建築時評コラム 
 連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


中島直人(なかじま・なおと)

 
1976年東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻准教授。専門は都市デザイン、都市論、都市計画史。東京大学大学院助教、イェール大学客員客員研究員、慶應義塾大学環境情報学部准教授などを経て現職。主な著書に『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(編著、ちくま新書、2021年)、『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年)など。
 
URL:東京大学都市デザイン研究室

NAOTO NAKAJIMA #2     2023.8.20

関東大震災100年:ある四つ辻に見る保全と創造

四つ辻での盆踊り

 
 猛暑であることに加えて、コロナ禍を終え、各地で夏祭りや盆踊り大会が完全復活していることもあって、本当の夏が戻ってきた感を強く持つ。車両通行止めとしたとある街路では、地域の方々によるちょっとした縁日が催されている。その中心にある交差点の路面にはチョークで丸い円が描かれている。この円を手掛かりに、様々な音頭に合わせて反時計周りの盆踊りの輪ができている(下写真)。実に楽しい光景である。
 

(写真提供 = 筆者)


 杉並区 善福寺「さくら町会」と普段から町会名で呼ばれる一角がある。西荻窪駅から徒歩 10分ほど、私の自宅からも自転車で行けば 10分とかからない。この一角、いやもう少し広いので界隈、あるいは住宅地といってもよいだろうか、この住宅地は周囲とは明らかに異なる環境を保っている。というのも、背骨となる街路は歩車道の区別も必要ない幅員のみちであるが、ところどころに樹齢を重ねた桜が植えられていて、緑陰のある並木道となっている。途中クランクする箇所には児童公園が、そしてその先には自然と「四つ辻」と呼んでしまう交差点がある。この隅切りを大きくとった交差点に対して、その隅切り部に正面を向けて、大きな開口をもつ町内会館、酒屋さんなどが面している。この交差点とその周辺が先に描写した盆踊り大会の舞台となっている。
 

帝都復興のヘリテージとレガシー

 
 ところで今年は、192391日に発生した関東大震災からちょうど100年にあたる年である。各所で、関東大震災やその後の帝都復興を振り返る学術的なイベントや雑誌の特集が組まれている。私自身も「帝都復興の遺産」について、雑誌への寄稿やシンポジウムへの登壇の機会を幾つか頂いた。近いところだと、先の2023年722日に後藤・安田記念東京都市研究所主催の公開講座「関東大震災100年-ひとびとは何を受け継いできたのか」に、代表的看板建築である海老原商店の継承、再生を手掛ける海老原義也さん、復興小学校についての研究業績のある教育学者の小林正泰先生とともに登壇した。
 
 何を受け継いできたのか、という問いに応答する日本語は「遺産」ということになるが、この遺産を英語に訳そうとすると、ヘリテージレガシーという二つの言葉があることに気づく。OXFORD DICTIONARYによれば、ヘリテージが「国や社会が長年継承し、その性格をかたちづくる重要な要素として認識されてきた歴史や伝統、建物など」と解されるのに対して、レガシーは「過去に生じたできごとが将来において過去とは異なる方法で活かされるという考え方」とされている。これらを踏まえると、ヘリテージがこれまでの継承の経緯を踏まえた何らかのオブジェクトを指すのに対して、レガシーはこれからの可能性を中心においたアイデアであると考えてよいだろう。前回の連載で明治神宮外苑をとりあげ、創造と保全いう概念を対におきつつ、その統合について考えてみた。ヘリテージとレガシーも、前者がどちらかというと保全に、後者が創造に重きをおきつつ、日本語としては遺産という一言の中で共生していると見ることができる。
 

図は消えて、地は残る

 
 関東大震災から何を受け継いできたのか、ということをヘリテージとして考えてみると、多くのヘリテージを継承してきたというよりも、実に多くのヘリテージ(であったはずのもの)を失ってきたと言いたくなる。帝都復興のヘリテージが建築界で話題となり始めたのは1980年代のことである。その端緒の一つは建築評論家の松葉一清による『帝都復興せり! 「建築の東京」を歩く』(平凡社、1988年)の出版であろう。松葉はこの書籍で、1935年に都市美協会が主催した「大東京建築祭」に合わせて出版された『建築の東京』という写真集に掲載されている473件の帝都復興期の建築について、その現存状況を調査している。1988年の時点で、214件の現存が確認できたという。松葉は「震災復興期の建築は、意外なほど戦火をかいくぐって戦後に生き延びた。だが、戦後においては、まず最初に東京オリンピックが、その後に続いては高度経済成長期の建築の高度利用の波が、せっかく命脈を保ってきた彼らを死の淵に追いやった。内需拡大=民活導入に基づく都市再開発の波は、さらに「点鬼簿」を厚くするであろう。このままいけば1980年代後半は、震災復興期の建築の存続した最後の時代になってしまいかねない」と記していた。
 
 この本が10年後の1998年に朝日文庫に収録さた際の再調査では現存が確認できた数は153件にまで減っていた。その後さらに四半世紀が経過した。その数は一体、幾つになっているだろうか。東京オリンピック、高度経済成長、そして内需拡大ー民活導入ーバブル期の次にやってきたのは都市再生の渡であり、今も続いている。21世紀に入ってからも次々と帝都復興のヘリテージは失われていった。その代表例は同潤会アパートメントであろう。かつて東京の15地区で建設されたアパートメントハウスは、2013年の上野下アパートメントの取り壊しを最後に、全て姿を消した。復興小学校も同様である。例えば日本建築学会は2006年に「関東大震災復興事業の記念碑としての元町公園および旧元町小学校の保存に関する要望書」を提出して以来、幾度も復興小学校の保存に関する要望書を出しているが、それはそれらの滅失の危機が続いていたからである。現在ではかつて建設された117校中15校しか当時の建物は残存していない。松葉のいうところの「点鬼簿」は確かに厚くなってしまった。
 
 とはいえ、帝都復興のヘリテージの範囲を建築から広げてみると、帝都復興で生み出された公園や橋梁、そして街路網が東京の市街地の基盤として、今も生きていることが確認できる。かつて造園研究者の進士五十八が公園の社会的意義として「記憶の装置」であることを強調していたとおり、東京都心の大小さまざまな公園の存在自体が帝都復興のヘリテージである。そして何よりも帝都復興土地区画整理事業によって生み出された街路網たちは、この100年、ずっと東京都心の東側の都市活動を支えてきている。図と地で分けて考えてみるといいかも知れない。図としての建築は時々の都市開発の要請を受けて長くないサイクルで次々と建て替わっていくが、地としてのインフラはそう簡単には書き換えられない。図は消え易く、地は消え難しなのである。
 

レガシーが生かされる場所

 
 次に帝都復興の遺産をレガシーとして考えてみよう。レガシーが「過去に生じたできごとが将来において過去とは異なる方法で活かされるという考え方」だとすると、それは建築でいえば、リノベーションやコンバージョンとして現れる。例えば、失われてきた復興小学校の中でも、台東デザイナーズビレッジとして20年近く活用されている旧小島小学校や2010年から水天宮ピット(東京舞台芸術活動支援センター)として活用されている旧箱崎小学校などは、レガシーという考え方がしっかりと生かされた好例であろう。そして、近年、こうした活用例は図としての建築だけでなく、地である街路にも及んでいる。特にウォーカブルな(歩きたくなる)まちづくりを念頭に、自動車のための都市空間から人間のための都市空間への転換が進んでいる状況の中で、帝都復興土地区画整理事業で生み出された街路網にも新たな価値が付与され始めている。今年の春に神田で実施された社会実験「なんだかんだ」では、街路に畳の大広間が出現したり、新たなグリーンスローモビリティが導入されたりして、街路の持つ意味が大きく現代的に転換する予感を強く発していた。
 
 デザインやインキュベーション、パフォーマンスアート、ウォーカブル、モビリティなど、何もわざとカタカタ言葉を浅はかに散りばめているわけではなく、帝都復興の遺産が、少なくともカタカタで表現した方が現在性を強く打ち出せるような概念を伴って、現在に生かされているという状況を示している。
 

帝都復興のレガシーとしての四つ辻

 
 さて、ここまで来て、ようやく冒頭で紹介したさくら町会の光景に話を戻すことができる。盆踊りが行われている四つ辻、その前後にのびるさくら並木の街路、そしてその街路に直行するたくさんの路地、これらもまた、帝都復興のヘリテージである。全国からの義捐金を基に都市中間層への住宅供給を目的として1924年に設立された財団法人同潤会が手掛けたのは、鉄筋コンクリートのアパートメントハウスだけではない。同潤会は罹災者のための仮設住宅や木造長屋建ての賃貸住宅、職工向けの分譲住宅などを手広く手掛けた。中でも最も供給戸数が多かったのが、主に郊外部に建設した普通住宅と呼ばれる木造長屋建賃貸住宅で構成される住宅地である。先のさくら町会の光景は、実は同潤会が1925年に建設した西荻窪普通住宅地の現在の姿である。
 
 西荻窪普通住宅地は、現在のさくら並木の街路を背骨とし、そこからのびる路地に立体四戸建とも呼ばれる木造住棟を多数、配置した全戸数220戸強の計画住宅地であった。四つ辻には当初から娯楽場や床屋などが立地し、コミュニティの核として計画された。戦後、同潤会の解散によってこれらの住宅や土地は払い下げられた後、自由に増改築され、そして、建替えられていった。現状では建設当初からの建物は殆ど見られなくなっている。図としての建築は消えたのである。しかし、地としての街路が織りなす住宅地の構成は残った。特に四つ辻とさくら並木という空間ストックは紛れもなくヘリテージとして継承されている。夏の日の盆踊りの光景が、ほぼ100年の間、ずっとこのようなかたちで繰り返されてきたのだろうということは用意に想像できるが、その一方で、四つ辻というヘリテージをレガシーという考え方で受け止め、成熟した市街地としてのこれからのビジョンを見出しつつあるのもこの場所の大きな特徴である。
 
 四つ辻の一角に酒屋がある。この酒屋が開店したのは今から48年前だという。半世紀、四つ辻にあって店に立ち続けた初代店主が亡くなったのは20212月である。その後、「この大きな十字路に立つお店の電気を消してはいけない」という亡き父から経営を引き継ぎいだ二代目は、コロナ禍に対応することも含めて、新たに酒屋の半分を改装し、自家焙煎の珈琲屋を20228月に併設することにした。週末の午前中、四つ辻でこの店先を眺めていると、犬を連れて散歩している人たちが異なる方向からやってきて、ちょうどこの交差点で足を止めて挨拶を交わすシーンに出くわした。その二人は酒屋に向かって一言声をかけてから、立ち話をはじめた。酒屋から店番の方が出てきた。すると自転車で通りかかった近所の方もすっと寄ってきて、この会話に加わった。その間にコーヒーが淹れられる。しばらく続く井戸端会議となった模様である。犬たちはやや退屈そうではあるが、ゆっくり休んで人の往来を眺めている。
 
 酒屋の隣はかつて長らく理容室が営業していたが、しばらく空いていた。そこに20221月に焼き菓子屋が開店した。もともとオンライン店舗として開業したお菓子屋が、この四つ辻に向かって大きく開くかたちで店頭販売を始めたのである。お店は毎日開いているわけではないが、すでに近所を含め多くのファンを獲得している。このお店が開いているとき(主に週末)は、酒屋、珈琲屋と合わせて四つ辻が一層、輝いて見える。
 
 つまり、四つ辻には100年近く変わらない光景があるのと同時に、このコロナ禍の期間の間にもその先を見据えて、変わってきている側面がある。四つ辻という特性を生かして、それぞれの店舗がそれぞれの店舗のビジョンを実現させている結果であるが、同時に、この一角、界隈、成熟した住宅地自体がありたい今後の姿を発信しているとも受け止められる。ここにレガシーという考え方が生きている。この四つ辻にたびたび立ち寄って定点観測をしていると、関東大震災と帝都復興からのレガシーを考えるということが、これからの生活のありようを構想することと同義であるということに気づかされるのである。
 
 関東大震災から100年が経過して、東京という都市は未だに忙しく変わり続けている。だけども、落ち着いて自分たちの足元を、地域を眺めてみると、100年もののヘリテージが主に地として見出せるし、そこにレガシーという考え方を持ち込めば、受け継ぎながら変わり続けるまちのこれからを思い描くことができる。保全も創造も四つ辻の盆踊りの光景の中にある―もし100年経ってもそのことに気づいていないのだとしたら、東京という都市は本当に困った奴ということになるが、どうだろうか。
 
参考文献

・松葉一清『帝都復興せり! 『建築の東京』を歩く』、平凡社、1988年
・善福寺珈琲江ノ屋ウェブサイト https://www.enoyacoffee.tokyo/index.html
・atelière アトリエール ウェブサイト http://ateliere.info/

|ごあいさつ

 
 2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明中島直人寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代難波和彦山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
 

2024/04/18

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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