
建築キュレーター、編集者。ハーバード大学デザイン大学院研究員。2018-21年、カナダ建築センター(CCA)特任キュレーター。2014年ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館コミッショナー。2012年までオランダの設計事務所OMAのシンクタンクAMO勤務。共著書に『SHIBUYA!』(CCCメディアハウス、2019)、共訳書に『S,M,L,XL+』(筑摩書房、2015)など。2004-07年、雑誌「Domus」副編集長・編集委員。
KAYOKO OTA #3 2021.10.20
建築資料の解放とシェア

ハーバード大学デザイン大学院フランセス・ローブ図書館サイトで見られる丹下健三「ボストン湾計画」(1960)の模型写真。何枚もの写真で、模型の詳細をさまざまなアングルから吟味できるようになっている。MITで構想したこのプロジェクトが「東京計画1960」の下地となった。
Tange, Kenzō (1913-2005). The Kenzo Tange Archive, Gift of Takako Tange, 2011. Boston Bay Overall Model, Detail Photographs. D002-002. Frances Loeb Library, Harvard University Graduate School of Design.
この街に住んでお気に入りとなった場所の一つが、 NAi の図書 館だった。何をするにもユーザーファーストな感じで、知る楽しみを喜んで提供しようという気前の良さは、日本から来た私にとって最初信じられない思いがしたものだ。
NAiには古今のオランダの建築家やアーティストのアーカイブが保存されている。 CIAM(※2)の事務局長だった建築家 ヤープ・バケマの アーカイブもあって、丹下や 槇文彦からの手紙も入っているという書簡集を請求したところ、なんと本物がどっさり入った箱 と白い手袋が、 図書館で待っていた私の目の前にドーンと置かれた。中には歴史上の人物たちがCIAM事務局長に宛てたナマ手紙が、何十枚も重なっていた。
当時、遠い国どうしの人々にとっては手紙が唯一のコミュニケーション手段だっただけに、内容は濃淡さまざま。 事務連絡 もあれば建築論 も あり だが、 なんといっても 内部分裂からチームテン結成にいたる 舞台裏のやりとりが凄い。シリアスで権威的な建築史の重鎮 ジークフリート・ギーデオン、辛辣だけど どこかチャーミングな アリソン・スミッソン、国際的建築家としての使命感に燃える几帳面な丹下。書簡箱には近代建築ドラマの一幕が詰まっていた。

CIAMを造反しチームテンを結成したバケマに、造反された側のル・コルビュジエは「どの世代にもバトンを受けとる時がくる」と、出版社を通じてはなむけの言葉を送った。(1961年)
Collection Het Nieuwe Instituut (BAKE, g83-1), Image courtesy of the Institute
アーカイブの意味すらよく分かっていなかった私にとって、手紙を交わした本人たちの追体験ができるのは望外の収穫だった。想像や共感や感情が立体的にたちのぼってくる感覚は、建築史の本からは得られないものだ。
NAiでは手続きすれば 図面も模型も実物を見せてくれる し、ウェブ上で も 一部資料のスキャンと完全な目録を公開している。閲覧室の奥の方でオジサンが大判の図面を吊るし、三脚を立てて一人でブツ撮りしていることもあった。オランダの市民社会が作り上げた情報公開システムの一環、と言ってしまえばそれまでだが、文化の一端をなす知的財産を市民(そして外国人の私も)の誰もが等しく分かち合うのが当たり前、という世界の空気はすがすがしく気持ちの良いものだ。
黒船来航?
ポンピドゥーセンターが日本建築の大回顧展を企画しているという話を聞いたのも、その頃だった。OMAでは、中近東やアジアの都市開発競争の激化を背景に、国際的にメジャーな美術館のあいだで始まった覇権争いの状況を調査してもいたので、日本建築展の話もこの文脈で受け取めないわけにはいかなかった。
アート市場の世界的な隆盛によって、グッゲンハイムやポンピドゥーのような超有名美術館はアップグレードをねらう欧米内外の都市に誘致され、分館を作り始めた。当然、それらの中身となる作品やコレクションの争奪戦が起こり、アートの価値はさらに押し上げられる。お陰で、というべきかどうか、建築資料もいつの間にか美術館コレクションのスタンダード・カテゴリーになっていた。リーマンショックが起こる前のことだ。かくしてスター建築家が美術館分館の設計者となり、脚光を浴びる背後で、建築資料、とりわけ有名建築家のアーカイブ獲得競争も始まったのである。ただし、美術館は個々のドローイングや模型を一本釣りするので、建築家の資料は体系的にアーカイブ化(保存)すべきという観点からみれば、散逸になるわけなのだが。
かの大回顧展(※3)に展示された資料の一部はそのままポンピドーセンターに寄贈されたと聞く。丹下の資料はハーバード大学デザイン大学院の所蔵となることが決まった。これらのことが原因かどうかは知らないが、日本の建築資料の国外流出が問題視されるようになり、国内での建築保存への意識は高まったように思う。2013年に国立近現代資料館ができた。ポンピドゥーセンターやハーバード大学院が「黒船」となって、日本の建築資料の保存を一気に加速させた、ということだろうか?
所有よりもシェアを
欧米よりもスタートが遅かった日本の建築資料 保存は、国の施設も美術館も大学も、まだ始まったばかり といった様相だ。それは仕方のないことだとしても、それぞれのウェブサイトを覗いて気になることがある。そもそも建築資料をなぜ 保存するのか、誰のための 保存なのかを、一度立ち止まって考えるべきなのではないかと思わされるのだ。
丹下アーカイブを所蔵するハーバード大学デザイン大学院のローブ図書館は、主要作品の資料を潤沢にウェブ公開している。わざわざこの図書館に行かなくても、サイトに載せられた数多くの図面や模型を 十分な解像度でじっくり見ることができるのである。資料目録も完全公開されている。丹下健三アーカイブの担当キュレーターに 保存の目的 を聞くと、研究 や教育に役立ててもらうこと に尽きるときっぱり言っていて、私は心底感心した。
たしかに日本の 重要な建築資料の一部は海外の美術館や大学に出ていった。ところが幸いなことに、それらの美術館や大学は高い費用をかけて資料をデジタル化し、 世界に向けて積極的に公開している。むしろ日本のしかるべきアーカイブ 施設に所蔵された建築資料は ほぼウェブ公開されておらず、そこまで行ける限られた人が限られた時間、限られた場所でしか見ることができない。それは文字通りのお蔵入りに近く、こちらの方が問題ではないか。
所有と管理に努力が 向けられ すぎているように思 えてならない。しかも、 スペースの問題があるにせよ、 保存する資料の種類が 平面 のものに限定されがちなことにも違和感 がある。建築を つくる過程では図面やスケッチに限らず、 各段階 の 模型 から手紙 の類まで種々雑多な モノが派生し、それ ぞれ に意味があるのだ。
建築資料の 保存 は時間との戦い だ 。 すぐれた建築家やエンジニアをたくさん 輩出してきた 日本は 、 アーカイブ化 す べき モノ が累積するばかり である 。 保存の スピードや キャパシティが圧倒的に足りない以上、建築資料 が各地の美術館、資料館、図書館、大学など、さまざまな 場所 に 分散 し ている今の 状態は もはや変えよう がない。
でも、この物理的難題は、 資料の 「 活用 」 に 究極の目的 を移 せ ば、 かなり乗り越えられるのではない だろう か 。 つまり、 資料 を所蔵する施設が それぞれ ネット上 の 公開 に努力する こと で、 分散 の問題より も 実際的な成果が勝 っていく 。 資料の露出とシェアが、 新しい 研究を触発 したり 、 学生たち の 建築 を読み込む力を 育 んだり と 、はるかに多様な 成果をもたらすと思うのだ 。
資料は使わなければ意味がない。 それを徹底して実践しているのが カナダ建築博物館(CCA) である 。ここは 世界有数の建築資料を所蔵しているが、 資料のネット公開を 積極的に進める だけでなく 、 研究者や若いキュレーターたちに向けて、 CCA の資料を使っ た新 しい研究 や展示 企画の提案を つねに 誘発し ている。
資料の海外流出というナショナリズム的危機感ではなく、むしろ、 日本の建築 資料が研究や教育のためにシェア されていないことへの危機感 が 必要だと思う。 たとえ画面を通してでも、 歴史資料 を自分の目で見て何かを感じ取 り、理解する ことの 意義は大きい。建築資料の accessibility と visibility、つまり資料をもっと身近な存在にすることと、見える化すること、これが本当の急務だと考えるのである。

カナダ建築センター(CCA)セドリック・プライス・コレクションより。「ポタリーズ・シンクベルト計画」スケッチ(1966)。鉄道バスの停留所から動く歩道への乗り換えエリア。
Cedric Price fonds, Canadian Centre for Architecture
※1:オランダ建築博物館の略称で、その後 Het Nieuwe Instituutに組織改変。2018年には「建築をより身近に」計画に国家予算14億円を付け、建築資料の保存修復とデジタル化を加速している。
※2:近代建築国際会議。1928年から1959年まで行われ、近代建築の世界的な波及を後押しした。
※3:企画の時点からかなり後の2017年にポンピドーセンター・メッス分館で開催された。
新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?
|ごあいさつ
2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明、中島直人、寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代、難波和彦、山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
2024/04/18
真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
|Archives