建築時評コラム 
 連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


中島直人(なかじま・なおと)

 
1976年東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻准教授。専門は都市デザイン、都市論、都市計画史。東京大学大学院助教、イェール大学客員客員研究員、慶應義塾大学環境情報学部准教授などを経て現職。主な著書に『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(編著、ちくま新書、2021年)、『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年)など。
 
URL:東京大学都市デザイン研究室

NAOTO NAKAJIMA #1     2023.5.20

創造と保全 ―「神宮外苑地区まちづくり」を巡って

(photo = Tom Tor)

「神宮外苑地区まちづくり」を議論する

 
 先月末に各新聞に三井不動産株式会社、宗教法人明治神宮、独立行政法人日本スポーツ振興センター、伊藤忠株式会社の共同事業である「神宮外苑地区まちづくり」の全面新聞広告が掲載された。目にした人も多いのではないだろうか。明治神宮外苑を中心とした一帯において、神宮球場や秩父宮ラグビー場の建て替えを主とした再開発計画である。
 
 神宮外苑地区の再開発自体は先の新国立競技場の建設の時点ですでに始まっていたことだが、現在進められている神宮外苑そのものの再開発計画が注目を集めるようになったのは、東京オリンピック後の2021年末のことである。具体化した再開発計画を進めるのに必要な地区整備計画策定の手続きの一環として、都市計画変更案が縦覧に供されたタイミングで、文化遺産保護の専門家団体である日本イコモス国内委員会(以降、日本イコモス)から、数多くの既存樹木を伐採することになる再開発計画に異議を唱える意見書が提出されたのである。それから1年半以上が経過した。日本イコモスをはじめとする専門家、神宮外苑のあり方に強い関心を持った市民グループが中心となって、再開発計画の見直しを求めてきた。
 
 一方で、都市計画変更20223月)、市街地再開発事業に関する環境影響評価書の公示20231月)、市街地再開発事業の施行認可20232月)と事業自体は着々と進行している。本時評を書き始める直前の2023427日には、環境影響評価調査書に対する日本イコモスからの様々な疑義の指摘に対して、東京都の環境影響評価審議会に事業者が出席し、指摘に対する解答を行っている。この間、日本建築学会地球環境委員会脱炭素社会推進合同ワーキンググループによるシンポジウム開催や署名の呼びかけ、新日本建築家集団による対案提示など、建築界からも見直しを求める声があがっている。
 
 私が担当する東京大学まちづくり大学院(社会人を対象とした修士課程)における都市デザイン関係の講義の最終日(202352日)に、2コマを使って、この「神宮外苑地区まちづくり」について議論する時間を設けた。昨年に続いて二度目である。 図1は議論のために私の方で整理した経緯と論点の説明資料である。
 

図1:神宮外苑まちづくり構図(提供 = 中島直人)

 
 もともと私の講義では、都市デザインの両輪として創造と保全を置き、さらに空間論とシステム(制度や仕組み)論の両者から都市デザインを議論しようというフレームワークを設定している。つまり、「創造 — 保全」と「空間 ― システム」の二軸からなる四象限で都市デザインを捉えている。「神宮外苑地区まちづくり」において、事業者は「新しい神宮外苑」という表現を全面に出している。この姿勢をまずは創造として捉える。一方で、日本イコモスにとっての神宮外苑は何よりも「文化的資産」であり、その保全が第一義にある。どちらも神宮外苑の歴史の継承の重要性を中心に置いているが、創造と保全のスタンスは大きく異なっている。
 

神宮外苑は民有地、公園なのか

 
 社会人大学院の学生は、ディベロッパー、行政、設計事務所など、それぞれまちづくり関係の何らかの仕事についている。授業内での議論は、そうした個々の立場もよい意味で影響して、活発に行われる。「神宮外苑地区まちづくり」について、学生たちが展開した議論の大筋は、一宗教法人である明治神宮が「都市公園と同種の公園的施設」(東京都「都市計画公園及び緑地に関する都市計画法第53条第1項の許可取扱基準」、2020年最終改訂)である神宮外苑を維持管理しているという構造が本まちづくりをめぐる課題の中心にあるというものであった。公園の受益者と負担者のミスマッチ、民有地の意思決定に対する介入の是非、宗教法人が持ちうる公共性の限界などが論点となった。しかし、そもそも神宮外苑は、法的な位置づけはそうだとしても、民有地や公園という一般概念で捉えていいのだろうか。
 
 明治神宮外苑は青山練兵場および元農商務省所管の博覧会用地という官有地にルーツを持つ。周辺民有地の買収費用、そして外苑の造成費用は、一部、大正天皇からの下賜金もあったが、そのほとんどは財団法人明治神宮奉賛会が集めた国民の献金によってまかなわれた。実際の造営にあたっては、全国からの献木、青年団の勤労奉仕を受け入れた。神宮外苑は奉賛会から明治神宮に奉献されたものである。戦後、政教分離、信教の自由を実現するために宗教法人法が公布され、明治神宮も国家の管理を離れ、一宗教法人となった。その際、宗教施設として明治神宮への帰属がスムースに決まった内苑と異なり、運動施設がすでに建ち並んでいた外苑については、文部省主導による運営、あるいは維持保存のための法人設立などが検討される中、明治神宮が奉献の趣旨の尊重、内外苑一体の意義、神社と運動施設の密接な関係を説き、自ら望んで払い下げを実現させたのである。そうした経緯からすれば、この土地は一法人の民有地というよりも、明治神宮が国民の信託を受けて主体的に維持管理、運営している土地と捉えるのが正確であろう。少なくとも「私」の土地ではない。国家ではなく国民の土地という意味での「民」有地であり、「公」園であるということである。
 
 明治神宮はその後、明治神宮内外苑の適切な維持管理のために、特に外苑においては時々のスポーツの流行に敏感に施設を展開し(軟式野球場の増設、テニスコートやゴルフ練習場の開設など)、経営を行ってきた。しかし、しばらく前からそうした経営の難しさは自覚されていた。2003年に明治神宮が日本地域開発センターに依頼した調査の趣旨には「運営管理については、これまでは創設の歴史的経緯から宗教法人明治神宮が主体的に担当しているが、今後、永続的にこのような貴重な環境資産を守り続けていくこと、特に大規模な支援の森に成長した内苑を維持していくこと、ならびに老朽化した外苑の諸施設を更新していくには莫大な費用と熱意ある植物管理が必要であり、今やこうした施設から恩恵を受けている都市住民や地方公共団体の関与が必要となっている」(『2003年度事業報告書』、財団法人日本地域開発センター)と問題意識が綴られている。
 
 この調査から20年が経ち、その問題意識の延長線上で再開発が実際に動き出したのである。途中でラグビーワールドカップやオリンピック計画によって明治神宮が管理している土地を越えた地区の再開発への展開が誘発され、現在の「神宮外苑地区まちづくり」になった。ただし地方公共団体の関与は、東京都による特定緩和型都市計画の適用というかたちをとった。そして都市住民の関与については実質的にはほとんどなかったと言ってよいだろう。
 

多様な専門、声を集めていくこと

 
 学生たちの議論は現在の議論の構図の全体像そのものにも及んだ。「神宮外苑地区まちづくり」を巡って、十分な情報発信がなされていないし、再開発推進 ― 文化遺産保全だけでは互いに歩み寄りができないので、第三者的な立場での評価が必要なのではといった議論である。実際に東京都は(何故かそれこそ第三者的立場として立ちふるまい)、事業者に対して都民の支持を得る努力を要請し、事業者はウェブサイトを一新し、広告を打った。再開発計画の見直しを求める市民運動の方は、勉強会を続け、そのアーカイブをYoutubeで公開するするなどして、情報発信に務めている。
 
 しかし、この議論で注意しないといけないのは、第三者的立場の必要性といった立論、第三者に含意される中立という概念である。学生たちの論点は、実際は日本イコモスはあくまで文化遺産の継承のプロフェッショナルであり、今回の背景にある神宮外苑の経営問題についての具体的な対案を示していないので、事業者側との対話が成立していないのではという意見であった。つまり、そのような状況で必要なのは、中立という意味での第三者的立場というものではない。専門的立場から発言するのが専門家なのだとすると、必要なのは、文化遺産の保全の専門家のみならず、そして建築や都市計画の専門家でもなく、より多様な専門家の参画ということである。事業、経営、ファイナンスの専門家(もちろんそのような人はディベロッパーに多くいる)に、「神宮外苑地区まちづくり」に関心を持ち、知恵を出してもらうことが必要とされている。情報発信はそうした専門家の参画を誘いつつ、しかし専門家だけでは何もなされえないので、多くの市民の多様な声を集めていく。
 
 授業の最後に手を挙げて発言した学生は、結局のところ、神宮外苑をMIYASHITA PARKのようにしてほしくない、その普通の感覚が大事であるという趣旨の発言をした。MIYASHITA PARKは立体公園制度を使った商業開発であるが、神宮外苑も公園まちづくり制度の適用による公園の一部解除、その解除地での新たな容積率設定によって業務棟や商業施設の開発を可能とした点では同じ方向を向いている。明治神宮奉賛会は、神宮外苑を明治神宮に奉献した際に、「遊覧のみを主とする場所、例えば上野、浅草両公園などとはその性質は異なる」(「外苑将来の希望」)と伝えている。明治神宮に関係のない建物の建設はもちろん、広場を博覧会会場として使用するようなことも避けるよう注意している。果たして、そのような感覚は現在も普通のものとしてあるのだろうか。神宮外苑は森厳荘重を旨とする内苑と異なり、出来る限り多くの人に開放された場所であるべきというの造営当初からの考え方であるが、開放性は商業的営みを必ずしも付随しない。
 
 しかし、一方で、現在の神宮外苑が開放的であるかどうかは議論すべきである。江戸以来の市街地を強制的に買収してできた青山練兵場という従前条件、そしてシティビューティフルの理想を実現させた完結性の強い空間構成(パークシステムという点では敷地を越える構想力を有しているが周囲の市街地とは接続を意図していない)によって、神宮外苑は周囲からは切り離されていて、歩行者はアクセスしにくい、回遊しにくい空間となっている(日本建築学会編『地域文脈デザイン』、2022年)。戦後の諸運動施設の肥大化、自動車交通の増加は、ますます開放性の接地点を損失させてきた。都市デザインの専門の立場からは、20世紀初頭の都市デザインの傑作・神宮外苑に現代の豊かな回遊思想をレイヤーとして加えることを目指すべきだと考える。それは創造的な視点であるが、現在の再開発案でなくてもできる。
                                         
 授業で学生たちと議論をしながら、自分自身は何をしているのか、何が出来るのかを考えていた。最近は「かつて再開発か保存かが問われた時代があった」と過去形でくくってみることで、現在、これからの時代を見通そうとしてきた。それは少し強引だった。むしろ、即物的なレベルでは、開発と保存のせめぎ合いは続いている。創造と保全の地平は、即物的な話を包み込む都市への姿勢を措定してみることで見えてくる世界のことなのかも知れない。もともと、創造と保全は対立を強調するためのカテゴライズではなく、両者を結ぶことを目指して設定されるものである。従って「神宮外苑地区のまちづくり」において創造とは再開発のことでも保存のことでもない。以降、この創造と保全とを同一平面で考える都市デザインを意識しながら、時評を寄稿していければと考えている。
  
参考文献

・『明治神宮外苑七十年誌』、明治神宮外苑、1998年
・三井不動産「神宮外苑地区まちづくり」ウェブサイト
 https://www.jingugaienmachidukuri.jp/
・東京都都市整備局「神宮外苑地区のまちづくり」ウェブサイト
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/saisei07.htm
・日本イコモス国内委員会 ウェブサイト
https://icomosjapan.org/
・日本建築学会編『地域文脈デザイン まちの過去・現在・未来をつなぐ思考と方法』、鹿島出版会、2022年

|ごあいさつ

 
 2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明中島直人寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代難波和彦山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
 

2024/04/18

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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