堀 啓二(ほり・けいじ)
 
1957年福岡県生まれ。1980年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1982年同大学大学院修士課程修了。1987年同大学建築科助手。1989年山本・堀アーキテクツ設立(共同主宰)。2004年共立女子大学家政学部生活美術学科建築専攻助教授。現在、共立女子大学家政学部建築・デザイン学科教授、山本・堀アーキテクツ共同主宰、一級建築士。大東文化大学板橋キャンパス(共同設計、日本建築学会作品選奨、東京建築賞東京都知事賞)、プラウドジェム神南(グッドデザイン賞)、二期倶楽部東館(栃木県建築マロニエ賞)、工学院大学八王子キャンパス15号館(日本建築学会作品選奨)、福岡大学A棟(共同設計、日本建築学会作品選奨)ほか

2013.11.15

 2013年6月11日、本ウェブマガジンで連載を持つ建築家の堀啓二さんと大嶋信道さんは、タニタハウジングウェアの秋田工場を訪れていた。“雨のみち”をキーワードに互いに連載を進める中、ぜひ一度タニタハウジングウェアの製品がつくられる現場を見てみたいと、念願が叶った二日間の見学だった。今回のクロスポイントは番外編として、堀さんによるレポートをお届けする。

 

 

工場というより工房のような仕事場

 
 6月11日タニタハウジングウェアの秋田工場を見せて頂いた。久しぶりのものづくりの現場の視察で、心がウキウキしていた。最近は、現場の規模のせいや、自分自身の忙しさにかまけてなかなかものづくりの原点に接しられない状況が続いた。設計をする立場としては、“もの”の本質に触れない状況で考え、空間をつくっているのはとてもまずいと感じていた。やはり建築を創る作業は現場が大事だ。“もの”をつくる工場も現場の延長と言える。現場で“もの”を確認しながら、現場の職人さん達と一緒に考えを出し合い、各々のスキルを十分に活かして創るのが理想である。そうやって作られた“もの”が、空間に命を吹き込み生き生きとした空間を創り出す。そんな今の自分自身の戒めも含め期待感を持って視察に向かった。視察して感激した。製品ラインはあるもののそこでの作業は個のスキルに裏打ちされた手づくりの連続だった。まさに工場というより工房というのが相応しいと感じた。
 

治具をつかって、複雑な3D形状の雨どいを手作りでつくっていく。


職人たちによってつくられ、受け継がれている数々の治具(じぐ)。


 ここで行われる製作は、金属(銅、ガルバリウム、ステンレス、アルミ)の板を加工し立体にして行く2次元のものを3次元にして行く作業だ。そのため、ハンダ付け、溶接などの職人技がその“もの”の仕上がりを決定する。様々な形に対応するため“もの”毎のベークライト製の治具が用意されていた。数限りない治具である。その治具もそこで働く人たちが独自に考案し製作したものだと聞いてびっくりするとともに、尊敬の念が生じた。
 

ステンレス製の雨どいの溶接風景。


チタン製丸パイプの溶接後。


 ステンレス雨樋では丸パイプの溶接を見せてもらった。とても難しい鈍角の付き合わせ部を、点溶接し仮固定したものをロクロのような回転する盤にセットし、回転しながら器用に美しく短時間で溶接した。まさにアートと言える手創りである。
 

銅雨どいのさまざまな化粧を施す道具が保存されている。


古い雨どいの現物も保管されている。過去から学び、今にいかす。


主に古い樋の再生や一品ものの部品製作が行われる部屋。まるで研究室のようにいろんな道具と資料があちこちに置かれている。


 私は銅の樋は今まで使ったことがない。今でもこれだけの銅の樋の需要があるのには驚かされた。銅の樋には様々な化粧が刻印されている。その一つ一つに型があり、保存されていることにも驚嘆した。この工場には古い寺社の銅の雨樋の再生も依頼されるそうだ。工場内には古い樋が持ち込まれ再生する工房があった。アーティストの工房のような空間で一つ一つ手づくりで再生されていた。これらすべてが財産で、技術が保たれ、継承され、向上して行くのだと感じた。まさに目から鱗で、工場自体が生き生きとしていて、期待以上の成果が得られた有意義な一日だった。
 

「手塩にかける」「いい塩梅」

 
 
 視察から帰って数日後朝日新聞の天声人語に次のような文章があった。視察で感じた手創り感は、まさに「手塩にかける」というこの精神がぴったりな感じだった。
 

「梅の実の熟す季節、近所の小さな梅林で収穫を手伝った。ついこのあいだ花を愛でたばかりなのに、時のめぐりは早い。いつしかどれも丸々と育ち、青葉に隠れて細かい雨にぬれている。
落ちているのをまず拾い、枝の実は手でもいだ。すぐにバケツいっぱいになる。分け前をもらって帰り、ざるに盛ると台所は甘酸っぱい。毎年ながらこの香り、雨の季節によく似合う。
梅干しを漬けたり、梅酒を作ったりすることを「梅仕事」と呼ぶ。手元の辞書にはないが味のある言葉だ。煮梅やジュースなど、多彩な手作りを楽しむ人が、この時期少なくない。
当方も、傷の入った実はジャムにして、傷なしを梅干しにつけた。瓶の中で、塩をふった梅から梅酢が上がるのを眺めれば、ご先祖様の知恵に頭が下がる。質素きわまる日の丸ながら、作ればなかなか奥は深い。
「うめぼしの歌」というのがあるそうだ。端折って紹介すると、「二月三月花盛り」に始まって「五月六月実がなれば 枝から振るい落とされて 何升何合量り売り 塩に漬かってからくなり シソに染まって赤くなり・・・・」。そうやって「生涯」をうたっていく。
梅雨が明ければ三日三晩の土用干しが待つ。一人前の梅干しになるまでに結構な手間とひまがかかる。そうして一粒一粒が、食欲を刺激し、食当たりを防ぐといった効用を宿すのである。「手塩にかける」という忘れがちな言葉を、年に一度の梅仕事に思い出す。日本の雨期の、しみじみ嬉しい生り物である。」
(天声人語2013年6月16日)

 
 梅にまつわる言葉で、もう一つこの工場にぴったりの言葉が浮かんだ。「いい塩梅」だ。広辞苑によると塩と梅酢で調理することで、一般に、調理の味加減を調えることとあり、程よさを表している。ものをつくる上でこの程よさはとても重要だと私は思う。
 建築はあらゆる“もの”のコラボレーションで出来上がっている。どうしても“もの”はそれ自体が収まりが悪くまた、施工上の問題で主張をしてしまう傾向がある。この工場で生み出される“もの”はそれ自体がシンプルで美しくいい意味で主張しないように見える。これは揺るぎないスキルを持つ技術者集団による手創りが生み出している。たったひとつの部品がアンバランスなだけで、空間や景観は死んでしまう。この程よい“もの”は使い手(建築家)も刺激し豊かな空間と景観を生み出す。

 
(ほり・けいじ)