vol.02:近代建築のガーゴイル

建築家、大嶋信道の連載第二弾は「近代建築のガーゴイル」。「クライスラービル」のガーゴイルは“なんちゃってガーゴイル”? エーリッヒ・メンデルゾーンの「アインシュタイン塔」、ル・コルビジェの「ロンシャンの教会」のガーゴイル。その源を辿ると、浮かび上がってきたのは、テオドール・フィッシャーの「マックス・ヨーゼフ橋」? 知的探求の先に見えた新たな新事実とは!?



ゴシック・リヴァイヴァル期のガーゴイル





 ゴシックの大聖堂の時代、わが世の春を謳歌したガーゴイルの魑魅魍魎たちは、15世紀に入り、ルネサンスの時代になると、歴史の表舞台から消え、過去の遺物となる。それどころか、“ゴシック(Gothec)”という呼び名自体、“ゴート人風の”という意味で、ルネサンス期に名付けられた、「我々の古代ギリシア・ローマの流れを汲む、正統的で文化的なものではなく、ゴート族、すなわち、古代ローマを滅ぼした、北方ヨーロッパの野蛮人が作ったものだ」といったニュアンスの、はっきり言って悪口というか蔑称であったものである。(これは当然、歴史的事実としては間違っている。ゴシック建築の成立はゴート族滅亡後6~700年も後のことである。)



 ヨーロッパの建築の歴史は、ルネサンス以降、バロック、新古典主義と古代ギリシア・ローマ建築をルーツとする古典主義建築の時代が長らく続き、ゴシック建築の再評価はようやく19世紀になってから。ゴシック期の大聖堂や教会の修復が、前回紹介したヴィオレ・ル・デュクらによって進められ、ゴシック様式を復興した

“ゴシック・リヴァイヴァル”

の建物が数多く作られた。ただ、この時期のゴシック・リヴァイヴァルの建物には、ガーゴイルがまったく無いか、あっても総体的に地味な扱いである。これは、この時代の装飾趣味の問題であることに加えて、ゴシック建築を復興する思想的根拠として、建物の構造的合理性というものが強調されたという背景もある。ガーゴイルの機能はともかく、非合理性の塊のようなクリーチャーたちが手を振るう時代の再現とはならなかった。
 ガーゴイルが、建築の表現として再び脚光を浴びるのは20世紀に入ってから。ル・コルビジェのロンシャンの教会(1950 - 54)が世界中に衝撃を与えて以降のこととなるのだが、それより前に、20世紀に入ってからの印象的なガーゴイルの例を2つ紹介したい。

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1.英国国会議事堂

(1837-67/設計:Sir Charles Barry and A.W.N.Pugin)

イギリスのゴシック・リバイバル建築の代表作、英国国会議事堂の有名な時計台(ビック・ベン)に、犬のような顔をした有翼のドラゴンのガーゴイルが四隅にいる。ただ、表現は控えめでおとなしいので、現地で見上げても気がつかない人も多い。 

2.リバプール大聖堂

(1904-78/設計:Sir Giles Glibert Scott)

1901年に開催された設計コンペによって設計者が決まり、1978年にやっと完成したゴシック・リヴァイバル様式の英国国教会の大聖堂。英国で最大級の規模を誇る教会であるが、ガーゴイル的なものは見る限り一つもない。もともとイギリスのゴシック自体にガーゴイルを強調するようなデザインは希薄だったのに加えて、この設計コンペにはチャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868 - 1928)も参加したことでもわかるように、ゴシックであっても、シンプルでモダンなテイストを求める時代背景もあり、魑魅魍魎たちの居場所はない。雨水は、要所々々で銅製の集水枡と竪樋で処理している。

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クライスラービルのガーゴイル





クライスラービルは、ニューヨークの摩天楼のなかで、アールデコの優美なデザインで知られている。また、長らく世界一の高さを誇ったエンパイヤ・ステート・ビル(1931)が完成するまで、1年間だけ、エッフェル塔を抜いて、高さ世界一だったことがあり、頂部の徐々にセットバックしながら半円形から放物線上に変化していくアーチは、そのころ製品化されたばかりのステンレス板(当時はナイロスタ鋼と呼ばれていた)で覆われている。そして、地上77階建てのこのビルの61階部分の出隅に、鷲のガーゴイルが取り付けられている。鷲は、言わずとしれたアメリカ合衆国の国章である。また、31階部分には、羽の生えたマーキュリーのヘルメットをかたどったガーゴイルがある。これはこのビルのオーナーである、ウォルター・クライスラーにちなんで、当時クライスラー社の自動車のボンネットの先端にあったラジエーターキャップのデザインを巨大にしたもの。いずれも、鉄骨の骨組みの上にプレス成型されたステンレス板が張られて作られている。
 このクライスラービルのガーゴイルたちは、雨樋の機能を持っていない。いわば“ガーゴイル風な装飾”というか

“なんちゃってガーゴイル”

である。しかし、建物のマッスがセットバックしていく部分(これは当時のニューヨークの建築規制による)に、銀色に輝く硬質な素材感で隅角部から45度に張り出した突起は、デザイン的なアクセントになっており、20世紀の新しいビルディングタイプである超高層ビルにおいて、ゴシック起源のガーゴイルを、アールデコの美学で彩った、建築家・ウイリアム・ヴァン・アレン(1883 - 54)の才能がいかんなく発揮されている。事実、クライスラービルはニューヨークのランドマークになっており、ガーゴイルともども、多くの映画に登場し、街ゆくニューヨーカーたちに愛されている。

クライスラービル(1929 - 30/設計:William Van Alen)アクソノメトリック図(作図:筆者/「ゆらめくアール・デコ-クライスラー・ビル」(著:磯崎新+篠山紀信+松永安光、六耀社、1984より引用)

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クライスラービル(頂部詳細):忘れられがちであるが、銀色に光る建築の外装材というのは、有史以来、20世紀になるまで存在しなかった。(銀はすぐ真っ黒になり、鉛も亜鉛も鈍い銀色である。銅は張ったばかりはまばゆく光るがすぐに十円玉の色になる。金のみが輝き続ける例外的な素材であった。) 我々が見慣れている、クロームメッキ、ステンレス、アルミ、そしてチタンなどが建築の外装材として使われるようになって100年も経っていない。マンハッタンに忽然と現れたクライスラービルの尖塔の銀色の輝きの衝撃は当時、いかばかりだっただろうか。(Photo= Jeremy Keith)

クライスラービル(61階部分の鷲のガーゴイル):2012年公開のハリウッド映画「メン・イン・ブラック 3」では、この鷲のガーゴイルが実はタイムマシーンで、先端から飛び降りるとタイムスリップすることができるという設定で登場し、主人公のウィル・スミスがここから飛び降りるシーンが出てくる。(Photo= Ludovic Bertron)





クライスラービル(31階部分のマーキュリーのヘルメットのガーゴイル):ガーゴイルとガーゴイルの間の軒蛇腹部分は、当時の自動車の側面をアールデコ風に抽象化したモチーフで飾られている。(Photo= Eric Lindquist)

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アインシュタイン塔のガーゴイル



近代建築にガーゴイルを表現として取り入れた先駆者としての栄誉を担うのは、エーリッヒ・メンデルゾーン(1987 - 1953)である。ル・コルビジェより10年以上も早い。


アインシュタイン塔(1919 - 21)は、ドイツ表現派の代表的な建物で、ドイツのベルリンの郊外、ポツダム宣言で有名なポツダムの町の天体物理研究所の敷地の中に建っている。この建物はアインシュタインの相対性理論から予測される太陽のスペクトルの赤方偏移を観測し、相対性理論の正しさを実証する目的で作られた頂部のドームの中にあるレンズと平面反射鏡が、太陽を追尾してその光を地下の測定器がある研究室に導くというもので、建物の塔自体が望遠鏡の鏡胴部に相当する、いわば建物全体が大きな望遠鏡である「塔望遠鏡」と呼ばれる形式の施設である。

 3次元的な曲面で構成される有機的な造形は、現在の目でみても、SF映画にでも出てきそうな、未来っぽいイメージである。第一次大戦直後(日本では大正時代)に建てられたものとは思えないこの建物の壁面に、ガーゴイルが飛び出している。このガーゴイルの形状は、ゴシックのガーゴイルとはまったく違い、曲面の組み合わせで構成された無装飾のもので、なおかつ、建物の壁体からシームレスに連続している。
表現派の建築は、1910年代後半から20年代の前半までと、流行のピークは短かったが、またたく間に世界的に広まった。もちろん日本にも表現派の影響を受けた建物が建てられた。アインシュタイン塔に影響された建物も数多くあるが、こういったガーゴイルの表現は、あまり真似されなかった。メンデルゾーン自身も機能主義へと作風を変えたので、このガーゴイルの表現は孤立している。

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マックス・ヨーゼフ橋のガーゴイル



アインシュタイン塔のガーゴイルの表現のルーツはどこから来たものだろうか。ひとつの仮説として、ミュンヘンにあるテオドール・フィッシャー(Theodor Fischer,1862-1938)設計のマックス・ヨーゼフ橋(Max-Joseph bridge 1901-02)からインスパイヤされたという可能性がある。この橋にはゴシック的ではないガーゴイルがデザインのポイントになっている。フィッシャーは、今では、あまり派手さのない伝統主義の範疇にある作風の建築家というイメージであるが、彼は教育者として、建築の形態や、ディティールに対する形式主義を批判し、機能がもつ論理性を重視することを主張した。

 彼の元から、ブルーノ・タウト(1880 - 1938)エルンスト・マイ(1886 - 1970)など、多くのドイツ近代建築を担う建築家が輩出した。メンデルゾーンも若い頃フィッシャーに師事していたので、この橋のことをよく知っていたはずである。
 また、若きル・コルビジェは、フィッシャーのことを尊敬していて、1910年のドイツ旅行の折、フィッシャーに会うためにミュンヘンを訪れている。後年コルビジェが用いる対角線を引いた幾何学的比例による建物のプロポーションの構成法は、フィッシャーの比例論の影響を受けているとの指摘もある。マックス・ヨーゼフ橋を見た23歳のコルビジェの脳裏に沈殿したガーゴイルのイメージが、40年後、ロンシャンの教会をはじめとする晩年のコルビジェ建築の怒涛のガーゴイルに結びついた・・・となると、話は面白いが。

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アインシュタイン塔(1920 - 21/設計:Erich Mendelsohn)全景:半地下の研究室部分の壁と屋根は、シダ類で緑化されている。よってこの建物は、屋上緑化・壁面緑化のさきがけでもある。研究室が地下にあり、土と植物で覆われているのは、スペクトル分光器等の観測機器が外部の温度変化を受けにくい、恒温室仕様とするためのもの。
アインシュタイン塔(側面のガーゴイル詳細):アインシュタイン塔の側面には、左右2ヶ所ずつ、計4本のガーゴイルが飛び出していて、1階のエントランスホール部分と2階の宿泊用の寝室の屋根の外周を廻る内樋の雨水を導いている。ガーゴイルの形状は、壁面から有機的曲面でスムースに盛り上がり、造形として建築と完全に一体のものとなっている。注目してほしいのは、ガーゴイルの先端の下部、排出された雨水が壁面をつたわらないように水切りになっている。この下にとがった形状の水切りは、鷹のくちばしに似ているため、英語ではそのまんま“ホークス・ビーク(Hawk’s Beak)”と呼ばれている。アインシュタイン塔の造形は、頂部にドームが載っているため、クラゲのように丸っこい印象があるが、このガーゴイルやパラペットの立ち上がりなど、シャープにエッジを効かせて、デザイン的にメリハリをつけると同時に、壁面に雨だれが落ちないように注意深くデザインされている。師のフィッシャーゆずりの手堅さである。







左:アインシュタイン塔 正面階段(2010)
右:アインシュタイン塔 正面階段詳細(建設当初)側壁(Erich Mendelsohn Das Gesamtschaffen Des Architekten : Rudof Mosse Buchmerlog, Berlin,1930より)
メンデルゾーンはアインシュタイン塔を鉄筋コンクリートで作ることを想定してデザインしたが、建設コストや施工上の問題から、一部レンガ造で建設された。第一次大戦後の物資のない時代に多くの困難を乗り越えて建てられた建物は、第2次大戦中の爆撃によるダメージも加え、近年、老朽化が進んでいたので、1997〜99年に大規模な修復工事が行われた。正面階段は、蹴込部分を鋭角状に深くしていて、断面がのこぎり歯状になっている。
加えて両端が三角にカットされ、玄関のポーチの雨水は階段両端の雨道を通って排水される。三角にカットされる部分が下の段に行くほど広く徐々に角度を変化させているところなど、いかにもドイツ表現主義というデザインである。ただ、この階段の意匠は、オリジナルではなく、修復工事時のもの。オリジナルより、踏面も広く変更され、緩い勾配になっている。想像するに、当初の踏面がR面で側壁に立ち上がる仕様では、雨水や溶けた雪が階段上で凍結して、危険になったりする問題があったのを解決するためと、階段の勾配を緩やかにするとき、下側の段面が、側壁から飛び出してみっともなくならないようにするよう、加えられた変更だと思われる。文化財を現状から変えることを「現状変更」というが、機能的問題を解決し、なおかつデザインもいいという素晴らしい現状変更例だと思う。





マックス・ヨーゼフ橋(1901 - 2/設計:Theodor Fischer):ミュンヘン中心部を流れるイザール川に架かる石造橋で、路面と川をまたぐ大アーチの間を装飾的要素の無いコロネードアーチ(この写真では半円アーチに見えるが、正面からみたら扁平な楕円アーチである)を配した構成は、御茶ノ水にある聖橋(1927/設計:山田守)によく似ている。平滑な橋の側面に、コロネード1スパンごとに路面の排水の機能を持つガーゴイルを飛び出させ、デザイン的アクセントにしている。フィッシャーはドイツ工作連盟の創立メンバーの一人であり、この橋は、歴史的建築の持つイディオムを形式主義、先例主義に陥らずに用いる、フィッシャーの建築が持つ機能主義的でモダンな一面をよく示している。
(Der Baukunst des ⅩⅩ :Ernst Wasmuth, Berlin,1908より)


(※特記以外の写真は全て筆者撮影)


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著者略歴



大嶋信道(おおしま・のぶみち)


1960年鳥取県倉吉市生まれ。1984年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。建設会社勤務を経て、1990~94年東京大学生産技術研究所藤森研究室。1991年大嶋アトリエ設立。2003年より武蔵野美術大学非常勤講師。著書に『建築虎の穴見聞録~訪ねて歩く材料と工 法』(新建築社)『藤森流自然素材の使い方』(彰国社)。1999年「倉吉の町屋」で鳥取県景観大賞を受賞。また、「一本松ハウス」、「ニラハウス」、「ツバキ城」等の設計・監理として、藤森建築の実現を担う。

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