雨と生きる。雨を活かす。雨の文化創造を考える。

 
presented by  株式会社タニタハウジングウェア
2018/5/18   

6th Anniversary Special Talk

屋根の時代を巡って

— 近代の底が抜けた時代からの再生(1/3)

 

屋根復興の意味を読み解く

 

・ゲスト:五十嵐太郎(東北大学教授)、堀啓二(共立女子大学教授、山本・堀アーキテクツ)
・モデレーター:真壁智治

 
真壁:今回は、「雨のみちデザイン」特別対談として、五十嵐太郎さんと堀啓二さんをお呼びしました。テーマは「屋根の時代を巡って —近代の底が抜けた時代からの再生」。槇文彦さんは、1980年代、90年代の空白の20年について『漂うモダニズム』(2013/左右社)という論考を書いたわけですが、特に脱モダニズムへと向かう動きの中で、屋根がどうやら増えてきました。
 
 まずここに、2000年以降の主要な建築の写真をたくさん並べてみました。近年、学会賞を取った小堀哲夫(1971-)さんや三分一博志(1968-)さん、妹島和世(1956-)さん、山梨知彦(1960-)さんのような組織設計の方々も含めて、屋根というものが、設計の大きな主題と見えるものが増えてきている。屋根が異常とは言わないけども、ごく平均的な関心として高まっていると思います。
 
五十嵐:これはよく知られていることですが、まずモダニズムでいったんフラットルーフとなり、ポストモダンで家型が復活した。これは特にロバート・ヴェンチューリ(1925-)の記号論に見られるように、彼が意味を発生させる家型の実験をやっていたことが影響していました。「母の家」(1963)をはじめとした彼の作品を改めて見ると、家型のいろんなバリエーションをつくっていたことがわかります。
 
 それが90年代になるとポストモダンからモダニズム回帰のようなものがあって、家型が消えたかと思ったら、ゼロ年代に、また登場してきました。このことは雑紙『10+1』でも3回ほど連載しました。

「母の家」(設計:ロバート・ヴェンチューリ)
(photo =Carol Highsmith)

「イエノイエ」

五十嵐:改めて家型を導入した理由には、おそらく真壁さんが研究されてきた“カワイイ”という要素が、ひとつあると思います。また、ヴェンチューリのときの家型とゼロ年代の家型との違いは、前者は記号的な操作が強かったのに対して、後者は明らかに空間を抱えた家型を一緒につくり込んでいます。
 
 そのことを強烈に感じたのは、当時大和ハウスさんと私の研究室で、家型の研究に取り組んだときでした。その延長で、2008年の横浜トリエンナーレでインフォメーションセンターをつくることになり、平田晃久さんに「イエノイエ」という新しい住宅モデルを設計していただきました。
 
 通常、家型の住宅は、家の真ん中が高くなります。ところが、彼がつくった家はむしろ真ん中が沈んでいて、外側に山の稜線がのびるような形をしたものでした。面白いのは、内側に食い込んでいる部分は、内部空間から見上げると2階とせめぎあっているように見えます。屋根には開口部があるので、自分の家なのに、屋根の開口部越しに、自分の家の別の屋根が見える、そんな不思議な関係性をつくれる屋根を持つ建築ができるんだなと、とても感心したのを覚えています。

 

堀:藤本壮介さんも印象的でした。今でこそ、いろんな実作がありますが、藤本さんに見られる家型は、「東京アパートメント」(2010)あたりからはじまったように思います。あれも家型を一見シンボリックに扱っているように思えて、実は家型の屋根が、内部空間につながっています。普通は家型と家型が隣り合えば、別々に見えるはずなのに、それが一体として、まるで崖地に建つ重なり合った集落のようにも見える。まさに一建築で風景をつくっています。そのことにも驚かされました。
 
真壁:2000年以降の屋根の動向のひとつには、街並みを整える屋根という視点があります。もうひとつは、機能性はないけど、思想性はあるという視点もあると思います。私はここに最大の注目をしています。
 
 例えばTNA(武井誠+鍋島千恵)による「上州富岡駅」(2014)の屋根。この屋根は、街並みを整えると言われていますが、新しい屋根の表象でもなければ、何かをシンボリックにしているわけでもありません。“視覚的アフォーダンス”と僕は呼んでいるのですが、この大きな屋根がまちの人々がつながるための装置、空間みたいなものになり得ているのではないかと思うのです。屋根の意味がこれまでのものよりも、かなり拡張していて、そういう流れが、他の建築にも見受けられます。

「上州富岡駅」
(photo= Yazk-tna)

 

「始原の家」

真壁:こうして、屋根だけを見ていくと、近年では東日本大震災の復興関係のものでも、陸屋根よりも家型が目立つことに気付きます。乾久美子さん(1969-)設計の「釜石市唐丹小学校・中学校・児童館」(2018)もそうです。
 
五十嵐:陸前高田に建つSALHAUSによる「陸前高田市立高田東中学校」(2016)は、コンセプトの中心でもあった木造の巨大な大屋根が印象的でした。これは山の地形とも呼応するものです。コンペで選ばれて、住民とたくさん話し合って、配置やプログラムが変わったのに、屋根だけは絶対に変わらなかった。それだけ下から見上げたときのシンボリック性が大事だったということです。
 
堀:震災関連のものは、やはり帰ってきた人たちが、ある種のシンボルと思えるような建築でなければいけなかったり、その形態に愛着を新たに持てることが大切だったりします。街並みもそうですよね。その街を構成していた家型というものが組み込まれているだけで、みんなほっとします。
 
真壁:伊東豊雄さん(1941-)による「伊東建築塾 恵比寿スタジオ」(2013)も家型です。あれも、地域に新参者として入っていく視点として、屋根型を準拠しようということなのでしょう。被災地の「みんなの家」も家型で、とてもシンプルです。プレファブの仮設住宅はフラット屋根が過半で、宮城野区、新居浜、平田、釜石商店街、宮戸島、東松島、岩沼など、多くの「みんなの家」には、屋根があります。
 
五十嵐:伊東さん本人が、どう考えているかわかりませんが、「みんなの家」をはじめて見た時、18世紀にマルク・アントワーヌ・ロジエ(1713-1769)が「建築試論」の口絵に描いた建築の原型的なイメージ「始原の小屋」を思い起こしました。つまり「みんなの家」が、建築の今の時代における初源的な姿なのかと。
 
真壁:なるほど。そのあたりの言及があると、「みんなの家」にまとわりつく不可解さが、もう少し緩和されたのかもしれません。確かに屋根だけでなく、庇や軒の存在も、そこでは重要なものになっているのでしょう。今、屋根と同時に庇や軒へも、改めて関心が高まってきているのではないでしょうか。
 

 

取材日:2017年8月3日

編集:大西正紀 / mosaki

五十嵐太郎
 
いがらし・たろう:建築史家、建築批評家。1967年生まれ。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学教授。「あいちトリエンナーレ2013」芸術監督、「第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館」コミッショナー等を務める。2014年「第64回芸術選奨文部科学大臣新人賞」を受賞。『日本建築入門-近代と伝統』(筑摩書房、2016年)ほか著書多数。
 
 


堀 啓二
 
ほり・けいじ:1957年福岡県生まれ。1980年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1982年同大学大学院修士課程修了。1987年同大学建築科助手。1989年山本・堀アーキテクツ設立(共同主宰)。2004年共立女子大学家政学部生活美術学科建築専攻助教授。現在、同大学教授、山本・堀アーキテクツ共同主宰、一級建築士。
 
堀啓二さんの別連載も、お楽しみください!
 

 

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