建築時評コラム 
 連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


樫村芙実(かしむら・ふみ)

 
建築家。1983年神奈川県生まれ。2005年東京藝術大学建築科卒業、2007年同大学院修了。八島建築設計事務所、Boyd Cody Architects勤務を経て、2011年小林一行とともにTERRAIN architects設立。2019年より東京藝術大学講師、現在、准教授。
 
主な作品に、AU dormitory(アガ・カーン建築賞ファイナリストほか)、Yamasen Japanese Restaurant(Archi-Neering Design AWARD最優秀賞、グッドデザイン金賞他)、かしまだ保育園(神奈川建築コンクール優秀賞ほか)。
 
URL:
TERRAIN architects

FUMI KASHIMURA #2     2025.8.22

ウガンダのピアノとケレ

 
 ウガンダへ向かう機内で、8歳の息子は機内食が苦手でほとんど手をつけない。人生の先輩(母親)として、「食事・休養・適度な娯楽」が大切だと助言したが、息子は無理に食べて気分を悪くし、そのまま苦しそうに眠ってしまった。私の助言は彼のためというより、何かしてあげたいという安心のための押し付けだったのかもしれない。寝顔を見て反省しながら息子との長いやり取りを思い返していると、ふとこの一件が、いわゆる先進国が途上国に向けてやっていることと似ているのかもと思えてくる。良かれと思って、実は価値観を押しつけていること。相手のための行為が、いつの間にか自分の満足にすり替わってしまうこと。
 
 今回ウガンダに向かう途中、スイスを経由した。そこはすべてが時間通りで清潔で、整っている。まるで「コントロールされていないこと」さえコントロールされているように感じたのは、ウガンダが入国の瞬間から思うように物事が進まず混乱していたからだろう。優劣は歴然。けれどスイスでは整然とした社会の中で自分もまた整然としていなければならないという圧力を感じることもある。一方ウガンダでは「事故に遭わない」「怪我をしない」「騙されない」といった注意は必要だが、そのぶん命や身体への実感や喜びを感じる機会は身近にある。私はウガンダに来るたび、空港から猛スピードで市内に向かう車内で命の危険を感じつつ、風に乗る緑と土の匂いを嗅ぎ、ああ、今生きてるな、とヨロコビを感じるクチである。
 
 ウガンダの首都カンパラは、ビクトリア湖からの風も吹き、気温は一年を通して25℃前後、酷暑の日本に比べれば圧倒的に過ごしやすい。この快適さを「この土地特有」として片付けてしまうのは簡単だが、ここの建築の姿をそれだけで理解すると、「被植民地」「発展途上」「南」といった分類を、無意識のうちに、しかも悪意なく肯定してしまう危うさがある。行ったこともない場所の情報を簡単に手に入れられる現代において、我々は対象を理解しようとする中で分類し、区別し、時に差別する。それは自分の立ち位置を明確にする一方で、相手をよく見て理解しようとする姿勢を妨げる。親と子、与える者と与えられる者の関係に、どこか似ている。
 
 こうした視点を建築を通して考えるために、ウガンダで近年完成した、 レンゾ・ピアノフランシス・ケレによる2つのプロジェクトを例にあげてみる。
 
 2020年に完成した「RPBW(レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ)」による「 Childrens Surgical Hospital(小児専門病院)
は、ビクトリア湖を望む斜面に建つ。現地の土を再利用した版築の壁が特徴で、RPBWはプロボノで参画した。イタリアから職人や建材も持ち込まれたが、設計意図はイタリアから届けられ、現地の事務所が版築壁の実験を重ねて具現化した。現地環境では難易度が高かっただろう。完成した病院はウガンダの一般的な建築とは異なる精度を持ち、維持管理にも輸入資材が必要になると想像できる。それでも国際的な建築家の実作が存在する意義は大きく、欧米主導のひとつの答えとして受け止めることができる。
 

ケレのセンター。フィールド越しに左手事務所棟、右手トイレ棟。ケレらしい水タンクタワーも見える。(photo = Ikko Kobayashi)


 一方、2022年に完成したフランシス・ケレによる「 Kamwokya Community Centre(カモチャ・コミュニティセンター)」は、カンパラのスラム街に建つ。スポーツや音楽、地域イベントなど敷地で行われていた活動を支えるために設計され「公共性と自由さを維持・向上」が主眼とされた。周囲の雑多な環境の中に突如現れる高い精度の建築には違和感もあるが、地域で使われている様子を見ていると、太いスチールフレームやコンクリートで固められた強固な床が、乱暴な使われ方にも長く耐えうる安心感につながっているようにも見える。ここでは見た目のローカリティよりも、強固で整った建築こそが、日常的な脅威から場所を守る決断だったのだろう。
 

旅行者は一人で歩いてはいけないと言われるエリアにセンターは突然現れる。車で進むのも一苦労。
(photo = Ikko Kobayashi)


 ピアノもケレもウガンダ出身ではない。けれど彼らの建築にはそれぞれのスタイルが強く現れており、学ぶ点は多い。とはいえ完成後には建築家の存在感は薄れ、掲げられた「ローカリティ」は周囲に馴染まず、むしろ少しずつ浮いてきているように見える。それは建築の完成度と周囲の変化の仕方の根本的な違いなのかもしれない。
 
 私たちもまたウガンダの出身ではない。スーパースター建築家の背中を見ながら、小さなグループでローカルに入り込み建築を設計する私たちにとって、どんなアプローチが可能なのだろうと考える。非効率や不具合に向き合い、突っ込みを入れながら関心と好奇心を持ち、時に現地の人々と意見をぶつけ合いながら悩むこと。先進国の後追いでもなく、原始に戻るわけでもなく、その間にあるバランスを探りながら、次世代が建築そのものから意図を読み解けるような建築を共につくり出すこと。この長く面倒で根気のいるプロセスを着実に積み重ねることこそが、その場所に建築を存在させる唯一の方法ではないかと思う。支配でも放任でもなく「意識を共にする」こと。その姿勢が、私たちにとって最も誠実でやりがいのある関わり方なのかもしれない。
 
 あなたなら、この場所にどんな建築を残そうとするだろうか。次回は、芸大の学生と共に行った10日間のワークショップについて書きたいと思う。

|ごあいさつ

 
2024年度 5期「驟雨異論」も無事予定通り配信することが出来ました。レビューする力を示した貝島桃代、難波和彦、山道拓人の各三氏には熱く御礼申し上げます。昨年は、ポストモダニズムを切り拓いてきた建築のイデオローグが相次いで亡くなりました。一つの時代の終焉を象徴的に示すものではありますが、時代は益々「困難な全体(Difficult Whole)」(R・ベンチュリー)の度を増し、建築の危機を色濃く映し出しています。この事態に立ち向かうにはむしろ硬直したイデオロギーにとらわれることのない自在な発想と、そこに生まれる共感こそが強く求められるのではないでしょうか。レビューの場を通して少しでも声を上げていきましょう。2025年度6期「驟雨異論」は樫村芙実藤村龍至藤原徹平の各三氏が一年間を順繰りにレビューを展開してゆきます。ご期待ください。
 

2025/04/10

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

|Archives

 

驟雨異論|アーカイブはコチラ