建築時評コラム 
 連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


中島直人(なかじま・なおと)

 
1976年東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻准教授。専門は都市デザイン、都市論、都市計画史。東京大学大学院助教、イェール大学客員客員研究員、慶應義塾大学環境情報学部准教授などを経て現職。主な著書に『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(編著、ちくま新書、2021年)、『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年)など。
 
URL:東京大学都市デザイン研究室

NAOTO NAKAJIMA #3     2023.11.20

「街」をめぐる創造と保全 銀座はなぜ、銀座であり続けるのか?

写真提供:大西正紀

超高層を拒否した街

 
 丸の内も新宿も渋谷も池袋も、千代田区も中央区も港区も新宿区も……東京の商業・業務地域においては、どこもかしこも超高層ビルの建設が続いている。これらの都市再生の一連のプロジェクトが日本の経済成長具合と呼応しているようには見えず、その過剰さに心配になる。かつて街に散らばっていた様々なものやことがこうしたビル群に吸い込まれて行って、気づけば、ビルとその足元に活気は生み出されたとしても、街としては寂しくなっていくような事態が懸念される。例えば、最近、代官山でファッション関係のテナントが抜けていき、空き店舗が目立つ街になっているとの報道があった。コロナ禍における外出頻度の低下、東横線と副都心線の直通化に伴う各駅停車の減便や新宿、池袋方面への流出、地価と建設費上昇に伴うファッション店舗全般の家賃支持力の低下などが理由だと言われているが、少し引いた視点で見てみると、渋谷駅周辺で進む再開発が代官山のような周辺の界隈に影響を与えているように思えてならない。もちろん、最近のデベロッパーが手掛ける大規模再開発プロジェクトにおいては、その敷地内だけでなく、周囲の小規模な不動産を取得して、周囲に巧みに好ましい用途や界隈を生み出していくような戦略も取られている。しかし、それでもなお、高層化された島(それは街にはならない)が浮かび上がる一方で、その周囲の街は湖底に沈んでいく未来を心配してしまうのである。
 
 さて、超高層ビルを拒否し、街であり続けることを選んだ商業地域が東京に一つだけある。銀座である。銀座のまちがどのような経緯で超高層ビルを拒否したのかは、長年、銀座の街づくりの事務局を率いている 竹沢えり子の著書、 『銀座にはなぜ超高層ビルがないのか』(平凡社新書、 2013年)に詳しいが、ここでも簡単に紹介しておこう。ことの発端は 1990年代後半の緊急経済対策としての容積率の抜本的緩和の政策である。 1960年代の容積地区制度導入以前の建物の高さ制限( 31m)下でビル化が進んだ銀座では、この時期、すでにビルの老朽化に伴う更新時期を迎えていたが、 31mに床を詰め込んだ多くのビルの実際の容積率が、銀座の街路が比較的小さな幅員であることも相まって、建替えた場合のビルの容積率の上限を越えていることが多く、それら既存不適格ビルの更新が問題となっていた。従って、容積率緩和の政策自体は銀座の人びとに歓迎された。銀座では前面道路からのセットバックによって規制を緩和する街並み誘導型地区計画と誘導用途の整備による機能更新型高度利用地区の制度を組み合わせた地区計画 「銀座ルール」が制定され、更新が進むようになった。しかし、同時に、銀座の街並みの特性が失われることも懸念された。実は容積率緩和が始まる前から、銀座では将来のあるべき姿とそれへ向けた都市計画方策に関する議論が進んでいた。その結果として、地区計画に盛り込まれたのが 56mの高さ制限であった。
 

 
 この地区計画「銀座ルール」は、 2000年代にもう一段、ステップアップする。 2005年、銀座通りに面する松坂屋の超高層ビルへの建替え計画案が公表された。 56mの高さ制限下で提案された 178mの超高層ビル計画であった。というのも地区計画には例外規定があった。都市再生特区などの都市再開発諸制度を使うことで高さ制限の規定適用外となるという仕組みになっていたのである。銀座の人々はこうした提案が出てきたことに驚き、再び、銀座はどのような街を目指すのか、検討を再開した。 2004年には銀座の街づくりを検討し、実践する主体として、 銀座街づくり会議が設立された。そして、超高層ビルは銀座の固有の価値を損失させる、つまり一つ一つの敷地の開発においては容積率を最大限まで使い切って利益を得たいわけだが、全ての開発においてそうした判断を行った結果として超高層ビルが建ち並んだとすると、銀座の持っていた街全体としての価値、通りに沿って建物が並び、歩いて楽しい細やかな間口にショーウィンドウが続くあの光景が足もとの公開空地に取って代わられることになり、全体最適とはならないということを確認した。結局、 2006年には地区計画「銀座ルール」の高さ制限の例外規定を撤廃し、超高層ビルを拒否することを選択したのである。
 

街並みの質としての創造と保全

 
 こうした経緯で設定された高さ制限は保全的な取り組みである(従来の 31m基準の街並みを 56mにまで引き上げるものではあるが)。ただし、それはあくまでスカイラインの数値を決めたに過ぎない。街並み誘導型地区計画における 20cmの後退距離と合わせて、街並みのおおまかな枠組みを規定する。しかし銀座はこの枠組みだけでは、望むべく街づくりにとっては不十分だと考えていた。最初に地区計画を定めた際、すでに 「我々としては、量的に拡大できるということは、それを質的に高めていくためにプラスに働く可能性があるということで、緩和問題を受けとめてやろうとしてきた。中央区とは、量的な問題に限定して話して決着を付け、我々が考えようとしている質的な都市計画を縛らないようなものにしようとしている」199858日、第五回銀座都市計画会議議事録)という議論がなされていた。枠組みを決める量に加えて、質を担保していくための取り組みが必要だと認識されていた。
 
 この認識に基づいて、 2006年の地区計画の改訂と合わせて設置されたのが 銀座デザイン協議会である。銀座に建設される建物や設置される広告物の一つ一つについて、「銀座らしさ」を巡る創造的な協議を実施し、銀座の街の質を担保していく仕組みである。なぜ、量や数値では質が担保できないのか。それは「銀座らしさ」が量や数値だけではなく、街としての気概、思想、姿勢、佇まいなどによって基礎づけられているからである。例えば、そのことを表す言葉の一つに、 「革新こそが銀座の伝統」がある。銀座は常に新しいものを求め続けてきた、その姿勢こそが歴史の継承なのである。新しいものは、過去に依拠する事前確定的な数値にはない。むしろ、銀座の過去を現代的に解釈し、未来を展望するというベクトルの先にある。
 
 この連載の初回を 「創造と保全とを同一平面で考える都市デザインを意識しながら、時評を寄稿していければと考えている。」と結んだ。創造と保全のこうした関係の一つの具体例が、この銀座の質を求める協議型街づくりなのである。下記の図1は、かつて私の方でその仕組みを図解したものである。
 

図1:銀座デザインルール


 

創造と保全を支える仕組み

 
 銀座は江戸時代以来の商人地である。銀座通りのみならず、様々な通りから構成され、それらに小さな間口で数多くの商業ビルが並ぶ。三越や松屋をはじめとするいくつかのデパートなど街区一つを占有するような大規模店舗もあるが、銀座にとっては支配的な存在というわけではない。近接する丸の内や再開発が進む渋谷などとの最大の違いは、銀座には支配的な地権者も商業者もおらず、あくまで多数の地権者ないし商業者たちの集合体であるということである。銀座の協議型街づくりにおいて大事な点は、そうした多数の人々の集合的意思をかたちづくることができる仕組みが存在していることである。全ての通り会や町会の連合として2001年に設立された全銀座会がそれにあたる。この全銀座会のもとに、街づくりの実践を担う銀座街づくり会議があり、銀座街づくり会議が銀座デザイン協議会を運営するという体制となっている。ルールやデザイン協議の仕組みの土台となっている組織、コミュニティのかたちこそが街づくりの肝なのである。
 
 地区計画「銀座ルール」策定後、1999年に銀座最大の通り会である銀座通連合会が制定した「銀座まちづくりビジョン」が、こうした体制づくりを導いてきた。また、事前確定的なルールを持たないデザイン協議について、その経験の蓄積は『銀座デザインルール』というかたちで都度、まとめられてきたが、その内容は銀座の考える「銀座らしさ」のビジョン、哲学の記述となっている。このビジョンというべきデザインルールはデザイン協議の進展に合わせて、2008年の初版、2011年の第2版、2021年の第3版と改訂を重ね、進化ないし深化している。また、東京オリンピック開催にあたっても、あるいはコロナ禍後の現在も銀座は「これからのあるべき姿」を議論し、ビジョンというかたちでまとめ上げてきている。これらのビジョンは対外的に銀座のあるべき姿を発信するという役割もさることながら、銀座内において、その策定の過程も含めて街について考える機会の提供、そして街の価値や哲学の共有を促すという役割が大きい。
 
 銀座の商店・会社経営者のメンバーで構成される地元青年団体である銀実会の活動も、同様の意味で重要な役割を果たしている。かつてのように銀座で商売をしている人たちは銀座に暮らしているわけではない。かつては銀座の街で暮らし、育つことで街を学び、仲間となっていったが、今は違う。しかし、そうした人たちも街を学び、つながっていける仕組みが備わっている。「革新こそが銀座の伝統」という気概は、こうした仕組みによって継承されていく。そして、銀座という街を持続可能なものにしていく。銀座は銀座であり続けていく。
 

第二フェーズの街づくりへ

 

 
  2010年代後半から、銀座の街づくりは、第二フェーズに入ったと認識している。 2021年に出版された 『銀座デザインルール 第3版』でもそのことが強調されている。 1990年代の容積率緩和から始まり、ある意味、それへの対応として組み立てられてきた地区計画「銀座ルール」やデザイン協議の体制は、特に松坂屋再開発の帰結としての 銀座シックス2017年竣工)をはじめ、幾つかの大規模街区、建築物の更新において大きな役割を果たしてきた。それらが一旦、ひと段落着いた(とはいえ、今も大事な場所での更新は続いている)ので、より総合的な街づくり、総合的な地区デザインに向かっていく段階に移行しようということである。『銀座デザインルール 第 3版』では、銀座が取り組み始めている総合的な街づくりとして、通りと交通のデザイン、なりわいのデザイン、文化のデザイン、世界への発信などを挙げている。コロナ禍の最中の 2021年には、 「世界的な苦境の最中である今こそ銀座は、距離や境界を越えて世界中の都市と地域のありようを俯瞰し、互いの資源を再発見しながら「街」の持つ力と可能性を探る」目的で、 3回の連続シンポジウムを開催した。それぞれのテーマは 「Real?  リアルな都市空間としての銀座の「街」を問い直す」「Local? 「街」の個性、銀座らしさの継承について考える」「Happy? 銀座が目指すべき「街」の豊かさを再定義する 」であった。その際、銀座という街を巡る問題の構図を私の方で整理したのが下記の図2である。
 

図2


 
 第二フェーズの銀座の街づくりは、何れもこれまでの街並み形成で培ってきた協議型の街づくりの仕組みを展開させるかたちで進められている。現在、特に進展を見せているのが附置義務駐車場に関わる取り組みである。商業が通りに連続し、かつ面的に広がる銀座では、附置義務駐車場の配置によって街並みの連続性が途切れたり、ある通りが駐車場だらけの裏道のようになってしまうという問題を抱えていた。この問題に対処するために、以前から、駐車場「銀座ルール」として、大規模開発において通常よりも多くの附置義務駐車場の設置を求める代わりに、小規模の建築物においては附置義務駐車場を敷地内ではなく、別の集約駐車場に確保することができる制度が運用されていた。しかし、公共交通網が発達した銀座では、そもそも附置義務駐車場の台数が過剰であるとの実感が銀座側にはあり、コロナ禍前から、中央区と実態調査を進めた。そして、本年、ルールが改訂され、附置義務駐車場の台数の低減に加えて、これまで認められていなかった障害者用駐車場や荷捌き駐車場についても隔地での確保が可能となった。そして、こうした敷地内に留まらないエリアスケールでの駐車場の確保についても、行政ではなく、銀座が協議型まちづくりのフォーマットで運用していくことになった。これもまた、「革新こそが銀座の伝統」を体現した新しい挑戦的な取り組みとして、手探りで自治的な街のデザインを始めている。
 
 銀座のデザイン協議自体も着実に発展している。本年夏には 『銀座デザインルール 第3版 事例集』が刊行された。近年、銀座に出来た建築の中でも「革新こそが銀座の伝統」を体現したエルメス銀座並木通り店を設計した建築家の青木淳は、この冊子の中に収録されたインタビューにおいて、銀座で建築をデザインする際の姿勢について語っている。今回の論考は、青木の創造と保全を巡るこのテキストで締めたいと思う。
 

「街は生き物なので変化しつづけます。私たちは「いま」の状況に対する応答としてのデザインをしていくべきだと考えます。とはいえ、街のスクラップ・アンド・ビルドであるべきではないとも考えます。前の時代を消去して、まったく新しい時代に「総とっかえ」するのではなく、時代を積層させていく必要があると思います。そのためには、引き継がれてきたものの再解釈として新しい建築をつくっていくことが理想ではないでしょうか。それは過去そのままが良いというのではなく、誤解も含め、その前にあったものや、その周辺にできたものを前提に「次」をつくっていくという姿勢が大切だと思います。特に銀座の場合は、銀座でなくてもつくれる建築をつくるべきではないでしょうね。」(『銀座デザインルール 第3版 事例集』、2023年)

 


 
参考文献

・竹沢えり子『銀座にはなぜ超高層ビルがないのか』、平凡社、2013年
・中島直人「都市計画法100年と銀座の150年」、『都市計画』、339号、 pp.24-27 、日本都市計画学会、2019年
・銀座街づくり会議・銀座デザイン協議会『銀座デザインルール 第3版』、2021年
・日本建築学会編『地域文脈デザイン まちの過去・現在・未来をつなぐ思考と方法』、鹿島出版会、2022年
・銀座街づくり会議・銀座デザイン協議会『銀座デザインルール 第3版 事例集』、2023年

|ごあいさつ

 
 2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明中島直人寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代難波和彦山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
 

2024/04/18

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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