Architect Interview vol.20

設計組織ADH/渡辺真理+木下庸子

 

美しさは公共性になりうるか
── 真壁伝承館という試み

2026/1/15

 

インタビュアー:真壁智治、編集・写真:大西正紀
インタビュー収録:2024/7/24

 

学会賞を受賞してから10年以上が経過した建築に、いま何が宿っているのか。設計組織ADH/渡辺真理+木下庸子 による茨城県桜川市真壁の「真壁伝承館」を訪ね、改めて話をうかがった。歴史的街並みに対して「サンプリングとアセンブリ」という手法で応答した建築は、どのように住民に受け入れられ、公共性をまとっていったのか。

 
 

作品賞から10年後に問う「公共性」のゆくえ

 
— 「雨のみちデザイン」の「インタビュー」コーナーでは、建築家の設計思想を深く掘り下げる重要なコンテンツとして続けてきましたが、今回のシリーズでは、そこに新しい視点を加え、日本建築学会作品賞を受賞した建築を、竣工から10年以上経った時点で振り返り、その後にどんな公共性が生まれたのかを検証するものです。僕は歴史家ではないので、外からの批評にとどまらず、設計した建築家と一緒にデザインの意味を議論することが大切だと思っています。
 このシリーズの第1回は武蔵野プレイスでした。あれも10年を超えてなお安定的に利用され、むしろ動員を増やしている。そして第2回は上州富岡駅。駅そのものが街に機能をもたらす「役者」として、同時に公共性が構築されているかどうかを検証しました。
 そして今回の第3回は「真壁伝承館」です。今日の議論の核心は、この建築にどのような公共性が根付いたのか。僕自身は「美しさ」が公共性をかたちづくる資産であり、資質であると考えています。年間の来館者数ではなく、建築の美しさが維持され続けていることこそが町の財産であり、公共性だと思います。
 まず冒頭に触れておきたいのは、2012年に真壁伝承館が学会作品賞を受賞したときの評価です。桜川市真壁という重要伝統的建造物群保存地区に建つこと、その場所性と歴史への応答が高く評価されました。設計手法としての「サンプリングとアセンブリ」も、建物のスケール感やプロポーション、外壁や外装の処理とともに受賞理由に挙げられていました。さらに建築と都市、建築と歴史、作り手と使い手をつなぐ連続性を構築し、それを実践した点が大きな評価につながったと記録されています。
 ただ、当時の受賞理由には「美しさが公共性を生む」という視点は含まれていませんでした。まだ竣工間もない建物だったからでしょう。けれど、12年を経た今でもその美しさは損なわれていない。これは僕にとって非常に新鮮な驚きでした。竣工時の姿が、そのまま今も町の資産として生きているのです。
 
木下:確かに、いま見てもそういうふうに感じられるのは嬉しいですね。
 

「真壁伝承館」外観(photo = 繁田諭)


― 決して写真映えだけが理由ではありません。写真が上手いからそう見えるのではなく、実際に建築が公共性を帯びて町に根付いているからです。こうした「美しさと公共性の関係」を、今回あらためて検証してみたい。そのうえで、まずはコンペの要項について振り返りましょう。当時の条件はどのようなものだったでしょうか。
 
木下:はい。もともとこの敷地には中央公民館が建っていて、その建て替え計画でした。したがって中央公民館の機能はすべて引き継ぐ必要があったんです。隣には小さな郷土資料館もあって、それも吸収することになりました。さらに母子センターの機能も組み込まれていて、地域の多様な用途を担うことが前提条件だったのです。
 敷地には当時、あまり使われていない蔵や倉庫のような建物が残っていて、公園と隣接する場所でした。私は最終選考の段階でプレゼンテーションに加わったので、詳細は後から知ったのですが、要項には「必ずワークショップを行うこと」という条件が盛り込まれていました。加えて「サンプリングとアセンブリ」という言葉がコンペに取り組む渡辺と研究室の皆さんの間では標語のように掲げられていたんです。そのフレーズを聞いたとき、かつてUR都市機構で景観について悩んでいた経験と重なり、この土地で試みるには面白いかもしれないと直感しました。
 
― つまり、渡辺さんの研究室がコンペ案の骨格をつくって、その早い段階から「サンプリングとアセンブリ」という方法論が立ち上がってきたわけですね。
 
渡辺:そうです。実際には学生たちをいくつかのグループに分けて、毎週案を持ち寄っては相談し、また練り直す。その繰り返しでした。その中で大きく二つの流れが出てきたんです。
 ひとつは歴史的文脈に寄り添う案。真壁の歴史的街区をどう継承するかを意識したグループです。もう一方は、近代建築的な要素を持ち込み、町に新しい変化を生み出そうとする案。両者はかなり激しく競い合っていました。最終的には、町の建物のボリュームを基準に並べていく「文脈(コンテクスト)派」に近いアプローチが採用されました。とはいえ、学生たちからは不評でね。「先生がまたそんなこと言う」とよく反発されました(笑)。でも、これまで積み重ねてきた作業があったので、簡単には引き下がれない。結果として、形態派と文脈派が拮抗し続けることになったんです。
 
― でも、その緊張関係は面白いですよね。今になって振り返ると、もし形態派の案を採用していたら、きっと風化していたはずです。竣工から12年たった今は、もう見るからに古びてしまっていたでしょう。ところが文脈派の考えを軸にした結果、建物は美しさを保ち続けている。やっぱり「美しい」という資質は時間に耐えるものなんです。ただ、その美しさを学生たちが細部の設計まで理解していたかというと……そこまでは難しかったでしょうね。
 

 

美しさと歴史的コンテクストの交差

 
渡辺:コンペの段階では、学生たちが「文脈派」も「形態派」も百分の一模型まで作っていました。ただ案は最後まで統合できず、結局プロポーザルには「文脈派」の案をコンセプトとして形で提出することになったんです。
 
木下:私も当時はその経緯を知らなかったんですが、審査員の前で提示されたキーワード 「サンプリングとアセンブリ」を説明したとき、これはこの土地に合う方法論になるかもしれないと思いました。設計案がないまま通ったコンペなんて初めてじゃないか、と同僚にも言われましたよ(笑)。でも、それを評価してくれたのが審査員だったんです。そこに、このプロジェクトの特異なポイントがあると思います。
 
―  世論が正しく評価されたんだと思います。もし真壁の人たちがこの記事を読む機会があれば、「やっぱりあの時のコンペの趣旨は間違ってなかった」と感じてほしい。時間が経ってもなお美しさが醸成され、町に資産として残っていることこそ、最大の証拠だと思うんです。
 
木下:もうひとつ印象的なエピソードがあります。竣工間際に東日本大震災が起き、近隣の蔵はブルーシートがかかっていました。そんなとき、近所のおばあさんが「この建物はいつ修復が終わるのかね」と渡辺に尋ねたそうです。つまり、新築であるにもかかわらず、長く町にあった建物の一部として自然に受け止められたということ。サンプリングとアセンブリが本当に成功した瞬間だったんだと思います。
 
― もし壊れても、また同じように建て直されるだろう、そう思わせる既得性の力があるんです。
 
渡辺:実際、震災のときはまだ工事中で仮囲いの状態でしたから、近所の人には「補修」に見えたんですね。
 
木下:そう、それが大きな意味を持っていました。新築であるにもかかわらず「修復」に見えるというのは、景観にしっくり収まっている証拠です。設計の意図が市民に伝わったと感じて、とても嬉しかったですね。
 
― 景観に配慮した建築群の例はこれまでもあります。真壁伝承館はそうした系譜に連なりつつも、デザインの洗練度が一段高い印象ですね。もし今後、真壁で住宅や店舗を改修する際に、この建築のデザインコードを活かせば、町全体の統一感のある更新にもつながるはずです。
 
木下:もう少し補足すると、景観というのは「敷地の外に目を向ける」局面が大事だと思うんです。
 
渡辺:真壁の特徴は、伝統的建築が連続して並んでいるわけではなく、ポツポツと点在していることです。間には普通の建物もたくさん建っています。ですから、京都のようにストリートスケープ全体を保存するのは難しい。むしろ「良い建物をピックアップして、散りばめる」やり方が、この町には合っていると後から気づきました。私たちのサンプリングとアセンブリの手法は、偶然ですがこの真壁の状況に適していたんです。
 
― ある種のパターンランゲージ的な、コラージュ的な手法ですね。屋根の勾配や断面のフォルムも既存の建物をほうふつとさせる。上質な設計として、サンプリングが町に根ざしている。
 
渡辺:ただ、文化庁とのやり取りは大変でした。保存地区なので、模型を持って呼び出され、「屋根は瓦ですか?」と聞かれる。金属板だと答えると「壁は漆喰ですか?」と。鉄板の上に遮熱塗装とするという説明をすると、向こうはだんだん沈黙してしまって ……。正直「これは大問題になる」と覚悟しました。
 でも、真壁町の建物調査を続けてこられていた建築史の河原義之先生が文化庁との交渉に入ってくださって、「まあいいんじゃないですか」と言ってくれた。それで収まったんです。
 

 

サンプリングとアセンブリの思想

 
― 本当は「アセンブリ」ってところに、この方法の本質があると思うんです。要するに、単なるコピーじゃなくて「遺伝子」を残していくようなものですね。
 
渡辺:本当にひやひやする場面もありましたね。でも何度も繰り返しますが、河原先生が非常に理解を示してくださったのが大きかったです。真壁伝承館は、今の技術を駆使して成り立っています。構造は鉄板ですし、屋根は瓦ではなく、漆喰の代わりに特殊な仕上げ材を使っている。昔のものをレプリカとして復元することはできますが、私たちが大事にしたのは「現代の技術で歴史ある場所に応答する」ことでした。そこがこの建築の大きなポイントだと思います。
 
― なるほど、まさに目から鱗ですね。保存(コンサベーション)ではなく、革新的な技術を駆使しながら町の記憶を立ち上げ直す。現地で見て改めて感じました。通り抜けの道も真壁石の舗装もいい。そして中庭のプロポーションが絶妙なんです。あれはどういうふうにスタートしたのですか。
 
木下:最後に真壁石の配置に立ち会ったのは私でしたが、その前にひとこと言わせてもらうと、アメリカの大学で「サンプリングとアセンブリ」と説明したら、みんな簡単そうだと言うんです。でも実際はとても大変でした。コンペで勝ったあと半年くらいは、この手法がどれだけ苦しいものか思い知らされました。真壁の街からサンプリングした要素をスタディ模型にして、それを敷地模型に配置してみる。市民ワークショップでも同じ模型を 3グループ分用意して使ったんですが、設計にまとめていくとどうしても積み木遊びのようになってしまう。なんでもアセンブルできるからこそ、逆に収まりがつかないんです。
 ゴールデンウィークに泣きそうになりながらエスキースを続けていたとき、一番苦労したのはホールの位置でした。ホールは一番大きな建物なので、その配置が決まらないと全体がまとまらない。最初はシューボックス型で正面に置こうとしましたが、ここでは成立しませんでした。そこでホールを縦長にし、横にホワイエを寄せる配置を考えた。渡辺と相談して「これならいけるかもしれない」となり、中庭と通り抜けが自然に生まれたんです。結果的に、この中庭をネガポジで見ると空間が豊かに読み取れるようになり、非常に評価もいただけました。
 

「真壁伝承館」中庭をのぞむ(photo = 繁田諭)

 
― あの中庭のプロポーションは本当に豊かですね。
 
木下:さらに、石の扱いにも面白い話があります。真壁石は近くの山から採るんですが、地元に何十社も採石業者があって、組合の会長さんに相談に行ったんです。切り出して加工するのは手間も費用もかかるから、このまま畳一枚分くらいの大きさで指定して使うのが一番いい、と助言を受けました。実際に仕上げてみると厚みが 80100ミリほどあり、その重厚感が空間に力を与えていました。石の並べ方はランドスケープアーキテクトの オンサイト計画設計事務所長谷川浩己さんが現場でアドバイスしてくださり、一緒に調整しました。
 
―  厚みがあるからこそ足裏で「踏み代」が感じられるんですね。それが嬉しく、豊かな感触でした。
 

 

反対派さえ巻き込んだ対話のデザイン

 
―  ワークショップには周辺の古いお宅に住んでいる方々も参加されたのですね。
 
木下:町では名士のような人や、公民館建替プロジェクトの反対派の方まで来ていました。最初の回で「あの人が来ちゃった」という空気があったんですが、テーブルに入ってもらって一緒に案を考えることにしました。結果的に、その人のグループと他のグループの案がすごく似ていて、ご本人も驚いていました。絶対反対だと言っていた人が、ワークショップを通じて考えを変えていった。これは強く記憶に残っています。
 
―  なるほど。単に場所を移したいという立場の人もいたでしょうけど、やはりこの「陣屋跡」に拠点を置くことに意味があると、最終的には共有できたわけですね。
 
渡辺:最初の 1時間くらいは、反対派の意見ばかりで「これは本当にワークショップになるのか」と不安でした。
 
木下:ただ、グループごとに案をまとめて市民の前で発表すると、 34つの共通点が自然と見えてきたんです。そこで教育長をはじめ教育委員会も「ではこの共通の方向で進めましょう」と。 2回目以降は驚くほどスムーズに合意形成ができました。最初は喧嘩になるんじゃないかと緊張していたくらいでしたから、結果的に大きな転換点でしたね。
 
― ワークショップそのものがガス抜きになったんですね。
 
木下:そう。お互い反対していた人も「一緒にやればいい」と気づけたんです。そこから景観や配置に関して共通の条件が浮かび上がってきました。例えば「中央公園は通り抜けられるようにすべき」「ブロックしてはいけない」「神武天皇遥拝所をもっと尊重すべき」といった具体的な点です。
 
― 具体的なリクエストと共に当事者意識も相当出たんですね。筑波山の眺望も含めて。ワークショップとしては成功です。
 
木下:ええ。山が見えるというのは町にとって大切な視点でしたね。それと、どの建物をサンプリングしたかは市民には直接伝えませんでしたが、私たちは心の中で「ぜひ入れたい」と思っていた建物がありました。木造の長い蔵のような建物で、そのスケール感をどこかに反映したいと考えていたんです。
 
― ファサードの長い継続性というのが、結果的に景観の軸線になっています。
 
木下:寄宿舎のような建物でした。
 
渡辺:そう。実際は女工宿舎のような建物で、軒の低い二階建てでした。使われてはいませんでしたが、その長さとスケール感に強く惹かれました。それを図書館に取り入れられないかと考えていました。図書館には住宅的なスケールが求められると感じていて、この位置は早い段階で決めていました。難しかったのはホールの配置です。大きなボリュームをどこに置くかは最後まで議論が続きました。最終的には建物全体のボリュームは最初の計画より少し大きめでしたが、議論や予算の検討を経て 1割ほど減らしました。プログラム上もそのくらいで十分だと合意できたんです。
 
木下:それを町の人も受け入れてくれました。
 

 

地域の誇りが生む公共性

 
木下2007年の終わりにコンペがあって、 2008年前半から夏休み頃まで、何度かワークショップを行いました。夏休みには子どもワークショップも開催して、そこで出てきた意見が、図書館のプログラムに強く影響しました。子どもたちからは「学校帰りに立ち寄れるような図書館がほしい」「居場所がないから作ってほしい」と、言われました。結果として、 2階に学習室が設けられました。正直、本当に使われるかどうか疑問だったのですが、意外なほどよく利用されています。やはり子どもたちの声が正しかったと実感しています。図書館全体が住宅的なスケールで落ち着いた空間になったのも、この声が大きかったと思います。
 
― 学校帰りに自然に立ち寄れる居場所になっている。まさに生活に溶け込んでいる
 
木下:ええ。子どもの声が「居場所」のプログラムを生み出した。そのことが基本設計の方向性を決める大きな要素になりました。私自身も 2008年のゴールデンウィークに、泣くような思いでエスキースをまとめていたのを覚えています。その後、実施設計へと進み、 2011年の震災の時にはすでに建物はほぼ完成していました。
 

「真壁伝承館」外観(photo = 繁田諭)


渡辺:実施設計の後に教育長に呼び出されて、「鉄板でやると聞いたけど、コンクリートじゃダメなの?」と言われました。形は同じでいいから、わかりやすいコンクリートにしてほしい、と。私たちは鉄板の間に暖かい空気を通す仕組みを説明しましたが、なかなか理解してもらえなかったんです。
そこで構造設計者の 新谷眞人さんとも相談し、コンクリート案と鉄板案を数字で比較しました。コンクリートは壁厚 200ミリに断熱 50ミリを加える必要があり、合計 250ミリ。鉄板は 100ミリで済む。結果、鉄板の方が室内有効面積を広く確保できる、というわけです。教育長は役人でもあったので、数値による合理性で納得されました。ただ、それでも心配は残っていたようで、実際に銀座や仙台の鉄板建築を視察されました。真夏に外壁を触って「熱くないか」と確かめたり、表面を叩いて音を聞いたり。体感して初めて理解してくださった感じでしたね。
 
木下:教育長は建築に明るい方でしたから、最後には「これは議会で説得できる」と受け止めてくださいました。未知の技術に不安はあったけれど、実際に触れ、数値で確認することで理解に至った。そのプロセスも、この建築が地域に根づくうえで大切な一歩だったと思います。
 
― ランダムな単窓の構成が、ホルスタインのような牛の模様のようにも見える建物です。
 
木下:そう、スイスチーズみたいな感じだと表現されることもあります。南側は直射日光の熱負荷が強いので、 200ミリほど空隙を設けた上に木板すかし張で対応しました。その空間に換気扇などの設備も収めています。
 
渡辺:そういう機能的なものを処理するスペースとしても使いましたが、同時にダブルスキンとしての効果も大きかったです。この図書館では床下から鉄板と鉄板の間に暖気を通し、全体に拡散させる仕組みを取り入れました。これは故・高間三郎先生の提案で、「どこかで実績があるんですか?」と尋ねたら「いや、まだやってないから今回提案しているんだ」(笑)。結果的に結露防止に非常に有効で、断熱をしているとはいえ内外鉄板でわずか 100ミリ厚しかないのに、結露はまったく発生しませんでした。
 
― 私は街を歩いて何人かに伺ったんですが、みんな誇りを持っているというのがとても印象的でした。そば屋のおやじさんに聞いたり、いろいろ話をしたんですが、「真壁の文脈を取り込んでいる」と素人の目にもわかるようでした。身近なスケール感や親しみのある質感・色味を含めて、それを誇りに思っている。そのことに私は感銘を受けました。つまり、用途や機能が公共的だからといって公共施設になるわけではない。みんなが共感して初めて公共性を持つ。その時に、美しさやデザインが実際に役立つんだと強く感じました。
 
木下:当時、市の議論の中では、自分たちで運営できる「身の丈サイズのプログラム」を目指そうという意識がありました。ホールも 300人規模に収め、もっと大きな催しは桜川市の他の施設で行えばいい。ここはコンパクトで、その代わり平土間にもなってワークショップなどに使えるようにしたい。また、博物館や歴史資料館も展示物を地元の学芸員が自分たちで交換できるようにするなど、大手広告代理店に頼らない仕組みを志向していました。
 
― 文楽や工芸などの文化ともつながってきますね。
 
木下:全て委託に頼るような展示ではなく、自分たちで展示をつくっていく。その姿勢を後押ししてくださったのが、東京大学総合研究博物館の松本文夫先生です。展示コンセプトの協力をいただき、ケースなども住民や学芸員が自分たちで扱えるようにしました。吸盤でガラスを外して入れ替えられるような仕組みにしてあるんです。
 
― 現状を変えられるような仕掛けを持たせたわけですね。お話を伺っていると、上州富岡駅のような駅舎設計とはまた違って、地域の資産となり、多様な人が活用する施設をつくるには、かなりの理論武装が必要だったのだと感じます。
 
渡辺:そうですね、それは大きかったと思います。構造の専門家だけでなく、歴史や展示の領域まで関わって、非常に学際的な取り組みになりました。
 
木下:ええ、法政大学の 高村雅彦先生もワークショップや調査に参加してくれました。建物の実測調査も一緒に行って、歴史ある街並みを自分の目で確かめたいと。その後も筑波大学の 藤川昌樹先生が長く関わってくださって。展示についても、筑波大の学生たちが街並みの模型を制作してくれました。
 
― それが今もきちんと維持されているというのは、素晴らしいことですね。12年経っても健全に維持されていること自体が、設計の意図が社会に根付いた証拠でしょう。ライフサイクルを考えると、それが味になっている。
 
木下:そうですね。私たちもしばらく真壁を訪れていませんが、お話をうかがって、安心しました。
 

 

「新しい技術」でつくる歴史の継承

 
渡辺:鉄板の上に張った木も経年変化は当然あるわけですが、教育長から「なぜ不燃処理をしないのか」と問われました。これまでの鉄板を使った建築の実績があったので、十分安全だと考えていたのですが、宇都宮大学の先生が開発した不燃処理技術を採用しました。ちょうどチームに宇都宮大出身者がいて、そのつながりで杉材をすべて不燃処理することができました。ただ、塗料のなじみ方に懸念が残るという声もありました。
 
木下:家具のデザインについても、ホールのホワイエや図書館では 藤江和子さんに依頼しました。鉄板建築というコンセプトに呼応して、本棚や椅子も含めた家具全体を統一的にデザインしていただいたのです。とても効果的で、空間の一体感が生まれました。
 

「真壁伝承館」内観(photo = 繁田諭)

 
― 写真を見ると、確かにそうですね。この家具が空間にしっかりと寄り添っているのが伝わります。ペーブメントの計画も素晴らしい。安心して歩けるし、バリアフリーにも配慮されている。
 
渡辺:敷地は比較的フラットで、大きなレベル差はありませんでした。ただ南側はわずかに下がっているので、そのあたりは工夫しています。
 
― そして板金の仕事が本当に見事です。ここには職人技の力強さが感じられます。
 
木下:これは原寸モックアップで試しました。窓まわりを検証するために一室分のスケールを組み立て、屋根や軒の収まりも含めて細かく確認したんです。地方の良さで、モックアップをつくるための場所を市の方が提供してくれて、五洋建設も協力して「気になる部分は全部モックアップで試す」と言ってくれた。実際に目で見て触れて納得できるまで検証したことは、とても大きかったと思います。
 
― 内装を含め、美しさへのこだわりが随所に感じられる建物だなと改めて思いました。完成から十年以上経っても、きれいに維持されているのは印象的です。
 
渡辺:外壁は光触媒を採用していて、効果が出ています。面白いのは、光が当たらないと反応しないことです。竣工後、駐車場側の影になる部分にだけ、少し緑色の汚れが出てしまったのですが、メーカーがすぐに対応してくれました。今では白い面がきれいに保たれています。
 
― 雨仕舞いの処理も丁寧ですね。入口まわりは特に水が落ちてこないよう工夫されていて、それがとても美しい。
 
渡辺:ありがとうございます。ホールの上部についてですが、あそこに機械室を設けざるを得なかったんです。室外機を置いたのですが、どう隠すかが大きな課題でした。ルーバーで覆ってしまうのは避けたかったので、視線を遮る位置に偏光ガラスを入れることで、ある角度からは見えず、別の角度からは抜けて見えるように工夫しました。
 
木下:通路の窓から見える部分ですね。ガラスの種類で処理することで、機械の存在感を消しつつ、全体のデザインに溶け込ませています。
 
― なるほど。僕は建物に入り込んでいるのかと思いましたが、そうではなく、視線をコントロールしていたんですね。機能的な要素を上手に隠しながら、美しいスケール感を維持している。住宅的なスケールを感じさせるからこそ、親しみやすさがあり、全体のバランスを損なわないのだと思います。やっぱり美しいんですよ。鉄板のディテールも実に周到で、雨仕舞いの工夫も含めてよくできていると思います。
 
渡辺:歴史的建築を参照すると、屋根や雨樋は必ず出てきます。でも今回は金属板のルールをつくって、見せたくない部分は木板でカバーするようにしたんです。だから雨水はきちんと処理しつつ、外観はすっきり見える。
 
木下:余談ですが、この鉄板は地域のワークショップにも大活躍なんです。ひな祭りや子ども向けイベントでは、マグネットで作品や飾りを自由に貼り付けられる。壁自体が「展示の場」になって、住民が自ら空間をつくりかえていけるんです。
 
― なるほど。街の中でキラキラとした彩りを演出する要素になっているんですね。
 
木下:そうなんです。特に真壁のひな祭りの季節には、ここがまちの中心地のひとつになる。地元のお母さんたちが料理や甘酒を振る舞い、人が自然と集まってくるんです。
 
渡辺:ちょっと冗談みたいな話ですが、真壁って しんかべ って書くでしょう? この建築をつくった直後、僕の先生である磯崎新さんにお会いする機会があって、写真を見せたんです。まだ学会賞も取っていない時期で、正直すごく怖かったんですが、「こんなものをつくったんですが、いかがでしょうか」と。磯崎さんはしばらく黙って写真を見つめていて、最後に一言だけ「日本建築は真壁じゃなくても、大壁でやっても成立するんだな」とおっしゃったんです。鉄板だから必然的に大壁になる。それでも日本建築として認められるんだ、と。あの時の短い一言は大きな励みになりました。
 
木下:日本建築のプロポーションって、やっぱりサンプリングしたものの中に宿っているんですね。
 

 

真壁伝承館がもたらした誇りと象徴性

 
― ある種、この窓のリズミカルな構成が効いている。地域の人たちが自分たちの記憶にある建物と重ね合わせているんじゃないかと思うんです。だから自然に受け入れられている。皮肉なことに、町全体は年々衰退していくんだけれども、この建築だけはき然と立っている。そのコントラストが、数年を経てますます鮮明になり、新しい象徴になっていると感じます。
 
渡辺:民家の窓も実はランダムにつけられていることが多いんですね。結果的に、それを抽象的に再現しているように見える。地域の人が自然に気に入ってくれている理由は、そういうところにあるのかもしれません。高齢化と人口減少が進む町にあって、ここは人々を鼓舞する存在になっていると思います。
 
― でも真壁伝承館は、周囲のスケールに寄り添いながら、多様なものを受け止められる建築になった。学会賞を受賞しただけでなく、時間を経てもなお検証されるべき存在なんです。建築は完成時の評価だけではなく、経年してどう町に根づくかを見なければならない。これはぜひ若い建築家にも伝えたい。美しさは公共性を構築する重要なファクターなんだということなんです。
 
渡辺:当初のプロポーザル要件は 3階建てでしたが、私たちはあえて 2階建てで提案しました。そのほうが周囲のスケールに合うと考えたからです。結果的にそれが正解につながったのだと思います。
 
木下:偶然ですが、私はその後に 「武蔵野プレイス」の審査員を務めることになりました。真壁伝承館と同じく「公共性の担保」が評価の大きな基準になっていたのが印象的です。今回、この建築をシリーズの第三弾として取り上げていただけたのは本当に嬉しいです。
 
― 日本建築学会作品賞受賞作のその後を検証するという趣旨から、今回「真壁伝承館」を「雨のみちデザイン」でフォーカスしました。渡辺真理さん、木下庸子さん、ありがとうございました。
 地方の街の衰退化に歯止めがかからない中で、「サンプリングとアッセンブリー」という地域の記憶をつむぐデザイン手法を駆使して、街の公共財としての「美しさ」を醸成させ、根付かせた業績は地方の街の希望ではないでしょうか。ここで改めて「真壁伝承館」を評価したいと思います。
 

渡辺真理
(わたなべ・まこと):建築家。1950年群馬県前橋市生まれ。1977年京都大学大学院修了。1979年 ハーバード大学デザイン大学院(GSD)修了。磯崎新アトリエを経て、1987年木下庸子と設計組織ADHを設立。法政大学デザイン工学部 建築学科教授(〜2021年3月)。設計組織ADH代表、法政大学名誉教授。
 
木下庸子
(きのした・ようこ):建築家。1956年東京都生まれ。1977年スタンフォード大学(工学部系)卒業。1980年ハーバード大学デザイン大学院(GSD)修了。1981〜84年内井昭蔵建築設計事務所勤務。1987年渡辺真理と設計組織ADHを設立。2005〜07年 UR都市機構 都市デザインチーム チームリーダー。設計組織ADH代表、工学院大学名誉教授。
 
主な受賞に「JIA新人賞/2000」(NT)、「日本建築士会連合会賞(作品賞)優秀賞/2002」(日本基督教団ユーカリが丘教会+光の子児童センター)、「JIA環境建築賞(一般建築部門)優秀賞/2005」(兵庫県西播磨総合庁舎) 、「グッドデザイン賞 金賞/2005」(東雲キャナルコート 中央ゾーン)、「日本建築学会賞(作品)/2012」(真壁伝承館)ほか。
 
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設計組織ADH