取材日:2022年1128

インタビュアー:真壁智治、編集:大西正紀
2023/12/17  

プラットフォームとしての駅
竣工から8年「上州富岡駅」を観る

 

上州富岡駅を南東側から見る(photo = Daici Ano)


 
— 今回は日本建築学会賞作品賞受賞者へのインタビュー第2回として、TNAの武井さん、鍋島さんに「上州富岡駅」についてうかがいます。受賞から時間が経ったからこそ検証できること、共有できる計画概念のようなものを抽出できればと思います。
 2015年の学会作品賞を受賞した「上州富岡駅」は2014年竣工でした。作品賞の受賞理由には4点挙げられていました。
 まず、一番目はプラットフォームという考え方の効用。プラットフォームはビルディングタイプを示す言葉ではありません。どちらかというと計画概念、計画言語に近い。これを学会が取り上げたことが面白いなと思いました。駅舎というビルディングタイプの展開というより、プラットフォームという光景を統括し得る新しい概念をTNAが提示してきたことへの評価でした。
 二番目は、このプラットフォームを通して、線路で分断されていた街を視覚的にも一体化したこと。三番目には、レンガの構造に合わせて二つの駅舎の顔ということを学会は評価していました。そして最後の4番目は学会には珍しく、お二方の苦労というところにも触れられていました。つまりホーム、駅舎、街路、広場を一体としてデザインするには、さまざまな行政等とのネゴシエーションが大変だったというわけでした。
 まずは、このコンペが設計協議だったということ。そのなかでお立てになったプログラムや計画上の工夫、意匠的なトライアル、運営的な工夫など、そのあたりからうかがいたいと思います。
 
武井:このコンペが開催されたのは、ちょうど東日本大震災の直後でした。あの震災では、それこそ津波によって建築というものは一切合切なくなってしまいました。
 
— 建築家サイドも無力感も大きかった。
 
武井:あのとき、建物という「物」ではなくて人の「絆」のほうが大事なのではないか、建築不信が世の中に蔓延していた気がします。ただ、今まで建築に愚直に向き合い設計してきた我々は、「何のために建築をつくってきたのか?」という根本的な自分たちの価値を問われていました。
 
 コンペをコーディネートされた元群馬県庁の 新井久敏さんに後から聞いたのですが、そのような状況下でのコンペをやめるべきでは?という話もあったそうです。ただ審査員長の 隈研吾さんが「今だからこそ、やるべき設計競技ではないか」とアドバイスをくださったと。
 
— それはなかなかまっとうな発言ですね。
 
鍋島:あのコンペは2011年の4月に要綱が出て、提出が5月でした。
 
武井:一級建築士であれば誰でも応募可ということで、迷わず参加を決めました。日本の震災復興や、今後の社会に対する希望をもてるようにという思いで、建築というかたちある「モノ」によって、建築のあるべき姿を示すことを目指しました。
要綱では明らかに、 富岡製糸場の世界遺産登録に向けた整備の一環であるとわかったので、国としてある種のおもてなしを求められる建物である一方で、赤字ローカル路線に相応しい、維持管理の容易な地域の駅でもある。その非日常と日常を同時に考えていくことがテーマとなりました。
 
— 当時の上州富岡駅はどんな感じでしたか。駅員さんがいる有人の駅だったのでしょうか。
 
鍋島:上信電鉄上信線沿線の駅には、無人の駅もありますし、一番新しいと言われていた駅でもだいぶ古かったです。一番印象的だったのは、切符でしか行けないことでした。上州富岡駅にも駅員さんがいて、一枚一枚切符を切って。それがまた富岡の穏やか雰囲気につながっていました。
 
— そこで見聞した駅の在りようと、提案したものへの飛躍が素晴らしいと思います。しかも既存の駅舎を表象するようなものは描かなかった。普通はどこかでそれまでの駅を引きずってしまいます。
 
鍋島:駅の雰囲気が街に対して、どこまでも切れ目がなかったのです。プラットフォームに立っていても、すぐ隣に家が建っていました。
 
— たとえば、国立駅や鎌倉駅、最近の原宿駅もそうですが、必ずその駅が持つシンボル性やフォルムが議論になります。それが上州富岡駅では、具象的なフォルムではなく抽象的なプラットフォームへと合意が取れたところがすごいなと思いました。
 
武井:この駅建設は、県、市、上信電鉄の共同施行事業でしたので、当初、駅に対するイメージに少しズレがあったようでした。私たちは、できるだけ壁やガラスなどの囲いを少なくした駅を提案したのですが、その後協議を重ねていくと、なぜか「これ、ガラス張りなどで駅を囲うことはできませんか?」となる。「えっ、ガラス張りってなに?」と思って、びっくりしました(笑)。
 
鍋島:ガラス張りなどで駅舎を覆うと、外観としては立派に見えますが、メンテナンスや空調負荷が増えて、維持管理も大変になる。もともと我々は、縁側みたいに、寒いときでも、暑いときでも、ただその地域の特徴的な場所として、人が集まってくれればその部分だけを室内化すればいい、のどかな風景をなるべくそのまま駅に変えられればいいと考えていたので、さまざまな調整に労力を使いました。
 
— 冒頭の既存の富岡駅での駅舎の体験が、いい方向にいったのでしょうか。結果として群馬県のある種のバリアに対して上手く穴をあけていくことができたのではないですか。
 
武井:県庁の新井さんをはじめ、担当部署の方々が本当に協力的でした。これを実現させるにはどう説明すればいいか考えましょうと。我々がおしゃれなプレゼンをしようとすると、それでは署内では理解されないから、こうやって書いてくださいとか、かなり具体的に指導されました(笑)。より良い駅にしたいという、目指す方向は全員一緒でした。そうしているうちに、建築家という立場を忘れていた気がします。
 
— 同様の態度が、先に取り上げた図書館「武蔵野プレイス」についてインタビューをさせていただいたkwhgアーキテクツのお二人にもありました。強面の建築家というイメージではなく、一緒に考えるパートナーであることを強く意識したと。レンガを採用された想いにはどのようものがあったのでしょうか。
 
武井:我々は何年、何十年と経ったときに、昔からずっとそこにあったかのように存在してほしかったので、富岡の地域に馴染んでいたレンガの表現を使いました。だから、これからも変わることなく、自然と周りと溶け込んだような状態になっていってほしいです。
 

上州富岡駅の内部から南側外部を見る(photo = Daici Ano)


 
— 僕も実際にうかがいましたが、駅全体がまさに“抵抗感のない日常”になっていたという印象を受けました。
 
鍋島:駅にはベンチのような台があります。板が張ってあって、ちゃんと角が丸くなっていて、誰も怪我しないようになっています。街の人たちが横になっていたり、お弁当を食べたていたりしているところは、大きなレンガの台になっています。
 
— 備品なのか、施設の一部なのかが一見わからない感じで。実際は施設の一部を上手に起伏させながら作っているところは、とてもスマートだと思いました。
 
武井:その解釈の違いは、利用者にとっては関係ないことです。だから、そういうことを感じさせないように作りたいと考えていました。すると、スケールや身体感覚、素材などへとディテールにゆき着きます。結局、そこに言葉の説明は要らなくて、寝そべりたくなったときに寝そべられるように、登りたくなったら登り登ることができるような形状にしました。実はレンガは冬は保温作用があって、陽が当たると温かくなるので、自然と寄りかかって座られやすくなるんです。
 
— レンガは蓄熱性が高いのですね。建築家の奥村昭雄さんも、蓄熱効果として南側のサンルームの床や壁にはレンガを使っていたりしていました。
 立ち上がったレンガの壁ではブレースをレンガで挟むことをされていました。コンペの提案時にここまでやっていたのか、と驚きましたが、あれはかなり構造家とも話し合われていたのですか。
 
鍋島:当初、レンガはそれほど乗り気ではありませんでした。というのも、レンガ風のフェイクな表情になってしまう可能性もあって、果たして我々にそれとは異なるデザインができるのかという不安な気持ちもありました。でも世界各地を巡ってレンガの建築を見ていくうちに、木骨煉瓦積造の世界遺産の玄関口である駅には、やはり新しい煉瓦の構造が必要だろうと。その煉瓦の遣い方についてずっと考えていました。
 
— 何よりもレンガは、それ自身が持っているモジュールが、非常にヒューマンスケールです。あれがものすごく効果をもたらしたのではないでしょうか。そこに剛直、かつ非常に緊張感のあるブレースやテンション構造が融和しているのが鮮やかです。
 
武井:レンガはどうしても重厚な感じがあるので、ある程度の高さまでしか積み上げられないと思われています。でも、そのスケールをもう少し広げてあげると、軽やかに積まれている煉瓦の風景ができるのではないかと考えました。そのときに構造家の小西泰孝さんに、鉄筋コンクリートのように、レンガと鉄筋を組み合わせることで、単にレンガを積むのではなく圧縮力をかければ、レンガは高く積むことができるのでは?という単純な問いかけをしました。
 
鍋島:それがレンガ柱のスタートでした。レンガで柱を作り、そこに屋根をかけるというような話へと展開していきました。
 

上州富岡駅を南西側から見る(photo = Daici Ano)


 
武井:鉄骨のブレース構造が基本でその鉄骨を覆うようにレンガが積まれているのですが、通常の斜材ブレースにレンガを纏わせると、三角形の大きな壁になってしまう。そこで、そのブレースを柱の根元の方へ引っ張ることで、敢えて直線のブレースを折れ線にします。それに沿わせるようにレンガを積むと、人が寄り添えるベンチや公衆電話が置ける棚、ポスターを掲示する掲示板など、段々の高さにレンガの壁が自ずと変化するわけです。このアイデアは小西さんとの打ち合わせの中で瞬時に決まりました。レンガの新しい遣い方として富岡製紙場にひけをとらない構造になるだろうと確信したのを覚えています。レンガが、単に区切る、分節するという機能だけではなく、人が自然に寄り添う、近づきたくなるレンガの構造になれるといいなと。これを鉄骨煉瓦積み造と名付けました。
 
— 僕は上州富岡駅を見たときに、東日本大震災の原風景に立ち上がる象徴だな、とも思いました。あの佇まいは、大船渡や宮古、女川にあってもいいなと感じたのです。人々が次へと踏み出していく。その背中を押してくれるような建物になっていたのです。
 

竣工から8年の気づき 

 
— 竣工から約8年で、駅舎としての役割や、あの建物が生み出したものなど、改めての気づきなどはありますか。
 
武井:当初から建物自体の役割は何も変化していませんが、周辺は変化しました。富岡市役所や富岡倉庫など、上州富岡駅のコンペより以前から、富岡市のまちづくりのマスタープランの枠組みの中で建て替えなどが進みました。上州富岡駅はその整備計画の始まりでもあったので、その基準線としての役割も持たせました。実は駅前の市の施設の駐車場はもともと設計範囲外だったのですが、その後に駅前の風景として、駅から周辺にゆるやかに繋がってゆく意味でも、駅舎と同時に考えておくのが必然かと思い、設計の範囲を広げさせていただきました。
 
— 受賞理由のなかでは祝祭空間として機能していることにも触れられていました。それは富岡製糸場とのリンケージやネットワークにもつながることです。
 
鍋島:富岡には「どんとまつり」というお祭りがあって、山車が街中を巡ります。それまでは駅前を通過するだけだったのですが、新しい駅舎がそういうお祭りやイベントを一体になって展開される場所になっていってほしいという思いもあって、あのような設えにしました。
 

上州富岡駅全体、南からの外観(photo = Daici Ano)


 
— 駅前のロータリーの道路付けが素晴らしいです。均質な街と近いところとちょっと引いた向かい合い方、あのループがいいなと。あれは国交省からの要請もあったのでしょうか。
 
武井:最初は違いました。あとから土木コンサルが描いた図面をいただいて、微調整をしながら、標識や植栽、縁石なども設計してゆきました。
 
— それは関わることができてよかったですね。建築マターではないものまで手を入れられたと。学会賞でもそこには触れられていましたが、完成度をより上げる意味ではどうしても必要だったわけですね。
 

プラットフォームである理由

 
— 今日、なんとしてもこの部分を解き明かさなきゃいけないと思ったのは、プラットフォームということです。
 くしくも、「上州富岡駅」とほぼ同時期に、アトリエ・ワンによる「JR 北本駅西口駅前広場」、西沢立衛さんによる「JR熊本駅東口暫定広場」が竣工しました。共にプラットフォーム的でもあるわけです。これらが、非常に接近して出てきたことは、計画論的にも非常にエポックだと思います。要するにある種のアフォーダンスをみんな感じながら設計していたわけです。
 街と駅をつなぐためのスケールとフレーミングとリズムを、設計や計画のなかに概念として取り組んできた。しゃもじのような西沢さんのあの暫定広場も然り、アトリエ・ワンのJR北本駅も実にいいです。北本駅もあの駅から見える先の街は、実にありふれた風景なんです。
 「上州富岡駅」の壁の高さが極めて気になっているのですが、あれは何メートルでしょう。あの高さはどのようなことを考えられたのですか。
 
鍋島:高さは 6.8メートルです。高さは、周りの住宅の高さを一番意識しました。あと屋根は、低いとどうしても目に入ってきます。あそこは引きが取れる場所なので、できれば屋根を感じずにしたいなということがありました。のどかな以前の駅には、もともと屋根がありませんでした。でも、雨をしのぐ機能は必要不可欠。だから、どのぐらいの高さだったら屋根を感じずに、気づけば街に入っていけるかということを意識しました。また先ほどお話しした富岡どんと祭りの山車が入る天井高さでもあります。
 

上州富岡駅、南からの外観(photo = Daici Ano)


 
— 「上州富岡駅」「JR 北本駅西口駅前広場」「JR熊本駅東口暫定広場」の三つの建築が媒介する効用・効果は、非常に近いものがあると感じました。初めてその街を訪れると、もちろん寂しさはあるのだけども、街との距離がぐっとタイトになれる、親和性が生まれる。それは設計のなかに潜ませている、ある種の媒介性なんだろうと。これこそが、ギブソンの言うアフォーダンスなのだなと思ったわけです。近年、それを建築家が一つの武器として懐に入れるようになってきてるのではないかと思うのです。
 
 そういうことを武井さんや鍋島さんたちは、薄々気づいてるのだろうなと。いや、それはおそらく僕が感じるのではなくて、何よりもここの利用者の皆さんが感じているのだと思います。地域の住人たちも、これができたことによって街がより愛おしくなったのではないでしょうか。
 
武井:ちなみに、屋根の下の面は照明のリフレクターとして使っています。もともと駅前にあった照明はまぶしすぎたということで全部取ってしまったのですが、逆に今度は暗すぎるのではということになり、そのようにして良い結果が生まれました。夜景を見ると、街を照らすという意味では「 JR 北本駅」との親和性があるかもしれません。
 
— 武井さんたちにとって、アトリエ・ワンの存在は大きいかと思います。僕は建築家のボキャブラリーが偶然ではなく必然として、そうさせたのかと考えてしまいます。
 
武井:塚本さんが、私たちの作品のなかで上州富岡駅が一番良いとおっしゃってくださいました。ただ、上の世代の建築家の方々は、レンガは必要ないのではとおっしゃる方が多くて(笑)。レンガが良いと評価して下さる建築家の多くは、ポストモダニズム世代なのかもしれません。
 
— スマホで撮る世代にとっては、レンガがあるとフォトジェニックになる、絵になる。ところが、たとえば山本理顕さんや伊東豊雄さんの世代など、ある種のモダニズムの人たちにとっては、レンガという表現そのものが邪魔なものなのかもしれません。この話は、社会が要求する建築の姿として、非常にデリケートでかつターニングポイントになるものだと思います。
 
鍋島:縁側みたいにみんなが集まってくる、そういう雰囲気をつくるというアイディアが出てきたときは結構自信があったのですが……。コンペの最終講評で、審査委員長の隈研吾さんは「地味」という言葉でおっしゃられて。確かに、いろいろな案が出てきたなかでは、結構地味だったかもしれないのですが(笑)。そんなことを思い出しました。
 
— 「上州富岡駅」は、ある種のアノニマスな駅ですよね。でも、人々にある種の街との距離や自分たちの暮らしとかを考えさせる契機を生んでいます。そこに駅という象徴性はなくても、これがだんだん優れた公共空間としての育ち方をしてくるのだろうと思います。最終的にこの案を選んだ人にも、同じような視点での見識があった。「地味」が何を育むのか、を時間が証明している点も痛快です。
 
鍋島:ひとつ大切な駅舎のスペースの話を忘れていました。この駅舎は細長いのですが、実は中央部のオープンスペースは市が管理する交流スペースなのです。何も用意されていない広場のような場所。何もないレンガに囲まれた場所があります。実際はイベントなどで市民が自由に利用できます。
 
— 市の飛び地? それはコンペの際に顕在化していた与件だったのですか。
 
武井:いいえ、設計が進む中で明確になってきたスペースでした(笑)。市の管理と電鉄の管理のエリアが駅に入り混じることになるわけで、敢えて中央に市のスペースを挿入することは管理上望ましくはなかったかもしれません。ただ、それを駅の端部に寄せてしまうと、使い重ねをされることはなく、あまり使われなくなってしまうだろうと予測しました。偶然の出会いや活動が生まれる余地が駅には必要なのです。半外部空間が富岡市の他の施設には無かったということもあり、市の情報発信スペースを最小の室内空間に敢えて抑えることで、縁側のような広場を駅の中央につくりましょう、と市長に直接プレゼンさせていただいたりもしました。
 
— 駅舎の中で非常に機能がコンプレックスしているのは、そういう偶然性も相まって生まれていったのですね。
 
鍋島:駅はビルディングタイプとしては明確ではない気がします。建築基準法も曖昧な部分が多いです。そういう意味ではいろんな領域や活動が入り込んでいい。そもそもそういったベースがあるので、建築の作り方次第でどうとでもなるところが面白いと思います。
 
— 近年の建築家の努力によって、図書館や駅舎などが、ビルディングタイプに縛られているような発想ではもたないことを、みんながだんだんわかりだしてきています。それにしても、真ん中が市の土地だっていうのもまた面白いですね。それは現地調査をする際にはここは妙な敷地だなと気づくことはなかったのですか。
 
武井:現地調査の際は、わかりませんでした。設計の途中で判明したいので、我々がそこをこじ開けて、市に予算を出していただいて拡張して全体を広くしていったということになります。
 
— そうすると、市の考えでは想定していた駅はもう少しコンパクトなものだったのですね(笑)。でも最終的には、完成した規模感が街のスケールにふさわしいと感じます。街に対しての「エッジ」としての心地よさがこの駅舎の外観にはあります。
 
武井:このような街との一体感を実現することできたのは、施行者が、県、市、民間の鉄道会社という3者がいたからこそだと思いました。関係者がいずれの一部だったとたら、このように境界を曖昧にすること、延いては新しい建築のかたちはできなかったかもしれません。
 
— まさに建築が解決する領域を広げたという意味でも画期的な作品です。
 

 

建築における“下からの公共性”

 
— 「建築の公共性」ということについても、「上州富岡駅」はやはり突出した作品じゃないかと思うのです。これは公共物ですよと与えられたものではなく、使う側がその公共性をいかに感じているか。もう少しわかりやすい言葉で言うと「みんなの共通利益が上州富岡駅にはある」ということです。景観や居心地についても、私は好き嫌いということではなくて、だいたい皆さんが共通の利益として、それを感じている。社会学的に言われる“下からの公共性”が、大きな建築の可能性だと思っています。そもそも公共の空間を手がけられるのは、お二人にとってこれがはじめてだったのですか。
 
鍋島:初めてでした。
 
— 公共施設ということで、不安になったり、逆に気負う部分もなかったですか。
 
武井:不安は全然なかったんですよ。でも気負いは少しあったでしょうか(笑)。途中で、いろいろ思うところもありました。
 
— 東日本大震災を経てということもありました。どのようなことを感じられていましたか。
 
武井:誰のために建築を作っているのか、改めて考えさせられました。住宅の設計をしているときは、顔の見える施主が見えていて、建築家はその要望に応えてゆけば、満点の満足度を獲得することもできると思います。しかし、今回は言ってみればまさに三者三様のクライアントを相手にしていたこともあり、一体誰のために設計をしているのだろうか?と途中から分からなくなってしまいました。我々としては住民や利用者の使い勝手の良いものを提案するのですが、それに対して全く異なる価値観による判断が行われるわけです。それぞれの立場では正しいのかもしれませんが、建築を実際に使う人たちに向いいて設計をしていないのではないか(笑)。
 
鍋島:上州富岡駅が公共建築としてははじめてでしたが、その敷地に建築がどう建つかということは、それまで設計をしてきた住宅と同じです。周りの環境があってその敷地がある。新しいものをつくるときにその環境に対してどうなのかと考えなければいけません。住宅のようでありながら、公共的なものをということを一生懸命考えていたと思います。
 
— 手塚アトリエの出身ですが、そのようなところにも影響はありますか。
 
鍋島:どちらかと言うと手塚さんは内部から設計する、内部で人がどう感じるかを考えながらずっと設計されていました。なので、基本は敷地いっぱいギリギリまで建たないと内部が心地よくないという考え方でした。でも私たちは、そのことがずっと気になっていました。やはり街というものは、その敷地の中で完結するものではなく、隣があってこそ、またその隣がある。その距離はすごく大切なものだと考えていました。
 
武井:そういう意味ではアトリエ・ワンの塚本由晴さんの影響も大きいかもしれません。東工大の塚本研究室の研究生のときに私が担当した「ミニハウス」には衝撃を受けました。あのとき“建ち方”という言葉が出てきたと思います。外部のコンテクストに起因する建ち方と内部の生活からくる絶対的なスケール、その境界のデザインが我々のなかでは大きなテーマだったのかもしれません。
 
— 東日本大震災移行、建築の世界では「つながり」「絆」という言葉が頻繁に見られるようになりました。なんか抽象的なか細いものを感じるのですが、その上で“下からの公共性”というものを太いものとしてつくっていかないといけないと思います。だって、それを世の中が渇望しているわけですから。
 
武井:真壁さんの仰る“下からの公共性”と建築があまりにも離れすぎていたことが根本的に問題だったのだと、僕は思っています。「建築にしかできないこと」、を公共性の中でしっかりと考える。それをこのプロジェクトではどうしても実践したかったのです。
 

プロジェクトを実現させる新しい建築家像

 
— 今日、お二人にどうしてもお尋ねしたいことがもうひとつあります。武井さん、鍋島さん世代が持つ、新しい建築家像についてです。武井さんが1974年生まれで、鍋島さんが1975年生まれ。コテコテの作品至上主義でも、作家志向でもない。新しい建築への態度が現れてきた世代だなと、見続けてきたのですが、比較的世代が近い建築家にはどんな方がいらっしゃいますか。
 
武井谷尻誠さん、中村拓志さん、マウントフジなどでしょうか。長谷川豪さんや藤村龍至さんは少し下の世代です。
 
— この世代は、これからもう少し整理して見て行く必要があると思っています。ある種、建築が生む効果、空間の媒介性ということについて意識的に取り組んでいる人たちが比較的多い。妹島和世さん、伊東豊雄さん、手塚貴晴さん・由比さん、塚本貴晴さん・貝島桃代さんなどの事務所を経由してきた世代から建築をひとつ変えていきつつあるなと。実際にこの世代がコンペで勝ちだしていることには、それを受け止める、ジャッジする側の感覚が変わってきた部分もあると思います。あるいは、行政側を説き伏せる審査員たちの度量も大きくなってきている。その上で、この世代が新しいものを生み出していける時代なのでしょう。
 
武井:おそらくプロジェクトを実現させる能力が高いのだと思います。勤めていた頃の設計事務所というのは、誤解をおそれずに言えば、体制と喧嘩してなんぼという雰囲気もありました。もう少し違うやり方があったのではないかと感じることもありました(笑)。プロジェクトの担当者たちは、どうしたら、この建築を前に進めることができるのだろうかということを、知らず知らずのうちに習得していたのだと思います。
 
— なるほどなぁ。ボスたちがプレゼンテーションして、クライアントである行政とのやりとりを聞きながら、自分たちだったらどうしようかと反面教師的に学んでいたわけですね(笑)。
 
鍋島:そうやって同じ世代の建築家も、さまざまな難局を乗り越えてきたのだと思います。もちろん、社会における建築家のスタンスは、上の世代から大いに学ぶべき立ち居振る舞いであり、その前提があっての話ですが……。
 

上州富岡駅の雨のみち

 
— 上州富岡駅の「雨のみち」について教えてください。樋が見当たりませんが、あの雨仕舞いはどうなっているのですか。
 
鍋島:屋根のホーム側の先端に内樋が流れています。 10メートルおきに架線のための架線柱が立っているので、その架線柱と一緒に竪樋を沿わせています(笑)。建築の屋根と架線柱では挙動が違うので、横樋と縦樋は縁を切っています。縦樋が架線柱の仲間として存在しているといった感じです。
 
— そういう見えざるインフラがあったのですね!
 
武井:見えずらいのですが、屋根の庇が架線柱のギリギリまで伸びているんです。
 
鍋島:架線にはいろいろな設備が共架されているので、あまり気づかれないのです。屋根を支える柱のなかに、竪樋を埋め込むことができないので、最初はガーゴイルで屋根の両端へ水を落とすことも検討していました。
 
— たしかにこの屋根のプラットフォームのコンセプトからすると、形態的にもガーゴイルは矛盾していないですね。
 
鍋島:広場のほうに、雨を落としたらどうかとも考えたのですが、建物の端っこが公園なので、それはどうなのかと。
 
武井:と同時に、鉄道側、歩道側のどちらにも雨を落としてくれるという要望があったのです(笑)。結局どこに雨水を落とせば良いのか、、、となって、最終的にフラットな屋根にして、架線柱に沿わせた竪樋を地面までつなげ、敷地内の地中埋設配管から、公共下水道へ流す方法を取りました。
 
— 要するに架線柱に流して自然に処理する。つまり流れた水が越境しないということですね。設備系と絡めたということですから、これもなかなか普段はできない工夫ですね。
 待望の「上州富岡駅」のその後の様子も含め、武井さん、鍋島さんから話を伺うことが出来ました。大変、納得できる部分が多くて有意義でした。日本建築学会作品賞を受賞した施設のその後を再検証しようとする主旨からも上州富岡駅が「下からの公共性」を醸成させている様がよりわかり、希望の持てる施設となっていることを嬉しく感じました。併せて、時代が建築に求める効用・効果のレベルも見ることができ、それらは共感される「建築の小さな潮目」として「漂うモダニズム」を打開する確かな設計や計画への気づきと手法になろうとしている。その事態が手応えとして強く感じとれました。本日は本当にありがとうございました。
 

 

武井誠
(たけい・まこと):建築家。1974年東京都生まれ。 1997年東海大学工学部建築学科卒業(山田守賞)。 1997年東京工業大学大学院塚本由晴研究室研究生+アトリエ・ワン。 1999年手塚建築研究所入社。 2004年TNAを鍋島千恵と設立。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、博士(工学)。 現在、京都工芸繊維大学特任教授。
 
鍋島千恵(なべしま・ちえ)
1975年神奈川県生まれ。 1998年日本大学生産工学部建築工学科卒業 。 1998年手塚建築研究所入社。 2004年TNA共同主宰。 
 
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