谷尻 誠
(たにじり・まこと):1974年広島県生まれ。1994年穴吹デザイン専門学校卒業後、本兼建築設計事務所、HAL建築工房を経て2000年建築設計事務所SUPPOSE DESIGN OFFICEを設立。2014年より吉田愛さんと共同主宰。現在、穴吹デザイン専門学校特任講師、広島女学院大学客員教授、大阪芸術大学准教授。
LINK:サポーズデザインオフィス
2/3 屋根のチカラ、建築のチカラ
ー 私は、2000年以降の建築の動向を捉える上で、モダニズムの総括としての「屋根」というものをもう一度考えるべきだと。その中で、サポーズデザインオフィスも住宅を中心に昔から屋根について、意識的に考えていらっしゃるというふうに感じております。いつぐらいから強く思われていましたか?
谷尻:僕は、もともとの師匠が工務店の社長なんです。その社長がいつも「屋根さえありゃ建築はできるんじゃ」って言っていました。その社長は、「建築っていうのは大きい、小さい、高い、低いだけをやればいいんだ」って、その言葉もとても印象に残っています。さらにその言葉たちは、それならできるなって、勇気をくれて、僕でも頑張れる感じがしたんですよね(笑)。
「桧原の家」外観(photo=technistaff)
ー 例えば「桧原の家」のような建築を建てる場合、実際は相当、工法的にも繊細なものになるでしょうし、技術的なハードルも高くなりそうです。
谷尻: このとき僕たちは、とにかく「屋根」だけを設計しようということをずっと考えていました。たまたま敷地の目の前にため池があったんですけど、屋根によって道路からため池が見えないように建物を設計しました。
もともとため池の水辺を見ていたときは、そんなに美しい風景だとは思わなかったのですが、完成した建築の中からため池を見たとき、すごく綺麗な風景だって感じたんです。やっぱり建築ってすごい力を持っているなと思いました。屋根をつくったことによって、こんなに風景の感じ方を変えることができる。建築ってすごいなと。
ー 特にこの住宅は屋根が、ため池に面する斜面というロケーションをすごく生かされてますよね。
「桧原の家」内観(photo=technistaff)
谷尻:そうですね。この住宅の設計を通して、やっぱり屋根って素晴らしいなと思ったんです。だから、他のプロジェクトでも、どういう屋根を設計するかをみんなで考えようって、すぐスタッフにも言いはじめました(笑)。つべこべ言わず屋根をずっと考えようって。
あとはやっぱり年齢が 40歳を超えてくると、自然と軒が欲しくなってきたということもありました。
ー そうですか。
谷尻:これは、なんかもう驚くべき現象です(笑)。若い頃は、屋根はフラットで、建物は四角くて、サッシもとにかく開放すれば良いんだと考えていました。けど、この「桧原の家」などは、軒先が 1.6メートルもあって、座ってはじめて視界が抜けるようなつくりかたをしています。この住宅のように、高さや暗さといった日本的な空間のつくりかたを、自分自身も欲するようになりました。すごく閉じていくってことが、逆にこんなに開放感をつくり出すんだって、この住宅では、学びが多かったです。
作品であり、住宅である、その同居の時代
「安城の家」外観(photo=矢野紀行)
ーこの「安城の家」も屋根の家という感じです。いろんな建築家たちが、いろんな形の屋根の家にトライしていますが、そのなかでもこれはなかなか面白い試みだなと思っています。ここの屋根の掛かった室内、屋根の掛かった庭、全く屋根の掛かってない庭が、三層につながってくっていうところが非常に面白い。
谷尻:建築をつくると、生活を中(屋根の掛かった室内)ですることが義務づけられてしまうような気がしています。実際は、外で食事を取ったほうがおいしいですし、外の風を感じながら眠ったほうが気持ちいいし、外でお風呂に入ったほうが気持ちいい。でも、建築ができていまうと、すべてが中で完結してしまうんです。不思議ですよね。
そこで、庭が部屋になれれば、外で自然にすごせるようになる。庭に屋根をかければいいんだって思ったんですよ。それで「庭部屋」と名付けて、庭と住宅の諸室を同じように扱って、 LDKをつくっていったのが、この家です。
ー そうか。どちらの住宅も“身近な新しさ”以上に、“こうしたら気持ちよくなりますよね”ということが、谷尻さんたちからクライアントへ十分に伝達されている。だからこそ、こういう結果が生まれるんですね。他の建築家の作品にも、同じような方向性の住宅がありますが、そこに無理を感じてしまうのは、そういう理由があるからだと思いました。
「安城の家」内観(photo=矢野紀行)
谷尻:わかります。どうしてもダイアグラムを実物化している感があります。だから、あくまで作品になっているのだと思います。
僕たちが一番やりたいのは、作品であり、住宅である、というものです。作品だけど、住宅じゃなくなるのは嫌なんです。昔の建築家は、住宅をつくっていると作品として発表できない、と仰っていた方もいたそうです。でも、作品でありながら、住宅でもある。それが同居すべき時代だと思っています。そういうもどかしさを何とか解いていくことに一番興味があります。
でも、若いころは、そうは思っていませんでした。だから作品だけど、住宅になりきれていなかったものがありました。今、改めて訪ねて行いって、これは住めないよねって思う、過去に設計した住宅も、正直あります。
ある日、「大野の家」というコンクリートの塊でつくった家があるのですが、それをお施主さんが手放すという相談を受けました。考えた結果、買い取って、自分たちで宿泊の運営をすることにしました。その過程で、掃除をしたりしていると、いや〜、この家は住むには大変だな、とはじめて感じたりするわけです。だから、誰か知らないひとに使われ続けて、文句を言われていくよりも、自分たちが使いながら、今後に活かしていく、使いにくいものをどうしたら楽しめるかということも考えていく。検証し続けることも大事だと思いました。
ー それはいい話ですね。不幸な家と幸福な家っていうのは、あると思います。その上で、きちんと付き合い続けていく。そうですか。独立した当時は、作品思考が強かったのですね。
谷尻:当時、僕の師匠は、2つ。ひとつは、先ほどお話した工務店の社長と、もうひとつは雑誌『新建築住宅特集』しかありませんでした。それ以外には、学ぶものがなかった。だから、ひたすらそれを読んで、建築とはどうやってつくるのかを学び続けたんです。
ー その師匠と雑誌メディアって、ある意味対極的ですね(笑)。
谷尻:そうですね。懐かしいです。本当に 2000年のころは、もう穴が開くほど『住宅特集』を読んでいまいた。何年何月号のどの辺に、どの建築家の、何というタイトルの作品、工務店や担当者まで覚えるくらいくらい(笑)。今考えると、少し病的でした。
ー すごいですね。でもそれがあったからこその今ですね。
谷尻:それが、今では全く見なくなりました。最初は洋服でも料理でも、レシピがないとうまくつくれないけど、だんだんレシピ通りにやると物足りなくなってきますよね。で、自分で考えることのほうが大事だなということに、時間をかけて辿りつきました。
絶対はない、雨は必ず漏れるもの
ー 谷尻さんは、雨の失敗談はありますか。
谷尻:やっぱり雨漏りがおきることはこれまであったのですが、それがですね、僕、雨漏りしてもお施主さんに怒られないんです。なぜなら、雨が上から下に降ってたら良いですね、とは言いますが、雨は漏れませんとは言ったこともないんです。もちろん精一杯は努力します。けど、雨は風と一緒に下から上に吹き上げることもあるし。だから、雨が漏れることはあっても、僕らは絶対逃げないから、そのときは普通に言って下さいねって、設計の最初から言っています。だから、雨漏りで怒られることがありません。
ー 家を維持していく上では、雨漏りは必然的に生じることだからというわけですね。そういうことに対して、きちんと修繕、手当をしていきましょうというメッセージにもなっている。
谷尻:いろんな建築家に会うと、みんな訴訟自慢をしたりします。でも、僕、これまでに130ほど建築をつくってきましたが、一度も訴訟されたことないです。僕のほうから大丈夫、大丈夫と押し切ることはしません。特殊なものをつくるということは、そこにリスクが必ず伴います。それをきちんと説明して、こっちを選ぶか、安全を選ぶかは、きちんとお施主さんに委ねます。
ー これまでの作品を拝見していくと、近作では屋根型の家が多くなってきているように思います。比較的雨の捉え方が、シンプルにわかりやすくなってきているのでしょうか。
谷尻:そうですね。雨については、変なことをしないほうがいいことが、よくわかってきました。雨はこねくり回すほど、変な家になります。
ー 雨に関するディテールで、谷尻さんの秘策ようなものは、あったりするのですか。
谷尻:もし万能なディテールがあれば、僕も知りたいです。毎回毎回、きちんと考えることですかね。その住宅だからこそのディテールがあると思います。
ー 近年、ゲリラ豪雨が多発しています。雨の過剰な降り方に対して、改めて屋根や雨じまいについて考えることはありますか。
谷尻:ありますね。もうあれだけ降ると、やっぱり軒が欲しくなります。だから、今改めて、しっかりと大きい屋根をつくることに、興味はあります。あとは、水があれだけ空から降ってくるわけですから、やっぱりどうにか生かしたいなと思います。せめて、屋根や雨といが、もっと蓄える装置になったほうがいいですよね。
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取材日:2016年8月3日 インタビュアー:真壁智治 編集:大西正紀 / mosaki |