隈 研吾(くま・けんご)
 
建築家。東京大学教授。1954年生まれ。1979年に東京大学工学部建築学科大学院を修了。米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所を主宰。97年に日本建築学会賞を受賞(宮城県登米町伝統芸能継承館「森舞台」)。99年慶応義塾大学環境情報学部特別招聘教授。2001年同大理工学部教授に就任。2009年から東京大学教授。主な著書に『負ける建築』(岩波書店)、『隈研吾:レクチャー/ダイアローグ』(INAX出版)、今回のインタビュアー、清野由美との共著『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)がある
 
LINK: 隈研吾建築都市設計事務所

 
 

01:隈 研吾 / Kengo KUMA

このコーナーでは、建築家の方々に登場いただきながら、"雨のみち"のコンセプトや方法を、実際の作品に即して話をうかがっていきます。「雨のみちデザイン」ウェブマガジン創刊記念第一回のゲストは、建築家の隈研吾さんです。隈さんにとっての「雨」は設計やデザインにどう影響しているのか。

 

雨を考えることは、建築を考えること

 

— ここに同席されたタニタハウジングウェア(以下、タニタ)のメンバーは、これまで隈さんの作品も観られていますし、中にはタニタの雨樋を使っていただいているものもありますので、具体的な建物を挙げながら、「雨のみち」に関するお話ができればと思います。
 
隈さんは、これまでに大きな屋根や大きな庇の建築を多くつくられてきました。雨と建築の共生というところでは、相当に苦労されているだろうと思います。そこには、失敗も成功もしているのだろうと想像しますので、そのあたりもざっくばらんにお話しいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
 

落水荘から石の美術館へと導く“開放型の樋”

 
タニタ:以前、 <石の美術館>(2000/栃木県)を拝見しました。外側の駐車場に石の開放樋が三カ所付いていて大変興味深かったのですが、 開放型の樋については、設計をはじめられた当初から、よく使われているのでしょうか。
 
隈:開放の樋は、ここ最近では <無印良品「窓の家」>(2008)でもやりましたが、もともとは、東京大学在学時の 内田祥哉(1925-)先生の影響なんです。内田先生は、よく 「樋って樋じゃなくてもいいんだよ。」とおっしゃっていました。そして、あるとき内田先生が設計された <佐賀県立九州陶磁文化館>(1980/佐賀県)を訪ねると、開放型の樋を使われていた。そこで開放型の樋というものに意識的に興味を持ったわけです。
 

左:<石の美術館>の開放の樋。右:<佐賀県立陶磁文化館>の屋根に見える開放の樋

 

Photo=Duane Wessels

その後、コロンビア大学の研究員として数年間アメリカに住んでいたときに、アメリカ中の建築を見て回ったのですが、その中で一番印象に残った建物が フランク・ロイド・ライト(1867-1959)設計の <落水荘>(1935/アメリカ・ペンシルバニア州)でした。<落水荘>はまさに家自体が開放型の樋なんですよね。けど、その樋は家の中に設えてしまっている。あれは雨漏りじゃないかと思うんですよ(笑)。 雨が家の中を流れて、家の中に排水口があって、下に抜けるようになっているわけですからね。
 
タニタ:隈さんの建物に見られる開放型の樋には、そのような背景があったのですね。そもそも、ご自身で設計されるようになってから「水」というものに対する演出には、建築的に興味はおありでしょうか。
 
隈:そうですね。特に「水」というものに関心を持ったのは、熱海に建つホテルの <水/ガラス>(1995/静岡県熱海市)を設計したことがきっかけですね。
自分にとってもエポックメイキング的な作品になったわけですが、ここでは「水」を絶えず循環させながら、見せる建築をつくりました。スタディを繰り返す中で 「水」を見せると言った途端に、建築がこれまでとは違った生命観を帯びるということに気づいて、インテリアに水のカーテンをつくろうと思ったのです。
 
ベッドルームとバーの仕切りを水のカーテンでつくろうとしたのですが、どうしてもうまくいかなくて。どうしても向こう側が見えてしまって、互いのプライベートが保てなかったのですね。(笑)色んな工夫を考えて、どのくらいのピッチで管に穴を明ければいいのか、水量をどれくらいにするのか、実験を何度もくり返したのだけど、結局採用されませんでした。このとき 「水」を流すということをデザインするのは、すごく難しいということにはじめて気づいたのでした。
 

<水/ガラス>内観(Photo=Mitsumasa Fujitsuka)

 

日本という場所に根付く大きな屋根を

 
— 2000年につくられた<那珂川町馬頭広重美術館>のころから、石から木という素材にチャレンジされることが多くなっていきますよね。
 
隈:<那珂川町馬頭広重美術館>では、まさに安藤広重(1797-1858)の雨の絵をモチーフにしました。特に広重の雨の絵から感じる時雨れた感じを木のルーバーで表現しようと考えたわけです。
 

左:安藤広重の作品「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」。右:<那珂川町馬頭広重美術館>南側外観。安藤広重の浮世絵に見られる直線的な雨をモチーフにデザインがされ、屋根には、30×60mmの八溝杉が120mmピッチで並ぶ(photo=Mitsumasa Fujitsuka)

 
— 同時期に建てられた<那須歴史探訪館>(2000/栃木県)も、<那珂川町馬頭広重美術館>と同じく大きな屋根をつくられています。ある意味では、ポストモダンの時代も含めて、それまで大屋根というものがタブーだったようにも感じるのですが、いかがでしょうか。
 
隈:大きな屋根は気を付けろ、ということはよく言われていました。そこがポストモダンの限界だったと思うのですが、本当に大きな屋根はタブーとされていましたね。(笑)柱は使うけど、大きな屋根は使わない。そこから踏み込め無かったポストモダンは結局、日本という場所に根付かなかったということだと思います。屋根を使いながらコンテンポラリーな新しい建築をつくれなかった訳ですよね。
 
— 隈さんのこれまでの作品の中で、雨仕舞でご苦労され、最もアイディアがこもった作品はどれになりますか。
 
隈:そういう意味では、やはり<那珂川町馬頭広重美術館>です。雨仕舞の防水面のハゼに咬ませてルーバーを付けられるようになったことが大きかった。このことはデザインととても関係があるのです。通常、防水層の上にルーバーを付けるとき、防水層を切らないでルーバーを止めることは、難しい。それが、今では縦ハゼに取り付けることが出来るようになったので、他の建築でも沢山とりいれるようになっています。

隈建築の樋、その原点は竹の樋

 
隈:実は、樋というものに初めて凝ったのは、僕の処女作の<伊豆の風呂小屋>(1988/静岡県/篠原聡子と共同設計)なんです。これ竹の樋なんですよ。
 
タニタ:竹は、雨樋のルーツですからね。
 
隈:そうですよね。そして、ここで竹の樋をつくったことが、後の<竹の家 - グレートバンブーウォール>(2000/中国)の複線となるわけです。
 
タニタ:竹の樋は、職人さんによって作られたものですか。
 
隈:いや、そこまで凝ったものでは無くて、現場の大工さんに頼んでやってくれたものです。樋のマス(集水器)のところが桂離宮では、凄く綺麗な格好をしているじゃないですか。竹の樋を突っ込んで木のマスで受けて、そこの形が綺麗だったからそれをやってみたいと思ったのです。
 

左:<伊豆の風呂小屋>外観。二階の窓の右側に竹製でつくられた雨樋が付けられていることがわかる。右:桂離宮に見られる樋のマス(集水器)
 

タニタ:マスの部分は、何で作られたんですか?
 
隈:軒樋、竪樋(たてとい) は竹で、マスの部分は檜で作りました。だから竹でつくった樋は、僕にとって樋の原点なんです。
— 竪樋 の一番下側はどうなっているんですか?
 
隈:砂利を敷いて開放にしてあります。

 

雨自体にデザインされてしまうもの

 
----- 隈さんの2000年代のエポック的な建築のひとつとしては<根津美術館>(2009/東京)も逃せないわけですが、あそこでも雨については苦労されましたか。

 
隈:<根津美術館>は当初、瓦屋根で和風のものをつくろうということは、クライアントの根津さんと意見が一致していました。けど、瓦屋根が表参道に突然あると、うどん屋さんができたようになってしまう。瓦って重たいので普通のディテールでやってしまうと和食のチェーン店のようになってしまう。
 
だから、そうでないものを考えて、一文字葺きの腰葺きでやってみました。それでももうひとつ質感が足りない。そこで、厚い鉄板を切りっぱなしで並べて、工業製品的な固さで設えようと思って、瓦も棟瓦も使わず、端部も役物を使わないようにしたんですよね。そこでは薄さを出すことが重要だと考えたのですね。
 

<根津美術館>外観(photo=Mitsumasa Fujitsuka)

 
 
 
溶融亜鉛メッキの鉄板屋根が、感覚的に冷たくなってしまわないか心配だったのですが、そこに嬉しい誤算がありました。雨水の流れによって雨跡のスジが直ぐに出てきて、それが工業製品の冷たさを見事に消してくれたわけです。昔、コンクリートの壁に雨水を垂れ流しにして、そのものをデザインとしているヘルツォーク&ド・ムーロン<リコラ・ヨーロッパ社工場・倉庫>(1993 /スイス・バーゼル)という建物を見たことがあったのですが、屋根でも同じことが起こるとは予想していませんでした。
 

左:ヘルツォーク&ド・ムーロン<リコラ・ヨーロッパ社工場・倉庫>外観。雨水はコンクリートの壁をつたい流れ落ちる。その痕跡がコンクリートの壁にあえて残すために、コンクリートには通常の雨水処理が施されていない。

 
 
タニタ:<根津美術館>では瓦の勾配より、軒先の勾配が極端に下がっていますが、それがとても美しかったです。
 
隈:そこが一番悩んだところなんです。なぜそのようにデザインしたかというと、先端を薄くするのに鉄板の先端の角度を変えてあげると、極端に薄く出来るから。最初は、瓦と鉄板の部分をフラットにする原寸スタディを作って何度も確認したのですが、軒と軒先が平行になってしまい薄くできなかった。それを少し先端の角度を変えることで、解決したわけです。内田先生はこれを見て、「蓑甲(みのこう)だね」と言ってくれたんで、お墨付きを貰った感じで嬉しかった。確かに基本的には蓑甲の考え方ですよね。
 

左:蓑甲。蓑甲とは入母屋屋根や切り妻屋根で、妻側部分の野地がゆるく曲線を描いて、矢切のほうへ下っている状態。また、下屋の端部で用いることもある。流れ上部と流れ尻では、ねじれが生じるため蓑甲の中央部が下がってしまう。それを防ぐために、すこしムクリを付ける。右:蓑甲の手描き図面(出典:銅屋根標準工法 長野県板板金工業組合)

 
 
----- <根津美術館>は屋根のボリュームが大きいだけに、雨水はどういう処理をされているのでしょうか。
 
隈:基本的には、垂れ流しでやったのですが、竣工後に一カ所だけ樋を付けたところがあるんですよ。わかりましたか?庭側のところは、二層分落ちてしまうので、もの凄く散らばってしまうんです。計算だと、そんなに散らばらないはずだったんだけど、上手く行きませんでした。屋根から落ちる雨水が散らばってしまって、親子代々数十年、この庭を手入れしている庭師の方からクレームをいただきまして。その方々にとっては、木は自分の家族なわけですよね。これでは庭の木々が駄目になってしまうと言われまして、追加で樋を付けることになりました。だから、あの樋は人のためではなく、木のための雨樋になのです
 
タニタ:冒頭の開放型の樋のお話で<無印良品「窓の家」>(2008)に触れられましたが、その竣工後の実物は実際にご覧になりましたでしょうか。無印良品が展開するあの住宅のシリーズは私たちが雨樋をてがけています。軒から竪樋へと流れる部分は、たくさん実験を重ねました。この動画は、実際に雨が降ったときに撮影したものです。
 

(※上の画像をダブルクリックすると動画が再生されます。動画をご覧いただくためには、Quicktimeが必要です)

 
 
隈:この映像は凄い! 雨が流れているときまでは見ていなかったので。とても綺麗ですね。
 
タニタ:通常のように金具という概念が全然なくて、アングルを建物に付けて欲しいと要望がありました。どうやって納めるかが難しかったですね。ドレンのところで軒から竪樋に落とすところにジョイント部分が出来てしまうと水が流れないので、ステンレスの板でそこに水が巻くように、三角の堤防を作って壁側に水が行かないように工夫しました。
 
隈:水がこんなに綺麗に流れる映像は、見たことがありませんでした。効果ありましたね。内田先生の開放型の樋は、もっと大きいんですよね。この幅で上手くコントロール出来たことは凄いと思います。
 

<無印良品「窓の家」>外観

日本ならではのプリミティブな知恵から

 
----- 先ほど、<落水荘>や内田先生のお話がありましたが、その他に特に隈さんが「雨のみち」と考えたときに、思い浮かべる建物や建築家はありますか。
 
隈:日建設計、林昌二さん(1928-2011)の<パレスサイドビル>。あとは丹下健三さん(1913-2005)も面白いですよね。<香川県立体育館>の雨樋などは、まるでプレキャストのガーゴイルのようです。丹下さんにせよ、清家清さんにせよ、モダニズムと日本のプリミティブなデザインディテールと合体するようなことにトライしたものは、興味深いですよね。どんどん抽象化の方向に向かって失われて行く中で、僕はもう一回そういうものをやっていきたいと考えています。
 

左:<香川県立体育館>に見られるガーゴイルのような雨樋。右:<パレスサイドビル>に見られる雨樋。樋を伝って落ちる雨水は、一度切れて再度次の樋に受けとられながら落ちていく。

 

 

----- まさに風土的なヴァナキュラーですね。これは建築に携わる人々すべてに言えることだと思うのですが、特に地方で仕事をする場合は、説明するときに雨というものも重要な説得事項になると思うのです。そのときには雨を取り入れたデザインも考えなくてはならない。さらに震災後は、雨や風に対する考えが、意匠としてどう関与しているかということをますます説明できないと話しにならない。
 
隈:例えば、熱海の<水/ガラス>は、こういう建物だから晴れた日というイメージがあるのだけど、実は雨の日が美しくて一番感激します。海と建物と雨水、三者の境が無く溶け込んで、その中で自分の体が浮いているような感じになる。だから、この建物では雨の日が好きなんです。
 
それぞれの地域や風土にある雨について考えてデザインをする。まったくその通りだと思います。何よりも雨の中で見る建築ってとても綺麗なんですよね。

(2011年6月9日|東京・南青山 隈研吾建築都市設計事務所にて|インタビュアー:真壁智治)