建築時評コラム 
 連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


樫村芙実(かしむら・ふみ)

 
建築家。1983年神奈川県生まれ。2005年東京藝術大学建築科卒業、2007年同大学院修了。八島建築設計事務所、Boyd Cody Architects勤務を経て、2011年小林一行とともにTERRAIN architects設立。2019年より東京藝術大学講師、現在、准教授。
 
主な作品に、AU dormitory(アガ・カーン建築賞ファイナリストほか)、Yamasen Japanese Restaurant(Archi-Neering Design AWARD最優秀賞、グッドデザイン金賞他)、かしまだ保育園(神奈川建築コンクール優秀賞ほか)。
 
URL:
TERRAIN architects

FUMI KASHIMURA #1     2025.5.20

なぜアフリカで建築を?

 
 世界がその全貌を捉えられないまま急速に変貌を遂げる広大な大陸に建築家として足を踏み入れるとき、偏見を持たずにそこに立てるだろうか。 SDレビューにウガンダのプロジェクトを出展してから約 15年、「建築とは何か」「建築を建てるとはどういうことか」という大きな問いに向き合い、学びの舞台であり続けたのがウガンダだった。日本の本州ほどの大きさを持つその国を中央東側に持つアフリカは、地球上に存在する大陸のひとつであり、日本を含む他の国や地域と同様に、固有の気候や文化、歴史、政治と結びついた、建築の前提となる複雑なコンテクストを持つ場所である。けれど、「なぜアフリカで建築を?」と問われるとき、その問いは、現地での営みをあたかも善意や正義感に基づく自己犠牲として捉えようとしたり、あるいは偽善や傲慢さを批判するためのきっかけとして発せられていることがある。そしてそれは、頻繁におこる。
 
 もちろん、アフリカ大陸の中では慈善的な意識を前提として行われる建築行為が多々存在するし、その重要性や必要性を否定するものではない。それによって救われる命や生活があることも事実だ。しかし同時に、アフリカにも「建築とは何か」を探求する建築家がいて、建築をデザインすることを求める人々もいる。建築設計を委託・受託するという行為も確立されている。この当たり前と言えば当たり前の営みがこの大陸にもあることを理解している人々はどのくらいいるだろうか。
 

急成長する東アフリカの都市では、中国・インド・中東の企業による建設ラッシュ、地元の企業も成長している。(photo = Timothy Latim)


 西アフリカのブルキナファソで生まれ育った建築家 フランシス・ケレはこう語っている。
 

「私の初期のプロジェクトは、何もないところに教育の場を提供したため、しばしば“貧困を改善するためのサービス”と捉えられ、“デザインのためのデザイン”とは見なされませんでした。私はなぜそうなるのか理解できません。なぜ、資源を大切に使い、良いデザインを施すことが“贅沢”だとされるのでしょうか。それはエリートのためだけのもので、すべての基本的ニーズが満たされた後にのみ許されるものなのでしょうか?」 ― フランシス・ケレ(A+U20223月) ※和訳は著者(樫村)訳

 
 このバイアスが消えるまで、私たちは語り続け、問い続けなければならないのだろうか。デザインそのものについて語りたい気持ちを抑えて? 前提が長すぎて時間切れになりそうな時でも?
 
 今回、 4回にわたる連載の機会をいただいたので、私自身のもどかしい思いを少しずつ言葉にしてみたい。この 4回の間に、ウガンダでは大統領選挙が予定されている。結果は国の情勢に大きな影響を与えるだろう。政治が人々の生活に強く、直接的に影響する国に関わる者として、この変化の時代をどうか平和に乗り越えてほしい。日付のつくこの記事に、その願いも込めたい。
 
 ちょうどこの春、私たちの事務所のパートナーであるウガンダ人建築家が来日している。容易でなかったビザを取得しての3週間の滞在だ。「快適すぎて帰りたくなくなったらどうしよう」と冗談めかして語る彼にとって大きな出来事に違いない。そして私たちにとっても、この日本という環境が彼の目にどう映ったのか、今後の関係にどのような影響を与えるのかが気になっている。実のところ、「偏見なく・対等にあれるか」という問いは、私自身に向けられているのだ。
 

Timothy Latim初撮影。軽やかな屋根と煉瓦の対比をクールに捉えてくれたAUdormitoryの立面。(photo = Timothy Latim)


 彼の経歴を紹介しながら、ウガンダにおける教育や建築家について概観してみたい。彼が建築を学んだのは、ウガンダで最も古く、最高学府とされる マケレレ大学の工学部建築学科である。 2000年代当時の同学科は、実践的・技術的な教育が中心で、たとえば低所得者向け住宅の設計課題で必要なレンガ数を計算するような、きわめて現実的な内容だった。
 
 2010年代になると、同学科でも「人の姿勢を観察して家具を設計する」といった広い視野をもった課題が現れるようになる。これは、西洋で学んで帰国した若い講師たちによる新しい風がもたらしたものと思われる。都市化と人口増加により建築需要と学生数が増したことで、建築を学べる質の高い私立大新設も近年増えてきた。
 
 イギリス植民地だった歴史を持つウガンダでは英語が公用語で、他の英語圏諸国の大学への進学という選択肢も開かれている。彼も南アフリカの プレトリア大学に留学した経験を持つ。その後実務経験を経て、建築士試験に合格し、登録建築家となった。ちなみに毎年の合格者はとても少なく、試験には面接もある。
 
 私たちが彼と出会ったのは、建築家としてではなく、建築写真家としてだった。同国で活動する 30代の若手建築家たちは、建築への情熱や社会的使命感を共有し、国籍を越えてネットワークを築いていた。私たちが初めて設計監理した学生寮の竣工時、撮影者を探していた際に紹介されたのが彼だった。
 
 彼の写真を見て、私たちは息をのんだ。抑えた色調で水平と垂直を静かにとらえるその視点は、私たち自身が無意識に色や粗さ・歪みを強調してきたことを浮かび上がらせた。彼の目には、日常の風景があるがままに映っており、別段強調するまでもない。私たちの写真には日本人としての無意識の偏見が潜んでいたのかもしれないと思わされた。
 
 以来、ウガンダでのすべての建築を彼に撮影してもらっている。ときには彼の方から、建設中の様子を自主的に記録してくれることもある。互いに共感と関心を抱きながら関係を深める中で、 2020年、コロナ禍の渡航制限が緩和された時期、マスク姿で再会した際、彼は建築士免許を取得したことを知らせてくれた。そして「ローカルアーキテクトを探していないか」と尋ねられて迷わず「 Yes」と答えた。
 
 その時交わした握手こそ「偏見なく・対等に」の挑戦が、ようやく現実味を帯びた瞬間だったのかもしれない。
 
 次回は、ウガンダにおける建築士免許、そして「ローカルアーキテクト」という言葉が持つ意味について考えてみたい。
 

マケレレ大学ミッチェルホール内観。1960年代建設のモダニズム建築の記録にTimothyも貢献。(photo = Timothy Latim)

|ごあいさつ

 
2024年度 5期「驟雨異論」も無事予定通り配信することが出来ました。レビューする力を示した貝島桃代、難波和彦、山道拓人の各三氏には熱く御礼申し上げます。昨年は、ポストモダニズムを切り拓いてきた建築のイデオローグが相次いで亡くなりました。一つの時代の終焉を象徴的に示すものではありますが、時代は益々「困難な合体(Difficult Whole)」(R・ベンチュリー)の度を増し、建築の危機を色濃く映し出しています。この事態に立ち向かうにはむしろ硬直したイデオロギーにとらわれることのない自在な発想と、そこに生まれる共感こそが強く求められるのではないでしょうか。レビューの場を通して少しでも声を上げていきましょう。2025年度6期「驟雨異論」は樫村芙美藤村龍至藤原徹平の各三氏が一年間を順繰りにレビューを展開してゆきます。ご期待ください。
 

2025/04/10

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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