建築時評コラム 
 新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


 
黒石いずみ
(くろいし・いずみ)

 
青山学院大学客員教授。大谷幸夫研究室に勤務後ペンシルバニア大学でPh.D.取得。日本大学、青山学院等で建築理論と歴史、設計、デザイン史を教える。香港大学、ロンドン大学、デルフト工科大学、CCA等で客員研究員・教授。著書翻訳に『建築外の思考:今和次郎論』『東北の震災復興と今和次郎』『Constructing the Colonized Land』『アダムの家』『時間の中の建築』、共著に『時間の中のまちづくり』『住まい方事典』『Adaptive Strategy of Water Heritage』『Confabulation of Architecture』。近刊予定に『Design and Modernity in Asia』『The Routledge Companion to Architectural Drawings and Models』『COVID-19の現状と展望:生活学からの提言』

IZUMI KUROISHI #3     2022.11.18

立ち止まらない都市開発で失われるもの

 

西新宿ロータリー越しに小田急百貨店新宿店本館を見る。(photo=Kakidai)


 もうすぐ渋谷駅に続いて新宿駅の 坂倉準三建築が姿を消そうとしているが、それは日本の近代建築史上の転機であり、我々の都市の経験に対する考え方の変化を示す。 1982年から東京都は都心一点集中の都市構造を是正するために、副都心開発を加速し、業務機能の分散と職住のバランスの取れた多心型都市構造を目指した。そして 2002年の 都市再生特別措置法2005年の 特定都市再生緊急整備地域などにより、容積率などの土地利用規制の緩和に加えて事業者が都市計画を提案可能にすることで、更に再開発が加速している。
 
 しかしこの高度開発は、感染などによる社会情勢の変化への対応力は弱かった。オリンピック景気を期待した渋谷の開発も、コロナの影響で高層ビルの足元に展開する高級ブランドショップや、大幅に床面積が緩和されたオフィス部分の売上は、従前の予想に届かないとされる。そもそも駅周辺の商業活動の税収が納付されるのは渋谷区ではなく、その主たる財政効果は付近の住民税に依存するにもかかわらず、駅周辺の住宅地区では住民人口が減少している。そして今後同質の副都心開発が進めば進むほど、駅前景観の魅力は薄れて、維持管理の負担が増加することが危惧される。現に、海外からの訪問客は、もはやあの交差点や高層ビル群に以前ほど関心を示さない。 小松左京SF小説にメタボリスト達が触発されたように、都市の未来像を宇宙にまで展開するネットワーク技術のイメージに重ねて、これまで開発が進んだ。しかしそのネットワークのダイアグラムや、ヴァーチャル空間や高層ビルの表面に投影する動画で渋谷駅周辺を覆い尽くしても、現実の都市空間としては局所的で一時的なものであることに誰もが気づいている。それはまるで 20年代の大恐慌で スコット・フィッツジェラルドが、 「マイ・ロスト・シティー」の中で語ったマンハッタンの印象に似ている。
 
「ニューヨークは何処までも果てしなく続くビルの谷間ではなかった。そこには限りがあった。・・・果てることなくどこまでも続いているのは街ではなく、青や緑の大地なのだ。ニューヨークは結局のところただの街でしかなかった、宇宙なんかじゃない」
 
 この都市のイメージの限界への感覚的覚醒を見誤ると、山手線沿線にかつてのアメリカ都市のドーナッツ現象が再現されることは容易に予測できる。
 
 改めて歩行者の視点から駅の魅力を考えると、興味深い事に気づく。見知らぬ駅で最初に出会うのは、トイレや食べ物、機械オイルの不思議な匂い、さまざまな騒音、すれ違う人々や佇んでいる人々の眼差し、通路の曲がり角で不意に出会う空間や、出口の先の珍しい街並みへの驚きのように、理性よりも身体的・感覚的な経験だろう。そして、ニューヨークのペンステーション、ロンドンのビクトリアステーション、そしてパリの北駅では、駅の周辺で集中的な高層ビル開発は行われておらず、比較的都市の経済活動の中心部から離れた場所に、いわゆる玄関を象徴する荘厳さを持って建っている。それに対して日本では、江戸時代までの城郭などを中心とした歴史的な地域ごとの構造の上に、国を統合化する鉄道などによるインフラ構造が上書きされ、駅がネットワークの接合点になっている。 [※1]
 
 前者は新たな出会いや出発の前に立ち止まる場所に、後者は流れが集中する場所となり、その空間体験は微妙に異なるが、新宿駅にはかつてその二つの面が共存していた。 1885年に山手線の開業と同時に設けられ、 1931年には中央線や、京王線や小田急線が乗り入れる日本一の利用者数だった。現在は 353万人を超える世界一の利用者数の、まさに東京の人口流動の重要拠点である。そして新宿駅は未来の東京への出発点を明確に空間化していた。新宿副都心計画に基づき、西口側の浄水場や工場などに向けて 1967年に坂倉準三は小田急ビルのモダンな壁面と、地下に掘り込むダイナミックなロータリーから強い軸線を引いた。そしてその軸線沿いに続々と高層ビルや都庁ビルが建設されて、西の郊外に開かれた新しい都心空間が作り上げられた。
 
 そしてそれは、駅の反対側の東口側に戦前から広がる、歴史的で大衆的な文化圏との対比があってこそ輝いた。 1929年に 今和次郎が考現学の 「しらべもの展」を行ったのは、 田辺茂一が東京の新しい文化拠点として歌舞伎町の近くに 紀伊國屋図書館を立ち上げた、こけら落とし企画だった。東西をつなぐ線路下の通路には 80年代頃まで傷痍軍人が佇んでいて、その傍らを人々が通り過ぎていた。 1970年代には西口の地下広場で反戦運動集会が開かれ、 90年代には路上生活者のシェルター村が出来た。このような多様な街の歴史と活動を繋いだ駅の雑踏は、人々に都市の生活の明るい未来と同時にその運命的な暗さと冷たさを感じさせ、人混みに押されながら小さな澱みや階段を通り過ぎる中で、自分の今置かれた場所を振り返る瞬間があった。
 
 その迷路性に触発されて、 1970年代にはアメリカの日本研究者である H.スミスを中心に、詳細な新宿駅スタディが行われ、それは 1973年には 真壁智治によるフロッタージュや 多木浩二の批判的都市論と併せて、ニューヨークの MOMAで展示された。そこには行政や企業に管理される都市の近代化に対する、歩行者や市民からの異議申し立てがあった。 50年を経て、現在改めて新宿駅を中心とした変容が H.スミスを含む海外の研究者により見直されようとしているが、それは副都心開発の高層ビル化に対してではないだろう。むしろ表と裏を無くし効率化のために空間の均質化を求めて、どこにもありどこでもない場所へと変化する都市空間と、それに従順に順応する日本の人々への関心からだろう。
 
 では東西を真っ直ぐに貫く中央通路を行き交う人々は、このような変化を手放しで喜んでいるのだろうか? 現在は 70年代のように空間への権利を問う主体はなく、その根拠も相手も曖昧になっている。だが何十年もかかる都市の開発計画の未来予測や政策の論理を状況に合わせて検証することもなく継続し、日進月歩する情報社会の空間像のタイムラグになんとなく押し流されて、立ち止まる時間を失うことで見失うものはないのか、問い直す必要があるのではないだろうか。
 

駅ロータリーの分岐点に今も残る路上生活者のシェルターたち(写真提供=著者)

※1: そのためメタボリズムから21世紀の開発に至るまで、アーバンコアによる駅空間のネットワーク化のイメージが継承された。 

|ごあいさつ

 
 2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明中島直人寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代難波和彦山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
 

2024/04/18

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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