野沢正光・追悼エディション

2023.7.28

「総合性のデザイン」という遺産

TEXT=山本想太郎

 
 私自身は野沢氏とはじめて直接いろいろ対話したのが2013年に《ソーラータウン府中》をご案内いただいた際のことであり、先の難波氏、秋山氏のお二人に比べるとあまりにも短い関わりではあったが、それ以前も氏の建築からはいつも独特の刺激を受けてきた。駆け出しの設計者であった頃は、OMソーラーを用いた環境技法や巧みなプラン、ディテールを操る、まさにプロフェッショナルな建築家として、いつかは自分もあのような技量を身につけたいと憧れた。《相模原の住宅》の技術、意匠の完成度には、設計という職能の高みを感じたものである。
 
 しかし近年には、設計者として未熟であった私がそのような感銘を受けていたことこそが、野沢建築の特質を示しているのではないかと思い直すこととなった。すなわちその建築表現の真価は実は「専門性」ではなく、「総合性のデザイン」ではないかと。
 

 
 ここで私は「総合性」という言葉を、「専門性」の対語として用いている。「専門性」は、特定の分野や業界がもつ高度な技術や学術体系によって得られるロジカルな判断力を意味する。しかし多くの異なった「専門性」が錯綜した状態では、それらすべてを整合させたひとつの正解を示すことなどは不可能である。「総合性」は、そのように解ききれない状況全体を俯瞰し、論理を超えつつも従うに値する答を出す判断力である。広い視野をもった「普通さ」ともいえるだろう。
 
 高度に進化した科学技術や社会システムという「専門性」に依存する近代社会では、社会を前に進めるためのもう一翼としてこの「総合性」が不可欠なのだが、その「総合性」の機能不全が、環境問題、格差問題、安全性の問題など、「専門性」が暴走したようなさまざまな社会問題を引き起こしていることを、いま私たちは目の当たりにしている。
 
 その「専門性」の暴走は、建築表現の世界においても同様である。もちろん業界内で高度に練り上げてきたデザイン理論や、生産・流通システムの文化的価値を軽視するわけではない。しかし現代の日本において、その専門性の価値を社会と共有するというコミュニケーションが明らかに不足していることは、日々の仕事のなかでも痛感させられている。建築がつくられる仕組みやコストは複雑で不透明であり、建築家は自己主張の強い奇抜なデザインをしたがる、という一般のイメージは根強い。これは建築表現という世界が専門性の領域に閉じてしまい、社会のさまざまな事象とつながる広がり、すなわち「総合性」を十分に持ちえてこなかったことに起因すると考えられる。
 

 
 そして野沢建築の特質は、その建築と社会とのコミュニケーションを意識し、それらに「総合性」をもたらす力のあるデザインであることだと思う。OMソーラーや木造架構などはたしかに高い技術力によるものではあるが、論理においても身体感覚においても、だれでも理解可能な仕組みともいえるだろう。またそのデザインの視野も建築という存在物に閉じたものではなく、人の生や社会の環境全体とつねに結びついているため、その空間体験は、建築を社会のなかの存在として感覚させる。
 
 野沢建築の外観意匠はときに意外なほど素っ気ないものであることもあるが、それも建築の輪郭を弱め、建築を生活・社会環境のなかの一要素として意識させる効果があるように思える。「総合性」の感覚においては、建築は建築という表現物に閉じたものではなく、それをとりまくあらゆる事物が等価に扱われるなかで、それらの境界は消失していく。結果としてそれは自ずと「見る建築」というより「住む建築」として認識されることになるだろう。
 
 このような視点で、特に強く私の印象に残る後半期の建築を思い返してみたい。
 

 

 2005年に設計コンペが実施され、2010年に完成した《立川市庁舎》は、延べ床面積約2.6万㎡という、野沢氏の個人キャリアにおいて一気に建築スケールが上がったものであった。この庁舎に入ったとき、私は氏の建築の本質が「総合性」であるとはじめてはっきりと感覚した。大規模建築のスケールになることで、その表現が人と社会に開かれたものであることがより明確になったように思われたのである。
 
 「低層大平面」という主コンセプトのもと、プレキャストプレストレストコンクリート(PC)躯体によってもたらされる大スパンの大平面、そこに開放感を与える吹き抜けと中庭、高さが抑えられた木質家具といった構成は非常に論理的なものであり、各要素の視覚的な存在感もかなり強いものなのだが、実際に入ってみるとそのロジックの強制力はあまり感じられない。PCパーツが組み合わされた構造体、露出した設備などは、むしろ建築の中核部分の成り立ちまで開示しようという開かれたコミュニケーションの表明とも感じられる。
 
 野沢氏とのコラボレーションの多い小泉誠氏のデザインによる木製家具の配置も、PC躯体との対比でサポート(スケルトン)とインフィルというような図式を意識した構成に見えるが、実は空間表現において明確に自律したものではない。それぞれの要素が欠くべからざるものとして全体表現を担っている。このように全体の論理と部分となる要素が優劣なく連続して表現を構成することも「総合性のデザイン」の特徴である。
 
 とはいえ多くの要素が並存している空間は、ひとつのコンセプトには収束しない曖昧さを持っている。大きな1フロアと、巨大な吹き抜けでつくられた空間の印象は水平でも垂直でもない。ひたすら空間や光、そしてさまざまな要素が連続し、プライベートな身体性が大きな一体のパブリック空間に広がっていく。この強い構成と表現強度を持ちながら堅苦しくなく居心地の良い独特の雰囲気こそ、「総合性のデザイン」によって生みだされたものといえるだろう。
 

《立川市庁舎》(2010年 東京都立川市) 大きな庁舎全体がひとつの空間としてつながっている。内外観ともPC躯体がかなり目立つ大きな建築だが、意外なほど印象は穏やか(写真提供 = 野沢正光建築工房)

 
 立川と同じ 2010年に完成した《 愛農学園農業高等学校本館再生工事》も、鉄筋コンクリート造 3階建ての校舎の 3階をまるごと減築して耐震安全性を上げ、 OMソーラーを搭載した屋根を載せるという、耐震・省エネ・快適化改修であり、そのロジックはきわめてわかりやすく、ここに通う学生も説明されればすぐに理解できるだろう。その理解しやすいロジックをそのまま表現したような素朴な外観と木質の内装によって、実際にはその実現のために投入されている高度な構造、設備、建築ディテールといった専門技術の精密な厳格さの印象は大きく緩和されている。建築とともに時を過ごすという感覚は、このように建築への理解が生活の中にもたらされることから生まれるのではないだろうか。
 

《愛農学園農業高等学校本館再生工事》(2010年 三重県伊賀市) 3階を減築したところに載せられた切妻屋根に、OMソーラー設備が設置されている(写真提供 = 野沢正光建築工房)


 《 ソーラータウン府中》2013年)はまさに「総合性」の本質が具現化された建築であるといえるだろう。各住戸の敷地の一部を提供しあった「コモン」スペースが大きな特徴であるが、これは単に街区の内側に豊かな共用スペースを生みだすというアイデアに留まるものではない。それは「インテリア―建築―都市」、「プライベート―パブリック」、といった近代都市の空間のヒエラルキーに対する異議表明であり、この領域においてはこれらの空間システムの境界が消失するような感覚を覚える。あらゆる空間や事物を俯瞰して、それらから自由に生活の環境をつくり得るという、「総合性のデザイン」の真骨頂である。
 
 《 むさしのIタウン 木造ドミノ住宅》2007年)の延長上にあるさりげない意匠の外観もまた、建築を生活環境の中心として権威づけない演出として効果的であるが、このデザイン的な判断も建築家として明確な意志がないとできないものだろう。
 

《ソーラータウン府中》(2013年 東京都府中市) 街区のなかにあるコモン空間。野沢氏にご案内いただいた見学会で、左端に野沢氏の姿がある(写真提供 = 筆者)


 《 飯能商工会議所》2020年)は、訪問する以前から写真で見ていた CLT平行弦トラスのイメージをかなり強く持っていたのだが、実際に行ってみると、思ったほどそのトラスの印象は強くない。昼間に外から見ると木造かどうかもよくわからない。外観ではむしろ中庭に面した庇とサッシ、外ブラインドを一体にしたスチール製のディテールの見事さに目を奪われたくらいである。
 
 内部に入ると一気に木質構造に包まれるのだが、ここではまず専門家として反応せざるを得ない。すなわち法規制的になぜ街なかでこの規模を木質耐火ではない木造でつくれるのか、という疑問である。そしてそれに対する解法が、配置による空間演出と一体となっている巧みさに舌を巻く。もちろん CLT平行弦トラスも印象深く、この架構や組子耐震壁は、いかにも木質条件のプロポーザル提案らしいわかりやすい視覚効果を生んでいる。このように専門的なものから普通の感覚にうったえるものまで、多くの種類の表現要素が並列に配されていながら、建築全体として明確な意匠的個性を備えていることは、特筆に値する。
 

《飯能商工会議所》(2020年 埼玉県飯能市) 中庭の奥に耐火構造の接続部分を挟むことで左右の棟を別棟扱いとし、木質構造あらわしの表現を可能としている(写真 = 傍島利浩)


 

この空間では圧倒的な存在感をもつCLT平行弦トラスの梁。反対側の棟では組子格子耐力壁の印象が際立つ。この建築の印象を一枚の写真で伝えることは難しい(写真 = 傍島利浩)


 社会的・表現的な文脈が多く混在している状態、というのは建築にかぎらずあらゆる事物においてきわめて普通のことである。ゆえに一般的に建築の意匠性を高めようとするときには、表現に影響する文脈の数を少なく見せるように操作することが多い。対してただ「総合性」を形にしただけの表現は普通さ、凡庸さの沼に陥りがちである。ところが《立川市庁舎 や《飯能商工会議所 などには、そのような普通さとは一線を画する意匠的個性が存在する。《 関町東の集合住宅(コモレビルディング)》2019年)における外断熱と内断熱の混在といった不思議な自由さもまた、野沢建築に散りばめられた魅力である。これらのように野沢建築における「総合性のデザイン」は、理性的でありながらも、間違いなく自覚的に自由で主観的な個性を備えている。
 
 これらの表現を生みだした野沢氏の設計思想の根底には、広い視野で捉えたさまざまな文脈を自由に捨い上げて組み上げ、空間環境としての「総合性」そのものをデザインするという意識があったように思われる。そのデザインによって人の心を動かさなければ、建築は社会に「総合性」の感覚をもたらさない。すなわちそれは、建築と社会とのコミュニケーションのあり方を精妙にデザインするという意識ともいえるだろう。氏が主宰し、 2022年に建築学会賞をうけた『住宅遺産トラスト』の活動もまた、建築をつくるという行為さえも超えた社会とのコミュニケーションのデザインと捉えることができる。
 

《関町東の集合住宅(コモレビルディング)》(2019年 東京都練馬区) 前後で外装仕上げが切り替わるところで、断熱仕様も内外が反転している(写真 = 傍島利浩)


 このような「総合性のデザイン」は、あらゆる物事と人に「普通さ」の枠内でのふるまいを求める圧力が強まっている現代日本社会において、建築表現のもつ「専門性」の価値を社会に提示し、社会に「総合性」の視野をもたらすコミュニケーション基盤ともなりうるものだろう。それを体現した野沢建築は、これからの建築表現への示唆に富んだ貴重な遺産である。できればもっと野沢氏に問い掛け、その考えを聞き出しておきたかった。

山本想太郎(やまもと・そうたろう)

 
1966年東京生まれ。1991年早稲田大学大学院修了後、坂倉建築研究所に勤務。2004年山本想太郎設計アトリエ設立。現在、東洋大学・工学院大学・芝浦工業大学非常勤講師。主な作品として「磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館」、「来迎寺」、「南洋堂ルーフラウンジ」(南泰裕、今村創平と共同設計)など。主な著書に「建築家を知る/建築家になる」(王国社)、共著に「みんなの建築コンペ論」(NTT出版)、「異議あり!新国立競技場」(岩波書店)、「現代住居コンセプション――117のキーワード」(INAX出版)など。
 
URL:山本想太郎設計アトリエ