雨と生きる。雨を活かす。雨の文化創造を考える。

 
presented by  株式会社タニタハウジングウェア
 建築時評コラム 
 新連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


 
北山恒(きたやま・こう)
 
1950年生まれ。横浜国立大学大学院修士課程修了。1978年ワークショップ設立(共同主宰)、1995年architecture WORKSHOP設立主宰。横浜国立大学大学院Y-GSA教授を経て、2016年法政大学建築学科教授。代表作に「洗足の連結住棟」「HYPERMIX」など。受賞歴に、日本建築学会賞、日本建築学会作品選奨、日本建築家協会賞など。主な著書に、「TOKYO METABOLIZING」(TOTO出版)、「in-between」(ADP)、「都市のエージェントはだれなのか」(TOTO出版)「モダニズムの臨界」(NTT出版)など。
 

2021/3/2 新刊発売
「未来都市はムラに近似する」(著:北山恒/彰国社)

KOH KITAYAMA #4     2021.1.20

「紐状の都市エレメント」がつくるコモンズの再生

 

ムラと都市

 私のコラムは真壁智治の渋谷再開発を扱った著書『臨場』に反応して書きはじめた。それは、工事の作業進捗に合わせて「場当たり的」に生成される仮設構築物のなかに「ブリコラージュ」としての新しい「公共空間」の登場を予見し、「これからの建築」をそこに見る。そしてそれは、この開発工事が完工し「予定された建築」に支配されたとたん蜃気楼のように消えてしまった、と書かれていた。渋谷の巨大再開発の途中に裂け目のように現れた出来事なのだが、これは都市空間が商品化され管理する構造が強くなる中で、それを反転する暗喩としてこの仮設構築物を見ているのだ。このように時間概念の伸縮や身体的経験の拡張によって建築や都市に対する認識の立場は変わる。都市計画家とか建築家は絶えず空間を管理する側にあるので都市空間をつくる主体であるようなのだが、実は都市の住人や空間を使用するユーザーも都市をつくる主体であることに気づく。

 その後、コロナ禍が社会的‟驟雨“となったので、そこで登場した「新しい生活様式」という言葉に反応して主題を『未来都市はムラに近似する』とした。それはテレワークが当たり前となる社会では近隣という地域社会が再び重要な意味を持ってくるのではないかという試案である。背後には「ムラ=コモンズ(共有社会)」「都市=マーケット(市場社会)」という構図を考えていた。ところで、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』の中に興味深い一文がある。
 

サレジオ会の宣教師たちは、ボロロ族を改宗させるのに最も確かなやり方は、彼らの集落を放棄させ、家が真直ぐ平行に並んでいるような別の集落にすることにある、ということを直ぐに理解した。

 
 私はこの文章から「ムラと都市」という概念が理解できたように思った。それは、アマゾン上流で自然と同一して生きていく生活様式、それを支える環状集落の構造と、アマゾン奥地に設営されたキリスト教布教のために生活を強制する植民都市という構造の対比である。環状集落は全員が顔見知りの百人余りの住人で構成される生活様式の図式であり、植民都市とは千人を超える互いに見知らぬ人々を収容する並行配置の空間図式である。このグリッド状に配列された空間図式によって集団は個に分解され、キリスト教というヨーロッパ文明に教化されるのだ。それは17世紀、南米アマゾンの奥地で行われた宣教のための植民都市の構図であるが、産業革命以降の19世紀、西ヨーロッパに起きた都市化の時代も同じように農村集落から都市へ人の移動が行われた。地縁社会に生きた人が見知らぬ人の集まりである都市空間に移り住み都市労働者となる。産業社会が効率よく作動するようにデザインされた都市空間に収容されることによって、人々はその産業社会が要求する日常に教化されるのだ。このアーバニズムと呼ばれる現象は、個人が集落というコモンズから都市へ生活空間を移動することで経験するものである。
 

自然からの離陸と着陸

 プレ近代としての江戸、そして産業化以降の東京という都市を連続的に研究することで、1868年の明治維新以降の都市変容を確認できる。1923年の関東大震災、1945年の東京大空襲、さらには戦後の高度経済成長期以降、継続しておこなわれたスクラップ&ビルドという都市破壊によって東京の物的様相は大きく変化している。しかし、陣内秀信『東京の空間人類学』など一連の研究によって明らかにされているように、江戸または江戸以前の古層にわたる地理的コンテクストは継承されており、それが人々のふるまいという文化的継続性も現代の東京に確認できる。
 
 江戸時代、日本の総人口は3000万前半の安定した定常型社会であり、そこでは豊かなコモンズ(共有地)が存在していた。明治維新の直後1873年に地租改正が行われ、土地の個人所有が認められ共有地の解体が始まる。明治期以降の近代化(産業化)のなかで農村からの都市流入が始まり、爆発的な人口増加によって、総人口は150年ほどで4倍の12000万を超えた。そして、2010年くらいに人口の頂点を迎え、今度は80年後の2100年には5000万人(内閣府の中位推計)になるという驚くほどの人口減少を経験することになるそうである。私たちはまるで絶叫するジェットコースターに乗っているような人口動態の特異点のなかを生きている。これが産業革命以降の近代化によってつくられた文明の変異だ。その象徴的な現象が「現代都市」なのだろう。広井良典はそれを「自然からの離陸」という言葉で説明しているが、これからはそれを「着陸」させることになるのだとする。
 
 この「着陸」とは、個人が都市のマーケット空間から集落のようなコモンズ的生活空間に移動することで生まれる。その契機がコロナ禍で経験した新しい働き方ではないかと思う。人々はオフィスビルという労働の収容所に拘束されない働き方を知った。そして、経営者も高い賃料を払って都心にオフィスを構えない選択肢があることに気づいたのではないか。働くことを監理し効率を求める力も働くが、自由な働き方を求める方向に社会が動けば、「現代都市」を乗り越えるもうひとつの都市像に向けた変化がはじまるのではないかと思う。
 

新しい日常を支える生活圏

 さて、第 3回の私のコラム 「クリストファー・アレグザンダーの『人間都市』を知っているか?」で書いた 「紐状の都市エレメント」がつくる生活圏について、法政大学の都市デザインスタジオで研究を続けている。東京の 23区には 1,771の商店街があるが、その商店街を抱き込む生活圏を構想し、そのなかに都市におけるコモンズ再生の可能性を検討している。この都市デザインスタジオでの試算であるが、 23区内の商店街の総延長は約 640kmあって、商店街の道路を廃道にして歩行者モールとすれば約 3,2㎢の歩行者空間が生まれる。これは皇居の面積の 1,5倍の広さである。商店街は東京の都市内にかなり均等に分布している(紐マップ)のであるが、それは、商店街が日常の買い回りなので商店街を中心とする生活圏が存在していることを示している。商店街の商圏を 500mとすると東京 23区の全域をほぼカバーする。なので、東京に住む人は誰もいずれかの商店街に帰属しているという感覚を持っているのではないかと思う。毎日都心への往復運動をするという日常が終焉し、近隣で働き生活するという日常があたりまえになるとき、商店街にはその生活を受け入れる空間が用意されるだろう。さらに共有の居場所であると感じられる場が生まれれば、そこにコモンズ再生の可能性がある。
 

「紐マップ」(法政大学大学院DS9Y制作)東京23区の商店街はまるで紐をバラ撒いたように都市内に存在する(左)。商店街の商圏を500mとすると東京全域をカバーする(右)。


 都市デザインスタジオで提案する商店街は歩行者モールとした両側町であり、店前空間には商品がはみ出ることが許され、道には一坪ショップのワゴンやテーブル・イスが置かれ、近くの食堂の天蓋付きのダイニングスペースとなる。空き店舗は「町の道具箱」となり、テンポラリーなイベントスペース、共同キッチンや子ども食堂、障碍者施設や高齢者のための公共サービス施設が設けられる。各店舗に本棚を設け、そこに店に関係する本が置いてあるリトルライブラリーのネットワークもできる。商店の2階にある空き室にはラーニングコモンズのラウンジや、もちろんコミュニティオフィスとしてのコ・ワーキングスペースが設けられる。さらに、廃道する道はアスファルトを剥して大きな樹木を植えてはどうだろう。商店街の近隣に新しい日常生活をする人々が増加すれば、その活動に対応して包容力のある空間に商店街は再編されるだろう。かつて W.ベンヤミンがパッサージュ(パリのガラス屋根付き商店街)を 「ユートピア共同体の推進力である」としたように、商店街は東京という都市においてコモンズ再生の推進力となるかもしれない。
 

栗生はるかさんが共同主宰する地域サロン「アイソメ」(設計:企画・設計:文京建築会ユース、Mosaic Design Inc.、山村咲子建築アトリエ)。根津藍染町の空き店舗を地域サロンとして運営している。イベントスペース、コ・ワーキング、お神酒所、ギャラリーであったりカフェであったりそれは「藍染大通りの道具箱」のようである。2階は単身住居と、小さなオフィスが入るコ・ワーキングとなっている。(photo=栗生はるか)


 さらに追記すれば、東京 23区には 1,807の寺院があり、神社は 975社ある。江戸時代は神社を中心とした氏子・氏神という自然集落を形成していたが、それを 広井良典は、 「(神社は)当時の〝自然村〟つまり地域コミュニティの数にほぼ対応していたと思われる。これらの場所は狭い意味での宗教施設ということを超えて、『祭り』が開かれたり『市』が行われたりするなど、ローカルな地域コミュニティの中心としての役割を担っていた」と紹介する。東京の 23区内に 1,771ある商店街は、必ず近傍に寺社があり、商店街という日常を支える場に、祭りや市という非日常の祝祭的リズムが持ち込まれる。そんな商店街こそがコモンズ的ふるまいが現れる場である。そして、このようにコモンズが再生されるとき、都市の住人や空間を使用するユーザーこそが都市をつくる主体であることに気づくのだ。
 

祭りで領有されている地域サロン「アイソメ」がある藍染大通りの光景。(photo=栗生はるか)

|ごあいさつ

 建築・都市の批評を共有する新しい場づくりを、との主旨から企画された「驟雨異論」。無事、初年度(2020年)分のWEB発信が果たせました。
 
 「驟雨異論」は分野・世代の出自を横超する3氏の執筆者が1年間に渡り、順繰りに時評をリレー式に各4本ずつ連載します。執筆者3氏のシナジーも楽しみで、建築・都市への骨太な時評が期待されるものです。
 
 2020年度の執筆にあたって頂いた北山恒、野沢正光、山本想太郎の各氏には、改めて御礼申し上げます。どれもが期待に違わぬ視点の定まった批評性を示すものでした。大変お疲れ様でした。
 
 遡って考えれば、「驟雨異論」の船出は、コロナ禍での緊急事態宣言発出の最中でした。それはウィズコロナ社会の事態が一気に社会の矛盾をあぶり出す気配と眺めとを示す契機となるものでもあり、建築・都市への批評に大きな問題意識を共有するチャンスでもあります。私は、こんな折からの「驟雨異論」の船出をまさに、時機を得たものと想っているのです。
 
 新年度2021年の新たな執筆者の陣容は、太田佳代子、布野修司、連勇太朗の各3氏となります。一層の批評の多彩さと面白さとが炸裂するはずです。ご期待ください。
 

2021/03/19

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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