建築時評コラム 
 連載|にわか雨の如く、建築に異議を申し立てる時評 

その不意さ加減の面白さ、深刻さを建築の時評に。建築のここが変だ、ここがオカシイ、建築に声を上げる「驟雨異論」。 にわか雨が上がるのか、豪雨になるのか!?


中島直人(なかじま・なおと)

 
1976年東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻教授。専門は都市デザイン、都市論、都市計画史。東京大学大学院助教、イェール大学客員客員研究員、慶應義塾大学環境情報学部准教授などを経て現職。主な著書に『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(編著、ちくま新書、2021年)、『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年)など。
 
URL:東京大学都市デザイン研究室

NAOTO NAKAJIMA #4     2024.2.20

景観法20年、保全と創造のその先へ

景観法制定から20年の現場

 
 2004年に景観法が制定されてからちょうど20年が経った。全国の自治体のうち半数近くが景観行政団体に認定され、景観計画を中心とした景観まちづくりに取り組むようになっている。この20年で景観という観点が都市政策の中の一分野として確立したことは疑いがない。景観法制定前夜から都市美や都市景観、都市風景に関心を持って研究を行っていた私自身も、幾つかの自治体での仕事を通じて景観法の運用に関わってきた。本連載が中心に扱ってきた東京で言えば、詳細な地域別の景観ガイドライン作成のための調査(2006年度〜2007年度)に大学研究室のスタッフとして関わり、現在は景観まちづくり審議会委員を務め、景観計画およびガイドラインの改訂(2020年度〜2022年度)を検討小委員会委員長として担当した新宿区、同様に景観審議会委員、検討小委員会委員長として景観計画改定を含む今後の景観施策のあり方検討(20223月〜20239月)を担当し、景観アドバイザーとして専門家協議を担当している町田市などで、景観計画を核とした景観まちづくりに伴走してきた。とりわけ、私自身の出身地であり、現在も住民の一人として暮らす杉並区では、景観計画の前身である景観ガイドラインの策定検討(2005年度)に参加したのち、景観計画策定後の2010年度に設置されたまちづくり景観審議会専門部会(景観)の部会メンバー、そして部会長として、現在まで15年近くにわたり、色彩、景観設計、ランドスケープデザインの専門家とともに毎月の景観事前協議を継続的に担当してきている。
 
 個々の開発事業のスケジュールの中で、建築計画がかなり定まった段階で行われる事前協議において、現実的に変更が可能な点はきわめて限定的ではある。色彩や素材、樹種の選定、外構部の設えのデザインや配置、建物立面の分節化くらいまでは事業者、設計者も時間的、予算的に協議に応じ、変更を行うことができるが、そもそもの建築物の配置や形態については、大きな変更は難しいことが殆どである。それでも、まちのなかのごく普通の集合住宅や公共施設、あるいは商業施設が少しでも周囲の景観やこれまでの景観になじむものになるよう、各地で事前協議が続いている。
 
 そうした経験の中で、特にこの5年ほどの間、納得がいかない案件が増えてきたように感じている。それはこの連載のテーマである創造と保全に関係している。神宮外苑や関東大震災のレガシー、ないし銀座の「街」のような、東京の中でも象徴的で特別な場所や事業においてのみならず、ごく普通の建築行為においても、創造と保全との関係は危ういと感じている。杉並区などでの事前協議において、従前の景観の文脈の継承という点では、具体的に言えば、既存樹木や既存構造物の扱いが大事になる。ある程度の規模のある集合住宅の建設計画の多くは、屋敷林といわずとも豊かな庭木をもっていたそれなりの規模がある邸宅の相続や、比較的余裕のある配置で建てられていた社宅の売却などによって生じる。たいがい、敷地内にはその土地の歴史を伝え、地域の景観要素としても親しまれてきた樹木が数多くあり、時にはもう周囲では見られない蔵であったり、祠などが残っていたりする。その土地が蓄積してきた物語の要素が沢山あり、それらは明らかに次の介入のための補助線となりうるものである。しかし、事前協議に出てくる案件では、「計画上の都合により既存樹木は全て伐採」といったフレーズのもと、それらはいとも簡単に取り払われるのである(もちろん、事前協議においては、例えば既存樹木の調査、評価、そのうえでの計画的検討のプロセスについての説明を求めることにはなる)。建築計画において、あるいは施工計画において、既存樹木や既存構造物の存在はほとんど前提とされない。また、行政側が要請する敷地周囲の歩道状空地確保によって既存樹木が失われていくことも多い。公園などの公共施設の改修においてでさえ、公園施設や遊具の更新の施工上の都合により、既存樹木の伐採が提案されることも少なくない。既存樹木や構造物を前提としたときに始まる、その土地ならではの創造的なプロセスは望むべくもない。景観法制定前後の時期くらいから、このような課題の解決に向けた制度設計・実装はなされてきたはずだが、施主や設計者の良心や能力とは別の次元、おそらく近年の建設費の高騰、厳しい事業計画の現実が、この事態に拍車をかけている。
 

保全と創造がお互いを否定しない関係

 
 景観法が目指した世界とはどのようなものであったのか。景観法は「良好な景観の形成を促進する」(第一条)という大目標のもと、基本理念として「良好な景観は、地域の自然、歴史、文化等と人々の生活、経済活動等との調和により形成されるものであることにかんがみ、適正な制限の下にこれらが調和した土地利用がなされること等を通じて、その整備及び保全が図られなければならない。」(第二条)と明確にうたっている。保全が基調にある。ただし、同じ基本理念の最後の項目には「良好な景観の形成は、現にある良好な景観を保全することのみならず、新たに良好な景観を創出することを含むものであることを旨として、行われなければならない。」ともある。景観法制定時には、このような基本理念を確認する機会が多かった。しかし、20年が経過してどうだろうか。特に最後の保全のみならず、創出を含むとする基本理念は、保全ではなく創出(狭義の創造)でいいと誤解されている状況にないだろうか。保全の否定のうえに立つ創出なるものの許容という解釈が開発計画の免罪符的に機能してしまっている。だからこそ、保全と創造の関係がいかに論じられてきたのか、今一度、歴史を振り返る必要がある。
 
 保全と創造がお互いを否定しない関係の本格的な探求は、日本では1970年代に始まった。高度経済成長にかげりが見えてきたものの、まだまだ開発志向が強かった日本の都市づくりにおいて、開発の対抗としての保全、保存のという位置付けの次をどのように考えるのか、それが問われたのがこの時代である。例えば1973年にSD選書の一冊として出版された上田篤鳴海邦碩編著『都市の開発と保存』(鹿島出版会)は、この時代の欧米諸都市の都市づくりの方針転換を捉え、無用の用という観点から保存を位置づけようとした。そのあとがきには、欧米の事例には「古くからの都市の構造をそのまま保存しようという動きもあれば、あるいはそれを積極的に現代に生かし、また現代的意味をもって再認識しようとしているものもある。またなかには都市の構造変革のなかで、大胆に現代的開発を提起しているものもある」と総括され、「私たちははじめ、都市の「凍結的保存」に対する「開発的保存」の可能性の追求という視点をもって問題をみてゆきたいと考えていたのであるが、調査を進めるにしたがって、ことはそんなに単純ではないことを知らされた」とある。「開発的保存」の像はいまだ模索の段階であった。
 
 同じように、特に西欧での都市づくりの転換に着目し、それを「保全的刷新」として捉えたのが、大谷幸夫が主査をつとめた「歴史環境をめぐる研究会」トヨタ財団からの助成金を得て実施した調査研究であった。1979年に刊行された調査の報告書『保全的刷新 -歴史的環境再生をめぐって―』では、「70年代の低成長時代には、日欧いずれにせよ大規模な都市開発は不可能となっているが、西欧では保全的刷新型事業へと移行しているのに対し、わが国は、依然として、産業機能の方にバランスがかたむいているのが現状であろう」と状況認識が語れている。そして、日欧比較の枠組みにおいて、「今日の西欧諸国においては、歴史環境保存のための活動は、そもそも歴史的に形成されるものである都市的集住体の、総合的な保全と刷新一般を目標とするものとなっている。」「西欧の都市計画、地区整備計画、また住宅改良事業は、今日、基本的な都市思想として、現状を保存しつつゆるやかな発展軌道にのせる、ないしは安定化させるという志向に重点をおくものであり、様々の事業形態がそこから模索されてきている」と指摘していた。1975年には重要伝統的建造物群保存地区制度が発足し、歴史的町並み保全の潮流は社会的支持を得つつあったが、それは都市計画にとっては例外的な地区の話であって、都市計画はいまだに開発的刷新の仕組みとして展開していた。
 
 景観法は、1970年代のこうした保全と創造との関係の模索を土台として誕生した。都市計画における歴史的環境保全の先鞭をつけた大谷幸夫の取り組みを継承し、都市保全計画分野を開拓していくことになる西村幸夫は、2004年の景観法の制定に深く関与した。その西村が1997年に上梓した『環境保全と景観創造 これからの都市風景に向けて』は、タイトルにあるとおり、保全と創造の関係を意識したまとめ方がなされている。その序において、1990年代の登録文化財制度の制定や文化政策大綱の公表などを前提に、「これまで歴史や文化は「近代化」を目指す都市計画の埒外におかれ、制度上もモデル事業としてしか対応できなかったものを、新しくまちづくりの普遍的な目標のひとつとして取り組むことを高らかにうたっているのである。環境保全と景観創造とかようやく同一平面で語られる時代が到来しつつあるのだ」と興奮気味につづられている。欧米諸国の先進的な風景計画制度から学び(『都市の風景計画』2000年)、全国で進められつつあった自主条例に基づく各自治体の景観施策の到達点と課題を把握し(『日本の風景計画』2003年)、その先に風景基本法なるもの、そして法定の風景基本計画にもとづく施策展開が提案された。
 

この先に何をすべきか

 
 しかし、本稿の前半で言及したように、景観法、そして景観計画の運用の現場では、必ずしも保全と創造が同一平面で検討されることにはなっていない。保全は創造の前提や補助線とは認識されておらず、創造は単に新しいものの創出に矮小化される。こうした課題に対して、もちろん、様々な補完的な取り組みがある。敷地内既存樹木の取り扱いに限定してみれば、別途、保全の方針を強調している自治体も少なくない。例えば、世田谷区では一定規模以上の集合住宅棟の建設にあたっては、地上1.5メートルの高さにおける幹周り80センチメートル以上又は高さ10メートル以上の既存樹木について、可能な限り既存の位置での保全、それが困難な場合は移植を要請するという方針を明確に定め、世田谷区建築物の建築に係る住環境の整備に関する条例にもとづく建築計画の届出の際に誘導を行っている。移植助成制度も用意されている。世田谷区内では、「羽根木の森」(設計:坂茂)、「羽根木インターナショナル」(設計:北山孝二郎)、「亀甲新」(設計:東利恵)という既存樹木の保全が建築家の創造力を強く刺激し、界隈の風景の継承に結びついた一角がある種のモデルとして実見できるが、もともと森の風景の継承に強い思いを抱く地主ということでなく、ごく普通のデベロッパーでも(高級分譲・賃貸ということでなくても)、創造の前提に保全を検討する状況を生み出すこと、それをどのように制度的に担保できるかが要点である。現状では、あくまで誘導に過ぎない状況では、そう簡単ではないが、選択肢を明確に示すことから始まる。現場での努力、一つ一つの実例が次の実例に結びついていく。その地道な取り組みがもっとも重要である。私が関わっている杉並区でも、「大規模建築物の優良な景観事例集」2018年、図1)をまとめ、事前協議による景観形成のささやかな取り組みの趣旨や方法を伝える努力をしてきている。
 

図1:既存樹木の保存事例(杉並区『大規模建築物の優良な景観事例集』、2018年)

 
 一方で、現場の努力だけでは先に行けない。景観計画、景観法そのものの狙い、原点に立ち戻って、理念を再確認し、その更新や展開を考えていくことも大事である。景観法直前に出版された『日本の風景計画』(2003年)の最終章は、西村幸夫と小出和郎によって13の提言がまとめられているが、20年を経過した今、改めてその提言内容を再読すると、「土地利用と風景保全・創造の二本立て」や「「風景の保全と創造」を建設関連法規の目的の中へ」といった項目は未だに十分には実現していないことが分かる。このような法制度の大枠や主旨のレベルにおいて、保全と創造を明確に位置付けていく、それに向かっての努力を続けないといけない。20年では足りなかった、しかし20年で持続するものへの社会意識は確実に変ってきている。都市計画・都市デザインの研究者としては、社会的合意に向けて、その変化を言語化し、体系的なデザイン論へと展開させていきたい。
 

図2:『地域文脈デザイン まちの過去・現在・未来をつなぐ思考と方法』(鹿島出版会、2022年)

 
 2022年に出版した『地域文脈デザイン まちの過去・現在・未来をつなぐ思考と方法』(鹿島出版会、図2)は、私も長く幹事として参加していた日本建築学会の委員会活動の成果であり、新しいデザイン論への展開の試みの一つである。2011年の東日本大震災で津波にさらわれた都市や集落、また原発事故によって戻ることができなくなった地域という事態を目の当たりにしたことが、地域文脈とは何かをそれまで以上に深く考える契機となった。地域というスケールにおいて、これまでに実践されてきた文脈読解と定着の視点や方法を整理しているが、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、近代の駆動にともなう19世紀的自由放任に対抗するかたちで生まれた社会や環境の有機的組織論、1950年代から1970年代にかけてイデオロギーに基づくユートピア型社会変革主義の修正を目指した様々な建築・都市論をそれぞれ地域文脈論の第一波、第二派として捉えたうえで、1990年代以降の新自由主義的経済・社会体制、資本主義の増殖と競争のもと、「正しいコンテクスト」の決定不可能性や可塑性を前提として、広義の生態系を捉えていく第三波の地域文脈論を主題とするという独自の見通しを立てている。現在の地域文脈論において、生態系とは物的なものに限らず、社会的なものを含み、空間組織ー社会組織の系のなかで見出される。そして読解と定着の反復という動的なプロセスによって、地域文脈は捉えられる。創造と保全もまた、こうした空間組織ー社会組織の往還と動的なプロセスの中での関係性のデザインに昇華させていく必要がある。
 
 何をどう保全し、それを補助線として何を創造していくのか。これまでに環境に蓄積されてきたあらゆる時間的物証とそれらの関係に関して、誰がどう保全すべき文脈を見出し、定着させていくのか。今一度、そうした議論を深めながら、現場に有効な手立てを見出ししていきたい。
  
参考文献

・上田篤・鳴海邦碩『都市の開発と保存』、鹿島出版会、1973年
・歴史環境をめぐる研究会(代表:大谷幸夫)『保全的刷新 : 歴史的環境再生をめぐって』、トヨタ財団、1979年
・西村幸夫『環境保全と景観創造 これからの都市風景に向けて』、鹿島出版会、1997年
・西村幸夫+町並み研究会『都市の風景計画 欧米の景観コントロール 手法と実際』、学芸出版社、2000年
・西村幸夫+町並み研究会『日本の風景計画 都市の景観コントロール 到達点と将来展望』、学芸出版社、2003年
・日本建築学会『地域文脈デザイン まちの過去・現在・未来をつなぐ思考と方法』、鹿島出版会、2022年

|ごあいさつ

 
 2023年度4期の建築・都市時評「驟雨異論」を予定通り配信することができました。 4期を担ってくださった小野田泰明中島直人寺田真理子の三氏に厚く御礼申し上げます。ご苦労様でした。 建築・都市を巡る状況は、平穏なものではありません。 民間資本による都市再開発の乱立と暴走、建築建設資材の高騰化と慢性的な人手不足、無策なまま進行する社会の高齢化と縮小化と格差化、気候変動と「with・コロナ」そしてオーバーツーリズムの波etc、克服が容易でない大きな課題が山積状態にあり、今こそもっと建築・都市へ「ここがオカシイ」と声を上げなければなりません。批評の重要さが増している。 その上からも「驟雨異論」の役割は、貴重になります。ここから声を上げてゆきましょう。 2024年度5期では 貝島桃代難波和彦山道拓人、各氏のレビューが登場します。 乞うご期待ください。
 

2024/04/18

真壁智治(雨のみちデザイン 企画・監修)
 

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