Architect Interview vol.19

西沢立衛 / SANAA, 西沢立衛建築設計事務所

 

〈合理〉を超えて
── SANAA / 西沢立衛の建築世界

2025/8/18
 
インタビュアー:真壁智治、編集・写真:大西正紀

 

合理性と機能性を重視してきたモダニズムの文脈のなか、なぜ建築家・西沢立衛のSANAAの建築は欧米においてここまで支持されてきたのか──。西沢氏にその核心を問いかける。モダニズムの継承と再読、テクノロジーの進化がもたらした転換、そして日本的な感性や風土との関係。空間を「見る」ことから「感じる」ことへ建築の重心が移るなかで、建築の新しい接続点とは何か。

 
 

なぜSANAAの建築は欧米で支持されるのか

 
— 今日は、SANAAの建築がなぜ欧米でここまで愛され、支持されているのか、そのことについて話したく思います。妹島和世さんや西沢立衛さんの仕事を、若い世代にもっと関心を持って探求してもらいたい。ちゃんと研究されるべきだと思ってるんです。SANAAが欧米で受け入れられている背景を私なりに考えてみました。4つの要因があろうかと思います。
 まず一つ目は、設計の基調がモダニズムにあるということ。ヨーロッパの建築史の流れの中に、自然に接続できている。二つ目は、ル・コルビュジエ(1887-1965)やミース・ファンデルローエ(1886-1969)といった近代建築家の再読ですね。特にプランの研究をすごく丁寧にやってきている。そうした蓄積が「空間図式」を生み設計の土台になっている。三つ目は、柱や床、屋根といったビルディングエレメントに対して、新しいテクノロジーが入ってきたこと。それによって柱はより細く、屋根はより薄くできるようになった。SANAAの軽やかな構成とすごく相性が良かった。そして四つ目に、建築を理性ではなく身体的な感覚として受け止める、そういう世界的な気運があると思うんです。合理主義だった欧米でも、建築を“感じる”“感応する”方向にシフトしてきていて、そこにSANAAの建築が自然に重なった。
 
西沢:「建築を感性、身体性で受け止められるようになってきた」というのは、ありますね。建築家だけでなくお施主さんも含めて。
 

 
— 最近は特にSANAAを理解してくれる発注者が増えてきたなって感じるんです。単にデザインだけではなく、運営も含めたプログラム全体も期待されているのでしょう。
 モダニズムの系譜を持ちつつ、コルビュジエやミースの地道なスタディ、特にプランの研究を積んできた成果が、施設を運営するイマジネーションと共振する。これまでSANAAで手がけてきた大学、ギャラリー、アパートメントとか──欧米での仕事のなかで、発注者からどのような期待を受けていましたか。
 
西沢:発注者にもいろんな方がいらっしゃって、一概には言えないんですけど、たしかに僕らのお施主さんは、デザインを飾りのようには考えていないですね。よい場所を一緒に考えていきたいというような人が多いと思います。また、僕らに仕事を依頼してくださる方々というのは、個性的というか、面白い人が多い気がします。建築はお施主さんの個性がすごく重要ですね。
 
— なるほど。公共的なプロジェクトではどうでしたか。
 
西沢:ヨーロッパは公共であっても、個人の力が大きいと感じます。日本のように「パブリック」と「個人」をきっちり分ける感じではないんです。むしろ公共空間には個人の力が必要だ、という感じがします。ヨーロッパの民主主義って、独裁性とそれほど対立していない気がするんですが、あれも、強い個が公共を作るという基本的構造があるからではないかな、と思ったりします。
 
— パリの広場も、かつてのミッテラン大統領やシラク市長がいなかったら実現しなかったかもしれませんね。
 
西沢:日本だと「公共」って言葉が出ると、個人性を引っ込めなきゃいけないような空気があるけど、ヨーロッパは逆で、公共って、強い個人の集合です。あれが、魅力的な都市空間、魅力的な建築を生む土壌になっていると思います。ヨーロッパの民主主義は、民主的だけど、そこには強い人間、声をあげて意見を言う人間がいます。日本とは社会の構造が全然違うと思う。ヨーロッパは建築の歴史が分厚いのですが、それは、市民社会が成熟していく歴史でもあり、また、強い人間の歴史でもあると思います。
 
— 僕はSANAAの仕事って、そういう歴史のなかに欠けていた「何か」を差し込んで、評価されてきたんじゃないかと感じてきました。欧米では、みんなが無意識に建築の歴史にブレークスルーを求めていた気がします。
 
西沢:それはあるかもしれませんね。彼らの歴史と我々日本人の歴史は違うので、その新鮮さはあると思います。ヨーロッパ人は、どんどん世界に出ていって、世界を支配しましたが、あれももともとは、彼らが個として体力がある、というのはあったと思う。砂漠だって南極だって行けてしまうタフさがある。どんどん出ていって、交易して、場合によっては略奪して、ともかく外と常に交流している。常に他者と議論している。彼らは世界にものすごく興味を持っていると思います。外来文化をどう取り入れ、どう自分たちを豊かにしていくかという、そういうところが彼らにはあります。建築で言えばビラ・アドリアーナだし、バロック都市ですね。ああいう発展性、世界性は、日本文化にはないものです。
 
— で、そのプロセスの中で、西洋的なソフィスティケーションが育まれていく。
 
西沢:我々日本人からすると、彼らのすごみというか、面白いなと思うところがいっぱいありますが、強いて言えば、彼らの民主主義、個人主義、物質主義などは、本当にすごいことだと思います。それらはどれも、我々にはないものだと思います。
 
 彼らの物への敬意はすごいですね。日本にいると逆に、物ってたいしたことじゃないというか、物をむしろ軽蔑さえしかねない我々がいる。そもそも日本人にとって物は移ろうもので、一過性のものでしかないんじゃないでしょうか。
 
 ヨーロッパの物質主義は、物と精神をはっきりわける二元論です。ヨーロッパにいると、物と観念がまったく分けられて、それも感心します。日本では、物質と観念がだらだらとつながっている感じがします。
 
— ある種、混在している感じです。「モノ」と「観念」とのシームレスな事態ですね。
 
西沢:そうですね。物と観念がほとんど連続しているという日本の変さというか、曖昧さは、ヨーロッパの視点から見たときに、逆に特別なものなのでしょうね。彼らは SANAAの建築の世界観を、そういう延長線上で見ている気がします。まったく物質的でない建築というか。物質なのに非物質的、または、観念なのに等身大という感じで、見ているのではないかと。僕らの思想を、言葉や物でなく、等身大の空間として体験しているんだと思います。昔ヨーロッパでレクチャーをすると必ず、あなたたちの建築はデモクラティックだ、と言われました。またある記者には、あなたたちの建築はエルーシブだ、とも言われました。
 
— なるほど。その根底に、私は「空間図式」があると思っていて、それが共通の空間体験を生んでいる。「空間図式」を強調していく上でシームレスな構成手法が現れてくる。それも重要な空間体験の要素のひとつになっています。
 
西沢:そうなんです。空間なんだけど図式、つまり観念であって、図式なんだけど建築化されている、つまり実体でもあるという。物と観念が分けられない世界を建築が提示するから、ヨーロッパ的にはなにか異文化というか、異なる歴史から出てきたものを見ている感じがすると思うんです。でもそれはたぶん、僕らだけでなくて、日本文化全体がそうなのではないかと思います。非物質主義、非観念主義、非個人主義です。自然主義と言ってもいいかもしれません。
 
 今はメディアの力も大きくて、ヨーロッパの人たちは今、我々日本の建築を個別に、建築家別に見るようになりました。でも以前は、日本の建築を彼らが建築誌で紹介する時、「日本特集」という枠組みでした。 80年代までは「日本建築」っていうものは、 安藤忠雄さんや 高松伸さん、 槇文彦さんをセットで、十把一絡げに紹介されるような、ある種の 民族文化的 な扱われ方でした。でも 90年代後半になると、そういう「日本特集」的な視点はだんだん薄れていって、各建築家を個別に見るようになってきた。日本の建築家を西洋の建築家と混ぜて紹介するようになった。それは大きな変化ですね。
 

ロレックス・ラーニングセンター外観。(写真提供 = SANAA)


— その流れの中で、僕が印象深いのはやっぱり「ロレックス・ラーニングセンター」かな。あの建築は大きくはないけど、空間の質がとても特異で、インパクトがすごくあったと思います。今まで建築が得たことのない浮遊感や緩み感覚が建築の体験から伴ってきたわけですから。
 
西沢:あれは 1万平米以上あって、スパンも 60メートルあって、技術的にも大きな挑戦でした。
 
— そうか。周囲のランドスケープが広大だから、余計にそう感じたのかもしれないね。でもその空間がもたらす身体体験の質は、かなり大きかったと思う。
 もうひとつ僕が気になっているのは、SANAAが最近手がけた大阪・梅田のプロジェクト「グラングリーン大阪」(2025)。欧米と日本の設計文化の違いが、如実に浮き出ているような気がしていて。あの巨大なオープンスペースと、それを覆う大屋根の設計。あそこには、技術的にも表象的にも大きな挑戦が詰まっているように思います。
 

グラングリーン大阪外観(写真提供 = SANAA)


西沢:あれはかなり日本的なプロジェクトでした。ランドスケープはフランス系カナダ人のデザイナーでしたが、それ以外はほとんど日本人の手で進みました。公園の一部であり、また公園へのゲートでもあり、公園の中のステージでもある。公園と一体化した建築です。
 

大きな屋根を実現するはじまりの3D

 
— もうひとつ僕が興味を持っていたのが西沢さんの熊本のプロジェクト「熊本駅東口駅前広場 暫定形」(2011)ですね。あそこもかなり大きな屋根が計画されていて、“しゃもじ”みたいなかたちの大屋根が印象的でしたけど、最終的にはなくなってしまいました。
 

熊本駅東口駅前広場 暫定形外観(写真提供 = 西沢立衛建築設計事務所)


西沢:熊本地震の影響で、屋根無し広場を求める声が大きくなって、あのしゃもじは結局取り壊しとなってしまい、今は鉄骨造の、軽い屋根に建て替えられました。
 
— あのプロジェクトにおける大屋根は、単なる覆いというより、非常に象徴的な存在だったと思うんです。SANAAにおいて屋根という要素がどういう意味を持っていたのか、気になっていました。
 
西沢:それはやはり当初から、つまり90年代から、屋根は我々の中で、もっとも重要な建築言語のひとつでありつづけていると思いますね。
 
— ある種、パラソルというか、キャノピー。被覆としての存在が、象徴になっているような。あのかたちってやっぱり強いですね。
 
西沢:そうですか。僕らに限らず屋根は、日本建築の伝統の一つになっていると思います。いろんな人がいろんな形で取り組んできました。建築の原型として、屋根だけで空間がなりたつ、というイメージを日本人は古来持ってきたのではないでしょうか。
 
 また1980〜90年代についていうと、プリミティブハットのイメージがありました。たぶん、 グレン・マーカットの影響も大きかったのではないかと思います。マーカットの建築は、たいへん簡素で軽く、ちょっと西洋建築と違う感覚も感じます。工業的でありつつ自然的というところです。屋根が雨をためて、それを地下水に回したりして、環境に寄り添ってる。その感覚に日本人建築家が共感して、日本という全然違う湿潤な気候のなかで、それを取り込んでいった、というのがあったのでは、と想像しています。砂漠の建築的発想なんだけど、それが現代アジアの都市文化の中で全然違う形で成立してしまった。
 
— その感覚はいわばブリコラージュですよね。手元にある素材や技術で組み立てる。それが日本建築のひとつの特徴になっている。そう考えると、日本人の感覚って、いろんな文脈を飛び越えてしまうことがある。
 
西沢:外来物や外来文化を輸入するときというのは必ず、ある種の大きな勘違いが起きて、もしくは自分たちの好きなように勝手に改変して輸入しちゃうというのがあって、その勘違いや改変が面白い建築を生むことになります。それは、外来物が土着化してゆく歴史でもあります。日本の建築の歴史って、そういう不思議な受容と変換の積み重ねなんですよね。
 
— グレン・マーカットの建築って、日本の雨の風土には本来合わないはずなのに、なぜかしっくり来てしまう。そのズレの中に、たしかに日本的な屋根の感性が立ち上がっている気がします。
 
西沢:砂漠の建築が、アジアモンスーンの建築になってしまって、それは大きな誤解なんだけど、でも当時の日本にぴったり、という面白さですね。グレン・マーカットの建築が与えてくれた感覚や発想は、まだ日本の建築史の中できちんと書かれていないけど、大きな存在だったと思っています。
 

 
— これまで建築の中で、屋根は柱や壁、床と比べると、どこか脇役のように扱われてきた気がする。日本の伝統建築、神社仏閣ではもちろん屋根が象徴的存在だったんだけど、モダニズム以降になると、屋根の存在感って一気に薄れていきました。丹下健三さんの「代々木体育館」あたりから、屋根の扱いが変わってきたかなとは思うんですけど、それでも「屋根」なのか「天井」なのか、構造体としても「皮膜」なのかって、曖昧な感じだった。結局、日本のモダニズムには屋根の建築って決定的に出てこなかった。そこに皮肉というか、ちょっとしたアイロニーを感じてしまうんです。でもその後、妹島さんや西沢さんたちのプロジェクトでは、屋根が主題として前面に出てくるようになった。
 その流れで雨のことをうかがうと、あれだけ開かれた空間が多いと、雨仕舞いについては苦労されることは多いでしょう。
 
西沢:自慢ではないですが、僕らの建築は意外と雨漏りしないんです。僕らの屋根はけっこう形がシンプルなんだと思います。
 
— 雨樋も、あまり使っていない印象があります。
 
西沢:状況によりますが、使わないでよい場合は、使わないですね。必要なところ以外は極力つけたくないです。日本は多雨地帯だから、雨の処理の仕方も多様であったほうがいいと思っています。樋は重要ですが、でもうまく庭を取れて、庭に雨が流れ落ちていくようにできるのであれば、雨水を見ることができて、良いと思います。縦樋で雨水を隠して、見えないようにして処理するよりも、もっときれいで豊かな情景が作れる気がするんです。
 
— 最近のSANAAの仕事を見ると、屋根が明確に意味を持ち始めてる。これまでの平面の蓄積から立体の建築の移行を感じます。それは建築に新たなアフォーダンスをもたらす余地を示すものです。
 
西沢:ひとつには真壁さんが冒頭で仰っていたように、テクノロジーの進化が大きいと思います。施工技術もありますし、設計技術の進化もある。たとえば 3Dの登場は大きいと思います。以前の 2DCADだと、縦と横に分けて設計するしかなくて、または立体物を平面に置き換えて考えるしかなかったので、歪んだ形や複雑な面を扱うのは困難でした。しかし 3Dプログラムの時代になると、立体を立体のまま考えることができるようになる。立体の理解が一気にシンプルになり、その設計はすごく自由になりました。
 
 それと震災の影響も大きいと思います。東日本大震災のあと、軒の意義が改めて見直されました。なんとなく箱建築はよくないというムードが建築界と一般社会で出てきたような気がします。
 
 いろいろな理由があると思いますが、テクノロジーの進化と、環境の時代へのシフト、この 2つが、僕らの建築にも影響を与えているのではと思います。2Dの時代、つまりCADで建築を考えていた90年代、僕らの建築は基本的にみんな でした。 CADで建築を考えるので、2Dで平面をいろいろ考えて、あとはそれを立ち上げるだけ、というやり方でした。
 
— コルビュジエのドミノの原理では、立面はあくまで「結果」だった。それがまさに自由な立面になったというわけですね。
 

サヴォア邸(1931)の立面(Photo = m-louis)


西沢:僕らはコルビュジエとはアプローチが全然違うような気もしますね。実際に彼がどうやっていたのか、興味あります。
 
 かつての我々は、平面が中心で、立体は結果でしかなかったんです。でも3Dの世界は逆です。まず立体からスタートする。立体を作って、それをカットして、平面なり断面なりが出てくる。順序が逆転しているのです。
 
— それは鋭い視点です。平面は3Dの運用プロセスの中で結果として出てくるものなんですね。その転倒があるとき、「驚き」が生まれる。立体から切り出したときに、こういう平面が出てくるのか、って。
 
西沢:設計の順序は、創造的なもので、個人で違うべきものです。コルビュジエの建築を見ていると、我々とはそうとう違う設計の手順だったんだろうなという気がします。コルビュジエの場合、「ファサード=立面」はすごく重要でした。彼はスタディするとき、まず山に登って、建物を遠くから眺めるんです。その時彼は建築を、立面として見る。次に街に入っていって、通りから見る。それも立面です。彼は建築の体験の始まりを「立面」として捉えていた感じがします。
 
— ある種の「エレベーション(立面性)」としての体験ですね。
 
西沢:彼にとって立面は本当に重要なものだった気がします。近代五原則を見ていて面白いなと思うのは、五つのほぼ全部が、パリのオスマンの立面の逆をやろうとしている感じがします。縦長の窓に対して横長の窓、立面が構造体であるパリに対して非構造体の自由な立面、女中が住んでいたようなマンサード屋根の屋根裏部屋を屋上庭園にして、主役にする。建築を立面から考えて五原則が出てきていて、僕らとは出発点がまるで違う。抽象化の仕方が全然違うという気がします。
 
 1980〜90年代は妹島さんの登場で、平面がそれまでと違う重要さを持つようになったように思うんです。もちろん妹島さんだけじゃなくて、レム・コールハースがいたと思いますが、あの時代ですね。平面というものが創造的な分野なんだということ、我々に伝えた人々じゃないかなと思う。
 
— だからこそ、西沢さんの「森山邸」(2005)はその平面に対するひとつのチャレンジだったんじゃないかなと思います。ついつい建築を立面で見がちだけど、この建築はそうじゃない。空間の組み立て方が違うんです。
 

森山邸外観(写真提供 = 西沢立衛建築設計事務所) 


西沢:そうも言えるかもしれませんね。「森山邸」では「配置」が重要な問題になりました。もともとはたぶん、庭付き賃貸住戸というアイデアで、分棟配置にしようというところから始まったのかなと思うのです。同じサイズの住棟をずらっと縦横配置すると、コンテナハウスみたいになってしまって、または兵舎みたいになってしまいそうで、よくないので、配置をスタディし始めました。棟同士が呼応するようにずらしたりして、庭や路地を作ろうとして、縦横の機械的反復でないような、もう少しお互いに影響しあうような有機的な配置を考え始めた。同時に、配置全体の風景の良し悪しをずっと考えていました。それが徐々に、平面図・配置図だけの問題にとどまらずに、立面における窓の配置とか、空間の立体配置とか、家具と木々の配置とか、なにか配置計画が建築のほぼすべて、みたいなことになっていってしまいました。
 
— それってある意味、配置の「コード化」なんですね。どこにどう置けば、どう空間が生まれるかっていう。
 
西沢:そうも言えますね。配置計画だけで建築全部を作れないか、みたいなところが、確かにありました。あと、「森山邸」の前に「梅林の住宅」(設計:妹島和世 /2003)がありました。あれは、立体的な空間関係がたいへん面白く、平面から発想していない建築でした。
 

梅林の住宅内観(写真提供 = 妹島和世建築設計事務所)


— いやでも、さっきの3Dの話、平面って結果なんだって話は、すごく腑に落ちました。
 
西沢:我々の建築の作り方って、道具に結構左右されるんです。自分が使っている道具で作れる形がそのまま出てくる。1980年代から90年代前半は、まだ手書きの時代でした。手っ取り早く素早く、また大量にスタディしたいから、コピー機と紙模型で、スタディ案を大量生産した。あの時代の我々の建築は、ほとんどコピー機と紙模型が建築になった、みたいなところがあったと思います。妹島さんのプラットフォーム1、2は、まさにケント紙とコピー紙だけでできているみたいな、一種異様な軽やかさがありました。 Y-HOUSE森の別荘などを見ると、ベニヤの壁が貼られているのですが、出隅で切り替わるときに突然コンクリートに切り替わったりする。あの厚みのなさ、面で全然世界が変わるというのは、コピー機から出てきた感受性だと思います。
 
たとえば 篠原一男さん( 1925-2006)は、抽象的なものを目指しているものの、妹島さんと比べるともっと重かったし、厚ぼったかった。妹島さんの建築のシャープさ、透明感、または安直さといっては失礼ですが、手軽さ、カジュアルさは、篠原一男にはなかったものだと思います。同じ抽象的な建築でも、まったく別世界でした。
 
— そこが、僕にはずっと謎としてありました。だからこそ、道具と思考、そして方法については、もっとちゃんと見たほうがいいと思うんですね。
 

おそれる雨、取り込む雨

 
— 雨についてもうかがえればと思います。「豊島美術館」の建築においては雨は極めて本質ですよね。槇文彦さんは豊島をご覧になったとき、「ここに機能はないけど、思想がある」と、絶賛されていました。
 
西沢:槇さんが見にきてくださって、「これは建築なのかな ……」ってつぶやいていた、と聞きました(笑)。
 
— 建築じゃないかもしれないけど、明らかにこれは建築的表象なんです。
 
西沢: 日本で建築を考えると、雨は避けて通れないと思います。ヨーロッパのバロック建築とかを見ても、雨をあまり感じません。むしろ砂漠とか、地中海とか、山岳地帯、そういうものを感じます。ヨーロッパで仕事していて驚くのは、防水とか実にいい加減なんです。建物に布団を被せれば OKみたいな、すっごい雑なんです。彼らは雨量が少ないので、雨文化ではないですね。でも日本建築を見て皆が感じるのは、雨がいかに建築の形を決めたか、ですから、日本は多雨地帯の建築だと思います。
 
— 特に、雨が降っているときにその空間を使う人との関係についても何か考えることはありますでしょうか。

西沢:
軒とか、屋根下の半屋外空間を考える時、強い太陽と、あとは雨の日の風景を想像している気がします。日本でよく全天候型の広場というような言い方をしますが、あれは雨の日でも使えるように、というような意味ですね。あと中間領域もそうで、傘を置いて室内に入る、靴を履き替える、など、中と外の間でやることがいっぱいある。我々の建築の中心テーマの一つに中間領域があるのも、要は太陽と雨なんじゃないでしょうか。 吉村順三さん( 1908-1997)の「軒は 1.2メートル出すべき」という考えのようで、それが日本の気候の中ではよく機能していて、勉強になりました。
 

豊島美術館内観(写真提供 = 西沢立衛建築設計事務所)


 「豊島美術館」について言えば、「雨を導き入れる」ということは重要だと考えていました。室内化してしまったら、その建築はもう終わりだ、というぐらいの感覚がありました。室内化すると、空調することになり、防火区画をすることになる。そうすると、どこにでもあるような展示室が丸くなっただけ、というような感じになってしまう。「豊島美術館」が建つのは離島で、東京から 56時間かかります。そんな場所に普通の、東京にも大阪にもあるような展示室ができたら、見に来た人たちが「なんでここに建てたんだろう?」と思われるだろうなと。そう思われないようにするにはどうすべきかと考えた結果、島の気候や地形と一体化した建築をつくれば、なぜ東京に作らないの?という質問は出てこないだろう、と。
 
 そこで内藤さんに中を屋外化する提案をしました。内藤さんはそれを受け止めてくださった。室内に雨が降り込んで、内藤さんの泉と合流する、というものになりました。あの建築がここにある理由が、自然に理解できるようにしたかったんです。
 
— でも最終的に槇先生が現地でご覧になって、「ここには機能はないけれど、思想がある」とおっしゃった。あれは最大の賛辞だったと思いますよ。
 
西沢:機能もあるんですけど(笑)。
 
— 人々には「見える機能」がなかったが、ある意味で、“癒される”ということこそが最大の機能だったんでしょうね。
 今日はとても示唆に富んだ話ばかりでした。ヨーロッパでの仕事の難しさと同時に、建築というものが合理だけでは割り切れない「不可解なもの」へと広がっていく、その可能性を強く感じました。
 
西沢:真壁さんが仰った「感覚の変容」というのは、まさにその通りだと思います。現代の変化のもっとも大きな部分として、「感覚が変わってきている」ということがあると思います。原広司さん( 1936-2025)がかつて、「未来の建築は気象台のようになる」とおっしゃっていたのを思い出します。
 
— 西沢さんとは、少し落ちついて建築の話がしたかったので、今日はとても楽しかった。ありがとうございました。海外、特にヨーロッパでのコンペやプロジェクトに向かう日本の建築家が大なり小なり戸惑うあちらの市民社会の在りようや、公共と個人の力学などが、実直にうかがえてなるほどと感じ入りました。そして、今はアルヴァ・アールトを見るような感覚で、安藤忠雄、伊東豊雄やSANAAの作品に接するヨーロッパの学生たちの動向もなるほどと思えた。西沢さんへのインタビューの白眉は平面と立体との逆転でした。
 SANAAが建築に立体からアプローチする「立体が第一言語」という発想は刺激的ではありますが、想えばSANAAが創出する建築には「フォルム」ではなく「スガタ」が常に表象されています。それは平面から描き出されるものではなく、立体からのみ体現しえるものなのであることを考えれば、うなずけます。
 日常的な設計業務で3Dでのスタディがベースになると、それは同時に新たな道具による建築への思考や方法の変容を示すものになりえる。この変容の下でSANAAや西沢立衛が示す「屋根」へのイマジネーションの意識が私には気になっていました。それと言うのも、モダニズム建築のビルディングエレメントの中でも、屋根は比較的関心の薄い対象だったからです。それがSANAAにより「屋根」が新たな建築言語として語られ出しています。しかも、屋根と建築とのモダニズムの原型がグレン・マーカットの建築にあるとする西沢さんの見立てはとても新鮮でした。
 私は屋根への興味は立体への関心と思考を誘導し、「スガタ」としての建築の把握につながると考えてきただけに、西沢さんの様相派の建築家としての面目をそこに痛快に見ることができました。建築が理性合意の対象から感覚共有の対象へと変位していく様を、まさにヨーロッパの精神風土で実証的に展開してみせているSANAAの仕事を評価すると共に、これから益々SANAAと西沢立衛さんたちの合理を越えていく「スガタ」としての建築(※1)の表象に期待したいです。
 

1:参照「ザ・カワイイヴィジョンa」感覚の発想、「ザ・カワイイヴィジョンb」感覚の技法(共に著:真壁智治)

 
取材日:2025/2 / 27

西沢立衛
(にしざわ・りゅうえ):建築家。1966年東京都生まれ。1990年横浜国立大学大学院修士課程修了後、妹島和世建築設計事務所入所。1995年妹島和世と共にSANAAを設立。1997年西沢立衛建築設計事務所を設立。現在、横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA教授。
 
主な受賞に日本建築学会賞、村野藤吾賞、藝術文化勲章オフィシエ、吉岡隆正賞、ベルリン芸術賞*、プリツカー賞*、高松宮殿下記念世界文化賞*、など。 主な作品に「金沢21世紀美術館*」、「十和田市現代美術館」、「ROLEXラーニングセンター*」、「豊島美術館」、「軽井沢千住博美術館」、「ルーヴル・ランス*」、「済寧市美術館」、「ボッコーニ大学新キャンパス*」、「ラ・サマリテーヌ*」、「ししいわハウス.No3」、「シドニー・モダン・プロジェクト*」、等。(*はSANAAとして妹島和世との共同設計及び受賞)
 
主な著書に、『立衛散考』(エーディーエー・エディタ・トーキョー)、『西沢立衛建築設計事務所ディテール集』(彰国社)、『美術館をめぐる対話』(岩波新書)、『建築について話してみよう』(王国社)、『建築について話してみよう 続』(王国社)、等。
 
LINK
Kazuyo Sejima + Ryue Nishizawa / S A N A A.
Office of Ryue Nishizawa 西沢立衛建築設計事務所