野沢 正光(のざわ・まさみつ)
 
建築家/野沢正光建築工房/1944年、東京都生まれ。1969年、東京藝術大学美術学部建築科卒業。1970年、大高建築設計事務所入所。1974年、野沢正光建築工房設立。現在、武蔵野美術大学客員教授、横浜国立大学工学部・法政大学大学院デザイン工学研究科非常勤講師、他主な建築作品に、立川市庁舎(1992)、木造ドミノ住宅(1997)、いわむらかずお絵本の丘美術館(1999)、阿品土谷病院(2001)など。主な著書に、『パッシブハウスはゼロエネルギー住宅 』(農文協)、『居住のための建築を考える』(建築資料研究社)、『団地再生のすすめ』(マルモ出版)など。
 
LINK: http://www.noz-bw.com

 

06:野沢 正光 / Masamitsu NOZAWA

 

このコーナーでは、建築家の方々に登場いただきながら、"雨のみち"のコンセプトや方法を、実際の作品に即して話をうかがっていきます。第6回のゲストは、建築家の野沢正光さんです。野沢さんにとっての「雨」は設計やデザインにどのような関係があるのか。

 

テクノロジーと理想の建築
雨のみちのエネルギー

2014/04/04

テクノロジーよりも先へ理想を追い求めた時代

 
----- 野沢さんが、大高正人さん(1923-2010)の事務所で働かれていたときに、雨、または雨仕舞に関して、感じられていたことはありますか?
 
野沢:大高さんはすごく雨で苦労したんです。私が学生時代大高さんの建築を面白いなと思ったのは、PC構造<プレキャストコンクリート構造>ですばらしい建築をつくっていたところでした。その中でも<千葉県立中央図書館>(1968)と、今はもう取り壊されてしまった<栃木県議会棟庁舎>(1969)は、特に傑出しています。当時PCで建築を作ることは先鋭的でした。浅草寺の五重塔は木組みをコンクリートに置き換えて木造と同じような部材を全てPCでつくっています。大高さんのPCも幾分木造を意識したところがあるのかもしれません。しかしシステム的には似ていても、木とコンクリートはおおきく違う。構造は似ていてもPCは木造のようには粘らないんです。それから、積み木のように組んだものは地震時に少し動いてしまう。一部を現場打ちコンクリートで作りそこにPCが絡むところがでると変位異なる、そのため、ちょっと地震で動くと、当時は防水が切れてしまって、雨漏りをしていました。でも、建物自体は先駆的で実に面白かった。今ならきっと治せます。
 
----- 60年代の近代建築が抱えていたRC・PC構造という問題と、日本的なるものとの組み合わせの中で、潜在的に相当雨仕舞いに苦労があったということですね。
 
野沢:テクノロジーがついてこないのに、テクノロジーの先へ行きたいというアバンギャルドな波が押し寄せた時代だったと思います。僕は今もやっていいと思っているんですけど、それだとお客さんに悪いですしね。今は訴訟になるかもしれません。丹下健三さん(1913-2005)の<国立代々木競技場>(1964)も、今はすごく落ち着いていますが、完成してからしばらくすると屋根がサビて赤くなったんです。鉄板を曲げて屋根をつくった何年後かに、明らかにカーブの緩いところでサビが出てきたのですね。大丈夫かなと私たちは思っていました。ですが、その後塗料の性能が画期的によくなり、結果 耐候性が上がって、問題はなんなく解決したのです。住宅用の建材でもそれはありますね。昔のカラー鉄板は経年するとサビがかなり発生しましたね。ガルバリウム鋼板になってからは色がちょっと褪せるだけで、腐食の心配はあまりしなくなくなりました。
 
----- 60,70年代は、ついてこないテクノロジーを置いてきぼりにして、理想的な建築に対する「思い」が人々を巻き込んでいったのかもしれません。

既製品のない時代に雨と戦うこと

 
----- この「雨のみちデザイン」ウェブマガジンで以前、石川廣三さん(1942-)という、雨仕舞の研究者にお話をうかがったのですが、雨仕舞の研究というのは2つあるのだとおっしゃっていました。ひとつは、材料施工、つまり、雨に対する塗膜の防水層の研究です。もうひとつは、ディテールでどう水を切るかの2つ、ということでした。戦後は特に前者はほとんどできていなかったのだと思います。
 
野沢:建築資材産業がまだ何も知らなかったという時代があるんです。雨樋屋さんもサッシ屋さん屋根屋さんも、自分の自前の技術を持っていなかった。その中でたとえば前川國男建築設計事務所は、どちらかと言えば戦前からのオーソドックスなディテールを知っている人たちがいて、その人たちが防水屋さんとかサッシ屋さんに教えていたんです。でも、そうした知見を持った事務所は少ししかありませんでした。その後経済成長時代に入ると各種建材メーカーも勉強して、質が高くなって、いわゆる既製品を持つようになる、すると建築設計者に対して「既製品で設計してください。」というスタンスになっていったんです。
 
----- 要するにカタログ化?ですね。
 
野沢:はい。サッシに限らず、戦後はほとんどのものに言えたことだと思います。前川事務所以外にも、戦前からの建築の技術やディテールを知っている人たちは電電公社とか、そういうところにはいるのですが、町場にはあまりいませんでした。ただ、知見がなかったからこそ日本の建築家は元気だったというか、夜も寝ないでいろんなことをやってみたという時代があったのだと思います。今の日本の建築家の仕事が、外国でもある程度評価されてるのは、その頃失敗もしながらも自前でやってきた所が一番大きいんじゃないかと思います。東京オリンピックの建築設計も全部自前だったんです。今のオリンピックの建築はグローバル化していて、なかなかそうはいきませんが、東京オリンピックで、自分で考えて自分でやった、彼らは面白かっただろうなと思います。
 
----- そうですね。私は今、雨のみちのデザインを考えるということは、60年、70年代をもう一度受け止める面白さがあると思っています。
 
野沢:ただ、試行錯誤しながら自前でつくっても、先ほど言ったように万一欠陥があれば訴訟になることもあります。だから、訴訟なく済むように既に商品として流通するたとえばタニタハウジングウェアの雨樋を使うとか(笑)、誰か別の人の責任になるもので組み立てようとするのですね。レディメイドばかりになってもあまり面白くないな、と思いますが。

“雨”をどう“地”へ戻すのか

 
----- 雨というものを通した、環境やサスティナビリティということに対して、野沢さんはどのようなことをお考えでしょうか。
 
野沢:日本は三日に一度は雨が降るといわれています。日本には雨が余っているというのは変な表現ですが、時には激流が田畑を押し流すほどに雨が降って流れますよね。雨のないオーストラリアでグレン・マーカット(1936-)さんが設計した建物では、雨水をためる大きなタンクを2、3個家の前に並べているのですが、それも含めてここにしかない独特の住宅の姿になっています。これを見ると、雨がない土地の建築があんなに雨に対して真剣なのに、雨が多いわれわれがボーっとしているのはいかんな、と思うんです。日本は雨水を利用せずにどんどん下水に流していますが、それはきっと良くないんですよね。それと建築に付随する地域の特徴的条件が建築デザインの主題になっていると、それが建築そのもののすごく大きな個性、魅力になってくるんです。グレン・マーカットさんの建物で言えば、コルゲートのタンクですね。コルゲートのタンクがあるから家もコルゲート葺きなのか、どちらが先かわかりませんが。

(※グレン・マーカット:Glenn Murcutt - OZETECTURE

 
これまで日本では、雨は降って川に流れて、海に至る、みたいな話で済んでたんです。しかし最近はサスティナブルデザインという視点で考えることで雨の流れを再考するなかで、ポンプで水を上へあげたり運んだり浄水するっていうのは実はかなり膨大なエネルギーを使っているということが、言われるようになってきました。
 
浄水による水利用のエネルギー消費と同時に、真水であり蒸留水である雨水をどう使って地に戻すかというのも大きな宿題だと思っています。いわゆる都市下水のシステムが、河川に水を流すのをやめて、下流の海沿いの下水道処理施設まで持って行ってしまうと、河川が枯れ全く機能しなくなってしまうという話があります。地下に張り巡らされた都市下水システムという「人工の川」が、地上にある本物の川の水を全部奪ってしまえば、景観的生態系的にも大きな問題です。
 
例えば、学校など公共の施設の設計をする際はできるだけ自然の流れに沿ったものを作りたいと思っています。雨水を少しだけ処理し、中水としてトイレなどで使ってから、また処理をして流すというようなことです。ただ、どうしても経費は掛かります。そもそも上水、そして下水というインフラは極めてエネルギー多消費型のシステムであることについて、まだほとんど理解されていません。
 
----- 私たちは、水はタダだと思い込みがちですが、実はタダじゃない。製作コストがちゃんとかかっているのですね。

建築家は雨を科学的にとらえられている!?

 
野沢:昔、建築家の奥村昭雄さん(1928-2012)が、アメダスの気象データ処理をして建築設計に利用できるものにしました。アメダスの処理をすると、25年間の平均日照や風向、風速、雨量や気温を利用可能な情報として活用できます。雨水貯留タンクが大きすぎてもおかしいし、小さいともったいないので、この地域でちょうどいいタンクの大きさを一生懸命考えていました。
 
アメダスのデータは、以前からオープンにはなっていましたが、ソーラーハウスを作るための日射量はそこからは出てこなかったんです。日射量を推定する計算式みたいなものは、別の大学の先生が作ったものがありました。なので、それらを利用してプログラムを作り、雨量や太陽エネルギー量の予測が可能になった。当然ながら日射量や雨量といったものそのもののポテンシャルが地域によって全く違うんです。
 
ただ、最近の雨のデータは、突発性豪雨が多いので、10年間の平均というものが当てにならなくなってきています。それでも、雨というものを物理的、科学的にとらえる建築家の姿勢が求められています。科学的に雨樋をとらえて、建築家の方に伝えるというのは、雨樋屋さんの大きな任務だと思います。学校とか巨大な施設であれば、表面積も大きく雨水を貯めやすくなっているので、この地域であればこのくらいのタンクがあればうまくいきますよ、というのを教えていただけると大変ありがたいです。

最大限に自然のポテンシャルをくみ取る

 
---- 野沢さんが設計された<立川市役所新庁舎>(2010)では、雨水はどう処理していますか?
 
野沢:地下に隠れた状態でタンクがあって、雨水は中水利用しています。
 
---- あれだけの面積であれば雨水もかなりの量がありますね?
 
野沢:そうです。<立川市役所新庁舎>(下写真)屋上緑化しているのですが、屋上緑化したところに降った雨は、土が一種のフィルターのような役割をして、結果凄くきれいな水質になっています。屋上緑化も悪くないし、太陽電池を並べたりしてもいいと思うんです。市庁舎では水利用がいわゆる上水とトイレなどの洗浄用の中水の2系統になっているのです。
 


 
---- それと、<愛農学園農業高等学校の本館再生工事>(2010)の写真を拝見したのですが、減築をしたということで、元の校舎の3階部分から2階に屋根がかかっていましたが、もともとは陸屋根だったのですね。
 

 
野沢:はい。元々は上の写真のように3階建てでフラットルーフでした。横に鉄骨の3階建の階段がついていたんです。それを利用して、3階の踊り場だった場所に雨水貯留槽を置きました。屋根になったところからすぐ雨樋が取れるので、そこに集めると高いところにタンクがあって落差を利用して使うことができます。下に置いてしまうとポンプでくみ上げなければいけないのでエネルギーがかかります。
 


 
野沢:3階部分を減築して2階建てとし、改めて屋根を乗せました。太陽熱を取りたかったからというわけです。もちろん、こんな形をしていると面白いとか、そういう願望はあります。でも、屋根を逆さにするわけにはいかないので、建築である以上雨や太陽、地球の引力など、色々な状況の中で建築は成立しないといけません。科学的に支えられていないと説得力のある面白いものにはならないんです。雨が降っているのにちゃんと雨水が流れない、ではデザインしたことにならないのです。
 
でも、今までと違う視点から考えてみると、今までの常識とは違うもう一つ説明可能な“合理”が現れるということがまだまだあります。ルーティーンな建築は数多くありますが、建築に関わる人々に期待されていることの一つに、まだ触られていない「技術」「考え方」の発見というのがあると思います。その結果として見慣れない新しいこれまでにない「妙な形」のものがそこに現れる可能性があるんです。建築に合理的な説明や理屈があって、それは今までは気づかなかったり、文脈を読み替えることで新たに構築できた理屈によるものであったとすれば、それがいつかは普通のもの、かっこいいものになっていく可能性があります。私はこういうものをつくるのが建築家の醍醐味かなと思っています。
 
---- 先ほどのグレン・マーカットさんの家を見ても、環境的な要素、日照、雨や風、といったものの読み取りが、家というものをいわば「異形」の様相をもちうるんだということがわかります。
 
野沢:そうですね。例えば、自立循環型住宅は、要は住宅が全部自分で自己管理しなさいという住宅ですよね。家の機能を電力会社などの外力に頼っていると、電線をちょきんと切ったら、もうこの家は生きていない。地域によって自立循環型住宅が可能な場所と難しい場所はあると思います。
 
今はシミュレーション機能が発達して、自然の流れを以前より理解できるようになってきています。既に存在する雨などの自然のポテンシャルを上手に考えていくことが大切だと思います。昼の太陽エネルギーと夜の涼しさという正と負のポテンシャルを利用したり、雨水というポテンシャルを利用する、こうしたものを上手く使えば自立循環型住宅をつくることができる。もちろん変動によっては足りない部分があって、そこは外部の電力の力を借りたりしなければなりませんが、行けるところまで自立循環型で行った方が面白いし、快適なものになるんじゃないかと思うんです。
 
---- パブリックなものの中でそういうものをもう一回考えていかないといけませんね。

雨と風景とエネルギー

 
野沢:私の事務所のそばにある国分寺崖線の上部のエリアは、行政から雨水は地下浸透にしてくれと言われて、家の多くは雨水浸透桝を設置しています。崖線の下には昔からの湧水があります。その上を全部舗装して、直接都市下水に流してしまうと、湧水が消えてしまうからなのです。これも一つのポテンシャルですよね。結果、その下の田んぼも畑もあるという、昔ながらの風景が辛うじて保たれています。
 
昔ある先生が、スイスの近自然工法で、河川を三面張りにしてしまったのを、流量などをもう一度計算しながら、魚などの生態が維持できるような河川に戻す取り組みを教えていただいたことがありました。どこか懐かしい、自然との親和的な姿、人間がそこに関わる時のスタンスを考え直さなければならない時期に来ていると思います。基本的には川の水とかその辺の自然に存在する水っていうのは言うまでも無いことですが雨水です。
 
軽井沢に東利恵さん(1959-)が設計された<星のや軽井沢>(2005)という旅館があります。そこには川から引いた水を使った大きな池があって、その周りに複数のコテージが建っているのですが、星のやはその池がメインの風景になっています。実は、その大きな池の水を勢いよく導くパイプがあるんです。この水がタービンを回し電力を起こしている、実はこの池は産業の池なんです。タービンの羽根に石が当たると欠けてしまうのですが、そうなると大変なので、沈砂池を作って遅い水の流れの部分を作る、そこで砂を落としています。星野旅館が創業された当時すぐ近くに電力網がなかった。そこで、川から水を引いて自前の発電所をつくったということだそうです。池が風景だけをつくるのではなく、エネルギーもつくり、人間とテクノロジーと風景が穏やかな親和を作り出しているいい例だと思います。

(※東利恵:東 環境・建築研究所星のや 軽井沢

 
電力会社が統合された時、維持管理は大変でしょう、大きなシステムの方がいいですよと言われて、小さな発電所を電力会社に譲渡したり、やめてしまったりしたことが多いのです。今であれば公共河川の水を個人で新たに敷地内に引き込んだりすることは許可されないと思います。それを元々の権利として今までずっとやめていなかったので、こうした面白い仕組みになっているんです。つまり自分でやれることは自分でやるということに視点を置いた方がいいということですね。
 
自立循環型はやれるだけやった方がインフラの負荷は下がる。タニタさんであれば、雨水が川になるまでなど、広域に水のこと取り扱って、水利用をおもしろい運動にできるのはないでしょうか。考えることをできる限り大きなものにしてみるというのは面白いと思います。以前はエネルギー産業は大きな組織の下に統合されているのがよい状態といわれていました。私達もそうかな、と思っている部分もありながら、違和感はぼんやり感じながら生活していました。
 
ですが、原発事故があって、エネルギー問題も自分で考えようという時代に入り、自分で判断して自分でやるという気分になりつつある。何事も本当は自前で小さな技術を用意した方がいいんですね。公共建築やコミュニティなどの施設は、大きな規模で行った方が効率的な部分も確かにあると思います。施設の大小関係なく、自立循環型システムをサービスできるような知恵をみんなで考え始めるべきなのではないでしょうか。

雨を“美”ではなく“用”で使おう

 
---- 最後に、“雨のみち”にある“用”と“美”の“美”については、どんなことをお考えでしょうか。
 
野沢:“美”ですか。“システムの美”というものが重要ではないでしょうか。
 
雨もそうですが、水の風景というのは日本人にとっては苔があるとか、湿っぽいとか、昔から感覚の奥にあるものですよね。やはりそこから僕たちの発想や美意識は逃げられない。その点で雨に対する私たちの対応は、長くて普遍的で変わりようのないものなのです。雨樋も、樋を横にひいて縦に落とすっていう原型はあまり変わっていないですよね。
 
長い間付き合っている自然の仕組みの中で、雨に対する私たちの対応はすごく面白い。雨に対する私たちの対応が緩やかなものであると言えるのではないかと思います。それはとても美しいことと思います。対応が緩やかであるからこそ既に十分美しいのではないかと思うのです。ですから“用”の方でもっと用心深く使うべきじゃないかと思うんです。雨はぼくらが中間的に用いて後の水が生態の中にもどっていくわけですよね。
 
上手に使って循環させるということをもっと真剣に考えて、自然のメカニズムの中に、人間の人工的なメカニズムを上手にはめて、負荷の少ない仕組みを考えるっていうのはすごく面白いです。
 
---- その方が、日本人の質にも合っているようにも思います。
 
野沢:そうですね。それと、可視化しておくのが大切だと思うんです。都市の地下を通っている先ほどの下水がものすごくエネルギーを食っているという話は、目に全く見えないですね。
 
---- アトリエ系建築家たちたこれまでに建ててきた建物には、樋が内蔵型になっているものが多く見られます。こういったものも“いかがなものか”という時代になってきているのかもしれません。
 
野沢:けど、樋は結構いい加減でいいんだと思っています。この樋ではある量までは一応ちゃんとフォローしますけど、とんでもない量になった時は私知りませんよ、みたいな(一同笑)。それでいいです。
 
---- あけすけでいいんだ、と。
 
野沢:テクノロジーというのは実はその位の幅があるもので、本来絶対こうならなければいけないという形はもともと無理なんです。自然に対して人がやることはささやかでいいのではないかと思います。豪雨や台風に対する国土レベルの対策はまた別ですが。日常的な雨は優しいもので、春雨だったら濡れててもいいんですから。

 

(2012年4月10日|東京・経堂の事務所にて|インタビュアー:真壁智治、編集協力:安部ひろ子)