連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評
その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?
建築家。1986年東京都⽣まれ。2009年東京⼯業⼤学⼯学部建築学科卒業。2011年同⼤学⼤学院 理⼯学研究科建築学専攻 修⼠課程修了。2011-2018年同⼤学博⼠課程単位取得満期退学。2012年ELEMENTAL(南⽶チリ)。2012-2013年Tsukuruba Inc. チーフアーキテクト。2013年ツバメアーキテクツ設⽴。2021年-江戸東京研究センター プロジェクトリーダー。2023年-法政大学 准教授。
主なプロジェクトに「下北線路街 BONUS TRACK」「虫村」「ICI STUDIO W-ANNEX」「奈良井宿 古民家群活用プロジェクト」「上原屋」「森の端オフィス」ほか。主な受賞に「第34回JIA新人賞」「「SDレビュー2022朝倉賞」「Under 35 Architects exhibition 2020 Toyo Ito Prize」「グッドデザイン賞ベスト100(2021)」「第48回東京建築賞 一般一類部門最優秀賞及び新人賞」ほか。
URL:ツバメアーキテクツ
TAKUTO SANDO #2 2024.9.20
「通り抜け」についてのメモ
地域に貢献するような建築を作ろうと思うと、規模に寄らず、通り抜けを入れ込むことは一つの方法となる。日本の共有空間(コモンスペース)の特徴は「道」であると思うから、多くの人にとって馴染みがあると言える。商店街だったり、あるいは神田の古書店や下北の古着屋といった集中する専門店街や問屋街などは、道にとにかくモノや活動が溢れ出している。そういった空間はまだ都心でもたくさん残っている。
道や、通り抜けというのは、所有、法律、境界、印象などさまざまなカテゴリーを束ねて現れる。一回目のテキストで、建築への総合的な関わり方について触れたが、設計や研究対象としては、最も総合性が発揮される要素である。
ツバメアーキテクツのラボ部門でここ数年関わっている 「界隈性研究」という UR都市機構(以下 UR)との共同プロジェクトがある。通り抜けの代表格ともいうべき飲み屋街と呼ばれるエリアを対象とした研究である。闇市が起源だったり、長年の増改築が行われていたりすることで、実に魅力的な通り抜けが出来上がっている。安全・安心という防災性や便利・快適といった経済合理性の観点でペケが付き、解体を迫られたり、再開発のターゲットとなることがある。いくつかの代表的な飲み屋街を対象に、価値の再定義や、「残す /壊す」を超えた可能性の検証を行ったラボ業務であった。
自然発生的に出来上がる独特な雰囲気を持つ飲み屋街を、空間、権利、オペレーションなど様々な観点で分析し、その成り立ちをリバースエンジニアリングするような作業であった。アウトプットの一つに、店や路地など所有のラインを超えた空間の使われ方を描き起こしたまちの断面図がある。無数の断面図を眺めていると、路地の幅がある寸法を超えると、両サイドの店が設えを出しても人が通れる、それ以下になると片側の店が出すと向かいの店が何も出せなくなるので結果両側が遠慮する、看板や提灯しか出せない幅ではスナックや barなどややクローズドな店が増える、もしくは両側を飛地のように組み合わせて同じ店がオープンに使うこともある・・・といった設えと振る舞いの関係からパタンのようなものを見出すことができた。こういったリバースエンジニアリング的な分析と、防災訓練や耐震・断熱補強の指針と組み合わせて地域運営のローカルルールとして整備し直すのはどうだろうか?「残す/壊す」という二者択一ではない、現状と地続きの未来を描くことは可能だろうと議論している。
fig.アーケードがかかる飲み屋街の断面図 ©︎Tsubamearchitects
fig.ビルインの飲み屋街の断面図 ©︎Tsubamearchitects
通り抜けを設計に生かそうとする場合、自動的にプログラムが混ざる、とか、人的コミュニティが生まれるかというと決してそうではない。ポイントは、異なる集団同士が交流が強制されるわけでもなく、ただ同じ空間に共存できる状態を自然な形でいかに作れるか、に尽きる。
例えば、駅前団地の一階に作った まちづくりラボ・プロジェクト『ミントポ』がある。 (これも URとのプロジェクトである。 )ツバメアーキテクツと場の企画・運営を⼿掛ける トレックと協働し、設計から運営まで関わっている。二つの区画があり、片方は喫茶店、もう片方は土間のようなラボスペースとしている。図を見てもらえるとわかりやすいが、両区画とも、通り抜けできるような構成としている。左側の区画は喫茶店で、細い通り抜けを設定していて、その左右に、テイクアウトの窓辺カウンター、フルハイト窓を振り分けている。右側は、間口いっぱい開口とした通り抜けギャラリーとなっており、まちづくりの情報を展示している。この左右を使い倒すように、概ね、隔月で、市民がふらっと立ち寄れる音楽会のような催しと、専門的な勉強会を、交互に展開している。喫茶店に立ち寄ったり、散歩ついでに通り抜けたりする中で、まちづくりの活動にいつの間にか参加するようなことを狙っている。
fig.ミントポのアクソメ ©︎Tsubamearchitects
Fig.通り抜けに屋台が出る。©︎石渡朋
Fig.日常モード ©︎石渡朋
Fig.イベントモード ©︎石渡朋
他にも、特別養護老人ホームに通り抜け空間を作ったこともある。近所の高校生がこの敷地を、通学のショートカットに使っていることに目をつけて、その道沿いにバスケットコート、縁側、保育園、自動販売機、屋外コンセント(スマホやゲームを充電して良い)、ベンチ、トイレなどを、並べ、地域開放している。福祉施設における近年の虐待や事件の多くは施設の内側で起こされている。それらは閉じた施設計画によって、日々の虐待などが外から見えなくなってしまったり、あるいは職員にとっての休憩する場所や風通しの良い場所が少ないことなど、建築がその原因を作り出していると感じる。通り抜けの方法を福祉施設に応用すると、例えば老人ホームであれば、高齢者と職員と近所の学生や近隣住民など少なくとも四世代くらいの人々が施設を行き交う環境が作れると思う。これは入居者にとっても、職員(専門家)だけに囲まれて生活するよりも窓先に他者が行き交うような気配が感じられることが自然なあり方だと思う。
Fig.特養の通り抜けにさまざまなエレメントが並ぶ ©︎Tsubamearchitects
Fig.特養と保育園の境界線でケアするされるが反転する©︎Kenta Hasegawa
Fig.施設と人々の関係を緩やかにする©︎FUKUSHI-GAKUDAN
Fig.声やボールの音が響く©︎FUKUSHI-GAKUDAN
いくつかの通り抜けの事例について述べたが、これまでの日本の設計者にとっての設計可能なコモンスペースの一つに公開空地や、ビルの足元空間、がある。西洋的な広場空間をモチーフに作られてきたと思うが、イベントなどの特別な機会をのぞいて日常的に活気あるかたちで使われていること事例は多くはない。そういった広場状の空地の空間利用にプロジェクトとして立ち会うことがよくあるが、手続きのステップも障壁になるので、やはり日常的に使い倒すような雰囲気にはなりづらい。手続論というよりは、広さがゆえ、比較的大きなきちんとしたイベントとして企画しないと寒々しい雰囲気になるからだろうとも思う。大雑把な言い方をすれば、広場(公開空地など)と道(通り抜け)の面積が仮に同じだとしても後者の方が小さな単位に分割できるので運用しやすいように思える。バラバラな活動が直接状に並ぶことができる。日常モードの集団、イベントモードの集団、たまたま立ち寄った集団、が、それぞれ少人数でもいいから、並ぶだけで楽しい密度が作りやすい。地域計画やビルなど街にインパクトを与えかねないプロジェクトを実行する場合、建物沿いに活動が許容されるような通り抜けをつくることなどを積極的にルール・設計与条件に盛り込んではどうだろうか。
|ごあいさつ
2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明、中島直人、寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代、難波和彦、山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
2024/04/18
真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
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