雨と生きる。雨を活かす。雨の文化創造を考える。

 
presented by  株式会社タニタハウジングウェア
 建築時評コラム 
 新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


 
山本想太郎(やまもと・そうたろう)

 
1966年東京生まれ。1991年早稲田大学大学院修了後、坂倉建築研究所に勤務。2004年山本想太郎設計アトリエ設立。現在、東洋大学・工学院大学・芝浦工業大学非常勤講師。主な作品として「磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館」、「来迎寺」、「南洋堂ルーフラウンジ」(南泰裕、今村創平と共同設計)など。主な著書に「建築家を知る/建築家になる」(王国社)、共著に「みんなの建築コンペ論」(NTT出版)、「異議あり!新国立競技場」(岩波書店)、「現代住居コンセプション――117のキーワード」(INAX出版)など。

SOTARO YAMAMOTO #3     2020.12.18

設備との距離感

写真提供:山本想太郎設計アトリエ

元々建っていた建物がなくなり、隠されていたはずの設備が表出した風景。「建築の大気圏」にひしめくエアコン室外機、雨どい、電線・・並べて店の看板まで設置しだしているあたりが逞しい。

 
 建築専門家にとって「建築」の少しだけ外側になってしまっている領域を「建築の大気圏」と名付け、そこにある事物から、建築と社会の関係の可能性を探るシリーズ。「住宅の後付けバルコニー」「設計者を選ぶというプロセス」に続けて、今回は「建築設備」をとりあげたい。

 

近代建築と設備

 
 近代以降の建築とそれより前の建築の違いは何か。鉄筋コンクリートや鉄骨・ガラスといった新素材の登場、あるいは地域性や歴史性といった要素が消失した合理性、といった大転換はたしかに建築の歴史上特筆すべきものであり、前後の建築の姿を比較すれば一目でわかるくらいの違いを生みだした。一方で視覚的には認識されにくいが、「建築設備」の大量流入もまた、劇的に大きな変化であった。それまでの建築にももちろん暖炉、煙突、かまど、便所などはあったが、それらを造ったり使ったりするための費用は建築にかけられるお金のごく一部にすぎなかっただろう。ところが現代にいたっては、一般的な建築に設置される空調、給排水、ガス、電気、通信などの機器や配管・配線といった設備工事費、さらに使用時の光熱水費や修繕費までを考えると、一つの建築の全ライフサイクルにおける費用の半分くらいが建築設備にかけられているのである。
 
 さて、19世紀から20世紀にかけて、建築家たちの不屈の創造力が「近代建築」という新しい表現をつくりあげるなかで、建築設備はどのように扱われたかというと、そこで主流となったのは「隠す」という手法であった。理由はいろいろあるだろうが、まず建築本体と比べて更新周期が短く、技術的な進化も速い。そして進化すればするほど、それぞれの設備ごとに独自の機能やシステム構成が確立されていくため、建築全体の表現のストーリーに組み込むのが難しかったのではないだろうか。
 
 とにかく設備配管や機器は隠された。隠されることが前提となったことによって、それは「建築の大気圏」に安住してしまった。そして現代まで、見られないように、見ないようにと、よそよそしく距離をとり続けてきた結果、冒頭写真のエアコン室外機をはじめとして、建築と建築設備はいたるところでぎくしゃくした共生の姿を露呈している。その例をいくつかみてみよう。
 

1. トイレに何を求めるか

 
 2020年、感染症の世界的流行への対策のひとつとして、「トイレを流すときには飛沫の飛散を抑えるために蓋を閉じましょう」というものがあった。その実効性はさておき、じつは腰掛け便器になぜ蓋があるのかは私にとって長年の謎のひとつであり、以前メーカーの開発担当者に聞いてみたときにも、小さな理由はなくはないが、基本的には慣習としてつけている、という歯切れの悪い返答に失望したものであった。そしてついに、はじめて社会に認められそうな存在理由が取り沙汰されたと思ったら、蓋を閉じてから流しているとセンサーで自動的に蓋が開いてしまう、という事態が発生した。
 
 蓋の自動開閉などはやや迷走した機能であったが、そもそもトイレに何を求めるのか、という認識も時代とともに変化している。特に、公共性に配慮した特殊トイレの役割の変化は近年顕著で、「身障者用トイレ」~「ユニバーサルトイレ」~「だれでもトイレ」~「多目的トイレ」~「多機能トイレ」と、概念と名称が変わるたびに必要な設備もスペースも増えていくため、結構な改修が必要となる。トイレの場合は閉鎖空間が必要なため壁まで含めた建築工事となるのだが、その他の設備の改修の場合には、建築を追随させることをあきらめ、配管や機器を露出させてしまったような風景もよく見かける。
 

「多機能トイレ」にぎっしりと並ぶ機器。公共のサービス概念とその端末設備が集積したカプセル。


 

2. 雨どいに縁どられた屋根

 
 このコラムで取り上げるのはやや勇気がいるのだが、雨どいもまた「建築の大気圏」的な存在物といえるだろう。もちろん雨どいは建築の重要なパーツであるし、きちんとデザインされた「雨のみち」は建築的な表現の美を体現する。しかしその一方で、造形表現とは無関係に、ひどく無作法につけられている雨どいもそこら中にある。
 
 以前、住宅の改修計画の際に、庭に面した軒どいに落ち葉が詰まって困っているという相談に対して、といを取り去ってはどうかと提案し、かなり意外そうな顔をされたことがある。軒どいがなくてもいいのだという考えが全くなかったようであった。たしかに、ハウスメーカー製のその住宅では、形態制限などによってかなり複雑な屋根形状になっているにもかかわらず、ごく小さな下屋部分にいたるまで、あらゆる軒先の端から端まで軒どいがつけられていた。縦どいにトリッキーに誘う配管群を目で辿っていると何か執念じみたものすら感じたが、実のところは、いちいちその箇所に軒どいをつけるかどうか検討するよりも、全軒先につけろという指示の方が楽だったのだろう。そのような安易なマニュアルの普及の結果、日本の勾配屋根のほとんどは軒どいに縁どられることとなった。先の庭面の軒どいは取り払い、雨落としに砂利を設えた。ご満足いただいている。
 

「来迎寺 客殿・庫裏」(設計:山本想太郎)。これは新築で、軒どいをつけていない軒先の例。このようにいかにも落ち葉が詰まりそうな場所ではきわめて有効。


 

3. 天井と『リノベーショナリズム』

 
 近年の日本におけるリノベーションの流行は、大量の建築ストックをかかえる社会の必然というだけでなく、専門性に閉じた建築のつくられ方に対する異議表明であるともいえるだろう。そのリノベーションで多用されるデザイン手法のひとつが、「天井の消去」である。天井内の空調配管や照明配線が改修でむき出しにされた、カジュアルでお洒落な店舗やカフェなどは、皆さんもよく目にするのではないだろうか。
 
 現代建築における天井の存在理由のほとんどは「設備を隠すこと」である。しかし実は、ビルの天井を見上げてみると、そこには照明器具、空調機器、防災機器、スプリンクラー、防犯カメラ、点検口など、隠しきれない設備の末端がずらりと並んでいる。その無意味さを、リノベーションの感性は見逃さなかった。「建築」という体裁を整えようとする専門性の枷から外れ、不完全であることを許容し、ごく普通の感覚で状況に寄り添う。昨今のリノベーションに見られるこのようなデザイン潮流を私は『リノベーショナリズム』と呼んでいるのだが、それがいま、建築と建築設備の新たな関係性もつくり出しているように思える。
 
 そしていまや『リノベーショナリズム』は、新築空間にも浸透してきている(写真)。かつてハイテック・スタイル建築が設備をスタイリッシュにアイコン化したことに比べて、それらはより自然体で、生々しい設備をデザインに組み込んでいる。
 

『銀座 蔦屋書店』。「GINZA SIX」の新築時に入った店舗でありながら、あえて天井の一部をつくらず、設備を露出させている(内装設計:トネリコ)。


 

設備とのコミュニケーション

 
 『リノベーショナリズム』は普通の感覚で状況に寄り添う。よって、それが天井を取り去ったなら、人々が「設備は隠すものではない」と思いはじめているとも考えられる。現代の建築設備は、もはや必要最低限の機能を提供するだけのものではなくなった。ソーラー発電システムなどの省エネルギー設備、LED照明による調光や空気清浄などの快適性・健康性につながる設備、高度な防災やセキュリティのための設備、高齢化や介護に対応する設備など、特定のニーズや価値観に強く呼応するような設備は、いわば建築のオプションとして、選択的に装備されるべきものだろう。その選択のためには当然、ユーザー側に相応の知識や判断力がなければならない。そしてその判断の局面では、システムは隠されるべきものとは見なされないのかもしれない。
 
 しかしこのような設備の多様な進化が、すなわち建築と設備の関係性の深まりに結びつくなどと楽観することはできないだろう。それらの設備が意識されるとき、それが建築全体のデザインの一部として意識されていなければ、その進化は結局「建築の大気圏」のなかで盛り上がっている現象にすぎないことになるのだから。
 
 日本政府が2030年まで全世帯に普及を目指すとしている『HEMSHome Energy Management System)』は、家庭で使うエネルギーの管理システムであり、電気やガスなどの使用量を表示したり、機器を自動制御したりするものである。このHEMSのコントローラー画面を見ると、メーカーによってかなり考え方が異なっていることがわかる。A社の製品は「今日はこれだけ発電・節電できて、これだけ電気代が節約できました」という結果を主に示すようになっている。B社の製品は「いまこの機器からこの機器にこれだけのエネルギーが流れています」という、設備システム自体と相似性をもった表示となっている。どちらもある抽象化をおこなっているという点では同じなのだが、そこに込められたコミュニケーション意識は大きく異なる。いうまでもなく、B社のものの方がユーザーの設備システムへの理解を促す。システムへの理解が深まれば、やがてそれが建築や都市といったものの有り様と不可分であることも意識されはじめる。その意識の連なりは、スマート・シティへと向かうア-バニズムの基盤ともなるだろう。
 
 建築表現とは、社会や都市にある様々な文脈を抽象化して人とコミュニケートさせる行為である、とも捉えられよう。複雑な建築設備の大部分を隠してその末端のみを見せる、という従来の手法もひとつの抽象化表現ではあるが、それは設備と建築によそよそしい距離感をもたらしてしまった。それでは、どのような抽象化が「大気圏」と建築とのコミュニケーションを深めるのか。それを思考することこそ、本シリーズが「建築の大気圏」を観察する目的である。
 

『ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)』の概念図(経済産業省 資源エネルギー庁『家庭向け省エネ関連情報』HPより)。中央に設置されている『HEMS』による設備制御は、断熱性や窓形状といった建築そのものの質とも一体となって意味をなす。

 
 次回は、リノベーションによって改めて建築表現が向き合うことになったもうひとつの大気圏である、「ノスタルジー」について論じたい。
 

|ごあいさつ

 建築・都市の批評を共有する新しい場づくりを、との主旨から企画された「驟雨異論」。無事、初年度(2020年)分のWEB発信が果たせました。
 
 「驟雨異論」は分野・世代の出自を横超する3氏の執筆者が1年間に渡り、順繰りに時評をリレー式に各4本ずつ連載します。執筆者3氏のシナジーも楽しみで、建築・都市への骨太な時評が期待されるものです。
 
 2020年度の執筆にあたって頂いた北山恒、野沢正光、山本想太郎の各氏には、改めて御礼申し上げます。どれもが期待に違わぬ視点の定まった批評性を示すものでした。大変お疲れ様でした。
 
 遡って考えれば、「驟雨異論」の船出は、コロナ禍での緊急事態宣言発出の最中でした。それはウィズコロナ社会の事態が一気に社会の矛盾をあぶり出す気配と眺めとを示す契機となるものでもあり、建築・都市への批評に大きな問題意識を共有するチャンスでもあります。私は、こんな折からの「驟雨異論」の船出をまさに、時機を得たものと想っているのです。
 
 新年度2021年の新たな執筆者の陣容は、太田佳代子、布野修司、連勇太朗の各3氏となります。一層の批評の多彩さと面白さとが炸裂するはずです。ご期待ください。
 

2021/03/19

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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