たことはない。
 
     こうやってよく見てみると、建築が生み出される過程で、実は小さな発明があちこちで起こっている可能性があるのだが、雑誌やネット記事でそうした手掛かりに出会うことは稀だ。
 
     設計過程で生まれたこのような絵や模型は、素人には理解できないものだと思われているのかも知れない。だが、難解と言えば、建築家の書く言葉こそ難解なのであって、むしろ建築的な思考でひらめいたアイデア、建築的な思考で描かれたビジョンを描いた絵こそを、メディアの方々にはぜひとも見逃さず、建築の芯の部分も伝えるようにしてほしい、と言いたい。
 

「Yokohama Masterplan(横浜みなとみらい再開発計画)」(OMA, 1991) 現状を最大限活かしつつ都市の各所にパブリックスペースを作り出す、時間軸によるマスタープラン。画像提供 OMA


     建築家の描く絵に私がこだわる理由は、かつて OMAに勤めていたことが大きいのだろう。この設計事務所の壁やデスクの上には、設計過程で生まれたアイデアを絵にしたダイアグラムやコラージュ画像といったものがつねに氾濫していた。見る人の発想の転換を促すような、ものごとの関係を示す図とか、写真やドローイングを合成した仮想の風景やシナリオ、といった類の絵である。それらはいわば、設計戦略やコンセプトをクライアントに見せて共感を勝ち取り、プロジェクトの可能性をあらゆる方向に広げようとする戦術でもあった。建築の素人であるクライアントを建築の創造過程に巻き込み、いわば建築のポテンシャルを最大化させること。それが建築設計者の使命だという認識が共有されていたのだと思う。
 
     乾さんの場合のように百聞は一見にしかず、手描きのシンプルなスケッチが大勢の人々に共有され、建築のありようを動かすこともある。踏み込んで言うならば、発明と呼べるような新しい考え方、作り方そのものが世の中にていねいに伝えられ、理解と共感を得ていく、という新しい流れが建築のコミュニケーションの場に生まれれば、社会全体の建築のリテラシーも上がっていくのではないかと思う。

|ごあいさつ

 建築・都市の批評を共有する新しい場づくりを、との主旨から企画された「驟雨異論」。無事、初年度(2020年)分のWEB発信が果たせました。
 
 「驟雨異論」は分野・世代の出自を横超する3氏の執筆者が1年間に渡り、順繰りに時評をリレー式に各4本ずつ連載します。執筆者3氏のシナジーも楽しみで、建築・都市への骨太な時評が期待されるものです。
 
 2020年度の執筆にあたって頂いた北山恒、野沢正光、山本想太郎の各氏には、改めて御礼申し上げます。どれもが期待に違わぬ視点の定まった批評性を示すものでした。大変お疲れ様でした。
 
 遡って考えれば、「驟雨異論」の船出は、コロナ禍での緊急事態宣言発出の最中でした。それはウィズコロナ社会の事態が一気に社会の矛盾をあぶり出す気配と眺めとを示す契機となるものでもあり、建築・都市への批評に大きな問題意識を共有するチャンスでもあります。私は、こんな折からの「驟雨異論」の船出をまさに、時機を得たものと想っているのです。
 
 新年度2021年の新たな執筆者の陣容は、太田佳代子、布野修司、連勇太朗の各3氏となります。一層の批評の多彩さと面白さとが炸裂するはずです。ご期待ください。
 

2021/03/19

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

|Archives

 

驟雨異論|アーカイブはコチラ