Special interview
内藤 廣 / 内藤廣建築設計事務所、多摩美術大学学長
堀 啓二 / 山本堀アーキテクツ、共立女子大学・共立女子短期大学学長
受けて、流して、納める
──建築家と雨のあいだにあるもの
雨をどう迎え、どう流し、どう還すか──それは建築の根本的な問いである。防水や排水といった技術的処理にとどまらず、気候や風土との折り合い、美しさや思想までもがにじむ「雨のみちデザイン」は、建築における〈エスプリ〉を問う営みでもある。
9年にわたり連載「雨のみち11章」(LINK)を記述してきた堀さんは、連載の完了記念として収録した本鼎談の収録から間もなく永眠された。このインタビューは、本ウェブマガジンにおける堀さんの最後の記録となる。長年にわたる観察と思索の蓄積、そして内藤廣さんとの豊かな対話を通して、雨と建築の関係性が見えてくる。「受けて、流して、納める」──繰り返されるそのプロセスに、建築の文化と未来が宿っている。堀さんの多大な貢献に、あらためて敬意と感謝を捧げたい。
Webマガジン「雨のみちデザイン」 企画・監修 真壁智治
雨仕舞いをもう一度、建築家の手に
― 今日はありがとうございます。2015年に「雨のみち11章」の連載がはじまり、堀さんには9年かけてこの研究に取り組んでいただきました。雨じまいを体系的に捉えるために、パターン・ランゲージという繰り返される雨仕舞いの中間言語が有効だろうと考えたのがきっかけです。
この仕事を通じて僕が感じたのは、「雨のみちデザインは建築のエスプリだ」ということ。雨じまいは単なる機能処理に見えて、実は建築家の思想や美意識がにじみ出る領域です。だからこそ今日は、その本質を内藤さんとも一緒に掘り下げられたらと思っています。まずは堀さん、この取り組みをどう受け止めておられますか?
堀:この企画をいただいたのはもう9年前になります。20年近く設計をしてきましたが、「雨をどう扱うか」はいつも最後に回されがちなテーマでした。プランや空間構成を考えていくなかで、雨の流れまで意識が及ばない。でも街を歩くと、住宅でも処理がひどい例が目立つんです。昔は雨水を外に自然と落とすのが当たり前だったけど、その感覚が今は薄れています。そこで、過去の建築を調べて、11のパターンに言語化し、実例を探しました。そうすると、合理的で美しい雨のディテールが見えてきた。今回の取り組みは、自分にとっても大きな財産になりました。
― 今回のプロジェクトは、具体的なディテールの検討にとどまらず、モダニズム建築や古典的建築の再評価にもつながったと思います。特に、モダン建築における雨の処理をどう見直すかという視点で、大きな示唆があったのではないでしょうか。
堀:確かにそうですね。雨の処理は建築の中でもあまり表に出てこない部分です。たとえば ル・コルビュジエの建築では、排水がどうなっているかは外からは見えないけれど、実際はしっかりと処理されています。私が見てきたインドの建築でも、縦といが外に出ていないことが多い。でも、雨はきれいに流れていて、それがそのままデザインとして成立している。そういう建築は、やはり良い建築だと改めて強く感じました。
― 内藤さんは、今回の成果についてどのようにご覧になっていますか?
内藤:いや、面白かったですよ。むしろ「雨」というテーマに対して、建築家はもっと真剣に向き合わないといけない ── そんなふうに突きつけられた感覚がありました。竹を使った雨じまいの例なんか、まさかこんな使い方があるとは思わなかった。とても興味深かったです。
モダニズム以降、防水技術が進化したことで、建築家が雨に無頓着になっていった面は否めません。その背景には、 1960年前後から始まる戦後の化学革命があって、建築の考え方自体が大きく変わっていった。そうなると、たとえば豪雪地帯でも「まあ大丈夫だろう」と雨の問題を軽視するようになる。結果的に、雨仕舞いの設計は建築家の手を離れ、設備や業者任せになり、建築における線や形の文化が見えづらくなってしまいました。
かつては予算も限られていたからこそ、みんなが一生懸命に「どうやって雨を防ぐか」に知恵を絞っていたんですよね。雨仕舞いは建築の本質的なテーマのひとつだったわけです。でも今は、それがあまり考えられなくなってしまって。だからこそ、今回堀さんがこうして「考えるべきこと」として提示されたことは、とても意義があることだと、強く感じています。
雨のみちの背景にある思想と合理化
― 今回の連載には、内藤さんの建築が多く登場しています。
堀:今回、内藤さんの建築を多く取り上げました。日本建築の原型って、やっぱり大屋根だと思うんです。雨が素直に流れ、風景としても意味がある。大屋根は倉庫のように見られることもありますが、実は多様な使い方ができる “器 ”にもなるんです。
内藤さんの建築は、雨の処理が的確で、美しさと機能がちゃんと両立している。特に 「海の博物館」は象徴的で、架構や屋根が順を追って雨を受けて流す仕組みになっていて、それを隠さず見せている。構造も張り出しも無理がなく、部材をまっすぐ通しながら予備力を持たせていて、本当に完成度が高いなと感じました。はじめて「海の博物館」に行ったとき、バスで着いて歩いて中に入ると、海の景色が一気に開けました。あの構成がすごく美しくて、しかも雨の処理が建築と一体になっているんですよ。五台山の上に建つ 「牧野富太郎記念館」も印象的でした。軒の低い木構造が美しく、テラスが全体を囲んでいて、水管で雨を流す処理も繊細で緊張感がある。
「牧野富太郎記念館」(作画:堀啓二)
内藤さんの建築は、雨の動きを見せてくれるんです。ガラスや金属に当たって跳ねる様子が視覚的に楽しめる。「水を魅せる設計」って、本当に興味深いし、あの水盤の処理も、植物を守るために雨が直接当たらないよう配慮されていました。現地では気づかなかったけど、図面を見て納得しました。そして、 「高知駅」にも感動しました。あれだけのスケールなのに、構造に沿って雨がごく自然に処理されていて、それが見えないように納まっているのが本当に印象的で素晴らしかった。
「高知駅」(作画:堀啓二)
内藤:「牧野富太郎記念館」のあれは学芸員の提案がきっかけでした。専門家と協働することで、空間の質がぐっと高まる。「牧野富太郎記念館」では、水生植物の専門家の方の提案で、水盤ごとに違う植物を植えることになり、試行錯誤しながら進めました。自然との調和には苦労しましたが、やってよかったと思っています。 「高知駅」についても、あのスケールで雨の処理を目立たせないのは設計者の責任だと考えています。
堀:ああした配慮は、本当に効いているんですよね。特に「高知駅」のような大きな建築では、雨の処理は難しいのに、排水管などが全然見えない。構造が RCから鉄骨に切り替わる中で、フレームに自然に雨が沿って流れていて、どこにも破綻が見られない。図面だけじゃ分からなかったけど、現地を見てようやく「ここか」と気づいて、その巧妙さに感心しました。「高知駅」でも雨の流れは途中まで見えるのに、ある地点からトイが見当たらない。でも写真で見ると、フレームの一部が太くなっていて、「あ、ここだな」と。あれは隠しているのではなくて、構造の中に自然に取り込んでいるんですよね。本当にすごいと思いました。
― 僕がパターン・ランゲージを考えたのも、納まりを真似してほしいからじゃなくて、その背後の考え方を言語にして、次の設計者が自分の発想を広げるきっかけにしてほしいと思ったんです。
堀:「安曇野ちひろ美術館」も取り上げました。建築が山並みとつながるような構成が、すごく美しかった。
― 構成が少し複雑にも見えるけど、実際はどうなんですか?
堀:いや、意外とシンプルで、 7.2メートルと 1.8メートルのモジュールで組まれていて、梁がそのままトイの役割をしてるんです。少し跳ね出していて、 125角のフッ素塗装もされてるから柱っぽくも見えるけど、自然に納まっている。たぶん一般の人は気づかないと思います。
「安曇野ちひろ美術館」(作画:堀啓二)
― それも、建築のエスプリですよね。設計だけじゃなくて、施工との対話がないとできないし、細部への気配りが建築の質を決めてくる。
堀:一点留めの梁も、樋を兼ねていて荷重も大きいはずです。でも、それを構造的にも見た目にもきれいに納めています。そういうところに、技術と美意識の両方が表れてると思いました。
内藤:僕がこれまで設計してきた建築は、台風の多い高知とか、つららができる寒冷地とか、気象条件の厳しい場所が多かったんです。普通は敬遠されがちですけど、そういう場所では「雨のみち」をちゃんと考えないと建築が成り立たない。構造や機能に瑕疵が出ちゃうので、自然と意識せざるを得なかったんですね。
でも、どれだけ考えていても失敗することはある。水って、それだけやっかいなんです。 20代の頃、 西澤文隆さんに言われた言葉がずっと残っていて ── 「普通の屋根でも雨漏りするし、複雑な形でも漏れないことがある。水は人間より賢い」って。まさにその通りで、「雨のみち」は本当に難しい。人の道と同じくらい、あるいはそれ以上に、奥が深いテーマだと思います。
世界の雨仕舞いに宿る感性
― この研究の中で堀さんが提示された体系の中には、機能性だけではない雨に対する「勘」や「感覚」みたいなものも含まれていると思います。そういうものに対しては、どのようにお考えですか。
内藤:コルビュジエに限らず、ヨーロッパの建築家の屋根の考え方って、日本とはまったく違いますよね。向こうは雨が降ってもすぐ止むし、濡れても乾くから、僕がスペインに住んでた頃は傘を持っていませんでした。
もちろん、スペインでも北西部のガリシアなんかは雨が多いけれど、地中海沿岸はほとんど気にしなくていい。フランスやイタリアも同じです。だから、あのあたりの建築は、そもそも「雨をどう処理するか」っていう発想があまりありません。ガーゴイルのような装飾排水はあるけれど、あれはどちらかというと “遊び ”で、本質的な雨の設計とは違うと思います。
堀:インドではモンスーンの影響で雨が激しくて、雨の処理がとても重要なんです。よく見かけるガーゴイルのような排水装置が、ちゃんと機能してるのが印象的でした。 それと、コルビュジエの水切りディテール、 “眉毛 ”みたいなやつを紙袋の裏に描いたことがあって、今でも覚えてます。水切りは、丁寧に納めれば耐久性も美しさも全然違う。
― 堀さんの“眉毛”スケッチ、印象に残ってます。そういう細部に目を向けると、その土地の気候が設計にどう影響しているかがよくわかりますよね。
「サン・ピエール教会」外観。上部の屋根の下に水平に水切りが付いている。コルビュジエはこれを「水切り」と呼ばずに「眉毛」と呼んだ。(photo=Wojtek Gurak)
内藤:僕も最近、水切りのディテールを意識するようになってきました。ペンシルバニアのように湿気が多く雨の多い地域では、雨仕舞いがしっかり設計されていて、それがディテールの美しさにもつながっている。やっぱり「勘どころ」のある建築って、見ればわかるんですよね。雨の処理って、ただの技術じゃなくて、感覚的な理解が必要なんだと思います。
― 気候風土の話で思い出すのが、グレン・マーカットです。雨が少ない地域でも、「降ったときは絶対に逃さない」という姿勢が徹底されていて、水に対する執念のようなものがある。雨をどう迎えるか ── それって建築の根本的な問いかもしれない。もっと深掘りできるテーマだなと感じています。
「フレッチャー=ペイジ邸」(作画:堀啓二)
内藤:マーカットのアプローチ、本当にうまいですよね。風も防ぎながら雨も取り込んで、すごく自然に成立している。その土地の気候にちゃんと建築が応えてる。最近では「クーリング」の観点からも、雨を単なる排水じゃなく、熱環境の調整に活かす発想が求められてきています。
堀:「雨を逃がさない」という姿勢が一貫していてすごくいい。今はオフィスビルなんかでも、水を使ったクーリングの仕組みが導入されてきています。構造材の間を水が流れるとか、水で熱を逃がすとか、自然の要素を設計に取り入れる動きが少しずつ広がってきました。「雨のみち」もそうした流れの中で、また違う意味を持ってくると思います。
内藤:水って、屋根に落ちたあと遮るだけじゃなく、その途中にもいろんな機能を持たせられると思うんです。たとえば屋根面で熱を冷ましたり、空気中のホコリを落とすとか。そういう評価的な役割もあるし、水の動きはまだまだ設計に活かせる余地があると感じています。
冷やす雨、活かす知恵
― 「牧野富太郎記念館」の建物下の水盤はとても印象的です。雨水が地中に浸透する過程でバクテリアが関わるっていうアイデア、あれって学芸員の発案だったんでしょうか。
内藤:そうですね。水をそのまま置いておくと腐るという話もあったので、単なる装置にせず意味のある仕掛けを考えようとしました。上手く使ってくれませんでしたが、雨どいの中に散水栓を入れています。要するに、屋根面に水をまいて建物を冷やすという発想ですね。それを 10年単位で継続的に機能させていくイメージで考えていました。夏は本当に暑いんですが、散水栓があるだけで空間がかなり涼しくなります。
― あの装置、ちゃんとあるのに使われていないのが本当にもったいないですよね。屋根を冷やす仕組みって環境にもすごく寄与するはずなのに、静かに作動するからこそ存在が忘れられがちなんだと思います。
堀:そうなんです。実際、屋根を冷やすだけで夏の室内環境ってかなり違います。でも、少し手間がかかるだけで使われなくなる。以前現場でその装置を見て「これだ」と思ったんですが、全然使われていなくて本当に惜しかったです。縦樋で受けて向こうに流す ── すごく美しい構成でした。自然と調和する造作こそ、建築家の工夫がにじむんですよね。
内藤:「高知駅」では屋根が本当に熱を持つので、ああいう装置があるだけでも空間の質が変わるんです。でも「なくてもいい」と思われてしまうと使われなくなる。その一方で、愛嬌のあるディテールって、今の建築にはすごく欠けていると思います。そういう表情があるからこそ人の記憶に残るし、自然とのつながりも生まれます。
― 今和次郎の民家研究のように、竹の雨どいなど昔の知恵を現代に活かすことも大切ですよね。雨どいって人を迎える“顔”にもなるし、建築家の感性が出やすい場所だと思います。
水を起点に変わる建築
― 今回の「雨のみち」の研究、つまり観察と構造的な理解を通して進めてきたパターン・ランゲージですが、これが設計者や施工者たちにとって、イメージを共有したり、発想を広げたりする手がかりになればと思っています。こうした“言語化”の試みは、どう感じられますか。
内藤:言語化といえば、マドリッドで働き始めた頃のことを思い出します。僕はアーキテクトでしたが、現場にはドラフトマンがいて、彼らの技術知識に驚かされました。不思議な形の屋根でも、「勾配をつけて最短で水を逃がす」この雨の処理の基本が徹底されて、みんなに教え込まされていたんです。そして、「切妻」「寄棟」「入り母屋」など基本の屋根形状もきちんと理解している。これはまさに「言語化された知識」で、「どう水を逃がすか」が構法や勾配のルールとして体系化されている。フラットルーフだって、原理は同じなんですよ。
堀:そうなんです。屋根のかたちは基本的に、寄棟か切妻か入り母屋のどれかに落ち着くことが多い。雨の流れをちゃんと考えれば、自然とそういう納まりになるんですよね。
内藤:スペインで働いていたとき、ボスのフェルナンド・イゲーラスは雨と屋根の関係を本当によく理解していました。雨の多いガリシアでは屋根が急で、乾燥したアンダルシアではフラット。でもどちらも「雨の出口」がきちんと計算されていました。形は違っても、原理は同じ。世界中どこでも、雨水を外に出す方法は基本3つ。その選び方や納め方にこそ、普遍的な考え方があると思っています。
― 結局は「受けて、流して、納める」。それを無理なく、最短距離で行うことが大事で、そこに素材や地域性、建築家の思想が重なるというわけですね。あとは、それをどうフォルムに落とすか。「構想・言語・デザイン」がどうつながるかが、建築の面白さだと思います。
内藤:雨が落ちる途中に「遊び」をつくる。そんな暮らしに溶け込む発想がもっとあってもいいと思っています。最近は特に、雨の“その先”が気になります。多くは下水に流しますが、本来は地中に浸透させるべきです。これからは、その行き先も含めて設計する時代。雨水の再利用や水循環など、建築単体ではなく、もっと広い視点で考える必要があると思います。
― 確かに、これからはそうした方向に関心が集まっていくでしょう。自然現象としての雨を、建築の中でどう活かすか、それが環境設計の鍵になると思います。
内藤:今の暮らしって、ある意味で無理をしてると思うんです。たとえば、雨水をすべて配管で地下に流すという発想は、下水道が整備されたからこそ。でもその瞬間から、雨の行方が生活から見えなくなった。ほんとは、屋根に降った雨が植物に吸われるとか、地中にしみ込むとか、そういう流れを設計の中でイメージできたら、空間ももっと豊かになるはずです。
堀:本当にそう思います。温暖化が進むなかで、雨水をどう地球に戻していくかは、避けられないテーマですよね。もちろん、大雨のときは一気に流す必要もありますが、基本は地中に浸透させたり、自然の循環に組み込む方向が大事だと思います。
― それが畑や庭であれば、排水じゃなく“水力”として活かす場所になりますよね。植物が育ち、微生物が動き、土が呼吸する。バクテリアの話も、そうした循環に関わってきます。
内藤:やっぱり鍵は「水」ですね。水が起点であり、建築の可能性もそこから広がると思います。
谷口、安藤、内藤の雨のみち
― これからは、機能だけでなく「みせる」「つたえる」「つなぐ」といった雨のみちの文化的な視点も大切になる。そのとき、繰り返し現れる形や行為に名前を与えるパターン・ランゲージの仕組みが役に立つ。内藤さんが言っていたように、これは技術の分類ではなく、思想の言語化です。
堀:そうですね。安藤忠雄さんの建築なんかも、形式だけ見れば似た構えでも、たてといにフェイクっぽい部分も多い。 “本物 ”の樋が一本あるかどうか、というときもある。でも逆に言えば、それだけ雨の処理には建築家の思想がそのまま表れるということだ思います。
「西麻布の集合住宅」(作画:堀啓二)
― ああいう雨の納まりを見ると、雨のみちの造形感覚からは、どこか「雨」を積極的に扱いたくないという姿勢が感じられます。
内藤:もしかしたら安藤さんって、「雨のみち」そのものがあまり好きじゃないのかもしれないですね。日本という国の気候風土を、どこかで拒否しているような、そんな印象を受けるときがあります。あえて自然に抗っているというか、どこかドライに処理しようとしているような感じもあります。
堀:僕も彼の建築をいろいろと見てきましたけど、きちんとした雨どいを 1本も見たことがないんですよ。基本的に “セーフ ”じゃない。横引きで無理に引っ張って、片方にだけ排水するような納まりになっていたりして、それがまた継ぎ手もないような処理だったりする。これは一体どうやって排水しているの?って不思議に思うことが多々あります。
内藤:そうそう。あれは本当に「人の道」、つまり「雨のみち」に反しているような気がしてなりません。どこかで根本的な自然の摂理から目を背けているような印象を受けます。
堀:ほんとに不思議です。日本以外では、あそこまで雨を無視した設計はまず見ません。どこでも気候にどう対応するかが建築の核心なのに。
― 雨が多いのに、それを表に出したくないという発想が日本的な感覚なんでしょうか。一方で、「雨のみち11章」の中で印象的なのが、内藤さんと谷口吉生さんの対比でした。谷口さんは合理主義でモダニズムに忠実。対して内藤さんは、もっと土着的で、風土とともに雨と向き合う。そのスタンスの違いが、とても象徴的に感じられました。
「フォーラムビルディング」(作画:堀啓二)
内藤:谷口さん設計の青山に建つ 「フォーラムビルディング」、には驚かされました。雨の処理が見事で、カルテジアン・グリッドを壊さずに美しく納められていました。予算があったのかもしれませんが、それ以上に「雨を見せない」という設計思想が徹底していたと思います。
堀:アウトフレームの建物は雨漏りのリスクが高いですが、あの建築はグリッドを崩さず、雨を自然に処理していて、本当に完成度が高いと感じました。
内藤:僕が初めて見たとき、本当にびっくりしました。あれだけのことをやるとは …… これはもう、自分が関わっているプロジェクトでは到底ここまでお金をかけるのは無理だなと思いました(笑)。ディテールの隅々にまで、思想と美意識が貫かれている。ああいう仕事を見ると、やっぱり建築ってすごいなと思わされます。
― まさに、それこそが建築のエスプリです。あの佇まい、あの繊細な納まり…… まったくの異なる場所ですが、谷口さん設計の金沢の「鈴木大拙館」とも通じるものがあると思いました。
「鈴木大拙館」(作画:堀啓二)
堀:そうかもしれませんね。 「鈴木大拙館」もまた、あの空間を成立させるために、谷口さんの強い意志が貫かれていた建築だと思います。特に「水をどう処理するか」というテーマへの向き合い方が、本当に丁寧でした。
― そう、設計において「水を扱う」ということが、空間の印象をここまで左右するのかと改めて思いました。水が建築の一部として、完璧に扱われていた。
堀:納まりにかなり工夫が凝らされていて、たとえばビルトエッジの最後の部分だけをフラットに伸ばして、そこで雨水を落とすようにしているんですよ。その構成によって、屋根全体が非常に薄く、美しく見えるようになっている。こうした納まりの細やかさが、空間全体に品格を与えていると思います。
内藤:谷口さんの、静けさや揺らぎといった、日本的な美意識をどう建築に落とし込むかという姿勢、あれは本当に見事でした。
堀:もっと話したいくらいですね、あの建築については。
雨を最初に「何が」受けるか
― 内藤さんと谷口さんという対照的な建築思想を持ちながら、それぞれが雨の処理に対してきわめて高い意識を持っているお二人が登場します。この研究の中でとても象徴的な存在になっていると感じます。
堀:巡っていくと水盤の正面に出る流れが美しくて、雨が落ちたときの波紋も印象的でした。あの構成、よかった。たしか控えめな位置から鎖樋を落としていて、途中の金具で水が飛び散らないようにしていたんですよ。すごく丁寧な納まりでした。
内藤:鎖は飛び散りやすいのに、そこまで計算しているのがすごい。
― 要するに、ある種の“解放系”というか、水が持っている張力や流動性そのものを活かすようなデザインですね。力で制御するというよりも、水そのものの性質に寄り添うような。
内藤:「まとい」って言うんですかね。ある流体力学の先生が言ってたんですが、雨どいの水って、表面張力で渦を巻きながら周囲を流れていて、中心は空洞なんだそうです。だから、きちんと設計されていれば詰まりにくい。そう考えると、「雨のみちは螺旋形」って言いたくなるんですよね。
「群馬音楽センター」(作画:堀啓二)
それから 1960年代の建築、たとえば アントニン・レーモンド設計の 「群馬音楽センター」なんかでは、防水の概念も今ほど明確じゃなかった。でも、「コンクリートをちゃんと打てば大丈夫」という感覚があって、多少漏れてもそれがリアルだった。素材そのものに性能を求めていた、そんな時代だったと思います。
堀:そういう話、面白いですね。それにしても、雨どいの中でそんな渦ができるとは驚きです。
「群馬音楽センター」の構造も印象的でした。ホットシート構造で、たしかコンクリートの厚みが 13センチ程度。でも、あれだけ薄いのに雨漏りしたという話は聞いたことがありません。やはり、構造がしっかり考えられていたんでしょう。美しく、そして精度高くつくられていたんだと思います。「雨のみちは螺旋形」 ── これは、名言ですね。すごく響きます。
「群馬音楽センター」(作画:掘啓二)
― たとえば吉阪隆正先生なんかは雨仕舞いをどう考えていたのか、気になりますね。
内藤:吉坂先生は、たぶんあまり雨仕舞いを気にしていなかったと思います。ご自宅でも雨漏りしていて、奥さまから愚痴を聞いたこともありました(笑)。でも「気にしない」のも一つの姿勢ではありますよね。ただ、 「大学セミナーハウス」のような公共性の高い建築になると、さすがにきちんと考えていた。とはいえ、水って本当に意地悪で、繊細にやりすぎると意外なところから入ってくる。僕もつい慎重にやりすぎてるのかも、と思うことがあります。
「大学セミナーハウス」(photo= Kakidai)
昔は 「アスファルト防水」なんて言葉もありませんでした。防水という概念自体が今とは違っていて、素材そのもので守る発想が主流でした。昔 サン・ピエトロ大聖堂の屋上を見たとき、数百年経っているのにきちんと機能していて驚きました。今は板金で防ぐにしても 0.4ミリ程度の薄さで、耐久性も心もとない。それなのに屋根にお金をかけようという意識も薄いですよね。
「石州瓦のおかげで町並みが残った」と聞いた、 石見銀山の保存の話も印象に残っています。屋根材の耐久性があったからこそ建物がもったと。屋根にはもっと予算をかけるべきだと、本気で思っています。
石見銀山の街並み(photo=663highland)
堀:本当にその通りで、「雨のみち」をきちんとつくるには、まず水を受ける素材が重要なんですよね。最近は板金がとても多用されていますけど、同じ素材でも職人の腕次第で仕上がりがまったく違ってくる。だからこそ、板金の技術はもっと広めていく必要があると思っています。精度の差が、建築の質に直結する部分ですから。
「雨のみち」は環境と建築を結ぶ第一歩
― 最後にお尋ねします。いま改めて木造施設が増えてきているなかで、「雨のみちデザイン」はどんな役割を果たせるのか。パターン・ランゲージという仕組みは、設計や施工、教育現場でも役立つコミュニケーションツールになると感じています。その可能性について、お二人から伺えればと思います。
内藤:たしかに、今は「高断熱・高気密」ばかりが重視されて、暮らしと外部との関係が切れてしまっている気がします。ガラス越しに開放感を演出しても、雨のように動きのある自然は捉えきれない。日本語には雨にまつわる言葉が本当に多くて、それは自然と深くつながって暮らしてきた証だと思うんです。
でも今は、快適さがパッケージ化されすぎて、そうした文化が見えにくくなっている。それが本当の意味での“環境性能”なのか、僕は疑問なんです。人と自然が折り合いをつけて暮らす感覚、それを設計に取り戻すべきだと思っています。そういう意味で、「雨のみち」をパターン・ランゲージで共有できるのは、とても価値のある試みだと思います。専門家だけでなく、もっと広く伝えられるかもしれませんね。
堀:私も、内藤先生とまったく同じ想いです。今回、さまざまな事例を見てきましたが、やはりひとつとして同じ雨仕舞いはないんですよね。地域も違えば、用途も違う。それぞれに合った解法がある。だからこそ、今回の取り組みで導き出したパターン・ランゲージは“正解”ではなく、あくまで考えるための“きっかけ”として位置づけたい。
建築家だけでなく、施主にも「こういう部分が大切なんですよ」と理解してもらえるツールになるといいですね。たとえば屋根の素材ひとつとっても、そこにどれだけ配慮するかという意識が共有されれば、建築の質は大きく変わるはずです。それが、環境と建築を本当に結びつける第一歩だと思います。たとえば、屋根の素材にどれだけ配慮するか。そういった細部への意識も含めて、きちんと伝わるようになってほしいです。
― 本当にそうですね。特に、施主との“共有化”ができるということ、それ自体が建築の可能性を大きく広げると思います。今日はお二方、ありがとうございました。
堀啓二さんの研究成果をこうした形で内藤廣さんと語り合えたことは素晴らしいことだと思っています。ひとつの主題に対して、建築家同士の迫実の対話になったのではないでしょうか。雨のみちデザインも内藤建築の一端であることをうかがうことができました。雨のみちの深さを一層お二方の対話から強く意識することができました。雨のみちに対する広汎な興味、感心と共感が醸成されることを祈っております。
取材日:2024年7月29日、九段下の内藤廣建築設計事務所にて
内藤廣
(ないとう・ひろし):建築家。神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。1976年早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻(吉阪隆正に師事)修了。フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所勤務(スペイン)。1979年~1981年菊竹清訓建築設計事務所勤務。1981年内藤廣建築設計事務所設立。2010年東京大学副学長。 2011年東京大学退官、東京大学名誉教授。2023年 多摩美術大学学長。
主な作品に「海の博物館」(1992)、「安曇野ちひろ美術館」(1997)、「牧野富太郎記念館」(1999)、「高知駅北口大屋根」(2007)、「紀尾井清堂」(2020)ほか。主な受賞には、日本建築学会賞(「海の博物館」)、第18回吉田五十八賞(「海の博物館」)、第13回村野藤吾賞(「牧野富太郎記念館」)、芸術選奨新人賞・文部科学大臣賞(「海の博物館」「高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設」)ほか。
LINK 内藤廣建築設計事務所
堀 啓二
(ほり・けいじ):建築家。1957年福岡県生まれ。1980年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1982年同大学大学院修士課程修了。1987年同大学建築科助手。1989年山本・堀アーキテクツ設立(共同主宰)。2004年より共立女子大学家政学部にて教鞭を執る。2024年共立女子大学・共立女子短期大学学長。2024年12月逝去。
LINK 山本・堀アーキテクツ