建築時評コラム 
 新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


 
野沢正光(のざわ・まさみつ)

 
1944年東京生まれ。1969年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1970年大高建築設計事務所入所。1974年野沢正光建築工房設立。現在、横浜国立大学建築学科非常勤講師など。主な作品として「熊本県和水町立三加和小中学校」「愛農学園農業高等学校本館」「立川市庁舎」「いわむらかずお絵本の丘美術館」など。著書に「環境と共生する建築」「地球と生きる家」「パッシブハウスはゼロエネルギー住宅」「住宅は骨と皮とマシンからできている」など。

MASAMITSU NOZAWA #1     2020.05.20

歩道と道路への懐疑

写真提供:野沢正光建築工房

コロナ禍で人通りがまばらな丸の内、隅切がない

 
 今はこの原稿の締め切り間近、コロナ禍真っただ中である。在宅蟄居しながら 浅田次郎の最新作、『 流人道中記』を読む。面白い。批評のこもるエンターテインメントである。徳川末期長期政権の中で停滞しきった「世間や社会を疑う人」としての主人公が登場する。 「260年も続くと安住して懐疑しなくなる、現代も、懐疑する人がいなくなったからさ」 著者は新聞のインタビューに答えている。「世間や社会を疑う人」としての主人公・ 流人青山玄蕃はこんなことをいう 「社会が堕落したから法が現れた、孔子の徳目五条の訓え、仁義礼智信の中に法はない」そして言う 「だから法こそ常に改善され疑われなくてはならぬものではないかと」その通りだと私も思う。

 
 法が疑われることなく むしろ後生大事に保存され補強され続けていることによる極端な停滞、それは戦後75年を経た今日に見事に当てはまる。コロナへの手遅れも、それに由来する。法そのものが本来の目的を離れ権力と化す、善意の行動を阻止し支配する、こんな現下の状況を見て著者は青山玄蕃という人物を作り描き出したのに違いない。徳川期の時間の流れに比し、今日の流れとその強度は何倍かのものであろう。仮にそれが四倍とすれば法は徳川期と同様、救いのないくたびれ方をしているのではないか。我々はその法に従順であり、「懐疑しない」。
 
 法が、通達が、マニュアルが、緻密に組み上げられ、考えることを阻止し縛る社会がある。「疑う」ことを禁じられている。権力化する法、執行する側は、責任を取らぬ。執行する側もまた、法に従順に奉仕するからであり、疑うことを停止する。
 
 今、建築を設計することがいかに難しい状況にあるか、現状の硬直する「法」を「懐疑する」こと、懐疑し新たな試みを提示することが、いかに難しくそれをさせない制度仕組みが積み重なるようにあるか、数回にわたり考えたい。コロナ禍の今、私たちがするべきこと、積み上げられたシステムを「懐疑」し、新たな「提案」が可能な仕組みに、変えていくことに尽きるのではないか。
 


 
 入り口は都市の根幹、道路についてである。道路がこれほど変わらない国は、他にないのではないか。安全を名目に警察がこの許認可を握る、最も法に寄り添うものが、これを担うその結果なのではないだろうか。
 
 だいぶ以前のことだが、ある人がフェイスブック上で実に小さな「懐疑」を投稿したことがあった。車道と歩道の間の軽微な鉄製の柵についてである。彼の疑問は「あれはいつごろからあり、なぜ今もあるのだろう」というものであった。考えられるのは、車道に飛び出す人を抑制するためのもの。しかし、車の暴走を阻止し歩行者を守るには、あまりにも脆弱だ。しかも、あれは道路に沿いに連続してあるのではなく、かなりの間隔をあけ点々と設置されている。渡ろうとする人は、あれのないところからいくらでも横断可能なのだ。疑問は、こんなものがそもそもいるのだろうか、というものであった。
 

車道と歩道を隔てる脆弱な鉄製の柵


 「懐疑」があり、それに対する応答があれば、結果として何らかの改良変更があるはずだが、ない。勘ぐれば「道路設計マニュアル」とでもいうべき法があり、それにそうせよとの記載がある。設計者はマニュアルを「懐疑」することを許されない。その通りにすることのみが許される。ふと思うと、諸外国であれに類似した柵を見かけたことがない。
 
 数年前のことになるが、わたしの記憶に残る事件があった。事件は私にいくつもの妄想を呼び起こした。正月の北九州、橋の上から車が海に転落、数人の家族が痛ましいことに溺死したのだ。飲酒運転の車が後ろから追突し、前を走る車が押し出され落下した。記事を見て私は「懐疑」した。なぜ落下してしまったのだろう、ガードレールはなかったのだろうか。記事には確か、車は片側に設置されていた歩道を越え落下したとあった。全くの予断だが、歩道との境にはあの柵があったのではないか、ガードレールがなかった。酒酔い運転はもちろん問われなくてはならない。だが、そのとおりであったなら、橋梁の設計に罪は全くないのだろうか。設計とは「懐疑」することと同義であろう。自ら考えることがあれば、設計者は車道の両側にガードレールを必ず描く。乗り上げることが可能な歩道との段差を考えれば、少なくとも海側の柵は車が突き破ることが難しい強度を持ったものとするはずだ。マニュアル、法に従ったということであれば問題は起こらない。
 
 事態がこの通りであれば「法」が考えることを禁じ、職能を強権的に妨害し、不完全な設計を強要したことになろう。主体的な設計者は不在であり、誰も罪に問われず、追突した運転者のみが裁かれる。私の疑問がこの通りであるのかは今、問わないでいい、この通りであっても不思議ではない構造を社会が持つということである。疑問を持ち答えを探ることを法が禁じている。
 
 もう一人のある建築家の指摘に納得したことも、ここで記しておこう。道路にもある 「隅切」のことだ。彼の指摘は、この「隅切」はこの国のはじまりの都市計画には存在しないというもので、その例として 丸ビルの建つ東京駅周辺の三菱エリアのを挙げたのであった。
 
 気が付けばあのエリアの道路には「隅切」がない。「隅切」は狭隘な道路の敷地側を三角形に切り取り見通しを確保するという目的がある。それは実に正しい。ただこれが、幅の広い道路にもそのまま適用されることの可笑しさについて、である。某役所の計画の折、敷地の角が「隅切」されていた。道幅60メートルと30メートルのT字路、見通しの良い道に長さ20メートルの「隅切」である。ここでは壁面線がもうひとつ設定されていたので、敷地に沿いに建築することが許されていなかったのだが、そうでなければ建築は角を大きく切り取られることになっただろう。ケースによるが、横断歩道が隅切りを外れて設置されるため、歩行者は大きく迂回することを強いられることにもなる。狭隘道路の「隅切」が、そのまま拡大コピーされた姿としか言いようがない。この60メートル幅の道には快適な緑地帯があり、自転車道と歩道がつくられていたが、角地に至り不思議な大きさを持つ何とも所在ない場となっていた。緑道は途切れ炎天の交差点がある。
 

隅切によって現れた広いアスファルト面


 アスファルト舗装された道路以外に公共空間がなく、住宅敷地に裸土の庭がない。そんな郊外住宅地が次々に現れている。狭隘な敷地であれば、現行の建蔽率容積率では家と敷地のわずかな隙間と駐車スペースのみを残し、住宅を建設することが合法であるからである。道路の舗装はもちろん火災時の消防車の寄り付きなど、その根拠は説明されよう。ただ、樹木ひとつもない街路だけが遊び場である子供たちのこと、平時の快適さについても、考えるべきではないかと思うのだ。私たちの経験では、こうした街路の表面温度は真夏60度にも達する。他方、樹木の多い街路の温熱環境は外気温より低い。舗装された道路を経由した高温の外気はもちろん、室内に呼び込むことはできない。窓は締め切られエアコンが稼働する。結果、屋外機が発熱し、外界をより劣悪なものとする。街路は本当は緑におおわれるべきだ。極力緑化すべきだし、雨水が浸透することが可能な余地を残すべきなのだ。日常を快適なものとする工夫を法が妨げる、疑うべき事例はここにも存在する。
 
 他国の例を見る。市長によるソウルの街づくりの革新性についてはよく知られている。数年前に訪れ高速道路を撤去し、暗渠であった 清渓川(チョンゲチョン)の渓流化の現場を見た。その折、中心部の街路にバス専用路線が整備され、バス停に背の高い樹木が植えられていたことにも驚いた。レーンはきちんと分割され、バス停は島状に作られ、その端部にランドマークになるよう高い樹木が配されていた。もっと以前のことだが、オランダアムステルダムのホテルの窓から見下ろした街路に、瞠目したことがある。いかにも走りにくそうな自動車道、いかにも快適そうな自転車道と歩道が、そこにはあった。いくらでも試みる、マニュアルはつくり変え、試みるたびに書き換えられるべきもの、そんな姿がそこにはあったのである。
 
 次回は建築確認にかかる法の運用がいかに前例主義であり文書主義であり矛盾に満ちたものであるか、考えたい。

|ごあいさつ

 
 2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明中島直人寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代難波和彦山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
 

2024/04/18

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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