取材日:2022年10月28日

インタビュアー:真壁智治、編集:大西正紀
2023/11/8  

「箱の産業」から「場の産業」へ
- 木造施設の可能性 -(前編)

 
「雨のみちデザイン」では、ロングレンジで改めて木造を取り上げていきます。そこでは、「木造」への関心の常態化を前提に「木造建築」から一歩踏み込んで、「木造施設」という建設市場に踏み込んだ言い方を意図的にしています。
 1回目は安井昇さんに耐火の視点から語っていただきました。木造施設を取り巻く防耐火の法的状況が変わってきたので、新しい可能性に踏み込んでいけるのではないかという話をうかがいました。今回は、松村さんが発言されている「箱の産業から場の産業へ」という流れのなかで、木造施設を新たに捉え直すことはできないかと思いました。まずは「箱の産業から場の産業へ」という状況下で、木造は今後どう扱われるべきかについてうかがいたいと思います。
 

書籍『建築―新しい仕事のかたち―箱の産業から場の産業へ』(彰国社/2013)

 
松村:20年ぐらい前に言いはじめていました。今、日本の住宅数は6200万戸以上ありますが、バブルの1988年で4200万戸でした。その頃で、もう満ち足りていたのに、そこから約2000万戸増え、そのうち800万戸以上が空き家になっています。でも空き家以上に大事なのは、6200万の住宅の中身です。
 
 40年前は、ストックが大事だと話している人はいませんでした。4200万戸もあったのに、多くの人は「既存の住宅はまだまだ質的に低いから、全部建て替えなきゃいけない」と言うんです。今6200万戸になってきて、ようやくそう思っている人が少なくなってきました。
 
 バブルのころは新築の延べ床面積がどんどん増えていきましたが、今では新築は狭くなっていく傾向に変わりました。耐震性も新耐震基準をクリアしているものが70%以上になってきたので、6200万戸の相当な割合の住宅が充分な耐震性を持っているということになります。そうするとですね。もう取り壊す理由がほとんどなくなってきました。
 
つまり一定の基準を満たす箱は充分になってきたということですね。
 
松村:面積も充分にあり、耐震性や断熱性もきちんとした箱を約束した納期どおりにきちっと届ける産業、そうした需要向けにのみ自らを鍛えた産業、それを僕は「箱の産業」と呼んできています。
 
 ところがその状況が変わりはじめました。箱はもうたくさんいらない。それより、気に入っている今の建物の不具合を直したり、空き家を地域の活性化に生かしたり、新しい生活の場として再編したり。今まで考えてもいなかった暮らしの場に変えていくことが必要になってくるので、それに対応できる人材を育てる必要も出てきます。でもその仕事は、これまでのリフォームのように新築の片手間でやれることではない。「場の産業」では「箱の産業」とはかなり違う性格の事柄が求められる。
 
 「リフォームが増えていきませんね」では駄目で、「箱の産業」が「場の産業」へと変わっていく。産業が変わるということを、みんなで自覚しないといけません。あの書籍では、わくわくするような新しい仕事の領域ができはじめていることを伝えたかったのです。
 
— 「箱の産業」から「場の産業へ」という言説は、非常に明解でインパクトがありました。松村さんが、そのように発言されるまでは、業界的には、リフォームビジネスというものがやや不発に終わってしまった、というような空気がありましたからね。
 
松村:まったくその通りです。国交省発表の数字を見ると、住宅リフォームに費やされる金額は平成初期から変わっていません。リフォームに一人が1回当たりに出す工事費の平均は100万円以下。たとえば便器を取り替えたり、ウォシュレットをつけたりするようなものです。そのひとつ上にある金額帯が一気に2000万円とかになってしまいます。1002000万円の間には連続的な市場が広がっていなかったのです。
 
今はリフォーム市場に構造的変化が進行してきていますね。
 
松村:はい。近年になって、中古の家に住むことに全く抵抗感のない若い世代が増えてきて、中古マンションが急速に売れるようになってきました。たとえば人気のあるエリアでマンションを買いたいと思っても、新築はたまたましか出ません。でも、中古であれば、自分が求める面積や予算、環境にピタッと合うものがゴロゴロあるわけです。
 
 さらに新築だと、知らないひとが突然集まって住むわけですが、中古なら元々住んでいる人たちが周りにいます。それもメリットとして捉えて、中古から選んだ方が良いのでは、となる。思い切って全部スケルトンにして、工事費10002000万円くらいで自分たちの自由なプランニングを実現する。そうやって自分たちの生活の場を作ったほうが、新築よりずっと面白いと感じる人たちが増えているのですね。まさにストックの状態に新しい可能性を見いだす人たちが出てきたということです。
 
— プレハブメーカーがリフォーム中古の流通をやりはじめたときよりも、生活者が可能性を感じているのは、今のほうかもしれません。インターネットを使って、洋服や食べ物だけではなく中古物件もリサーチできる。そういう編集する力が高まっていることも関係がありそうです。
 
松村:今では大手の住宅メーカーはどこもリフォーム会社を子会社に持っていて、何千億というような売り上げになってきています。新築のときは、ブランドを毀損しないように数タイプがあるだけだったのに、リフォームになると、自分たちがやったことのないものも手がけていくんですね。在来木造をメインでやっていた会社がマンションリノベーションもやったり、古民家の再生や一人暮らしの女性向けの需要に対応していくとか、複雑な介護家族に対応したものとか。ここでは、より個々の対応が求められていくわけです。そうなると新築の「箱の産業」のやり方では、あまりにも効率が悪い。だから、変わらなくてはいけないと。
 
— 同じスペックではいかないわけですからね。
 
松村:今がまさに過渡期だと思います。今までのように工場を持って量産型で新築をどんどんつくっていくようなやり方では、利益は上がってきません。産業が違うわけだから、利益を上げる新しい形を生み出していかなくてはいけません。
 

マーケティングで捉えきれないリアルな暮らし

 
— 「箱の産業」のときには供給側はマーケティングという手法で、世の中のニーズのボリュームはここらへんだろうと考えていました。ところが「場の産業」になると、逆に使い手がマーケティング(編集)をしているようにも感じます。供給側は使い手の間に「カスタマイズ」というものを撒き餌にしたけども、使い手側はそれを飛び越えてマーケティングしています。やはりこのドラスティックな揺れ幅がまさに過渡期ということなのでしょう。
 
松村:そう思いますね。高度経済成長期にはじまった、所得倍増のような空気が長らく尾を引いていました。会社も人もみんな大きな物語に乗っかればいいという時代では、マーケティングも非常に簡単でした。でも80年代後半のバブルが終わったあたりから、それは崩れていきました。そしてこの30年くらいの間に、大きな物語を誰も語らなくなりました。代わりに、高齢化、人口減少、国の借金……と、問題は語られるようになりましたが、みんなで向かう場所は誰も示していません。いや、示すことができず、個々に自分の物語をつくる時代になっているというわけです。
 
 いろんなことを自分で決めて自分で物語を作っていく時代だから、家族の形態もこれまでと違う形態がいっぱいあり得ます。当然生活する場もそれとの対応関係にあるので、個別的な小さな物語に対応したものを作っていかなくてはいけない。それは事前のマーケティングでは知りようがないものなので、個々に対応する人の実力がついてないといけません。たとえば結婚しないカップルもいれば、夫婦で前の旦那も一緒に暮らすとか、そういうことが平気で起こっているんです(笑)。本社でつくったマニュアルでは対応のしようがないのです。
 
— 完全にシナリオ(マーケティング像)を超えちゃっているわけですね。
 
松村:企業の意思決定をしている世代と、入ってまだ10年くらいまでの世代には、大きなギャップがあることが問題かもしれません。新しい産業やビジネスの市場は若い世代の人たちの感覚を捉えて動いていくのに、上の世代は完全には理解できないところがある。
 
 たとえば、20年ぐらい前にシェアハウスが増えてきて。あるシェアハウスを作る人たちは、ピザ窯を作って、みんなでピザを食べるというのです。そんなの使うのは最初だけでしょ?って僕らの世代は思うけど、実際に若い世代の人たちに聞くと、「いや、毎日やってますよ。ピザ窯最高っす!」みたいなことを言っていたりするわけです()
 
— これまでのリフォーム産業はどこまでも「箱の産業」の内の中での改修工事と云う見識でした。それが生活者の望む住宅の改修が異なってきたことで、リフォームのレベルではなく「リノベーション」としての更新となってくると完全に違う形での産業の体制がそこに求められてきた。住宅建設を巡る「箱の産業」から「場の産業」への移行というものは、まさにそういうことを意味しています。
 
しかし、事態のニーズがウォンツに対して、産業がその体制に追いついていないのが現状なのでしょう。その点からも「場の産業」への気付きと注視は大きな意義を持つものになってくるのですね。
 

                                  

 「箱の産業」と木造建築

 
— 皮肉にもコロナによって松村さんの指摘される状況は一層助長されています。「場の産業」とは、どうやら使う側のイマジネーションが大きく関与してきます。だからコロナという一つのパンデミックも、むしろプラスに働いて、卵からひなになるように、暮らしのイメージそのものが相当変わってきています。
 
 ここで、今日の本題なのですが、「箱の産業」から「場の産業」にシフトしていくなかで、「箱の産業」における木造は構法や防火などいろんな問題があったと思います。そもそも関東大震災以降、木造というものにはある種のバッシングがありました。それでも、特に住宅産業では、パネル工法の取り組みなどのさまざまな改変を行いながら、「箱の産業」の革新を行なってきていたわけです。
 
松村:木造は戦前からずっと続いてきたものという見方もできますが、たとえば今「在来」と呼んでいるものと戦前の木造とは大きく異なります。柱の寸法は一緒かもしれませんが、基礎の作り方は全然違うし、昔は壁に断熱材なんて入っていません。さらにあらゆる材料が変わり、雨戸もなくなり、屋根材なども全然違う。それくらい戦前のものと違うんです。
 
— 「箱の産業」としてはですね。
 
松村:木造サイドに重心をかける人たちは、伝統文化と繋がることを言います。ないことはないのですが、かなり違います。まず戦前は、そもそも職人が請負なんてやっていませんでした。戦前の住宅は基本、施主が直営なんです。施主がお金を持っていて、プロジェクトを経営していて、毎日大工に賃金を払う、これが普通の形態でした。それがやがて、庶民でも建てられるように、ということで戦後に請負が普及しました。
 
 そうなると、大工だった人が工務店の社長になっていきました。でも、工務店の社長と大工は全然違う。最近木造の世界が大きく変わりつつあるのは、工務店の経営者が2、3、4代目になってきて、元大工という人も非常に少なくなってきていることです。大工ではなく企業の経営者として、はじめからされている方もいるような状況で、これは面白いことが起こり得る時代になってきていると感じています。
 
— なるほど。そこに新しい発想での木造への取り組む可能性を見るわけですね。
 
松村:ハードウェアの作り方に固執をしない経営者も増えてきています。急にあるゼネコンからパネルを売ってほしいと言われたら、やってみますとチャレンジしたり、YouTubeで営業を始めましたとか、新しいこともやるわけです。そういうことは、昔の工務店ではやれませんでした。
 
— そうなってくると、かなり「場の産業」への関心の所在、余地が生まれてきます。これがゴリゴリの大工さんだったら、難しいですね。
 
松村:昔は少し手直しするような工事だったら、弟子にまかせておけばいいという感じでした。でも、新しい感覚の経営者たちは敏感に生活者と接して、「箱の産業」が減ってきているから、中古マンションの内装をやってみようという人が出てくるわけです。
 
一方で、木造のストックはたくさんある。住宅のなかでは在来木造がずっとメインだったので、当然ストックも在来木造が圧倒的に多いんです。特に、古いものになると、木造を扱える工務店の能力が発揮できるところが明らかにあるんです。古民家再生なんかは、手加工ができる大工が来ないとはじまりません。それなりの技能を持った人が必要とされる世界はあるので、木造の世界のなかで育った人たちはそこで生きていくことも可能です。
 

「場の産業」における「部品の保全性」

 
— 面白いですね。同時に「場の産業」のなかでの再教育、大工さんだけではなく、造園屋さん、建具屋さんへのある種の再教育が、ポイントになりそうです。それまでの「箱の産業」のコードとは違う楽曲で弾かなきゃいけないわけですから。
 
松村:曲のアナロジーで言うと、ある曲があって、これをもう少しいい曲にしようということですよね。曲を新しく作ることじゃなない。既に曲はあって、でも今までのアレンジではもう聴けないので、思いきってオーケストラでやるようなことに近いかもしれません。すでにあるものを生かして使い方、暮らし方をどうよくしていくか。
 
国交省やそこでの政策では、リフォームやリノベーションにより建物の性能が向上して、長く使えるものになると言うのですが、一気にそんなことはできないと思っています。もちろん性能が向上することはいいことです。でも、今あと50年保つようにしようと考えなくても、少しでも良くなればいいじゃないかと。生活者の感覚もそちらに近いと思います。
 
— 「飽きたらまた改めますよ」ですからね。
 
松村:建って1年目の物件を購入して、軸組と屋根と外壁は生かして、中身を自分好みに変えて住むという極端な人も出てきています。その方が、注文住宅を一から自分でつくるよりも安いという考え方です。マンションなどでも結構あるみたいです。
 
— 昔の話で恐縮ですが、内田祥哉先生たちの時代に「部品の共通化」が提唱されていましたが、実際にその産業の中では、かないませんでした。
 
松村:全然かないませんでしたね。サステナビリティ的な問題としては、住宅や建築に限らず、一般的に何かを変えるときに、その品番の部品がありませんということが生じます。だから丸ごと変えてくれとなってしまう。大きめのもので言うと、たとえば給湯器。マンションで、ギリギリの寸法で穴みたいなところに給湯器を突っ込んでいるものがあります。でも、もうその寸法のものはつくられていないので、新しい給湯器を入れ替えることができません。
 
 昔は「部品の保全性」と言っていましたが、建材も部品も長く使っていこうという時代になったときに、寸法や納まり、部品が変わってしまっていて、そのメーカーでも他社でも対応できないことになっているわけです。そうなってくると、お互いに何もできないですから、市場そのものに活力が出てこないのです。
 
 一方で、若い研究者の権藤智之さんから最近聞いたキーワードに「Right to repair」という言葉があります。「リペアする権利」という考え方で、よりオープンにみんが修理できる状態でいようと。
 
— それこそ「場の産業」のロジックですよね。
 
松村:「リペアする権利」というのは、まさに「部品の保全性」が保証されています。この考え方が徐々に高まっていくと、部品の保全性がないようなものは、この人権に反しているということになってきそうです(笑)
 
—「箱の産業」から「場の産業」へと移行していくなかで、内田先生がおっしゃってきたことが、非常にリアルに意味を持ってきたと思います。ビルディングエレメントという概念も「場の産業」として読み取っていくと、よりクリアになっていきそうです。「部品の共通化」というものがないと、リノベーションもできずらくなるわけですから。
 
松村:今はセルフリノベーションをする人も増えてきているので、そのビス1本がホームセンターで売っているかどうかが大事です。それまでは、クローズドなプロの世界でしか流通していなかった部品が、いきなりオープンになっていく。まさに「Right to repair」の世界になっていくのが、面白いところです。
 

 

松村秀一
(まつむら・しゅういち):1957年生兵庫県生まれ。1980年東京大学工学部建築学科卒業。1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。東京大学工学部建築学科専任講師、助教授を経て、2006年から2023年3月まで東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授、特任教授を歴任。2023年4月から早稲田大学理工学術院総合研究所の研究員教授。主な著書に『空き家を活かす』(朝日新聞出版)、『ひらかれる建築』(ちくま新書、2016)、『「住宅」という考え方』(東京大学出版会、1999)など。2005年日本建築学会賞(論文)、2015年日本建築学会著作賞などを受賞。